母の手
なかなか寝付けない夜だった。
かずやが包丁を持ち出してきたこと・・・。
それは私にとって <ショック> 程度の言葉で表現出来るほど
生易しいものじゃなかった。
車のことにしたって、あの時のかずやは、本気としか思えなかった。
私の頭の中でまざまざと今日のことが蘇ってくる。
(ほんとは・・・殺されてたかもしれない!!)
なんとも例えようのない不安と恐怖のなかで
それでも、なんとかここを出るための方法を考えていた。
朝、六時過ぎには起きて、まだグッスリと寝ている
かずやを起こさないよう静かに着替えを済ませた。
七時前に家を出てコンビニへ向かった。
久しぶりにコンビニの前の公衆電話の受話器をとった。
すこぶる緊張はしていたけど時間が限られている。
モタモタしてはいられなかった。
私は電話をかけた。
『はい、もしもし片山です。
・・・もしもし?・・・』
電話に出る相手が誰か、もちろん見当はつけていたものの、
その通りであってくれたことに、すごくホッとした。
『あ、あの・・・・・。私・・・・』
『・・・・・・もしもし!?・・・あやなん!?』
『うん・・・。ゴメン。・・・私・・・。』
その途端、はぁ〜っと大きなため息が聞こえた。
『・・・まったくアンタはっ!!!
ウンともスンともいわんと・・・
こっちは生きとんか死んどるんかもわからんで心配しょんのにからぁ〜。
どうしょったん?ほんまにぃ!!!
・・・元気でおるん?』
久しぶりに聞く母の声だった。
そして変わらずいつもの調子・・・。
『うん。まぁ・・・元気・・・。
お母ちゃんらは変わりなし?』
『変わりなしって・・・!?
・・・まあ、こっちは皆元気じゃ。
シュンもカヨも元気におるで!!
最近なぁ、しおりちゃんも一緒に住みだしたんよ。
いきなし大きなトラックが家の前に来て、なんかと思うたらピアノじゃったんよぉ。
こっちはびっくりしたがぁ・・・じゃけぇど、おえんともいえんし・・・。』
しおりちゃんは上の弟、徹の彼女で、その頃、音大の学生だった。
弟は家業を継ぐ予定で実家にいた為、しおりちゃんは休みの度に
泊まりにきては家の仕事を手伝ったりしていたのだけど。
『そうなんじゃぁ・・・。』
『アンタはアンタで・・・。
いまさらこんなことになるとは・・・
正直、思いもよらんかったわ・・・。
じゃけぇどそんなんいうてもなぁ。
今更こうなったもんは仕方ねえけどもなぁ・・・。』
『・・・ほんとに・・・ごめん・・・。
子供らは?』
『今朝はまだ寝とる。
シュンは毎日アンタのことをいうよ!!
何しようてもじゃぁ・・・。
お母さんはこうゆ〜たとか、こんなんしてくれたとかなぁ。
お母さんがキティのおにぎりをしてくれたんじゃぁって
この前シュンがしおりちゃんに話をしてな。
その後しおりちゃんが一生懸命作ってくれたんよぉ。
二人とも喜んで食べてなぁ。
シュンは食が細ぇけえ、ちょっと心配じゃけぇど
カヨはなぁ(笑)・・・。
ほんまによう食べるし、よう喋るし・・・。
私のことを『母ちゃん!!』って呼ぶん。
お父ちゃんと徹がそう呼ぶけんじゃろう。
真似しだしてなぁ・・・。
『違うんでぇ!!おばあちゃんじゃ。』
っていうても、聞かん(笑)。
起きてきたら最後、片時も離れんとついてまわるんよ・・・。』
状況が手に取るようにわかる。
子供達の様子、母の表情まで、言葉が映像になって
出てきたかのように思い浮かんだ。
自然と涙がボロボロとこぼれ落ちた。
『アンタも・・・子供らには会いたかろうにと思うわ・・・。』
『うん。それは・・・。
ほんまに・・・』
こみ上げてくるのを、抑えるのが精一杯。
『ヒロちゃんとは?・・・』
『神野のお母さんと話して、そのあたりからは全くなんにもない。』
『・・・・・。
こっちには2、3日おきにヒロちゃん電話してくる。
私らに用はねえんじゃろうけど・・・。
シュンと話するんになぁ。
じゃけぇど、そのたんびに、あやには絶対会わせんといてくれ!!って言うてくるわ。
ヒロちゃんもヒロちゃんじゃ!!
私も、アンタのこと思うたら一言ゆうてやろうかとも思うんじゃけぇど・・・。
代わりに・・・シュンがなぁ・・・。
『お父さん、お母さんと仲直りした?お母さんを迎えにいってきて!!』
っていうて・・・。
それ聞くたんびに私は・・・。』
母もグッと・・・こらえてるようだった。
『シュンがしっかりしとる分、アンタと会わせてしもうたら、そんなこんなで
すぐヒロちゃんにわかるじゃろうし・・・。
そん時ヒロちゃんがどぉ出てくるかはわからんけぇど・・・。
今はアンタら二人のことに、うちらが波風立てんようにせにゃあいけんなぁと思よんよ。
暇な時は、徹としおりちゃんが、子供二人連れて、
どこやかしこ遊びに連れ出してくれようる。
子供らも喜んで、なついてなぁ。
まぁ、内心、しおりちゃんがおってくれて私も助かっとるようなもんじゃ。
ぼちぼち仕事も入って忙しいときもあるけえ・・・。
アンタは?・・・どうしょん?
そのぉ・・・
今・・・男の人と一緒におるんじゃろ?』
『うん。・・・・。』
『どうするつもりなん?』
『今は・・・とにかく仕事見つける。神野のお母さんにもそういうたし・・・。』
『・・・・・・。
まあ、元気でおるんならえんじゃけぇど・・・・・。
たまには連絡しておいでぇよ。
どうしょんかぐらいは報告するようになぁ。
お父ちゃんもアンタのことじゃぁ頭に血がのぼっとるようなけん
今はどうにもならんけぇど・・・。
内心、心配はしょうるでぇ!!
娘じゃもの・・・。
・・・・・・・・・。
話は尽きんけぇど、そろそろお父ちゃんと徹が帰る時間じゃ。
またこの時間ぐらいにいつでも電話しといでぇ!!
待ちょうるけぇ。』
『・・・・・・お母ちゃん!!・・・・』
『ん・・・・。どしたん?・・・・。』
『あんなぁ・・・・・お金・・・貸してくれん?』
『金ぇ?・・・・』
『うん・・・。ほんとにわりんけど何とか出来ん?』
母はまた大きなため息をつくと
『アンタ、貸してってゆうても返せるん?(笑)』
『・・・・・・。』
『何ぼぉ位、いるんで?』
『・・・・2、20万・・・いや、ううん・・・。
ほんとはもうちょっと・・・あるほうが助かるんけど・・・。』
『別に・・・アンタに返してもらうんはアテにはしとらん(笑)
じゃけぇど、母ちゃんもちょっと郵便局行ったりしてみにゃあ。
今すぐ、どれほど貸せるともいえんし・・・。
じゃけぇど、どうすりゃあえん?
その金をアンタに渡すんは?』
『私の銀行の口座に入れてほしいんよ。』
『わたしゃあ、そういうんがようわからんのんじゃけぇど・・・。
とにかく!!明日の朝また電話しといでぇ。
今日、母ちゃん、金のことは何とかしてみるけん。
ほんならぁ切るけえな?』
『お母ちゃん・・・ほんとに有難う・・・
ほんとにごめんな・・・・。』
『まあ、今日も元気出して!!
無事にやりんさいよ!!(笑)』
母は私に喝を入れるかのように
大きな声でそういうと
電話を切った。
ホッとして泣けてしまうのだろうか・・・。
嬉しすぎて泣けてしまうのだろうか・・・。
とにかく沢山沢山何かがこみ上げてきた。
受話器を握り締めたまま
泣きながら立ち尽くしている私の顔は
相当ヒドかったに違いない。
朝の通勤でドンドン増えてく人の往来のなかに
もちろん奇異な視線があることは感じていたけど。
一向にそんなこと、
そん時の私は、かまやしなかったんだ。