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スロードールライフ  作者: 嘉川 みのり
2章)桃瀬町
6/20

06 十年

 気を失う寸前の記憶は少女の泣き顔だった。本人も自信満々に言い切る程の、可愛らしい顔をくしゃりと歪ませて、大粒の涙をボロボロ零していた。

 ――良のバカ! バカバカバカ!!

 しかし口から飛び出すのは悪し様な罵倒だ。

 ――死んじゃダメ! 起きて、ねぇ、起きてよ!

 遠のく意識を感じながら、幼い妹にしていた様に大丈夫だからと頭を撫でた気がする。絹を思わせる黒髪に触れた感触が残っていた。

 ――元気になる? また会える?

 ――ああ……ちゃんと……

 ぼんやりと、かざした右手を眺めていた。なぜかひどく身体が重い。頭も重く、先ほどから同じ記憶を反芻する以外、何もする気が起きないでいた。再び目を瞑り、声を出さずにゆっくり百まで数えた。二度寝は出来なさそうだと諦めて重い身体を起こした。

「あだっ!」

 背中から盛大に骨の鳴る音がした。思わず振り返った腰からも。次いで手足の小さな骨に至るまで、気持ちいいくらいにバキバキと音が鳴る。よほど長く寝ていたのかと考えながら意識を外に向けた。

「ここは……」

 ぐるりと見回してみると、見慣れた部屋だった。時々世話になっていた部屋だ。だが様子がおかしい。品良く並べられていたであろう調度品が、割れた欠片と共に床に散乱ている。そういえば夢現に揺れを感じた気がする。地震でも起きたのだろうか。

 部屋の隅に小さく蹲る人影に気が付いた。格好からしてここの女中か。ブルブルと身体を震わせている。

「おい、大丈夫か?」

 声をかけても気付いた様子がないので、肩に手を置くと、女中は飛び上がった。

「お、お目覚めになられたのです……か?」

「あ? ああ、それで「わ、わたくし、すぐにお伝えしてきます!!」」

 良が尋ねるよりも早く、一目散に駆けていった。お陰で何も聞けずじまいだ。せっかちな性分なのかもな、などと考えながら、床に散らばったモノを片付けていると、二人分の足音が近づいてきた。

 静かに部屋に入ってきた友人――卯槌は険しい表情をしている。後から入ってきた女中は、しまったという顔をして「あとはわたくしが致しますので」と良が手に持っていた調度品の残骸を取り上げた。

 卯槌に促されて、良は部屋を出た。

「せっかくの男前が台無しだな」

「ようやく目を覚ましたと思ったら、第一声がそれか」

 いつまでも眉間に皺を寄せたままの友人に軽口を叩くと、呆れた声色だ。

 二人は六角形の屋根を持つ洒落た東屋に移った。すぐに別の女中が茶を運んできた。

「体のあちこちが石のようだ。おれはどれくらい眠っていたんだ?」

 良は相変わらず見事な桃園を眺めながら尋ねた。

「それなりに、だな。人の換算など知らん」

 と卯槌が言った。彼等は一応、人と共存という形をとっているが、人のルールで生きているワケではない。必要ないとされた事柄には疎いものだ。良は苦笑した。

「世話をかけた」

「全くだ。お前が昏睡するほどの致命傷を負うなど、一体何があった?」

「ハッキリとは覚えていないんだが……」

 記憶を探ろうとしてピタリと動きを止めた。

「おれは致命傷を負ったのか?」

「そうだ。流れ出る血が止まらず、そのまま息絶えてしまうかと思ったぞ」

「それがなぜ生きている?」

 食い入るように尋ねる良に卯槌は内心首を傾げたが、死にかけたと聞けば誰しもどうやって助かったのか気になるだろうと理解した。

「お上のお陰だ」

「そうか……神がおれを助けたのか」

 桃園からほど近い場所だったから、大神実の慈悲を受けたのだろう。そのまま良は記憶を手繰っていった。

 迷子になった少女とともに、さらに迷子になって仙人の領域に迷い込んだ事。その後の、帰り道でひどい目にあった事……。

「そうだ、蛙が」

「蛙?」

 突然、湧いて出た無数の蛙や蝦蟇たち。悲鳴を上げる少女。彼女を抱きかかえて逃げようとしたところで、気配もなく現れた声に振り向いた。浴びせられた水。空を舞う少女。自分は腹に熱を感じて――。

 ――死んじゃダメ!

「あの子は……?」

「巫女は無事だ。すでに人の世に帰った」

 卯槌は言葉足らずな良の意図を汲み取って、端的に説明した。

 良は別れの言葉ひとつ言えなかった事に、一抹の寂しさを覚えたものの、無事で良かったと考え直して「そうか」と言った。

 浴衣の衿をくつろげると腹に傷があった。焼けただれたように赤黒くなっている。

「これは凄いな」

 まるで先刻受けたかのように生々しい。撫でると固く、ザラリとしていた。

「笑っている場合か」

 気が付くと口角が上がっていた。卯槌は不謹慎だと目を釣り上げた。だが良からしたら、切腹に失敗した跡のように見えたのだ。それが酷く可笑しい。まるでこれまでの自分そのもののように思えた。

「つい相手の力量に感心してしまってな。蛙や蝦蟇を従えた男に襲われたんだ。気配もなく、突然おれの背後に現れて……何者だったんだろうな」

 切腹云々を卯槌に言うと「馬鹿め」と一蹴されて終いだろう。そう考えて、もうひとつの本心を口にした。

 良の言葉に卯槌もふむ、と思考を巡らせた。卯槌は彼を、大らかといえば聞こえはいいが、普段は抜けている。だが、やる時はやる男だと認識している。生真面目と周りから散々言われ、自認するようになった自身と友人関係を続けていられる理由の一つだとも。そして、傍目にはそうは見えないのだが、それなりに腕も立つ。いくら得物が無かったとはいえ、この男がまんまと斬られ、あまつさえ意識を失う程の重傷を負うなど、この目で見るまで信じられなかった程だ。

「お前の天敵、だったのかもな」

「天敵?」

「ああ。お前のように人の身を保っている者は珍しいが、鬼である事に変わりない」

「どういうことだ? つまりあの男は鬼の天敵だったということか?」

「俺はその男の得物こそが、そうだったのではと考えている。気配が読めなかった理由もソレを持っていたからではないのか?」

 良は記憶を探ってみた。ほんの一瞬だけ見えた、男が手に持っていたモノ――あれは。

「そうだ、おれと一緒に太刀が落ちていなかったか!? 仙人がお前の結婚祝いに持たせてくれたんだ!」

「仙人? 誰だ?」

「それを渡せば分かると言って名乗らなかったんだ。すまん、お前への贈り物を使ってしまった」

 卯槌が首を傾げる様子に良は肩を落とした。もし共に保護されていたら、すぐに話が通じた筈だ。それがない、ということは。

「持ち去られたのか…………。すまない」

「いや、気にするな」

「お前に太刀を渡した仙人か。……安曇(あずみ)か?」

「あの仙人は安曇と言うのか?」

「おそらくそうだ。ああ見えて名の通った奴でな。剣仙と呼ばれ、邪を滅する存在として一目置かれている。名を教えなかったのはそのためだろう。……昔、奴に刀をねだった事がある」

「ほう」

 この男でもそんな時期があったのか、と微笑ましく思ったが、尚更申し訳なく思えた。だが、卯槌は合点がいったとばかりに言った。

「おそらくその太刀は、鬼切の太刀――お前の天敵だ」


 良は今、人間界に居た。未だ身体が本調子ではないのだし、鬼切を持った危険な輩がどこにいるか分からない、と色々理由を付けられて、卯槌の屋敷に監禁――もとい引き留められていた。が、隙を見て出て来たのだ。

 一応、人の世で人として生きてきた身だ。無断で仕事を休んだ断りを入れておこうと思ったのもあるし、あの少女のことが気にならないといえば嘘になる。

 一先ず仕事先に連絡を入れようと、二つ折の携帯電話を開いて電源ボタンを押した。しかし、充電が切れているのか起動しない。ならば、と公衆電話を探すことにした。今まで呑気に寝ていたくせに、今になって早く連絡しなければという焦りが生まれた。だが、なかなか見つからない。道端や店の前など、至るところに設置されているだろうと気楽に考えていたのに、全く無いのだ。

 ようやく見つけた場所は駅前だった。余談であるが、方向音痴の彼の場合、気付けば駅前に居た、が正解であるが。

 目当てのモノが見つかった安堵を覚えながら、良はズボンのポケットをまさぐった。財布を取り出し、突っ込んでおいたカードの電話番号をかける。

「お客様がおかけになった電話番号は、現在使われておりません。番号をお確かめ……」

「あれ?」

 いつの間に店長は番号を変えたのだろうか、と頭の上でハテナを飛ばしていると、ふと目の前を通り過ぎたサラリーマンが手に持った夕刊の中身が見えた。

 ある企業が過去最高益を叩き出したとあった。良は目を見開いた。即座に決まった次の行動は、駅の売店で新聞を買ってくる事だ。問題は企業ではなく決算年度だ。急いで日付を確かめる。

「見間違いじゃなかったのか……」

 天を仰ぎ、頭に手をやった。卯槌は良が眠っていた期間を『それなり』と言ったが、それなりどころではない。

 財布の中から新たなコインと、別の番号が記載されていた、黄ばんだメモを取り出した。今度はすぐに繋がった。

「やぁ、節子(せつこ)さん。おれだけど」

「詐欺の人に払うお金なんてないわよ」

「は? 詐欺の人?」

「あら違うの? あなた、名前は?」

「ああ、良だけど。おれの部屋ってまだあるかな」

「なんだ良ちゃんか。部屋なんてもうないわよ。新しく建て替えちゃった」

「え? おれの荷物は?」

「処分しちゃった」

「ええ!? もしかして全部!?」

「三年前までとっておいたんだけどねぇ、ウチもリフォームすることになって、その時にね。ごめんなさいねぇ」

 一応謝っているが、その声は軽やかだ。受話器の向こうではリフォーム後の自宅を自慢しているが、良の耳には届いていない。彼は受話器を持ってガクリとうなだれている。

「ねぇ、それより良ちゃん、久しぶりなのに挨拶の一つもないの?」

「あー……お久しぶりです。ご無沙汰しておりました」

 つい先日までやっていた、大家との明け透けない遣り取りが思い出される。電話の向こうの老婆――正直生きているとは思わなかったが――と話している内に、どこか懐かしい思いに駆られた。

「本当ねぇ。でもま、元気そうで何よりね」

 節子の笑い声が聞こえる。凹まされる話しかしていないのに、良の頬も緩んだ。

(まぁ、いいか)

 大した物は無かった筈だ。二束三文だと言われても、悲しいが否定できない。そもそも良は蓄えを残すような几帳面な性格でもなく、あまり物事に執着するタチでもない。だからだろう。僅かな時間で楽観的な思考に至った。

「良ちゃんの事だからどこかで生きている気がしてね。失踪届けまでは出してないの。出さなくて良かったわ」

「そ、それは……」

 頬が引きつった。流石に洒落にならない。出さない選択をしてくれて、本当に助かった。もし受理されてしまっていたら、今頃ばっちり死亡したものとみなされていただろう。何しろ――。

「それで、十年も何やったの?」

「ハハッ、色々ありましてね……」

 現行の法律では、不在者の生死が不明のまま特定の失踪期間――この場合は七年間――を満たせば失踪宣告が受け入れられ、死亡したものとみなされる。

 良は十年、眠っていた。お陰で職も、住む場所も失ってしまった。それでも、からくも生命の危機を免れたように、紙の上(戸籍)でも生命の危機を免れたようだ。

 電話を切ってから、しばらく新聞を眺めた。

「政治家の汚職は今更だが、スマートフォンというのはなんだ? 携帯電話のことか?」

 駅に流れていく人たちを見ると、みな手に新聞の中の写真とよく似たものを持っている。それを耳に当てているところから、あれが新種の携帯電話だと察した。しかも一人一台が当たり前らしい。公衆電話が消えた理由はそれか、と理解した。

 かつてと比べると今の日本は豊かで平和な社会と言える。それでも新聞の端々で主張している記事や社説、コラム欄では、増税や非正規社員の拡大、イジメ問題、家出少女の援助交際問題など社会の歪や不満を訴えていた。

 変わったようで変わっていない世の中を感じながら新聞を折り畳んだ。

 さてどうするか、と首を鳴らした。


  * * *



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