14話 人間関係がぐちゃぐちゃとした教室の中で
月曜日。教室に入ると、先週1週間来ていなかった万引きをしたらしい瀬古くんたち3人が登校していた。たぶん、1週間の停学とかでその期間が明けたのだろう。
クラスの空気は重い。誰もが3人に注目していて、それでも話しかける者はいない。いくつかの少人数のグループに別れ、そのグループの中でだけ会話をするクラスメイトたち。声のボリュームは心なしかいつもよりも小さく、どこか気遣わしげ。そんな微妙な状態の教室。
僕は誰に挨拶をすることもなく自席について教科書を広げた。それはいつもと同じように。
ただ漢文を読む。意味を取って、情景を頭に浮かべる。内容は別に面白くはないけれど、古文の常識が非常識な歌物語よりはわかりやすい。僕は漢文に没頭していった。
「……言いたいことあるならはっきり言えよ」
僕を漢文の世界から引きずり戻したのはそんな声だった。別に叫んだわけでもないのに、その声ははっきりと聞こえてきた。声を上げたのは瀬古くんだった。
でも、その先は続かない。クラスメイトたちは誰も口を開かなかったし、瀬古くんもさらに続けることはなかった。
「はぁ」
大きなため息が聞こえた。誰のものかはわからない。この状況が酷く窮屈で、ため息をつきたくなるのはよくわかる。
一浜高校は一応は進学校。万引きをしたという時点で爪弾きにされるくらいには、皆ルールを重んじている。
今、このクラスにおいて瀬古くんたちは腫れ物なのだ。
犯罪を犯したのに短期間の停学というのは、僕の主観では甘い。もっと厳しく処分してもいいのではと思う。
不良生徒は腐ったみかんではなく、排除するべきものではない。教育によりそれを正すのだと、その理念は理解はできる。
でも、僕としては排除してくれた方が楽だ。彼のような生徒がクラスにいるだけで気が滅入る。まぁ、万引きをしたイコール不良生徒というのは短絡的かもしれないが。
グループ間での会話もなくなり、教室にはまるで通夜のような静けさが降りていた。僕は気を取り直して教科書に視線を落とした。しかし。
「万引きなんてしたのは俺らが悪い。マジでバカだったって思ってる。だからって、こんな、なんつうか、雰囲気悪すぎだろ?」
僕が勉強に戻ろうとしたそのタイミングで瀬古くんは話し始めた。まぁ、言っていることはわからないでもない。別にトゲトゲしさもなく、本当にバカなことをしたとは思っているようだった。
「俺らを責めるなりバカにするなりするんならそれでいいんだ。でも、それならはっきり直接言えっての。俺らは自分らが悪かったってわかってっから、逆ギレなんてしねーよ。だから、こっち向いてコソコソ何か言うとか、なんかこの超沈黙みたいなのはやめよーぜ」
今の静けさは耐え難いのだろう。HR直前の教室としては、確かに異様な状態。たぶん、クラスメイトのほとんどが息苦しさを感じたはずで、やめたいとも思ってはいるはずだ。自ら口を開いて沈黙を破れるかは別にして。
「生徒会からのお知らせです!」
突然、佐伯さんがそう声を上げた。この沈黙を破るには、少々外れた言葉。
「期末試験前になったら生徒会主催で勉強会をやります。瀬古くんみたいに赤点常習で、しかも1週間も休んだ人は絶対に参加しましょう」
「は? それ、佐伯に言われたくねーし、停学って休みじゃねーからな。勉強だってさせられるし」
佐伯さんの突然のお知らせに、瀬古くんは真顔で返す。何を言い出したんだこいつと言わんばかりだ。
「えっと、ごめん、スベった? いや、私、沈黙とかほんと無理だから。でも、それネタにいいんじゃない? 停学トーク。うちのクラスで停学になったの3人だけだし、持ちネタになるっ」
「アホか」
瀬古くんに親指を上げてみせた佐伯さんはまさしくアホっぽかった。
「ツッコミ雑。それじゃ芸人になれないよ?」
「ならねーよ!」
「今のはOK!」
「なんなんだよ、お前」
佐伯さんが道化を演じたお陰で、クラスの雰囲気は軟化した。笑い声すら聞こえる。
「ウケた? 私、笑いのセンスある?」
「あかりん、ごめん。全然ないと思う」
「うわー、ショックー」
それから、佐伯さんグループは漫才やら芸人やらについて語りだし、他のグループからも沈黙は消え去った。雰囲気はいつものHR前と同じになっていた。
それから1分もしないうちに担任が教室に入り、HRが始まり、大した連絡もなくすぐに終わった。担任は今日から戻った瀬古くんたちには特に触れなかった。
続く1限の道徳も通常通りに教科書を進め、今日の単元は『友情について』。
友情などというものを座学で学べるとは思えない。教科書に載る資料には、やはり現実味が感じられない。
今、この人間関係がぐちゃぐちゃとした教室の中で、皆が教科書に記された理想的な友情についてを学んでいる。そんな状況がとても滑稽に思えた。高校生にもなれば、すでに現実に痛いほど触れているというのに、友情とはこうあるべきだと言われても空虚でしかない。
しかし、それが滑稽だろうと空虚だろうとバカげていようと、僕はただ、試験で点数を取るために、担任が、教科書が、この国が学ばせようとしている道徳観を読み取るのだ。
そんなことに躍起になっている僕自身、滑稽に思えなくもなかった。