3話 本当にそれでいいのか?
妹初登場回です。
クラスにおいて、僕は、空気というか、いないものとしての地位を確立していた。誰も僕には話しかけないし干渉しない。それは僕にとって、存外過ごしやすい空間だった。
もしかしたら、クラスメイトの中には僕を攻撃したいと考えてるようなものもいるかもしれない。
中学の頃は、常に誰かが攻撃されていた。教室の中では誰かが貶められるのが当たり前だった。
でも、それは僕ではなかった。僕は勉強ができて、教師のお気に入りでもあったから、攻撃されることはなかった。
今だって、担任は何かと僕に構う。それ故に不干渉の状態になっているのかもしれない。
どうにしろ、今の状況は僕にとってありがたい。友達はいらないとは思わないが、こんな友達はいらないと思う例は多々あるのだ。とりあえず、いてマイナスになる友達はいない方がいい。
教室で僕がすることは基本的に読書と勉強。周りがうるさくても本や勉強に集中するスキルはとうの昔に会得した。僕にはずっと前から必要なスキルだったのだから。
昼休み、僕は読書をしていた。試験前であっても全ての時間を勉強に使うわけではない。たまには息抜きもする。主人公が友達は5人でいいなどと言っていて、何となく共感していた時だった。
「きゃー!!」という叫び声が隣の教室から響いてきたのだ。
野次馬根性の強い高校1年生達は、すぐに隣の1年1組に殺到していった。まぁ、僕には特に関係がないので、僕は読書を続けた。
廊下の騒ぎはどんどんと大きくなっていって、それでも読書に集中するためにイアホンを取り出した時、ふと、騒ぎの一部が耳に入った。
「怪我したのは紅林ってやつだって。女子同士の喧嘩らしい。女子怖ぇ」
「窓割れたんだろ? そこまでやるか?」
それで完全に読書に集中することはできなくなった。
しかし、今更廊下の人混みに加わっても様子を伺うことは難しいだろう。
紅林さんが喧嘩というのは想像しがたい。あの人は温厚だ。たぶん。怒ることはあったとしても、窓を割るほどの激情とは遠そうに思う。いや、たぶんだけど。
「教室に戻れ! 戻りなさい!」
教師が騒ぎの沈静化に動き出した頃には、5限開始を告げるチャイムが鳴り出していた。
*
放課後、部活に行くと、そこにはいつも通りに3人の姿があった。
紅林さんは腕に包帯を巻いていた。
「痛いの痛いの飛んでけーっ!」
入室した時は、部長が魔法の言葉を口にしている最中だった。ただし、その魔法には特に効果はない。
「本当に大したことありませんから。あっ、蒼井くん、こんにちは」
「本当に? 蒼くん、紅ちゃんが怪我しちゃったよぉ……」
「どうも。大丈夫ですか?」
「ええ、少し切っただけなので。包帯が大袈裟なんです。ちょっと血が飛び散ったせいで、昼休みは大騒ぎになっちゃいましたけど。2組まで聞こえてきましたよね?」
紅林さんは困ったように笑った。
「まぁ、騒ぎにはなってました。軽傷だったなら、なによりです」
「怪我よりも教室の方が大変だったと思います。事件現場みたいになってましたし」
どういう状況になったのかイマイチピンと来ない。血が散ったということだったし、あまり想像したくもない。
「それは……騒ぎになるも仕方ないですね」
「怪我は軽傷なので、あまり気にしないでください。そんなことより、今日でテスト1週間前ですよ」
「本当にそれでいいのか?」
黙っていた大白先輩が唐突に問う。
「クラスでしたんだろ、その怪我。怪我自体は軽傷だとして、そんなどうでもいい事としていいのか?」
そう言う大白先輩は、顔も相まって、怖い。
「大くん、なんか怖いよぉー」
「紅林、その怪我、誰かにやられたんじゃないのか?」
その問いに、紅林さんはまた困ったように笑った。
「……確かに、その通りです。でも、あの手の人は、まずは無視すると決めているので。それに、……いつだって私の方が正しい」
それにの後は小声で、聞き取りづらかった。しかし、聞こえてしまった。紅林さんは力なく微笑むだけだったけど、そこには何かしらの意思を感じた。
「……そうか。なら、いらん心配だったな。すまん。勉強すっか」
「はい」
今日は、いつもよりも静かな部活だった。まぁ、部長はいつも通りだったので、別に静かではなかったけれど。実は文芸部ってすごくうるさい部活なのかもしれない。
*
「兄さん、36人がテキトーに並んだ時に私が先頭になる確率って何パー?」
夕飯を食べている時の会話だった。今日は両親の帰りが遅く、妹と2人だ。
「(1/36)×100%」
「で、それって何パー?」
「3%弱かな」
「だよね! なのになんで私がいつも先頭なの?」
「そりゃ、背が低くて苗字が蒼井だからだ。テキトーには並んでないんだよ」
とてつもなくどうでもいい会話だった。
「いや、これはもういじめだね。名前と背丈による差別だよ」
いじめ、ねぇ。
「お前のクラス、いじめとかあるの?」
「だから、私が名前と背丈で差別されて」
「いや、そういうのじゃなくて」
妹はむぅと息を吐くと、うーんとと考え出した。
「なんでそんなこと訊くの? 突然私のことが心配になった? さすがにさっきのは冗談だよ?」
逆にこちらが心配そう見られた。僕は妹が心配でこんな話をしているのではない。
「いや、少しいじめについて考察しようかと」
「あー、またあれね。道徳の試験対策。まぁ、酷いいじめはないよ。でも、いじりといじめの間? みたいなのは、どこにでもあるんじゃないかなぁ」
勉強熱心だねぇと呆れた風だ。別に、妹から呆れられるのは構わないけど。
「まぁ、あるよな。スクールカーストみたいなのはあるし、カースト下位の扱いは過敏な人から見ればいじめか」
「兄さん、カースト低そう」
スクールカースト、自分で言っといてあれだが、なんだが少しわかりかねる。
「僕ってカースト下位なのか。友達の数からすればそうなんだろうけど、能力からすれば、中間試験とか学年トップだし」
自分で言ってて、学力を鼻にかけて、それ以外に何もないやつってカースト低いだろと普通に思った。
「頭の良し悪しってカーストに関係あるかな? いや、少しはあるかも。でも、頭の良し悪しよりも顔の良し悪しだよね。あとは、やっぱりコミュ力。兄さんはコミュ症じゃないのにコミュ症気取ってるからなぁ」
「コミュ症気取ってる奴ってコミュ症じゃないのか?」
自分がコミュ症を気取ってるという点には、別に異論はない。実際、僕はコミュ症を気取ってるのだろう。
「兄さんって、人と関わるのが苦手とか無理ってタイプじゃなくて、面倒だし関わらなくてもいいだろってタイプでしょ。やろうと思えばできるけど、やらないタイプ。やればできる子、みたいな?」
「いや、やろうとしない時点でコミュ症じゃない?」
「それはコミュ症って言わないよ。人と関われない人っているもん。兄さんみたいに楽するためじゃなくて、頑張ってもできない人。兄さんみたいなめんどくさがりと一緒にしたら、かわいそう」
そういうものなのか。これ、僕は怠け者だと罵られているのだろうか。まぁ、対人コミュニケーションに関して、怠け者だと罵られる覚えは往々にしてある。
「僕のこと、褒めてるんだか貶してるんだかわからないな」
実際は貶しているのだろうなと思いつつ、そう言った。
「褒めても貶してもない。兄さんはコミュ症じゃなくて、めんどくさがりのガリ勉」
「そう言われると貶されてる気がする」
気がするというか、貶してるよね、それ。
「普通は勉強の方をめんどくさがるのに、兄さんの場合は勉強以外をめんどくさがるからなぁ。まっ、妹としては便利なんだけどね。辞書とか参考書代わりに」
「勉強は必要だろ」
「コミュ力はもっと必要だよ」
それもそうか。人と関わらない仕事ってのもほぼないしな。コミュ力は必要だ。だが、それってビジネスライクな関わり方でいいんだろ。
「これでも、道徳も学年トップだ」
求められる言葉を紡ぐ力はあると自負している。しかし、まぁ。
「そういう話じゃないんだよねぇ」
「まぁ、そうだろうな」
そりゃ、そういう話ではないだろう。
「ほらわかってる。少なくとも兄さんはアスペルガーじゃないよね」
「そりゃそうだ。国語だって学年2位だし」
「そこはトップじゃないんだ。アスペルガーの人が行間が読めないかどうかは知らないけど」
「それは僕も知らない。思い込みかもな。改めないと」
「まっ、そんな感じ。じゃ、ごちそうさま」
妹との会話は、結局、どうでもいい会話だったかもしれない。僕がコミュ症か否かなんて、本当にどうでもいいし。
*
期末試験1週間前にして、試験範囲が終わっている科目は1つもない。本当に今週中に終わるのか怪しい科目はいくつかある。
そのせいか、授業速度はますます速くなっていた。
「勉強会とか出とかないとやばいかも。 授業全然わかんないんだけど」
「私もー。なんか速くなったよね。ついてけない」
そんな内容の会話が教室の端々から聞こえてくるようになった。
そして、帰りのHRにて。
「試験1週間前になったからか、昨日はクラスの約半数が勉強会に参加してましたね。皆さんがしっかり勉強すれば、それだけ結果もついてきますよ」
と担任が言った。
半数が参加していると告げれば、参加者も増えるだろうな。多数派に乗っておくのは無難だ。
約半数と言うところ、実際は半数もいないのではないかとも感じるが。
そんなこともあって、クラスでは勉強会の需要が高まっているわけだが、あいも変わらず、僕はそれに参加する気はなかった。
今日は部活がないのでさっさと帰ろう。
「蒼井くん、今日も部活ですか?」
担任との問答もこれといった変化はなく、もはやいつものやりとりだ。
「いえ、今日は帰ります」
「勉強会に参加してはいきませんか?」
「僕は1人の方が勉強がはかどるので」
「クラスの平均点アップに貢献してくれはしませんか?」
「僕に他の人の心配をするほどの余裕はありません」
担任はふぅと息を吐いた。
「真白さんや紅林さん、それに大白くんもですが、彼女たちなら、蒼井くんも勉強になりますもんね。クラスメイトでは、ただの足枷ですか?」
これはいつものやりとりは言えない。担任はいつも通り無表情だが、これはけっこう踏み込んだ発言だと思う。
「僕はそんなこと言ってませんよ。先生、酷い言い方をしますね」
「蒼井くん、クラスメイトを下に見るのはやめた方がいいですよ」
「下になんて、見てません。では、失礼します」
僕は一礼をして、教室を出た。
下に、か。実際、学力という点においては下に見ているかもしれない。彼らと勉強することにはメリットを感じないあたり、自分より下に見ているかは置いておいて、文芸部の面々よりは下に見ているのか。
しかし、まぁ、文芸部の面々をクラスメイトよりも下に見ることはないわけで、そうなってしまうのもある意味で仕方ない。
もしかしたら高飛車な態度をとってしまっているのかもしれない。その点は慎まなくては。
僕は、クラスでは空気たらなくては。