桜の森の満開の下 その2
「針の照準が甘い……」
遥華の方も桜が邪魔で正確に狙いが定まらない。ばらまきの面攻撃と不意打ちしかできないのだ。遥華と大和が戦っている間に、露子はAの手を解いて、抱き起こした。
「Aさん……ごめんなさい……私……」
「ツユコ、コワかったね。あたしも、とってもコワいよ」
Aは露子の小さな体を抱きしめた。ぬくぬくした体温と甘い香りがした。
「Aさん……大きいうねうねって……?」
甘い大気をつんざく朝日の悲鳴が聞こえた。朝日はすごい速さでこちらにやってくる。何か大きなものから逃げているようだ。
「ば、ば、バケモノ!」
朝日は息も絶え絶えに、露子とAに合流した。大和と遥華はままならぬチャンバラを続けていたが神の登場によって、それを打ち切った。神は巨大な黒い芋虫だった。黒くぶよぶよした体から粘性の液を流し、ヤツメウナギみたいな口からうめくような鳴き声を発している。うねりながら突き進む、おぞましい異形の神だ。
「文様……! あのバケモノ……!」
異形の神はもだえ苦しみのたくっていた。断末魔の苦しみの中にいるミミズのような、あの模様。その意味がわかった。この桜の森に引きこもっている、あの怪物を模したものだ。あの文様が、Aの肩に刻まれていたのは……。
「お出ましね。遅いなぁ! ねえ、なぁんにも知らない大和君に、もう一つ真実教えてあげる。A……だっけ。あれはね、あのノータリンの神様が産んだのよ。無性生殖みたいにしてね! ほら! パパだよぉ~! 娘を迎えにきたってさぁ!」
「あれ……うねうね……パパ……?」
Aは怯えと驚きと悲しみで、真っ青になっていた。あの怖いものから、自分が生まれたことが、恐ろしかった。
「だから聞くんじゃねえよ! 親父なんか最初からいねえ!」
「足元お留守だよぉ! 捕まえた! ほら! 私の神様! 餌の時間だよ!」
苦しむような神の御下に、大和が引きずられていった。露子の息が恐怖で止まる。体が動いてくれない。もうだめかと思った時、朝日が動いた。
「人の家族に何してくれてんのよ! このイカレサイコ女!」
ずっしりと重そうな古銭をありったけの力で投げつけた。大和に力を集中させていた遥華は、頭に直撃を食らった。ふらふらとよろめいて、頭を抑えて、大和は開放された。
「あっぶねえ!」
異形の神の牙をすんでのところで避けた。神は怒ったようにうめき天を仰ぐ。
「こりゃ……見世物にするには……デカすぎだな! 露子! 写真撮れ! モンゴリアンデスワームの写真ってことにして記事にするぞ!」
大和は逃げながら、露子に叫んだ。彼女は言われるままに、写真を撮った。大和はこんな時でも変わらない。それが露子の勇気にもなった。
「お兄ちゃん! 無敵アイテム!」
また朝日が兄に橘の実を投げつけた。大和の手のひらにぴったり飛び込んできた。
「コントロールいいな!」
「何……? ミカン……? 何でもいいか!」
遥華はよくわかっていないようだが、とにかく能力の照準を大和に向けた。桜が舞い上がる。
「橘だよぉ! 覚えとけ!」
大和は多頭の蛇のように繰り返し迫る桜の波を軽く飛び越えて、橘の実をガリリと噛んだ。酸っぱい飛沫が口に広がる。その後ろでは、異形の神が桜の木々をへし折って、暴れまわっていた。知性を感じさせない動きで、まるで竜巻のような自然災害が通って行くようだ。
「朝日さん……あれは?」
「ウチで採れた橘の実です! 急に成ってて! きっと無敵アイテムですよ!」
「ゲームじゃないんだから無敵とか馬鹿じゃないの!」
遥華は苛立ちを隠しきれず、大和を捕まえようと必死だが、すばしっこくてなかなか捕まらない。縫い針ではダメージが薄いと見て、千枚通しを何度か飛ばしたが、首、目などの主要器官には命中しない。朝日は気を良くして、大和に声援を送っていた。露子は怯えるAをなだめながら、さっきの遥華の言葉の意味を考えた。大和が名前をつけないからと言っていたはずだ。
「なんか体が軽いぞ! これ! やっぱ無敵アイテムだろ!」
調子に乗っていたのは、大和も同じだった。後ろからやってきた桜の波に気づかず、不意を打たれた。足をとられて、地面に思い切り叩きつけられた。




