6話 僕は仕方なく
「そう言わずに。クラスの澱みの原因が佐伯さんと黒崎さんなら、2人が仲直りすれば雰囲気は改善するかもしれないでしょう?」
「いや、確実に人選を間違えますよ。百瀬くんにはすでに声をかけてるんでしょう? 彼と、佐伯さんと仲のいい御堂さん達に頼むのが道理ですよね?」
僕がクラスのために奔走するわけがないということなんて、担任も重々承知なのではないのか?
「百瀬くんには黒崎さん側に働きかけてもらうつもりです。そして、御堂さんや黛さんは佐伯さんと同じ立場です。一歩引いて、黒崎さんとの和解を提案してもらうのは難しいと思います」
「だとしても、僕ってことはないでしょう……」
「蒼井くんは、集団の中にいながら一歩引いた目線で見るのは得意でしょう?」
「それは一歩引いてるんじゃなくて、中に入れていないのでは……」
そんな自虐っぽいことを言って話を誤魔化す。とにかく、面倒ごとを引き受ける気なんてない。
「佐伯さんが話を聞き入れる相手で、加えてメタ認知もできる。蒼井くん、君にしか頼めないんです」
「僕はそんなキーパーソンなんかになった覚えはありません。勘弁してください。試験前だっていうのに」
「試験まではまだ1ヶ月くらいはありますが」
「1ヶ月切ったんで、本気で勉強したいんですよ」
クラスの雰囲気がどうなろうが、正直なところ知ったことではない。そもそもがクラスへの帰属意識なんてないに等しいのだ。そんなものよりも期末試験で先輩と競う方が、僕にとってはよほど優先順位は高い。
「……君は、佐伯さんとは友達でしょう?」
「残念ながら、僕にとっては佐伯さんと黒崎さんの仲よりも、期末試験の方が大切です」
「そうですか……」
担任の声色はとても残念そうに聞こえた。でも、僕は意見を変える気はない。
「そうです」
「では、期末試験の方で佐伯さんをサポートしてあげてはくれませんか?」
「はい?」
なんか、聞いたような話に向かってないか?
「新会長は役員にある程度の学力を求めているそうです。佐伯さんがその基準をクリアできるようにサポートしてあげてはくれませんか? 君の望む、勉強ですよ」
これは、あれか。
「先に無茶なことを頼んでから、その後に現実的なことを頼む。なんて言いましたっけ? 心理的に断りづらくさせるやつですよね。それを知っている側からすると、先生って賢しいなとしか思いませんけど」
「教師に向かって賢しいはないんじゃないですか……?」
立場が上である担任にあんまりな物言いをしている自覚はある。でも、自分の意見を通すのに、相手の立場が自分より上だからとか考えるのはやりづらいので捨て置きたい。
「実際、本命の頼みはそっちなんでしょう? 最初の方はいくらなんでも僕に頼むことじゃないです」
「君は賢しいですね」
ブーメランだったか。まぁ、そうか。担任から見れば、僕は紛れもなく賢しい癖にバカな思想を持っている面倒な生徒なことだろう。
「賢しいではなく聡いという言い方をしてほしいです」
そうテキトーな言葉を返した。僕の言葉なんて、大抵はテキトーだ。
「私も賢しいではなく聡いと言ってほしいですね」
「生徒に看破されてるんじゃ教師としてはダメでしょう。後の依頼の方もお断りしますよ」
「蒼井くんは勉強の苦手な人は相手にしたくありませんか……」
わざとらしく棘のある言い方をする担任はやはり賢しい。つい、僕はそれに反論してしまう。
「そういう言い方は。単に僕の方に余裕がないってだけです」
「佐伯さんの方がよっぽど余裕はないと思いますよ。生徒会はとても忙しい様子ですし」
「それは会長のせいでしょう。僕ではなく会長に言ってください」
会長が仕事を作らなければ、生徒会の仕事に忙殺されるなんてことはないはずだ。
「学校側としても、佐伯さんにはもう少し勉強ができるようになってほしいんですよ」
「そりゃ、学校側としては全ての生徒に勉強ができるようになってほしいでしょうね」
公立高校にしたって、進学実績はほしいだろう。そしてもちろん、そんなことも僕の知ったことではない。
「それはそうですが、佐伯さんは特に。彼女は1年生唯一の生徒会役員ですから、来年は会長になる可能性がとても高いです。生徒会長は生徒の代表ですから、その会長が赤点ギリギリというのはちょっと……」
「知りませんよ、そんなの」
クラスの雰囲気以上に僕には関係のないことだ。
「このお願いの仕方で君が首を縦に振るとは思っていません。君は、やらなくてはならないこととやりたいことしかやらないと自分に言い聞かせている子ですから」
「……概ねそんな感じの人間だとは自分でも思いますよ」
「では、佐伯さんに勉強を教えることが、真白さんに勝つ契機になり得るとしたら?」
「えっと?」
「してるんでしょう? 真白さんと勝負」
なぜ担任がそれを知っているんだろう。いや、別に知っていてもおかしくはないか。先輩が顧問に話して、顧問が担任に話したとか、普通にありそうだ。
「してますが、佐伯さんに勉強を教えることが先輩に勝つ契機になるとは思えません」
「君の場合、道徳さえなんとかすれば真白さんにも勝ち得るんじゃないですか? 私が言っているのは、佐伯さんに、と言うよりはクラスの人間に関わることが、次の道徳の試験を有利に進められるということです」
「いや、教師がそんな試験の内容に関することを言っていいはずがないでしょう?」
「私は具体的なことは何も言っていません。ただ、クラスについてが試験範囲になっていると言っただけです」
この人はやっぱり賢しい。道徳の試験。最後の記述問題に、『あなたの経験を基にして』という文言を含んだクラスメイトとの関わり方に関する問題が出ることを暗に示している気がする。これは僕の考え過ぎか? いや、しかし……。
「嘘八百をその場で書き連ねることだってできます」
「でも、実際に経験があった方が言葉は紡ぎやすいでしょう?」
「……先生、やっぱり賢しいですよ」
「聡いと言ってください」
僕は仕方なく1つの決断をする。
「先輩に勝つためなら、まぁ、手は抜きません。勉強を教えるくらいやりますよ。……はぁ」
これ見よがしに大きくため息をついた。
「先生、これは、僕がある程度は先生を信用しているからですよ」
これで記述問題がクラスに関する問題でなければもう信用しないという意味を込めて。
そもそも1ヶ月前の時点で問題が決まっているのか甚だ疑問だし、決まっていたとして今からなら問題を変えることは可能だろう。この取引をした以上はわかっているなという、ある意味では脅しのような言葉。担任が僕からの信用にどれくらいの意味を見出すかは知らないけど。
事前に問題について情報を持っているとか、全くもってフェアではない。でも、過去問を入手して問題を予想することと、教師に取り入って出題のヒントをもらうことは、そこまで大きな差はない気がした。
「私も君を信用していますよ。できれば、黒崎さんとの件も」
「それは無理です。これで話は済んだってことでいいですか?」
「ええ。放課後に来てもらってごめんなさい」
「まったくですよ」
生徒指導室から出た僕は大きく息を吐いていた。