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31話 人間精神の名誉のために


「蒼くん、遅い! って言うつもりだったのに、早いよ!」


 土曜日。サラさんに会いに行くために、元治大学第2キャンパス前での待ち合わせ。例によって、僕は余裕を持ちすぎて集合時間の30近く前に着いてしまったのだが、それから5分ほどで先輩は集合場所に現れた。


「思ったより乗り継ぎがうまくいったので」


 まぁ、想定したのが10分遅延なわけだから、普通なら想定より乗り継ぎはうまくいく。


「そんなこと言って、わたしと2人で出かけるのが楽しみで仕方なかったんじゃないのー?」


「2人でって、数分すればサラさんが加わって3人になるでしょうに。いえ、相原さんも来るんでしたっけ?」


「うん。2対2でダブルデートだね」


「小学生と高校生と大学院生2人、どういう組み合わせなんでしょうね」


「わたしは小学生じゃないから、小学生ってのは蒼くんのことかな?」


「僕は小学生に間違えられることはありませんよ」


「わたしだって制服着てればないしっ!」


 今日は私服なので、普通に小学生に間違えられることだろう。

 なんだこの無駄な口論……。本格的にどうでもいい。


「えっと、サラさんがここまで来てくださるんですよね?」


 サラさんと相原さんには大学構内の教室で話すことになっている。しかし、学祭でもない今日は許可なく大学内に入れない。そこで、サラさんが迎えに来てくれることになっている。


「うん。ただ、サラサラが来るのは、わたしたちの本来の集合時間のさらに10分後だけど」


「まだ30分以上あるわけですか……」


 いや、早く来すぎた僕たちが悪いんだけど。


「どこか行く? それともここで立ち話?」


「僕はどちらでもいいですよ。30分って、そんなに長い時間でもありませんし」


 先輩がこんなに早く来なかったら1人でそれだけの時間を潰したわけだし。

 現在、駅の改札前にいるわけだが、大学生がぽつぽつと利用をするだけなので、ここで駄弁っていても邪魔にはならないだろう。


「なら、歩くのとか疲れるから雑談してよー。さて、もうすぐ期末試験だね!」


「12月初めですよね? ジャスト1ヶ月くらいですか」


「勉強はどう? 今度はわたしに勝てそう?」


「この前の模試で勉強不足を叩きつけられたところです」


「えっ? ダメだったの? ねぇ、ダメだったの?」


 嬉しそうにそう訊いてくる先輩。……ちょっとイラつく。


「ダメでした。偏差値56でした」


「うわぁ。偏差値60以下は、ちょっとなぁ」


「ダメだったって自覚はあるんで……」


「でもでも、全学年でだよね。それなら、そこまで落ち込むことはないよ。うん」


 僕が本気で落ち込んだように見えたのか、慌てて先輩はフォローに回った。それが、なんか逆に……うーん。


「……でも、60切っちゃうか…………」


 ボソッと発せられたその一言がやはり先輩の本心なのだろう。僕の結果は、期待はずれだった……。


「蒼くんって理系だっけ?」


「そうしようとは思ってます」


「国立志望だよね?」


「まぁ、一応」


「何かやりたいことあるの?」


 その質問に対する僕の答えは沈黙だった。やりたいこと。それを僕は見つけられていない。


「ないんだ……。なら、どうして理系で、どうして国立志望?」


「僕は理屈っぽい人間みたいなので、理系の方が向いているかなと。国立志望なのは、家族からそれを期待されているからですね」


「確かに、蒼くんは文系より理系っぽいっていうのはわかる。わたしもそう思う。でも、大学選びに家族がどうこう言い出すのは、蒼くんっぽくはないかなぁ」


 僕は先輩の同類で、判断の基準は自分にしているはずなのだ。少なくとも、先輩は僕をそう思っているのだろう。しかし、本当にそうか? 僕にとっての基準は本当に僕自身か? 僕という人間のパーソナリティの根幹には……。


「なんか、蒼くん、だいぶ悩んでるっぽいね。そーゆーときは、頼りになる先輩を頼りなさーい!」


「……大白先輩のことですか?」


「酷いっ!! ここでその切り返しは、冗談だとわかっても酷い!!」


 冗談か。……本当に先輩が頼りになる気がして、誤魔化しの言葉が口から出ていた。……この人に頼ってみる、か。


「なんか、これといってやりたいことがないんですよ。勉強は楽しいです。でも、これを専門にって思えないんですよ」


「よし。特にやりたいことがないなら、元治大にしよう。で、一緒に生命工学やろう。うん。お悩み解決」


 うん。この人を頼ろうなんて一瞬でも思った僕がバカだった。


「僕、割と真剣に悩んでるんですけど……」


「だって、やりたいことないんでしょ? だったら生命工学でもいいじゃん! 一緒にやろうよ。それが嫌なら、蒼くんは別にやりたいことがあるってことだよ。憧れの先輩に誘われても断るほどにやりたいことが」


「勝手に憧れの先輩を自称しないでもらえますか……」


 別にやりたいことがあるはずだと言われてもな……。それがなんだかわからないし。


「わたしはさ、勉強することが大事であって、その知識を使って何かをするってことにはあんまり興味ないんだ。クローン作るとか言ったけど、実際はそれができるだけの知識が手に入ればそれで満足なの」


「わかります。知識欲を満たすのが目的であって、それを使うことには興味がないっていうのは」


 僕も専門を考える際、これを学ぶのは面白そうだと思っても、その先を考えるとやる気が失せるというか、その気がなくなる。


「わたしね、ちょっと好きな言葉があるんだ」


「名言ですか? 良いことを言ってやろうって感じの顔してますよ」


 小学生の容姿とその顔とのミスマッチが酷くて、僕はつい軽口を挟んでいた。


「良いこと言う風の顔してるんだから茶化さないでよ!」


 案の定怒られるも、先輩は気を取り直してという感じに話を続けた。


「有名な言葉だから知ってるかもしれないけど、数学者のヤコビの言葉」


 聞いたことがある気もする。でも、僕は先輩に続けるように促した。


「フーリエが数学の主要な目的は『公共の利益と自然現象の解明』だって言ったことに対しての反論で、ヤコビは数学の目的を『人間精神の名誉のために』って言ったんだよ。実際には言ったじゃなくて書いただけど」


「人間精神の名誉のために……」


「これってさ、別に数学に限ったことじゃないと思うんだよね。何かを学ぶ理由なんて、『人間精神の名誉のために』それだけで十分。だからさ、将来とかそんなのには悩まずに、直感で面白そうって思ったことをやればいいと思うよ。自分の欲求を満たせるなら、それはもう『人間精神の名誉のために』って言えるんじゃないかな」


「……それって、大学を卒業する時に困るんじゃありません?」


「わたしは、人間精神を犠牲にしてまで社会に媚びを売る気はないからさ。それで社会が拒絶するなら、別に死んだっていいし」


 暴論だ。全然良いことなんて言ってない。困ったら死ねばいいなんて、そんなのめちゃくちゃだ。


「今からものすごく個人的な思想を言うけどさ、わたし、大学を就活予備校だと思ってるやつって大っ嫌いなんだよね。あと、就活予備校になろうとしてる大学には価値がないと思ってる。大学は教育機関であり研究機関だよ。高度な知性を得る場所なんだよ!」


 なんか、先輩は制御できないほどにヒートアップしていた。


「だいたい、大学のパンフで就職決定率なんてのを大々的に書いているのとかありえないでしょ。そんなことより何を学ぶかだろー!!」


 あー、ダメだこれ、止まらないやつだ。僕は先輩の停止を諦めて、愚痴を聞く体制に入った。


「専門学校ならわかるよ。でも、大学ってのはさ——」


「あたし的には、就職は大学教育と切っても切れないと思うけど?」


 サラさんの合流によって、僕は先輩の愚痴から解放された。


 蒼井くんのように勉強が得意であると自負していた人にとっては、偏差値が60以下というのは一大事です。56でそこまでと思われるかもしれないので、一応補足しておきます。

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