5話 対岸の火事
クラスの人間関係において、僕は自分が部外者であるという自覚がある。1年2組のキーパーソンは、百瀬くんや黒崎さんや佐伯さんであって、僕はそのような役割から最も遠いはずの人間だ。
なので、放課後、担任から声をかけられて、僕は怪訝な顔をした。
「なんですか?」
今の担任が気にすべきはクラス全体。僕個人に構っている余裕は流石にないと思うのだが。
「生徒指導室まで来てください」
「僕、何かしました?」
呼び出しを食らう覚えなんてない。僕は基本的には優良な生徒のはずだ。
「いいえ。ただ、話がしたいんです」
今の状況で、担任が考えてるのはやはりクラス全体のことのはずだ。なら。
「人選、間違ってませんか?」
「……そうかもしれません。でも、蒼井くんにしか頼めないこともあります」
「お断りします」
どう考えても面倒ごとの匂いがする。当然、断る一択。
「お願いです」
すると、担任は僕に頭を下げた。意味がわからなかった。教師が生徒に頭を下げるという場面を、僕は初めて見た。今、担任が、僕に、頭を下げてまで頼むようなことがあると……。
「はぁ。生徒指導室ですね」
とりあえず、話を聞くだけ。今日は部活はない。勉強時間を削れば時間なら取れる。担任がしつこいのは知っているし、ここで行った方がいい。そう自分に言い聞かせた。
生徒指導室へと歩く最中、担任はずっと口を閉ざしていた。ならば当然、僕だって一言も喋るわけもなく、到着するまで僕たちは終始無言だった。
「早速ですが、蒼井くんは今の1年2組をどう思いますか?」
生徒指導室に着いて椅子に座ると、担任はすぐにそう訊いてきた。
「どうということも。まぁ、少し空気が澱んでる感じはしますけど、僕としては対岸の火事なので」
そのクラスの一員なのに対岸の火事はないとは思ったが、僕がクラスをどうこうする気はないということを強調するためにそんな言い方をした。
「君は今の状況に不満はありませんか?」
「こうして生徒指導室に呼び出されること自体不満ですよ」
「クラスの澱んだ空気に不満はないかと訊いています」
「言ったでしょう。対岸の火事です。こうして僕に飛び火してこない限りは、とりあえずはどうでもいいです。関係ありません」
担任は不遜な回答をする僕を、いつも通りの無表情で見つめる。
「クラスメイトが万引きを犯したことはどう思いますか?」
「バカだと思います」
これが正直な感想。ただ単純に、バカなやつだとそれだけを思う。
「ただ頭が悪いから万引きをしたと、そう思いますか?」
「小人閑居して不善をなす。僕はそう思いますよ。2学期のこの時期はイベントがありませんから」
生徒会選挙なんて、普通の生徒にとってはイベントたり得ない。
「なるほど。蒼井くん、君はその中にいながら、1年2組を客観視できますか?」
「いいえ」
YESと返すとなんか面倒そうなので、とりあえずNOを返す。実際、完全な客観も完成な主観を存在しないと思ってるし。
「君の思うクラスの澱みの原因を教えてくれませんか?」
つまり担任は、クラスの問題に介入するに際して、クラス内で1番冷めたやつの意見を聞きたかったと。
「文化祭の一件でしょう。先生だってわかってるでしょう? 佐伯さん派と、黒崎さん派と、中立派って感じになんとなく派閥が生まれたみたいですよ。女子は。男子の方はあんまりそういうのには関わりたくなさそうな雰囲気ですけど」
高校生にとって友達という存在は大層大事らしい。それで勢力を競って何が楽しいんだか僕にはよくわからないけど。……国取りゲームみたいな感じで、盤面でやれば案外面白そうな気はしないでもないか。
「やはり、そうですよね。昨日、百瀬くんと話したんですが、彼は色々と気苦労をしているようでした」
なるほど。その人選はたぶん正しいだろう。ただ、それを僕に話すのはどういうつもりなのか。
「そうですか。僕の方は関わる気もないので、百瀬くんのような苦労はありませんね」
「でも、佐伯さんとは仲が良い様子ですよね?」
その発言に、僕は呆れたような顔を作った。
「宿題の答えを訊かれるだけですよ。僕に問題を入力すれば解答が返ってくると思ってるんですよ、佐伯さんは」
「そうですか?」
担任の無表情が、自分はなんでも見透かしているとでも言いたげに感じて少しカンに触る。
「そうですよ」
苛立ちが見えないように、意識的に平坦な声で返す。
「でも、百瀬くんに佐伯さんがクラスでよく話す人を聞いたところ、5番目くらいに君の名前が上がりましたよ?」
5番目、リアルな数字な気がした。しかし、それは仲がいいと言えるのか? 僕がクラスで5番目に話す相手なんて、ほとんど口をきかない相手だ。
「そうですか。それだけ宿題が出てるってことでしょうね」
テキトーにそんな風に返答した。佐伯さんとよく話している人というと、仲良しさん3人がまず浮かんで、ついで誰だろう。紺野さんとも中間試験以来、時々話している気はする。この辺りが、佐伯さん派ってことになるのか。クラスに女子は17人。佐伯さん含めて5人でも一大勢力だ。
この、『○○さんは〜〜さん達のグループだから』みたい話、僕とは本当に縁遠い話のはずなのに。
「蒼井くんとしては、クラスでよく話す相手は佐伯さんというわけでもないんですか?」
「いえ、僕は佐伯さんより友達少ないですから」
一体、僕はどうしてこんな話をしているんだ? 実際、クラスで1番話すのは佐伯さんかもしれない。会話なんて、「これの答えなに?」ばかりだけど。
「蒼井くんは文芸部のメンバー以外にも友達を作った方がいいと思いますよ」
「人間関係ってのは大抵面倒ですから。親しい相手が増えれば、面倒ごとも増えるので」
実際、中間試験の時に紺野さんと話してなければ、生徒会選挙なんてものを気にすることもなかったかもしれない。
友達はいらないなんて言うつもりはないが、別にたくさんはいらない。僕のキャパシティで処理できるだけでいい。
「人間関係を避けていては」
「社会で生きていけませんか?」
言葉を先取りすると、担任はこちらを睨んだ……気がした。無表情なので別に睨んではいないはずなのだが。この人、よくわからない。
「先生は、結局僕に何をしろって言うんですか? たぶん断るので、遠慮なく言ってください」
「君は教師相手に物怖じしませんね……」
「高校生にもなって教師相手に物怖じする方が珍しいですよ」
「それはさておき、君には、佐伯さんに黒崎さんをもう許すように言って欲しいんです」
「お断りします」
僕は即座に頭を下げてそう言った。