2話 小人閑居して不善をなす
期末試験は12月4日から。まだ1ヶ月ある今は、クラスメイトは試験勉強をしている様子があまりない。
この時期は、まだ試験までは時間があり、かといって何か行事があるわけでもない、そんなイベントの空白期間。クラスメイトの様子はなんとなく退屈そうにも感じていた。
1年2組の教室の空気は、少し澱んでいた。
文化祭の一件以来、クラスの特に女子の間での空気は少しギスギスとした感じではあった。それが1ヶ月という時間で当たり前になった。
なんとなく空気が悪いのが当たり前。そんな状況。別に決定的な対立構造があるわけではない。佐伯さんと黒崎さんが対立するというのも、百瀬くんの尽力によってかよらずか杞憂に終わった。まぁ、仲は以前に比べてずっと悪そうには感じるけれど。
そんな中、特にイベントがないというのは良くなかった。そんな状況だったことが関係しているかは僕にはわからないけど、とにかくイベントがない期間が続いたのは良くなかった。
小人閑居して不善をなすなんて言うように、暇というものは人を毒する。
「昨日、うちのクラスの生徒が万引きをして補導されました」
朝のHRにて、担任は重たい口調でそう切り出した。担任は補導された生徒の名前は言わなかったが、クラスメイトはコソコソと名前を囁き合っているはようだった。今日、普段なら教室の後ろの方にたむろしているあまり真面目とは言えないタイプの男子生徒3人が揃って休んでいるのも、関係がある気がする。
「言うまでもありませんが、万引きは犯罪です」
それは当然で、本当に言うまでもないこと。つまり、聞くまでもないこと。僕は担任の言葉を真剣には聞いていなかった。クラスメイトが犯罪を犯したことなんて僕には関係のないことだ。
「皆さんがやっていいことと悪いことの区別もつかないとは思いませんでした」
そんな人間と、皆さんという言葉で一括りにされることが腹立たしかった。僕にとってそいつらは、偶然に同じクラスになっただけの赤の他人なのだから。
「先生、私たちは万引きなんてしてません。あんなやつらと一緒にしないでください」
そう言ったのは黒崎さんだった。彼女も僕と同様の苛立ちを感じたのだろう。
「いいえ。私は今回のことをこのクラスの問題だと受け取っています」
「連帯責任だなんて言いませんよね? 私たちと、瀬古たちが万引きしたことは関係ないじゃないですか!」
「そうではなく、このクラスではルールを守るという意識が欠如しているのだと、今回の件から感じました。それは瀬古くんたちはもちろん、他の皆さんにも言えることだと。黒崎さん、あなたにも」
「私は法律は守ってます!」
担任はいつもの無表情で黒崎さんを見つめる。黒崎さんは怯んで目をそらした。
「文化祭の片付けをほとんどの人がサボった一件。あの時点で、皆さんにルールを守るという意識が欠如しているとは感じていました」
1ヶ月も前のことを今更持ち出すのかよと思う。担任はこの1ヶ月、その件にも、クラスの澱んだ空気にも介入はしなかった。そのくせに、今更になって蒸し返すのか。
「それでも、皆さんを信じたかったし、自分たちで間違いに気づけるんじゃないかと思ってしまっていました。教室の空気が悪化していく事態に、ルールを破ったということがそれだけの影響を及ぼしたと感じてくれるんじゃないかと思ってしまっていました。
でもそれは、今思えば、ただの職務怠慢だったのでしょう。皆さんを信じるのではなく、私は皆さんを指導するべきだった。瀬古くんたちは、ルールを破っても大して怒られずに済んだなんて経験から、万引きという行動をしてしまったのかもしれません」
担任は僕たち生徒を責めているんだか、自分を責めているんだか、はっきりしないことを言っている。その言い草は言いわけがましく聞こえた。
「今日は1時間目の道徳の時間で、なぜルールは守らなくてはならないのかを考えたいと思います」
その一言でHRは終わり、そのまま道徳の授業が始まった。
「ルール。それには色々とありますね。法律、校則、友達間での暗黙の了解。それはなぜ守らなくてはならないのか」
そんな導入で始まった授業を、僕はテキトーに聞き流した。これが万引きというイレギュラーに際して臨時に行われている授業なら、試験に関係する可能性は低い。なので、別に聞かなくてもいい気がした。
ルールを守るのは、破ることにデメリットが大きいからだ。損得を考えれば必然的に守るという選択をすることになる。それだけ。
それにどんな理屈をつけても、僕の中での結論はそれだし、道徳の答案として答えを書くなら指導要領なり教育ビジョンなりから引っ張ってくる。つまり、担任の意見やクラスメイトの言葉に意味はない。
担任が一人一人に発問をしながら授業を進める中、僕は頭の中で英単語を思い出しながら過ごした。
「——平気でルールを破る人は信用も信頼もできませんね。例えば、蒼井くん、君が信頼するのはどんな人ですか?」
クラスメイトが次々に指名されているのだから、当然僕に対しても発問は来る。聞き流しつつも、聞いていないわけじゃない。
「ルールを守る人でしょうか」
話の流れ的にこの回答でいいだろう。別に気の利いた答えを返す必要なんてない。
「本当に?」
……なんか見透かされてないか? 担任、なまじっかちゃんと生徒を観察している分、面倒だ。
「行動原理が理解できる相手、でしょうか」
少し正直なところを答えることにした。行動の理由が理解できない相手を信じるのは難しい。
「というと?」
しつこいな……。
「自分に理解できない行動を連発する人は信頼できないでしょう?」
「では、蒼井くんは万引きをする人のことは理解できますか?」
「金銭はないが物が欲しいという状況が動機なら、盗みという行為はわかりやすいかもしれません。まぁ、賢くないのは明らかだと思いますけど」
きっと、今回の万引きの動機はそれではないだろうとも思うけど。
「つまり、蒼井くんの理屈だと、万引きをする人も信頼できると?」
「あらかじめそのような人間だと知っていれば、ある程度はどのような状況で何をしでかすかを予想できるわけですから、その人と関わることは可能だとは思います。積極的に関わりたいと思うかは別ですが」
「蒼井くんの言うそれは信頼ではないと思いますよ」
担任の口調は呆れを感じさせた。なら、信頼ってのはなんだ?
信頼を、相手の行動に予測が立ち、自分が不利益を被らないように関わることのできることと見るのは間違っているだろうか?
裏切らないとか嘘をつかないとか、そんなのは場合によっては酷く愚かな行為なのだから、信頼には値しない。
誠実、実直、真面目。それらはプラスイメージで捉えられることが多いが、行き過ぎれば現実を見れていないただのバカだ。嘘をつくべきタイミングで嘘がつけない人間は信用ならない。
そのまま道徳の授業は僕には納得のいかないままに進んでいった。そんな授業を聞く気はやはり起こらず、僕は外面だけは取り繕いながら頭の中で内職をして過ごした。