霧生先生の彼氏?
さっきまでいた生徒たちは、薄暗い遺跡に入る気にはなれなかったのだろう。いつしかさみしい麓に大和と露子の二人きりになってしまった。なんとなく心もとない気分だ。大和は顎に手をやって何か考えこむようなポーズを取る。彼は腕を組んで、太陽を受けて、薄く黄緑に発光するような山をにらんだ。空気は湿気を含んで温かく、草の匂いが感じられた。
「今日は図書委員会と縁があるな……まあそれよりも……」
腕を解いて身を翻し、指をまっすぐに突き出した。遺跡を射刺すかのように。露子もその指先をなぞるように、暗がりの奥のさらなる暗黒を見つめた。木々も草も、忌まわしいムカデ共も、重大な秘密を隠すために共謀しているようだ。あの闇の奥には、何かがある。大和はそんな気がしていた。闇を暴く、それはまさに新聞部にとって願ってもない仕事ではないか。
「一旦退却しよう! それからバルサンでも何でも買って、殴りこみだ!糞虫共をいぶり殺しだ!」
霧生先生の忠告などに、聞く耳を持つ気はさらさらないのだった。露子は先生に申し訳ないと思いつつも、大和を止める術などなくて、彼に付き従うことにした。こういう時、何を言っても聞かないのだ。
死にゆく太陽が世界を赤く焼いて、赤熱した空が雲を燃やしていた。茜色の光が鮮やかに大和と露子の姿を映し出す。真実ともお金を出し合って、隣駅の薬局で大量の殺虫剤を買い込んで、遺跡攻略に臨んだ。さらに部室を引っかき回して見つけた、ライト付きヘルメットを装着し、口にはタオルを巻いていた。暴動でも始めそうな出で立ちである。崖に近い萌黄の斜面は、二人を威嚇するように立ちふさがっている。まさにこの古代の謎、そしてそれを守る虫共を相手取った暴動なのだ。
「敷島君……私ね、気になってることがあるの……」
遺跡に向けて歩きながら、露子はおずおずと切り出した。ちょっぴり興奮しているのか、頬がほんのりと赤くなっている。橙色の光が眼鏡のレンズを通して、丸っこい瞳を輝かせる。
「霧生先生のあの電話、あれ、彼氏さんかなぁ?」
露子の一歩先を行っていた大和は、立ち止まり、じろりと振り返った。そして、俊敏に露子に人さし指を向けた。
「俺も気になってた!」
「やっぱり。敷島君もだったんだ。霧生先生、彼氏が相手だといつもと違うんだね」
「気ぃ強くって、ありゃあ行き遅れると思ってたけどよ。隅に置けねえな」
「そんな風に言ったら悪いよ」
露子はそう言いながらも楽しそうに大和と話した。他人の恋愛について詮索するのが、大好きなのだ。この粗暴な少年も、同じ趣味を持っていたので、時々こんな話をしていた。
「『仕事が終わったらすぐ行くからね……』だってさ。ありゃあ彼氏に主導権取られてんな。何やってんだかね。新聞に書いてみようか?」
「だめ、発禁になっちゃうよ。もしかしたら……その婚期、とか? 焦ちゃって……でも彼氏さんは余裕で……」
露子はいつも小さい声をもっとかすかにして、ささやくように大和に妄想を披露するのだった。恥ずかしいけれど、誰かに聞いて欲しいのである。そして、その相手は基本的には親しい二人の女の子と、部活が一緒の大和くらいしかいなかった。
「とすると男は年下か? 霧生って今いくつだっけ?」
「えっと……二十七歳だったと思う」
「ふぅん……今時じゃ、別に焦る年でもねえんだから、どっしり構えてりゃいいと思うんだけどな」
「本人からしたらいろいろあるんじゃないかなぁ。もしかしたらご両親にも、いろいろ言われてるのかも……」
「しっかし霧生がねぇ。年下彼氏と深夜のデートかぁ。どんなことしてるのかねぇ。あのお堅そうな、いや、だからこそ夜は燃えちまうかな」
「深夜っていつ言ったの? まだ決まったわけじゃないのに、勝手なイメージを押し付けるのよくないよ……でもそうだったら……いや……とにかく……」
とにかく断定で物事を語るのは、新聞部の態度ではないと、露子に説教されてしまった。大和はバツが悪くて、話を元に戻した。
「じゃあもう行こうぜ。ちゃっちゃと! 遺跡によ!」
露子はもう少し他人の恋話にうつつを抜かしたいと見えて、「主導権って……D∨とか……」などとブツブツやっていた。しかし、それも大和に促されて終わりを告げ。二人は遺跡の入り口に向かい合った。