遥華の心
「ハルハル、どこから……」
「どこからでもいいでしょ。へえ~これが……『常世の国』のバケモノ女ね。生は違うねぇ。輝いて見える……!」
舞い散る桜よりも軽やかに、すうっとAたちの前に近づいてきた。幽霊みたいな動きだ。
「バケモノって……悪口だよね……ヤマトがよく言ってる……この人、だれ?」
「私の名前は、風晴遥華。あなた、名前がないんだってね。名無しのバケモノが、人間のマネゴトして……笑っちゃうよね。ねえ、露子ちゃんもそう思うでしょ?」
露子は押し黙り、大気を染める桜吹雪を見つめた。そのかすかな色合いの雲に浮かぶ遥華とA。真っ黒な髪と真っ白な髪が、それぞれ春風にたなびいている。背筋が凍るほど美しい。
「ツユコ……コワい……このひと、心……」
「うるさいな。人間じゃないくせに、感情なんて持ってるんじゃないの!」
遥華はAの髪を乱暴につかんで振り回した。Aは泣きそうになりながら、抵抗を試みたが、体が思うように動かないみたいだ。
「スゴイ力……弾き飛ばされそう!」
Aはすさまじい勢いで腕を振り、平手が遥華の頬に炸裂した。露子もびっくりして、遥華の首の骨が折れないかと思うくらいだった。
「いったぁ……」
遥華の脛骨は無事だった。それどころか、頬もほとんど無傷だ。かすかに色白な頬に赤みがさしている。
「露子ちゃん! こいつ、ちょっとめんどくさいから、あなたが運んで」
髪をつかんだまま、モノを扱うみたいに投げてよこした。露子は小さな体で、うずくまるAを抱きかかえて、責めるような目で遥華を見る。
「何、その反抗的な目つきは。こいつはね、人間じゃないの。あの気持ち悪い虫けらと同じなんだから、どうしたっていいでしょ。殺虫剤かけたら死んじゃうかもよ。試してみる?」
「とにかく、乱暴は……よくないと……」
「あっそう。立場、わかってる? 指きりげんまんしたのに、そういうこと言うんだ。私に対して……」
露子が大和にどうしても知られたくなかった過去。遥華は「二人だけの秘密」などと身勝手な言い方をしていたが、他人の弱みを握ってほしいままにしているだけだった。弱い人間を支配する時、遥華の心はうららかな陽光にきらめく海みたいな気持ちになる。
「ツユコ……助けて……コワい……あの人……気持ち、うねうね! うねうねみたい!」
「あ……Aさん……私……」
Aは露子の腕の中でもがいた。あの恐ろしい女から逃げるようにしている。遥華はにっこりと花が咲きこぼれるように笑って、その姿を鑑賞していた。
「うねうね? それはあなたでしょう? Aちゃん? あははっ! それにそのかっこ! 虫けらみたいな姿! お似合いだよぉ!」
遥華は楽しそうに、Aを足蹴にした。泥に汚れた桜の花弁が、Aのセーラー服にくっついていく。Aが初めての人間の悪意に怯えている時、大和と朝日は霧生に絞られていた。
「さて、敷島君、どうして他の高校の生徒に突然乱暴なんてしたの?」
「いや……ちょっと……」
「ちょっとじゃないでしょう」
「そうだよ、お兄ちゃん、そんなこと私聞いてないよ!」
朝日は昨日の潮音や美砂子との会話を聞いていないのだ。隣に座る兄に対して、怒ったように言う。
「お前はどっちの味方なんだよ!」
「敷島君、黙って。答えなさい。なんで、佐内勇君に乱暴したの」
「……露子がさ、その佐内って奴にからまれてて……ひどいんだ。露子よりずっとデカイ図体で、あいつ、自販機に叩きつけられて、罵られて……まあ俺らも急いでたし、ちょっと殺虫剤で不意打ちして……まあダメ押しにちょっとはっ倒したりもしたけど……まあそんなとこですよ」
「あのね、どんな理由があっても、暴力に訴えることは、あってはならないの。敷島君もそれくらいわかるでしょう。それと、敷島朝日さん。あなたはどうして春休み中にここに来たの?」
「あ……その……お兄ちゃんの付き添い、みたいな。まあなんというか、一人じゃ心配だし。それに部室とかどんなかなぁ~って……」
急に話をふられた朝日は、愛想笑いと共に言葉を絞りだしていった。




