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29話 目標


「1年生でこの点数は、十分誇っていいよ」


 模試の返却はただ結果を渡されるだけではなく、予備校の社員らしき男性と面談することになった。


 渡された結果に書かれた点数は自己採点と寸分違わぬ614点。誇っていいと言われても……。


「この模試は2年生だけじゃなくて3年生も受けてる。その中での偏差値56だからね。合格判定は1年生は2年生と同じ扱いになっちゃうからEって出てるけど、帝東大も十分可能性はある」


「ありがとうございます」

 

「ただ、今、塾とか予備校は行ってないんだよね?」


「まぁ、はい」


「学校の勉強だけだと、やっぱり難しいとは思うんだよ。一浜って、普通の公立校でしょ?」


 結局は入校を勧められるって展開か。そりゃ、この人から見ればそれをするのが仕事だ。ただ、うちの両親は塾や予備校は勉強のできない人間が通うところだと思っている手前、僕がここに入校することはない。


「こう、目標に向かって頑張るにはさ、うちみたいな環境がいいと思わない?」


「目標、ですか?」


 僕の目標ってなんだよ。


「そう。ここに通う生徒は、みんな、君みたいに高い目標を持っている。そんな環境で勉強をすれば、君にだっていい刺激になるはずだよ」


 高い目標? 帝東大が? とりあえずで書いたこの志望校が? きっと、僕はそれを目標だなんて思ってない。


「僕には僕にあった環境がありますから」


 結局、そんな取ってつけたような言葉で入校を断った。断る人は少なくないというか、断られること前提で話していたようで、男性は単に「そうかい」というだけの反応。


「ただ、書類だけは渡させてね。あと、今回の模試の結果が良かったから入校料免除の書類が入ってるから。気が変わったら、ぜひ」


 そして一礼されて面談は終了。入校はしないと言ったらすぐに終わったあたり、相手からしたら大勢いる入校候補者の1人ってわけだ。


 予備校を出て、帰り道を考え事をしながら歩く。


 偏差値56。それが僕の現状。それが高校生全体で見たものとしても、到底僕のアイデンティティを保てる数字ではない。


 僕に目標なんてない。やりたいことも就労意欲も、そんなものは何一つない。でも、それでも僕は、僕という存在を保つために勉強をする。


 これで本当にいいのだろうか。今、すれ違う大人たちは、大抵は社会の一員として何かしらの役割を持っている。それが、実はとてもすごいことなんだと思えてくる。


 僕は役割というものが欲しくない。


 社会の役に立つとか、人の役に立つとか、そんなことには本当に興味がない。自分が負う責任は出来るだけ少なくしたいし、やりたくないことは基本的にやらない。


 僕はそんな人間で、もしかしたら社会不適合者なのかもしれない。


 例えば、僕は生徒会役員になることを拒否し続けた。再三に渡る誘いを断り続けた。それはなぜか。そんなの答えは簡単で。


 やりたくなかったからだ。


 ただ、やりたくなかった。やる気がなかった。きっと、それをすれば、誰かの役には、例えば紺野さんの役には立ったかもしれない。でも、僕はそんな理由でやる気を出す人間じゃなかった。


 僕はそんな人間だから、先に進むにはやりたいことを見つけないといけない。僕のやりたいこと。それはなんだ? 勉強をするのは好きだ。性に合ってる。でも、何かを専門にするとしたらなんだ?


 先輩は生物学。大白先輩は工学か建築と言っていた。なら、僕は?


 そんな答えの出ない自問自答を繰り返すうちに、気づけば僕は家へと帰り着いていた。靴を見る限り、妹しか帰っていないようだ。


 リビングを覗くと、例によって参考書を広げている妹がいた。邪魔するのは悪いので、僕は部屋へと引っ込むもうと階段を上る。すると、その足音に気づいたらしく、妹がリビングから出てきた。


「帰ったらただいまぐらい言いなよ」


「ただいま」


 自分だって言わないことも多いくせに。


「兄さんに質問があるんだけど」


「何?」


「将来の夢ってなんて答えるのがポイント高いの?」


「……えっと?」


「だから、面接で将来の夢を訊かれたら、なんて答えるのがポイント高いの?」


 小論文の次は面接対策か。ポイント高いとか……。まぁ、面接なんて嘘つき放題だもんな。いかにうまく嘘をつくかも重要だ。嘘つきも現代社会では必須スキル。


「具体的に何かを答える。もちろん真っ当な職業で、社会的に地位が高い方が無難だと思う。それになりたい理由も答えられるようにしておくこと。理由が作れないなら、まだ考えているって方がテキトーに答えるよりいいと思う」


「弁護士とか医者とか?」


「いや、うちの高校に入るのにそういう職業は現実味がない。もう少し、ありえそうな職業の方がいい」


「教師とか看護師とか?」


「まぁ、そんな感じじゃないか? そういうのだったら、エピソードも作りやすいだろうし」


 僕の返答に、妹は少し呆れ顔だった。


「兄さん、面接で嘘つくことになんの抵抗もないんだね……」


「面接ってそういうものだろ?」


「その考え、どうなんだろう。まぁ、私も嘘は普通につくつもりだけど」


「そういうものだって」


「ちなみにさ、ポイントとか考えないで、正直な話で、兄さんの将来の夢って何?」


「ない」


 僕はそう即答した。妹に見栄を張る必要なんてない。


「だよね。夢なんてさ、見ないよ。叶わないし。いい大学に行きなさい、そしたら幸せになれるからって、そんなことで幸せになれるかっていうね」


「それ、母さんには絶対言うなよ」


「言わないよ。私だってそれくらいわかってる。もう、15年はあの人の娘をやってるんだから」


 そう思うと、子どもってのも1つの役割か。


「叶えたい夢、美月にはあるのか?」


「どうだろ。昔はあったかもしれないなぁ。今は、同じく特になし。高校合格で十分」


「それは夢とは違うだろ。で、もう要件はいいか?」


「うん。ありがと。兄さんの夢だって、今のところは大学合格で十分だと思うよ」


「……そうか」


 僕はそれだけの言葉で返して、部屋へと引っ込んだ。


 その大学っていう目標ですら、何を目指したらいいのかよくわからないんだよな……。


 部屋に入って、なんとなくスマホを開くと1件の通知。


『真っ白最高: サラサラに会うの土曜日でOKだよね?』


 あ、すっかり忘れてた。


『蒼井: はい、大丈夫です』


『真っ白最高: じゃ、正式に今週の土曜になったから』


『蒼井: 了解です』


 先輩が返しに送ってきたスタンプに既読をつけてスマホをしまう。


 現役大学院生に会う。案外、進路の参考になるだろうか。


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