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常世の国の揚羽蝶  作者: カメコロ
エピローグ
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天高く飛ぶ

「みんな! ありがとうございます!」

 朝日の快活でよく通る声が、部屋に響いた。あれから六日後、四月七日。年度の変わり目に、生徒一人と教師一人が行方不明という非常事態を何とか乗り越えて、梓馬高校は入学式を迎えた。今日は、朝日の入学祝いだ。食卓の上には、カセットコンロとプレートが置かれて、スーパーのおつとめ品の牛肉がじゅうじゅうと焼けている。遥華との戦いで、殺虫剤を買いすぎて、家計を圧迫しているのだった。


「ねえ、アサヒ! お肉って美味しいねぇ! これ! あたしのね!」

 朝日の隣に座った揚羽は、ほどよく焼けた肉を上手にお箸で摘んで、取り皿にのせた。タレと肉が軽く焦げて、部屋全体が香ばしい。窓を開けているというのに。

「朝日さん……改めておめでとうございます。これからもよろしくね」

 朝日の向かいの露子はにこりと笑っている。朝日はぺこりと先輩にお辞儀をした。

「はい! こちらこそ!」

「これから忙しくなるぞ。新聞部だ! でもよかったよ。まずは一人、新入部員が確保できてな」

 

 キッチンから大和が怒鳴った。朝日は「はぁっ?」と体をひねって兄の方を向いた。

「それって、私じゃないよね? 新聞部に入るなんてひとっことも言ってないけど」

「ああっ!? お前、すでに準新聞部員だからな、わかってんのか?」

「勝手なこと言って!」

「朝日さん……朝日さんが入ってくれたら、助かるんだけど……」

「ええっ? まあ……いろいろ見て回りますから、新聞部にも寄りますよ」


「ごめんね……私たちも、頑張って新入生を入れないと。ね、敷島君」

「そうだな! お、できてるぞ」

 大和はバケツをキッチンから持ってきて、卓にドンと置いた。中身はプリンだ。みんなで作ったバケツプリンである。

「やった! 大きなプリン!」

 揚羽は肉からプリンに興味を移した。大和はみんなにスプーンを配って、自分もそれをバケツに突き立てた。するっと入り、クリーム色の甘いぷるぷるを思い切りほおばる。

「おっ! 結構うまいな!」

 みんな思い思いにプリンを削りとって、ぱくぱく食べていった。

「あ! 苺!」

 

 露子のスプーンには形のいい苺が乗っかっていた。朝日は味に変化をつけるために、生クリームを上にかけている。そして、揚羽はとにかくむさぼるように、スプーンを動かし続けていた。

「新聞だけど……結局どこまで書くか、まとまらなかったなぁ」

 大和は残念そうにつぶやいた。本来なら、入学式に刷ってみんなに配りたかった。しかし、冷静になって考えると、すべてを書いても誰も信じてくれなさそうだった。それでは、せっかく真実を書いても、何の意味もない。


「遺跡もただの遺跡になっちゃったし」

 遺跡の調査は新聞部主導で行われている。もちろん正式な調査には、先生の指導が入るのだが。横穴は一〇メートルくらいで終わっていて、小部屋には土器が散乱していた。どうも縄文時代あたりのものであるらしい。露子の推測によれば、神に選ばれた人間が死んだことで、神界との接続が途絶えたというのである。海から帰れたから、一方通行といったところか。ただ、揚羽と一緒なら話は別だった。

「あの遺跡、空間がふわふわしてるんだ」

 

 揚羽が手をふよふよと動かしながら言った。どうも未だに空間が不安定で、揚羽抜きでもたまにあちら側と接続してしまうこともあるらしい。また何度か常世と行き来して、戦ったり果物を持ってきたせいかはわからないが、いつどこがつながるかわからないのだという。

「まあ、そん時はそん時だろ。俺たちも揚羽のおかげで助かってるしな!」

 食卓の上のマーマレードの瓶を指さした。スペアリブみたいに肉にちょっぴりマーマレードをつけて食べるのが、敷島家流だった。材料の橘は、揚羽と一緒に行って、どっさり持ってきたのだ。露子が食べた苺もそうだ。ただ、毎回海に飛び込むのが嫌で、一回きりだ。


「常世マーマレード、毎日食べてると、調子がよくって! 苦味と甘味のバランスがちょうどよくって、一日に必要な栄養素全部入ってるって感じ!」

 朝日は健康食品を売る通販番組の口上みたいにしゃべった。そして、大和はうなずき合った。かつて天皇が求めた霊薬も、敷島兄妹には青汁みたいなものらしい。

「でも不老不死になったりしない? 大丈夫?」

 露子は心配そうだった。といっても時々マーマレードを食べているのだから、自分も同じだ。揚羽も大好物だ。


「まあ大丈夫だろ。ちょっと栄養がつまってるだけだって! で、やっぱり、モンゴリアンデスワームで行こうと思うんだよ。証拠写真のインパクト的にはな」

「やっぱり、そうなるのかなぁ……『常世の国』の取材ノート、どうしよう」

「無駄にはしねえよ。いろいろ考えてたんだ。まあ、モンゴリアンデスワームの写真でバァーンと人目を引くだろ。それで、異界の噂を流す。遺跡が時折、異世界につながるってな。それで……記事でそのことに触れつつ、一連の事件を少しずつ小出しにしてくんだ。まどろっこしいのは嫌いだけど、ちょっといきなりは突拍子もないからな」

 

 大和はプリンと焼き肉を交代でぱくつきながら、考えていた案を披露した。真実を伝えるのも大変なのだ。

「ねえ、お兄ちゃん、それはいいとして、最後まで書くの?」

 最後までとは、風晴遥華と霧生かすみの死についてだと、みんなわかった。大和は珍しく神妙な顔つきで、生焼けの肉をにらむ。

「そうだな……連中にも家族がいるし、書き立てると厄介かもな。俺はそれでも本当のことを書くべきだと思うんだが、ノータリン扱いは嫌だし……みんなにばらまく記事では、伏せとくか。聞かれたらしゃべるけど……風晴かぁ。あいつも、広い目で見れば、モンゴリアンデスワームの被害者だったんだよな」


「やっぱり、私、納得できないよ。なんで、選ばれたの。あの芋虫に!」

「……ハルハルは事故であの傷を負ったって言ってたよね。何か、臨死体験のようなことがあって、あっちと近づいてしまったのかも」

「事故ってことですか? そんな……」

「それで、神託と能力を与えられたってことか……あいつ、美人だったし、神の好みだったのかもな。勝手なもんだ。人をもてあそんで」

 揚羽のプリンをむさぼる手が止まった。あの常世の国も、異形の神も消え去ったわけではない。確かに存在して、不安定な空間からいつ這い出してくるやもしれないのだ。


「ヤマト、あいつ、また出てくるかも。それに他にハルカみたいな人がいたら、どうする?」

「決まってんだろ! 取材だよ取材! トコトンまで調べてやるさ。文字媒体では多少難しいが……世間に公表していくんだよ」

 揚羽はにっこりと笑った。夕暮れのオレンジ色の光を、銀髪が透き通している。窓の外から、風は吹いた。それに乗って、ふらふらとアゲハチョウが部屋に入ってきた。ひらひらと美しい翅を羽ばたかせている。

「聞こうと思ってたんだ。敷島君、蝶は平気なの?」

「……平気だよ。形が違うし、奇麗だもんな。ただここで卵を産まれると困るんだよな」

 大和は蝶を手で外に追いやった。

「ねえ、ツユコ、あの子、あたしたちが助けた子かなあ?」

「かもしれませんね。きっとお礼を言いに来たんですよ」

 

 揚羽はうっとりとして、大和と蝶を追いながら言った。朝日は火を止めて、みんなは窓から庭に出た。

「ほら! 行けよ! 飛んでいけ! どこまでも!」

 蝶は空を舞う。桜の花のように、落下するのではなく、自分の力で高く飛んでいく。いつしか蝶は見えなくなって、四人は夕焼けをぼんやりと眺めていた。

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