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スロードールライフ  作者: 嘉川 みのり
2章)桃瀬町
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07 保健室

 昼間の学校は、賑やかな活気そのものだ。朝一番の地震に不安な顔を見せた者もいたが、あっという間にいつもの様子に戻った。今とて賑やかな教室で、クラスメイトたちが騒がしく移動教室の準備をしている。かくゆう真琴も、自分の準備を済ませて立ち上がった。

「真琴さん、一緒に行きませんか?」

 菜々美が笑顔で近づいてきた。

「今日は日直だから職員室に寄って行かなくちゃいけなくてさ。先に行っててくれる?」

「分かりました。……あの、真琴さん」

「なに?」

「ありがとうございました!」

「え? ああ、うん」

 菜々美は赤い顔で去って行った。朝は落ち込んでいたものの、元気になったようだ。礼を言われてしまったが、元気な彼女を取り戻したのは、由佳か、一時限目は保健室で休んでいたようなので養護教員の功績だろう。

「ありがとう、か……」

 真琴は礼を言われる事はしていない。むしろ年下の女の子をぶったのだから後ろめたいくらいだ。

 今朝の彼女――朝霧一華の顔が浮かんだ。手を出したのはこちらが悪いと思うも、眉間にシワが寄る。昔から、あの取り澄ました顔が苦手で、もっといえば嫌いだった。

 だからつい、キツイ事まで言ってしまった。

 ――真琴ちゃんの嘘つき!

 ――嘘つきはそっちじゃない! 嘘つき!

 幼い頃の、口汚い罵り合いが思い出される。

 彼女とは何かにつけて反発し合ってきた。同族嫌悪とでも言おうか。小学校中学年になる頃には、口もきかなくなってしまった。

 とはいえ、流石に少し言いすぎたかもしれない。溜息が漏れた。

(……?)

 白い何かが目の前を横切った。

(霊?)

 輪郭がぼんやりとしているが、シルエットからして女性のようだ。フラフラと校内をさ迷っている。見たことのない霊だった。

 霊が出るのは必ずしも夜だけとは限らない。昼の学校という活気に惹かれて寄って来る場合もある。害意ある存在ではなさそうだが、まだウロウロしているという事は、霊になりたてなのだろう。時間が経てば経つほど、意識は混沌とし、一つところに留まる場合が多い。世に言う地縛霊だ。

 面倒だと思いながらも、放っておけずに後を追った。滅多に無いが、霊は他者にとり憑く。悪意も害意もなく、ただ生前の思い残しを遂げたいという『願い』のために。

 今朝の人形の話は、偶々人形が器に選ばれただけだ。それが、人間の場合だってありえるし、未練を強く抱いた霊の場合、何をどうするか分からない恐れがある。

「真琴さん! 真琴さんのお陰です! ありがとうございます!!」

「ありがとうございます、真琴さん!!」

 急いでいる時に限って邪魔が入るものだ。「片思いしていた人に告白されました!」

「成績を上げられたので、お小遣いをアップしてもらえたんです!」

「え? なんのこと?」

 つい聞き返すと、立花神社のお守りのお陰だと口を揃えて言う。

 願い事が叶って嬉しいと――。

(願い……)

 彼女たちに手早く挨拶を済ませて駆け出した。あまり時間をかけなかったお陰で女の霊をすぐに見つけられたが――ポケットに忍ばせておいた札から手を離した。

 先程の、願いが叶ったと嬉しそうに語る彼女たちではないが、この霊も、余程強い想いがあるのだろうか。こんな姿になってまで叶えたいと願うほどに。

「ねぇ、貴女。聞こえる? ねぇ」

 周りに誰もいないのを確認して声をかけた。意識があるのなら、会話が可能なのではないかと思ったからだ。

「大切なあの子を……お人形を探さなくては」

「人形? 貴女は人形を探してるの?」

 生前大切にしていた人形だろうか。尋ねてみても、女は真琴に気づいた様子もなく顔に手を覆って泣き出してしまった。

「ちょっと泣かないでよ。ったく、その人形を探せばいいの? どんな人形か覚えてる?」

「お人形……?」

「え?」

 ふいに、女が顔を上げた。

「なっ!」

 と思ったら、真琴に向かって、ものすごいスピードで近づいて来る。ぶつかる! と、咄嗟に目をつぶった。だが相手は実態の無い霊だ。真琴を通り過ぎて後ろの保健室に入って行ったのか、ドアの前に残滓が残っている。

「失礼します!」

 慌てて保健室に飛び込むと、静かにしろと注意された。

「立花さん、どうしたの?」

 養護教員の尾崎(おざき)が小声で話しかけてきた。

「あの、さっき……」

 同じく声を落としたが「霊が来ませんでした?」とは聞きづらい。注意深く保健室内を見回したが、変わった事は無さそうだ。

 カーテンが掛けられたベッドの脇を見ると、見覚えのあるバッグが置かれていた。

「誰か寝ているんですか?」

「一年の女の子が寝てるの。体調が悪いみたいだから、今日はもう早退させるつもりよ」

 相手の察しがついた真琴は、腹の中に鉛を流し込まれた気がした。さっさと立ち去ろうとしたのだが、養護教員はカーテンの向こうへ行ってしまった。

「もう起きて大丈夫?」

 生徒が起きたらしい。カーテン越しに、尾崎が生徒に向かって手を伸ばしているのが分かる。脈でも測っているのか。

「あの、私、どうして……」

「体育の授業中に貧血を起こして倒れたのよ。覚えてる?」

「……いいえ、お世話になりました」

「いいのよ。調子が悪い人のお世話するのが保健の先生だもの」

 尾崎がカーテンを開けた。そこには、今朝、頬をぶった相手――一華が居た。すっかり退散するタイミングを逃してしまった真琴は気まずくて仕方が無い。

「保健委員の貴女が運ばれるなんて、いつもと逆ね」

 尾崎が笑いかけるも、少しも表情を緩めようとしない。父親譲りの切れ長の目は伏せられ、おろした長い髪が、瑞々しいツルリとした肌に影を落としている。

 今朝、真琴は彼女を可愛くないと評したが、それは容姿を指してではない。ダサい制服を着続けるセンスと、真琴に対する頑な態度が、だ。容姿に関して言えば、テレビや雑誌で見かける、モデルや女優のような流行りの顔ではないものの、均衡のとれた綺麗な作りをしているのではと思われる。

 ――お人形を探さなくては。

 先程の霊ではないが、彼女はまるで人形のようだと思う時がある。豊かな黒髪と白い肌が日本人形を連想させる。ともいえるが、一番の理由は、全く生気を感じない、感情を削ぎ落とした表情(かお)をしているからだ。

(……いつからだっけ、こんな顔をするようになったのは)

 昔はもっと笑う子だった。たぶん近しい者相手なら今でも笑うのだろうが、真琴はもう随分と、人形のような顔しか見ていない。

 ――神様も妖怪もいるわけない! 真琴ちゃんの嘘つき!

 真琴と一華は幼い頃から面識があった。一華の父が真琴の師という理由だけでなく、親戚関係でもあった二人は、年が近かった事もあり、小さな頃はよく神社で遊んだりもした。 だが、それは過去の話だ。

 ――嘘なんかついてない! そっちが見えてないだけ!

 キッカケは、見えない一華と、いる、いないでケンカをしたアレだろうか。それまでは、真琴の語る不思議な世界を弟の彩斗と一緒に楽しそうに聞いていたし、彼女も負けじと自分の空想の世界を語っていた。今思えば、それなりに仲が良かったのかもしれない。

 しかしケンカの後、お互いがお互いを無視をするようになった。小さな違和感は、すぐになくなった。ちょうどあの頃は、どちらも忙しくなり始めた時期だった。真琴は中学に上がる準備で塾に行き始めたり、稼業の神社の手伝いをさせられる機会も増えた。一華も稼業の人形師の修行を本格的に始めた、と父から聞いた。並々ならぬ努力をしているとも。

 今では学生と人形師の二束の草鞋を履いているらしい。努力の成果だろうか、先代の地盤を引き継ぎ、順調に仕事をこなしているとか。そういえば、由佳の父も人形師だと聞いた覚えがある。その関係から一華と由佳は知り合ったのだろう。

「まだ顔色が悪いわね。もう少し横になった方がいいわ」

「……え? いえ、大丈夫です」

 ようやく夢の世界から戻ってきたのか、一華は枕元に置かれていた眼鏡を掛けた。尾崎は首を傾げた。

「朝霧さんって、目が悪かったっけ?」

「これがないと見えないんです」

「せめてもっと可愛い眼鏡にしたらいいのに、それ、オジサンの眼鏡みたいよ?」

 上だけ太いふちが付いた、大きくて四角いフレームは、眼鏡だけで貫禄がありそうだ。

「……いえ、これがいいんです」

 真琴には今朝見た時から分かっていた。アレは修司のモノだ。

「そう? ね、今朝はちゃんと食べてきた?」

「はい」

「夜は? 眠れてる?」

「……はい」

 一応肯定はしているが、固い声だ。おそらく食事も睡眠も満足にとれていない。それゆえの貧血だろう。

「先生……」

 か細い声が尾崎を呼んだ。

「わたし、もう、どうしたらいいか分からないんです……。認めたくなくて、八つ当たりして、傷つけて………………だけど」

 分厚くなった曇天から雨が降り始めた。窓を叩く雨音に、真琴は外に視線を向けた。

「…………先生には、どうしても会いたい人はいますか?」

 やはり彼女も父の死が堪えていたのだ。

「先生、アレ貰っていいですか?」

 真琴は尾崎の机の上を指さした。真琴の存在に気づいた一華は、目を丸めている。その視線を感じながら、尾崎に許可を貰った真琴は、ポット脇に纏められていたステックを、カップとお湯と共に拝借した。

「ほら、飲みなさい」

 真琴が差し出したのはごく普通のインスタントココアだ。消化器系を働かせると副交感神経が働き、リラックスさせる効果がある。そんな大層なモノを狙っていたわけではないが、何でもいいから腹に入れて、その陰気な空気を吹き飛ばしてしまえ! と思ったのだ。

 一華はおずおずと受け取り、しばらく手の中のマグカップを見つめた。マグカップから細く立ちのぼる白い湯気は、一定の高さまで伸びて空気に溶けてゆく。少し冷えたココアに口を付けた一華は薄い笑みを浮かべた。

(なんだ、笑えるじゃない)

 最初から分かっていた。自分も辛いが、やはり、親を無くした彼女の方が辛いのだと。

 それでも――。

「……ありがとう」

「ん」

 素っ気なく返事をしながら踵を返した。

 それでも、暫く学校を休んでいた彼女が登校したのは、辛い思いを昇華する為、前を向こうとしたからではないのか? そう考える真琴の口元には無意識の笑みが浮かんでいた。

 だが、しばらく学校を休んでいた一華が久しぶりに登校した理由は、休学届を出すためだった。と、そのあと訪れた職員室で偶然知った真琴は、勝手だと思いながらも、面白くない気持ちを抑えきれなかった。


  * * *



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