04 祟り
覚悟はしていた。
だがそれは、表層のみに固まった薄っぺらい建前でしかなかったと痛感した。本心では認めたくなどなかったのだ。にも係わらず、実際このような――葬儀の場に来てしまうと、個人のちっぽけな想いなど、小さな石も同然だ。つい先日まで当たり前にあった、彼の人生も、笑顔も、過去のものとして押し流されてゆく。
立花真琴は、父と共に焼香台へ向かった。読経を行う僧侶の前には、四つ切サイズに引き伸ばされた大きな遺影が、祭壇を飾る沢山の花の中に設置されていた。生前と変わらぬ笑顔で、この場にいる全ての者に優しく微笑みかけている。
ふと、目の前の小さな遺影が注意を引いた。
――そんな顔をして、どうしたんだ?
(修司さん……)
焼香用に設置されたソレを、うるんだ瞳で見つめた。なぜだろう。この小さな彼は、自分だけに笑いかけているように見えた。
――神様を見たんです。でも、嘘つきと言われました。……神様は、いますよね?
――いるよ、神様だけじゃない。この世界は決して人だけのものではなく、多種多様な者達で成り立っている。彼らとは古くから関係を続けているが、互いを尊重し合うように住み分けてきたんだ。
――秘境の地みたいな場所に居るんですか? よく見かける気がしますけど。
――秘境には違いないが、次元が違うと言えば分かり易いな。人の世をコインの表とすると、その裏となる、近くて遠い世界があるんだ。彼らをよく見かけるのは、門の近くに住んでいるからという理由もあるね。
色々な事を教えてくれた人だった。唯一の理解者だと思っていた。
――もしかして、ウチは門を守る為に存在するんですか? それなら……
――悲観しなくていい。わたし達は少し特殊な体質ではあるが、ただの人間なんだ。
記憶の中と同じように微笑みかけてくれる、小さな遺影。零れそうな涙をぐっと押し留めた。
外では、ずっと雨が降り続いていた。
「本日はお忙しいところ、父の葬儀にご参列たまわり、ありがとうございました。このように大勢の方々にお見送りいただき、父も喜んでいることと存じます。病院の先生方のご配慮から、最期は自宅で静かな時間を過ごすことが出来ました。沢山の方々からお見舞いの申し出をいただきましたが、勝手を通してお断りしましたことをお詫び申し上げます。皆様のご厚情に、父も感謝しておりました。遺されたわたしどもは、未熟者ではございますが、今後とも故人同様、ご指導、ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます」
葬儀の終盤になって、喪主を務めるセーラー服の少女が頭を下げた。よどみなく口上を述べているが、まったく表情のない、のっぺりとした顔だ。
彼女は亡くなった朝霧修司の娘で、朝霧一華という。修司の一人娘である彼女の方が、自分より遥かに辛いのだと容易に想像がつく。だがそれでも、いつもどおりの、感情の読めない人形のような彼女に、腹が立って仕方がなかった。
数珠を強く握り締めた。師の最期に会わせてくれなかった彼女を見る目は、きっと同情を寄せる周囲の中で一人浮いているのだろう。
未だやまぬ雨の中、真琴は父と共に帰路に着いた。曇天が空を覆いつくしている。まだ日が沈む時間には大分あるにも関わらず、薄暗くて陰気な雰囲気だ。
ただでさえ最悪だと言うのに、これより最低な気分にしないで欲しいと、鬱々とした面持ちで自宅へ続く参道を歩いていた。
少し先の参道脇に並ぶ木々の下に、小さな影が集まっているのが見えた。前を行く父は気付いていない。アレらは異形――物の怪だ。
真琴は昔からこれらが見えた。正しくは、見えるようになった。本当に幼い頃などは、ただ感受性が強いだけの、何となく存在を感じる程度であったのに、いつの頃からかハッキリ見えるようになった。
幼い頃は自分にしか見えない事を不思議に思いながらも、優越感を感じていたように思う。だが今は――。
――真琴ちゃんの嘘つき!
物の怪達に意識を向けつつも、彼らに気付いた素振りを見せずに通り過ぎた。一々相手にするのが面倒だ、という思いもあるが、一番の理由は師の教えだ。人間の領分を忘れてはいけない。それが師の口癖だった。
「アレを見たか?」
「見たぞ見たぞ。酷いものじゃ」
「怒るぞ怒るぞ」
「近頃の人間の行いは目に余るのう。山も酷い有様じゃ」
「元は激しい気性の持ち主じゃ。奢る者どもに目にものを見せてやればよい」
どこか嬉しそうに談笑する会話を拾った。何かが起こったらしい。全てを鵜呑みにするのは危険だが彼らの情報もバカには出来ない。不自然でない程度に歩くスピードを緩めた。
「蟠桃会が開かれると聞いておったが、どうなるんじゃろうな」
「立ち消えるじゃろ」
「なに? それは困るぞ」
「困るのう」
「しかし、鳥居の向こうを見たじゃろう?」
「おお、見たぞ」
「アレを狙っとるんじゃないのか?」
「だがアレは……うん?」
「お主、何者じゃ? ……ヒ、ヒィ!!」
話の内容に疑問を持ちながらも、彼らを見ることなく通り過ぎた。が、突然、背後から甲高い悲鳴が聞こえた。振り返ると、ひょろりとした男が立っており、物の怪たちは散り散りになって逃げている。手を赤く染めた男と目が合った。
「あんた、俺が見えるのか?」
しまった、と思ったがもう遅い。
「そうか、あんたが巫女だな」
次の瞬間、男は目の前に立っていた。驚いた真琴の手から力が抜け、傘が落ちた。
「俺と一緒に蟠桃会に行くか? 紳士のようにエスコートしてやるぜ?」
「あんた……は?」
男が笑うと目が糸のように細くなった。雨に濡れた真琴の髪から雫が落ちた。対面している男は、全く濡れていない。
「怖がらなくていいさ。俺は……そうだな、あんたらの大好きな神様のお遣いだよ。巫女は蟠桃会に出席する資格があるから迎えに来た。拒否は認められないがな」
「神様? 蟠桃会?」
物の怪たちが言っていたモノだろうか。
「ククッ……力ある巫女は神にその身を捧げなければいけないものだろ?」
「何それ、生贄にでもなれっていうの!?」
「生贄と言わず、花嫁の方が情緒があるな。傀儡師のお嬢さん」
「傀儡師? なんのことよ」
「シラを切らなくてもいい。あまり我侭ばかり言っていると、神様から祟りを貰っちまうぞ。心当たり、あるんだろう?」
咄嗟に浮かんだのは裏山の現状だ。もし、この男が真実・神の遣いだとしたら――と、息を飲んだ。男は真琴の腰に腕を回した。至近距離まで顔を近づけ、真琴の額にかかる濡れた前髪を払った。
「あんた、美人になったな…………ん?」
「え?」
突然、地面が揺れ始めた。大きな横揺れに立っていられず、しゃがみこんだ。
「かなり揺れたな、大丈夫か?」
揺れが収まり顔を上げると、父が心配そうに覗き込んでいた。慌てて辺りを見回したが、先程の男の姿はどこにもない。
(……夢?)
真琴は素早く立ち上がった。早く家に――神社へ帰ろうと父を促す。
――鳥居の向こうを見たじゃろう?
物の怪達が言っていた意味を確かめたかった。先程の男は、本当にただの白昼夢だったのかどうかを。
「怒っておるのう」
「祟りじゃ祟りじゃ」
再び集まり始めた影たちの不穏な会話は、駆け出した真琴の耳には届かなかった。
次の日の朝、真琴はいつも通り家を出た。
「真琴さん、いってらっしゃい」
「どうも」
助勤の大学生・青柳充に声を掛けられたが、軽い会釈だけ返した。なんとなく、彼は苦手だ。
河川敷まで出ると、甘い香りが仄かに鼻腔を擽った。誘われるように顔を上げると、綻び始めた蕾から覗く鮮やかなピンク、赤、あるいは白い花が、視界を鮮やかに彩った。
桃瀬町は片田舎の古い、ありふれた町だ。大きな企業もなく、目新しいものなど無いのだが、一つだけ誇れる景観があり、季節がある。誰が植え始めたのかは定かではないが、この町には至るところに桃の木が植えられている。桃の栽培に適した気候のため桃畑が多いというのもあるが、食用以外の木もあちこちに植えられており、桜よりその数が多い。
特に見事なのが、町を蛇行するように流れる桃瀬川の河川敷に連なる並木道だ。春の訪れを祝福するように咲き誇っている様は、実に見事である。真琴も思わず足を止めて見惚れていたが、いつもよりも開花が早い事に気が付いた。地球温暖化の影響だろうかと首を傾げていると、
「おーい、真琴さーん!」
大声で呼ばれたので振り返った。同じ学校の小林菜々美と清水由佳がいた。
「おはようございまー」
菜々美が不自然に動きを止めた。
「おはよ。……どうしたの?」
「花をバックに佇む真琴さんが美しすぎて……! 地上に舞い降りた天使みたいです! ほんっとにステキ!」
と、力いっぱい褒め称えた。真琴は、おそらく尋ねられた十人が十人とも美少女と答える美貌を備えていた。無駄のない細身のシルエットに、スラリと伸びた長い脚。それらも十分魅力的なのだが、気の強そうな、パッチリとした目が一番の魅力だと菜々美は思っている。その目が自分に向けられている! と、テンションが跳ね上がった。
「ありがとね」
真琴は至ってクールに返した。慣れた返しだったりする。
「それ、新しいリップですか? とってもお似合いですね」
「シリーズの新色が出てたから試してみたの。そう言って貰えると嬉しいわ」
本来、美少女は男子からの人気は得やすいが、女子からの人気は得にくいのが世の常だ。しかし真琴は違った。裏ではたゆまぬ努力を重ねている。今日も隙のない、素晴らしい出来栄えに、素直に綺麗だな、憧れるな、と菜々美は思った。
「私もチェックしてみます!」
「ん」
桃瀬高校は、標準服としての制服はあるものの、生徒の自主性を重んじて着装の自由を許可している。そのため殆どの生徒が私服だ。彼女達のようにお洒落に敏感な者は、自分磨きに精を出し、真琴は女子達から美のカリスマとして絶大な人気を誇っているたりする。
「真琴さん、お疲れですか?」
元気のない真琴に気づいた由佳が心配そうに尋ねた。
「お仕事ですか?」
菜々美は心配と興味が混ざった顔だ。
「仕事というか、掃除が大変だったのよ」
真琴はタチの悪いイタズラを思い出して顔をしかめた。なぜか昨夜、境内で犬や鳥、兎や鼬など、大量の動物の死骸が打ち捨てられていた。飼えなくなったペットの始末か、嫌がらせか、あまりに非道な行いだ。
神道では死を『穢れ』とみなしている。にも係わらず、神域である境内に、そのような非常識な行動を取る者がいる。
(不法投棄するヤツは馬鹿ばっかよ)
心中で文句を言って、溜息を吐いた。まだ公にはされていないが、神社では深刻な問題を抱えていた。半年ほど前から続いている裏山の不法投棄だ。そもそも神社のある表と違って、裏山は全く手入れがなされていなかった。木々は好き放題に伸び、地面は腐植した落ち葉や倒木だらけの荒れた山となっていた。人はおろか動物すらも入って行きにくいという、広大な、人目のない場所だった。
気づけば様々なゴミが捨てられるようになり、特に目に付いたのが、石膏ボード、廃油、廃酸、廃塗料などの、工場から生じるゴミだ。
そして不法投棄が行われ始めた時期は、隣町で巨大ショッピングモールが建設されだした時期でもあった。ショッピングモールの前身は、化学工場だ。
――証拠は揃っているんだから、早く警察に捕まえて貰えばいいのに。
――そう簡単にはいかないんだ。不法投棄はれっきとした犯罪行為なんだが、実行現場を押さえるしかないらしい。それに、日頃からゴミを捨てられないような環境作りをする事が大事だと言われてしまったよ。
――でも、山には手を出しちゃいけないって、昔から言われているのよね?
――神様に祟られるから、なんて神職の私が言うのもなんだが、信じて貰えないだろうな。自慢じゃないが、ワシは生まれてこの方、神様も幽霊も見た事がないぞ?
昨夜の、父との会話を思い出して頭痛を感じた。
――神様から祟りを貰っちまうぞ。心当たり、あるんだろう?
(神様の遣い、ね……)
結局アレは幻なのかどうか、結論が出なかった。だが、腰を撫でられた不愉快な記憶が遅まきながら怒りを呼んだ。
「神社の境内って、広いからお掃除が大変ですよね」
「まぁね……」
労わってくれる彼女たちに苦笑して、曖昧に濁した。動物とはいえ沢山の死骸を処理した話など、朝から気分を悪くするだけだ。
余談であるが、桃瀬町は小さな町であるから、真琴の家が町の観光名所の一つである立花神社であるいうことは有名な話だ。昔から稼業を手伝っていた、正しくは強要されていた関係で、それなりに顔が知られていた。
その関係からか、
「ところで真琴さん、『蟠桃』って知ってます?」
「蟠桃? 桃の実の一種だっけ?」
「それもあるんですけど、不老不死の仙桃の方です!」
「不老不死~~~?」
時たま、変な話を振られる事があった。オカルトと呼ばれる類の。