698
旦那の勤務体系、子供の様子ではかどってるのか、いないのか・・・仕事として成り立ってんのかさえわからない。
だけど私はテレホンレディーとして時間さえ空けば受話器を握り締める生活をはじめていた。
一時間、それ以上、音の悪い音楽をきいて誰一人として繋がらなかったり、やっと繋がった相手に即ガチャ切りされるなんて、もう当たり前になっていた。
そうかと思えば自分の自慢話で二時間も三時間もしゃべるおっちゃんもいる。
すごい性癖のある三十代くらいの男の話を聞いてたら、 ほんとに途中気分が悪くなって吐き気がした。
親しげに話してくる気のよさそうな兄ちゃんと仲良く話し込む。だんだん話が盛り上がってきたところで
『ところでなぁ、彼氏はおるん?』
ってたずねられた。
『彼氏?いまおらんよ。』
『・・・・・・・。』
『もしもし・・・どしたん?もしもし・・・』
『おいこらぁ!!このドブスがぁ!!てめぇみてぇな・・・』
《いきなり態度豹変型ヤロウ》
最初はかなりびっくりして落ち込みもしたが
この仕事にはかなりこの型の男がいることがわかった。
仕事始めから一週間程度だったが顔の見えない男達に様々な洗礼を受けた。
受話器を当て過ぎて耳がジクジク痛んだ。
そしてとにかくこの仕事にはある程度の免疫をつけることが必要だと悟った。
次第にどんどんストレスが蓄積されていくのがわかった。
日中は上の子が保育園にいき、その間に下の子が寝てくれた場合、仕事をする。
寝てくれない日は家事育児に専念。旦那がいる場合は全く休業。
夕方から子供二人が寝てくれて仕事始めたら、すごく長く話してくれる人と繋がって
洗濯物は取り込めない、夕飯の支度も出来ないなんてこともあった。
《すごく長く話してくれる人》
話す内容なんてどうでもいい。何でもいい。
テレホンレディーに必要なのはこの人だった。
だけどそうそういるわけじゃない。つかんだら絶対離さないこと。
だけど夜中にこの人と遭遇するとつらいんだな。次の日ね。睡眠不足でふらふら。だけど子供を送り出さなきゃ、そしたらすぐ夜勤明けの旦那が帰ってきて朝ご飯の用意、洗濯物して・・・。
悶々とした気分で家事と育児、そして仕事をこなしてた。
だんだんとツーショットに嫌気もさし始めたときに今まで手をつけずにいた
伝言というものがあることに気づいた。
ツーショットばかりに気をとられてすっかり忘れてた。
相手と直接話さなくていい、時間も気にしなくてもいい・・・。
実際始めてみるとツーショットより私には合ってる気がした。
ツーショットの洗礼をうけて、やめちゃおうかと思う心がとりあえず消えた。
伝言は相手も私もBOX番号なるものを持ち、その番号でやり取りする。
だけど結構な人数とやり取りするわけだから相手を間違えたり、誰が誰だかわからなくなったら仕事になんない。
最初のうちはメモ書き程度でも十分間に合っていたが、うまくいき始めるとおっつかなくなってきた。
そこで《お仕事帳》なるものを作った。
マメなことは好きだったから見やすく整理したり書き込むことが出来るようなスペースなど
構成はなかなかの出来栄えだったと思う。
そうなると今度は
(ここまでやってほんとにちゃんとお金はもらえるのか・・・もしかしたら詐欺??)
なんて不安が出てきた。
だけどお給料日と言われた日、疑心暗鬼ながらも銀行へ行き
指定した口座に入金された金額を確認できた瞬間、
もう私には迷いも戸惑いもなくなったんだ。
沢山の伝言の中に興味を引く相手がいないわけではなかったけど、
私は伝言の中で架空の人物として過ごし、順調に抜け出していた。
そして表面上は今までどおり普通の主婦だった。
『あのぉ!!もしもし・・・。サクラさんは、ぜ〜ったいおことわりだから!!本当に出会い求めててぇ・・・。だから絶対お断りです!!!名前はかずやって言います。よろしくお願いします。』
男の子にしては可愛い声だったしかなり若い子みたいだった。
中でもひときわインパクトがあった。
《698》かずや
私のノートにかずやが記された日。
そこから私の運命は暗闇のずっとずっと底深く歩みだしていたんだ。