4話 蒼井くん、おかしいよ
試験1ヶ月前。そんな時期から試験勉強を始める者は、この一浜高校では少数派だ。というより、ほとんどいない。
クラスでの話題の中心は試験なんかではなく、万引きで停学になったクラスメイトたちについて。
もちろん僕はその話に加わるわけもなく、1人 机で勉強をしていた。
「蒼井くん、ヘルプー」
勉強していた僕に遠慮なく話しかけてきたのは佐伯さん。さて、今日提出の宿題はあっただろうか。
「なんですか?」
どうせ、これの答えを教えて的なことだろうと思いつつも、一応顔を上げて対応する。
「期末テスト、どうやったら平均点より上が取れる? できれば10点くらい」
予想外の質問。僕はペンを置いて、ちゃんと佐伯さんに向き直った。
「どうしたんですか?」
些か失礼だが、佐伯さんにしては平均点+10点というのは志が高い。赤点さえ取らなければという思考の人だったと思ったけど。
「会長が、生徒会役員なら平均点よりは上じゃないと示しがつかないって……」
なるほど。あの会長のせいか。
「平均より勉強をすれば、平均点より上を取れると思いますよ」
僕の返した至極当たり前の言葉に佐伯さんは不満げな顔をする。
「平均点より上って、蒼井くんにとっては大したことないかもしれないけど、私にとっては大事なんだよ! 特に、クラス平均点は蒼井くんが吊り上げるし!」
クラスの人数は36人。僕1人の点数が大きく影響するとも思えないけど。
「そんなことを言われましても。僕だって、期末試験は中間よりもいい点を取るつもりですし」
取らなくてはならない。先輩と競える最後のチャンスかもしれないのだから。
「蒼井くんって、なんでそんなに勉強できるの? おかしいんじゃないの?」
「おかしいとまで言いますか……。なんで勉強するかって話なら、前に話した気もしますけど」
「嫌にならない?」
「嫌になったら気分転換します」
そりゃ、勉強は楽しくなきゃ続かない。だから、やる気が失せれば再燃するまで気分転換はする。自ら進んでやる勉強と試験のための勉強では、後者がつまらないのは当然。そこをどれだけ楽しくやれるかが勝負ともいえる。
「気分転換って?」
「勉強する科目を変えるとか、問題の形式を変えるとか」
「……蒼井くん、やっぱりおかしいよ」
「自分と違う人をおかしいと決めつけるのはどうかと思いますよ」
実際はやる気がなくなれば読書に逃げることもある。でも、それだとあまり集中できず、すぐに勉強に戻ることになる。
「勉強してると、動画見たいとか、音楽聴きたいとか、友達と話したいとか、そういうこと思わないの?」
「そういうことはあまり。眠いとかお腹空いたとかは思いますけど」
「……私だって、蒼井くんが睡眠とか食事とかを投げ打ってまで勉強してるとは思ってないよ。それ、もう人間じゃないし」
中間試験の時は睡眠を犠牲にしかかってたんだよなぁ……。あれ、人間やめかけてたのか。
「どうにしろ、今から勉強すれば平均点くらいなら余裕があるんじゃないですか?」
まだ1ヶ月ある。1ヶ月は定期試験の勉強をするには十分な時間だろう。
「だから、今から勉強するためにはどうすればいいか訊いてるの!」
「いや、勉強すればいいじゃないですか」
「勉強できないから訊いてるんだってば! やろうって思っても続かないの」
「なら、また勉強会的なことをやったらどうですか? 他人を巻き込めばやらざるを得ないんじゃないですか。僕は参加しませんけど」
「勉強会やる流れまで来たのに、どうして不参加表明なの!?」
「いえ、佐伯さんに勉強を教えても、あまり僕自身の勉強にはならないかなぁと」
「うわっ、それをはっきり言っちゃう? 事実だとしても、事実だとしてもさ」
教科書レベルの問題の確認を今更するのは不要に思えてしまう。佐伯さんに対して甚だ失礼なことを言っているのはわかるけど。
「だいたい、私がこんな目に遭ってるのって、蒼井くんのせいだし」
この人も全部僕のせいだとでも言い出すつもりか……。
「僕のせいですか?」
「だって、蒼井くんが生徒会に入らなかったから、私が生徒会に入ったんでしょ」
「それは違うと思いますが……」
「なんでよ。だって、蒼井くんが生徒会に入ってたら、私が生徒会に入る枠はなかったでしょ?」
「逆、裏、対偶って覚えてます?」
"僕が生徒会に入るならば、佐伯さんは生徒会に入らない"と"僕が生徒会に入らないならば、佐伯さんは生徒会に入る"は裏の関係であって、その真偽は関係がない。
「なに言ってんの?」
通じないかぁ……。習ってから半年も経ってないんだけどなぁ。
「とにかく、期末テスト、なんとかしてよ」
「それは僕じゃなくて、先生なり、それこそ生徒会長なりに頼むべきだと思いますよ」
「会長、超忙しいのにそんなこと頼めるわけない。先生は、なんかやだ」
なんかやだって……。
「対して僕は暇だと言いたいんですか?」
「蒼井くんがやってるのはどうせ勉強じゃん」
この人、勉強をしている人間への理解が少なくないだろうか。
「会長じゃなくても、百瀬くんとか紺野さんに頼んだらどうですか?」
もはや他人を売ることに躊躇はなかった。僕の期末試験のテーマは先輩との勝負だ。佐伯さんの補助に回るような余裕はない。
「百瀬くんは試験週間にならないと部活が忙しいし。紺野さんは今から声かけるつもりだけど、先生役は多い方がいいし」
「今回、僕にはそんな余裕はないんですよ」
「そんなこと言って9割とか取るくせに」
佐伯さんは僕の言葉をその場しのぎの嘘だと受け取ったようで、ジト目でこちらを見てきた。
「9割じゃダメなんです」
「蒼井くんってさ、5割も取れない私のこと、心底バカにしてたりする?」
「別に。僕にとっては勉強は根幹をなすほど重要なものですけど、佐伯さんにとってはそうでもないというだけだと思います」
佐伯さんが友達の少ない僕をバカにしていないのと同様に、僕は勉強のできない佐伯さんをバカにしたりはしていない、はずだ。先程かなり失礼なことを言った手前、バカにしていないと断言できるか怪しいかもしれない。
……それ以前に、佐伯さんが僕のことをバカにしていないかどうかもわかりはしないけど。
「確かに今まではテキトーにやってきたけど、今回は本気で平均点くらいは取りたいの。手伝ってくれない? ね?」
それはきっと真剣な頼みで、きっと道徳的な人なら受け入れるのだろう。でも、僕はそうじゃない。
「やっぱり、そんな余裕はありません。すみません」
「そっか……。私、蒼井くんがなんでそんなにテストの点にこだわるのか、やっぱりわかんないや」
佐伯さんはそれだけ告げて去っていった。僕は僕ために、佐伯さんに時間を使うことを拒否したのだった。