虫嫌い
暗く鬱蒼とした森は、しめった風を受けてざわめき、土の匂いが鼻を突いた。二人は勾配のきつい斜面ににじり寄った。長方形の入り口がはっきりと確認できた。人一人がやっと通れるくらいだろうか。
「敷島君、入ってみる?」
露子が写真を撮りながら、恐る恐るといった調子で尋ねる。大和はねじれたわみ、厳しく横穴を隠すようにしている木々を睨んだ。
「何ぃ? 決まってんだろ! やるんだよ!」
「ムカデとかヤスデがいても?」
「うっ!」
大和はたじろいで一歩引いてしまった。震える手でなんども口を押さえたり頭をかいたりしながら、ぐるぐると歩きまわり出した。
「ワームだけはダメなんだよ! 気持ち悪くって! 変なこと言い出さないでくれ!」
彼の家には橘の木が植えてあって、子供の頃、その木の下で遊んだことがあった。木にはたくさんの青虫がへばりついていて、彼が登ろうとすると、一斉に落ちてきて、全身にまとわりついた。彼も木から落ちて、青虫は彼の下敷きになって、グチャグチャにつぶれた。小さい子供には、その様子が怖くて仕方がなかった。そんなことがあってから、彼はワーム状の生き物はどうしても好きになれないのだ。
風がさあっと吹き抜けて、草木がささやくように揺れて、不気味だった。露子はため息をついて、緑と暗黒に縁取られた景色を見渡した。そして、見覚えのある姿を見とめた。山の上の草木で隠れていたところから現れたのだ。
「あ、あの……先生!」
露子が斜面に駆け寄ると、大和もつられて後に続いた。霧生かすみが遺跡の脇から降りてきたのだ。霧生はまだ若い国語科の教員で、ショートヘアと四角い銀色のフレームの眼鏡が良く似合っている。しかし、気が強く厳しいところがあった。二人は霧生先生に挨拶して、事の次第を伝えた。この古代遺跡の件での、最初のインタビューだ。
「生徒たちに言われて見てみたんだけど、狭いし、虫もひどくて……逃げ帰ってきたの」
虫、という言葉に思わず大和は顔をしかめて、心底先走らなくてよかったと思った。露子はさらに出土品はなかったかと尋ねた。すると霧生先生はジャケットから小さな赤土色の塊を取り出してみせた。
「これ、奇妙な形よね。あの穴も人の手が加えられていることは確かだし。このあたりは、昔、旧海軍に接収されていて、弾薬庫なんかもあったし、それ関係じゃないかと思ったけれど、これは本当に遺跡かもね」
露子はその塊を受け取って穴が空くほど見つめた。それは五センチほどで、何かの一部らしかった。ミミズか蛇がとぐろを巻くような形に成形されている。そのぐちゃぐちゃに折り重なる渦は、苦悶の声を形にしたようで、どこか禍々しい。
「なんだか気色悪い形ですねぇ。奥はどうなっていたか、わかりましたか?」
大和も露子に負けじと霧生に質問をするのだった。
「かなり深いみたいよ。奥までは見通せなかったから。貴方たち、くれぐれも勝手に入っちゃダメよ。絶対にね! これからのことは先生たちで相談して決めるから」
専門家の指導の下、有志を募って調査することになるだろう、とのことである。質問に答えながら霧生はいらついたように服の土を払いのけ、ため息をついた。なかなか土が落ちないので、何度も手を叩きつけて、やっと満足すると、二人の取材を打ち切って言った。
「ああもう! こんなに汚れて! 霜鳥さん、貴方に限ってそんなことはないと思うけど、部活にかまけて委員会の仕事を忘れないように」
神経質そうに髪をいじり、摘んだそれを幾度となく引っぱりながら、冷淡な声音で釘を刺した。その時、バイブ音がした。霧生に電話がかかってきたのだ。霧生の携帯電話には、手作りと思しきストラップがついていた。クラゲのような生き物で、とぼけた顔をしている。
「あ! ごめんなさい……ごめんなさい……仕事が終わったらすぐ行くからね……うん……わかっている……」
一転して弱々しく話しながら、大和たちに一瞥して、さっさと山を下り職員室のある棟へ消えていった。