別人
『どっちみちだよ、かずや。
これ以上、一緒には無理・・・。
私、ここにいることさえ出来ないんだもん!!
とにかく早く出てかなきゃ!!』
『あやがここ出るんなら俺も一緒に出るわ!!
な?そうしよ!!』
『私は一人で大丈夫!!心配せんで!!』
『そんなんいうなだ!!二人でおったら何でもイケルって!!』
『・・・・・・・。』
そのかずやの言葉が、私の心の抑制を一瞬で壊してしまった。
『なに言ってんの!?
何でもイケルって・・・何がどぉイケルわけ!?
今の時点で何一つイケてない!!
イケてるどころか次から次に問題だらけで・・・。
その上、金銭的にも最悪!!
私には、やんなきゃいけんことが山ほどあるってのに
その上に問題まで山積みで・・・。
やれるわけない!!
やれる自信全くない!!
それなのに・・・。
無責任なこというのもええかげんしてよ!!』
泣くのをこらえながら、一気に吐き捨てた。
『・・・・・・。
俺が邪魔になったんだろ?・・・。』
『どぉとっても、構わんけど。』
『そうなんやな・・・わかった。』
スクッとかずやは立ち上がると
部屋のドアを乱暴に開けて出て行った。
でも階段を駆け降りる様子はなかった。
バタバタとかずやは戻ってきた。
信じられなかった・・・。
(私、刺されるんだ!!!)
かずやの手に握り締められた包丁を見たとき
とっさにそう思った。
かずやはボー然としていた。
いつものかずやの目つきじゃなかった。
前の時と同じ目つきになってた。
すぐグサリとやられるかと思ったのに・・・。
立ち尽くすかずやに、私は釘付けになり
恐怖のあまり声も出せない。
体はガタガタ振るえ、涙がボロボロとこぼれだしていた。
かずやはゆっくり歩き出して私の前にしゃがみこむと
突然、片手で私の首をつかみ、乱暴に押し倒した。
声にもならない、うめき声を上げた私に
かずやは馬乗りになると、もう片方の手で
グサリと包丁を突き立てた。
私の右顔の真横、畳に真っ直ぐ突き刺さった包丁が目に入った。
声も出なかった。ただただ恐怖としか・・・。
『あや・・・お前何いよんかわかってないんだろ・・・。
俺が邪魔っていうんやけん。
勝手に俺の子供を殺すつもりなんやな・・・。
そんなん許されると思うとん・・・。
許すわけないだろが!!!』
そういうと、かずやはさらに強く私の
喉元をグイグイと押さえ込んだ。
苦しい!!苦しいんだけど・・・。
フワッと意識がどこかにいくような軽い不思議な感覚が・・・。
かずやが手をゆるめた。
馬乗りになったまま、またいつかのような目で私を見下ろしていた。
『出て行くんなら、子供を置いていけ。
今すぐコレで、お前の腹切って俺に子供を渡せ!!
出て行くんならお前だけ出て行け!!』
『こ、子供・・・?』
『やっぱりわかってないな!!
お前の腹ん中に俺の子供がおるかもしれんのに
何いうとんなお前は!!』
『・・・・・・・・・。』
ようやく意味が飲み込めた。
この前の・・・。
『そ、それは心配ない。出来てない・・・。』
私は震えながらもすがるような思いで、かずやにいった。
『生理きたんか!!』
『きてないけど・・・で、でも・・・出来てない・・・』
『ほんなら、わからんだろ!!
適当なこというなだ・・・。』
軽蔑するように、かずやはいった。
『・・・もし・・・出来てたら死にたい。
こんな状況で子供なんて・・・死んだほうがまし!!』
私は恐怖と不安と・・・あらゆるものが湧き出して
泣いてしまった。
かずやは、乱暴に私の腕を引っ張り上げ
私を起こすと
『ほんなら望みどおりしたるわ!!
立て!!
これから車までいくぞ!!
俺とお前と子供と一瞬であの世じゃわ!!』
そういいながら、立ち上がれない私を
容赦なく、かずやは引きずり出そうとしていた。
『やだ!!!やめて!!!』
泣き喚きながら、私も必死でかずやの腕を引き寄せていた。
『お前がいうたんだろが!!!』
そういいながら、かずやは私を払いのけた。
突き刺していた包丁に向かうと
畳から引っこ抜き、包丁は私目がけて・・・。
思わず、私は右腕で自分の顔を遮った。
ジクっと痛みが走った。
見る見る右腕裏から線になって血があふれ出してくると
ポタポタと畳に鮮やかな血が滴り落ちた。
『・・・・・・え?』
私は力が急に抜けてしまい、右腕をかばうように
へなへなとかがみこんだ。
『あや!!あやっ!!ごめん!!・・・どないしょう!!俺・・・
あや!!あや!!あ〜!!!俺・・・』
うろたえたかずやは頭を抱え込んでしゃがみこんだけど、
ハッと気がついて私を抱きしめると
『ちょっと待っといて!!な!?』
私の返事も聞かず、階段を駆け降りていった。
私は恐る恐る、右腕を見てみた。
大した傷口ではなさそうだった。
力がかかる部分のため、血がやたらににじみ出たようだ。
ティッシュでぬぐうと、さらに大したことなく、かすり傷程度に見えた。
階段を駆け上がって来たかずやは、持ってきた救急箱を開けた。
大家さんのらしい。
『もう大丈夫・・・。』
『あかんて!!あや・・・見して!!』
そういうと、かずやは、大したことない傷口を
相当時間かけて手当てしたあげく、包帯まで巻いた。
その間、ずっとかずやを見てた。
さっきまでのかずやと、今のかずや。
まるで別人のようだ。
『出来たで。あや・・・。』
『ありがと。でも、大げさすぎだよ(笑)』
かずやは私を抱きしめた。
『あや!!ごめんな!!ほんとにごめん!!
二度とこんなんせんて誓うけん!!
別れるとかそんなん言わんといて!!頼むけんさ・・・。』
そういいながらかずやは泣き出してしまった。
返事は出来なかった。
だけど、
『そろそろご飯食べない?』
って言ったら、
かずやはたちまち元気になって
いつもより、さらに優しく接してくれた。
『それが、DV典型の症状だよ。
暴力の後はウソのように優しくなる。
もうしないといっても、またやってしまうんだ。
治っちゃいない。
簡単に治るようなもんじゃないんだからね。』
その頃はまだDVなんて言葉が世間に浸透してなかった。
DVも専門としている先生とそんな話をしたのは、
まだはるかはるか未来のことだったんだ。