決戦前夜
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
「うぐぐ……朝日……大丈夫か?」
朝日は意識を取り戻して、兄を助け起こした。大和もズキズキと痛む頭を抱えた。二人とも体中土だらけだった。
「お兄ちゃん! 虫!」
中庭には、あの芋虫がびっしりと這いまわり、二人を囲んでいた。彼らは悪意のかたまりだ。びたびたとうごめいて、襲いかかろうとする。
「うおわっ! す、スプレー!」
地面に転がったスプレーを兄妹で使い、あたりが白い煙で満ちるほど噴霧した。虫は弱るが、トドメには至らない。敷島兄妹は全力疾走で校舎の中に逃げ込んだ。錯乱してずっと殺虫剤をまき散らしながら。部室の前で、大和は息をつく。彼はだいぶ落ちついたようだった。
「お兄ちゃん! Aちゃんを追いかけようよ! 今すぐ!」
「待て、朝日……落ち着け」
「何言ってるの! あの風晴って人おかしいよ! それに変な力! 助けないと!」
「落ち着け! あのアマ、言ってたろ。『常世』は初めてだとか」
「霜鳥さんがいるんだよ!」
「露子を信じろ。何かやってくれるさ」
「お兄ちゃん! 裏切られたんだよ!」
朝日は憤ったようにまくし立てる。興奮で顔が真っ赤で、涙が目に浮かんでいた。
「大方、あのイカレ女が脅してるんだろ。そんなの長く続かねえよ。昨日、あいつ言ってたよな。神意を把握する力は狂気だとか、カルト教団だとか。あれは、大昔のことじゃねえ。風晴のことだったんだよ。それにあそこは広いんだ。だから、まあなんとかなんじゃねえの。俺は昨日、あいつにできる範囲で抵抗しろって言ったし」
「お兄ちゃん……でも、このままでいるつもりはないんでしょ?」
朝日の心も、適温に戻りつつあった。あの風晴とかいう女への怒りに燃えてはいるが、思考は平静になってきた。
「お前、ついてくるのか?」
「当たり前じゃん!」
朝日は不満げに口をとがらせた。ここまできて、置いてけぼりなんて、とんでもないことに思えた。もし、兄が似合いもしない心配をしているのなら、心外というものだ。背丈も体力も兄に負ける気はしなかった。
「あのクソアマ、マジイカレ女だからさぁ……何するかわかんねえぞ。あの虫もいるし、命がけだぞ。わかってんのか?」
「何度も言わせないで」
朝日はピシャリと言い放った。こんな時は大和と同じで、言っても聞かないのだ。
「じゃあやるぞ」
「戦争だね」
大和は窓から中庭を、その先の丘陵を見た。朝日も兄につられて、そちらを見る。風が吹き上がり、空に花びらが昇る。Aと露子をあのイカれた神託女から取り戻す。その決意に燃えていた。大和は手にしたスプレーの残量がかなり少ないことに気づいた。いくらなんでも使い過ぎだ。
「弾切れか……ちょっと兵器足らねえな。朝日、お前、殺虫剤買ってこい。ありったけだ。燻蒸剤もあるといいな……あとは家から使えそうなもの全部持ってこい。まあ、のんびりはしてられねえからな」
「わかった! でもなんで私が?」
「俺は部室でなんか用意しているよ! 落ちついて迅速にな」
朝日はうなずいて、一目散に駆け出した。大和は部室でヘッドライトを再び出して、本棚を眺めた。風晴遥華が持っている奇妙な力について考えた。触れていないのに、何かに引き倒された。ただのイカレた女でもないらしい。しばらく待っていると、部室のドアが開いた。
「お兄ちゃん! 持ってきた!」
大きなビニールいっぱいのスプレー缶、燻蒸剤、家から持ってきた買い物バッグには、橘の実と古銭が入っていた。投げて使うらしい。
「あとこれ、ウチの橘の木に、これが」
まるまるとした黄色い実だった。もう全部収穫したはずなのに。
「ジェットを埋めた時、Aが……」
「やっぱりそのせいなのかな……あの蛹もカラだったし」




