常世の神
「ああ……今日、夏島や三春と話してな。それでちょっとお前のことも。恥ずかしいこと言っちまったよ。気の合う仲間だ~とかな。露子、ちょっと元気ないな。大丈夫か? ああ……ならいいんだが。今日はいろいろあったしな。で、その他の調べについちゃどうだ? おお~そうか!」
「ねえ、お兄ちゃん、私たちも聞きたいんだけど。そういう機能とかないの?」
「ああ? えっと……これか? おっ!」
『あ、朝日さん、Aさん……』
確かに露子の声にはどことなくハリが感じられなかった。
「ツユコの声! サナギもみれた! これなあに?」
「スマホだよスマホ! まあなんでも板だな。どこでもドアみてえな」
「その説明でわかるの? まあいいか。霜鳥さん、調べ物の方はどうでした?」
『「常世」について……昔の天皇が非時香菓を家臣に求めさせたのは知ってるよね?』
「あれだろ。始皇帝が除福を日本に送った……的な。まあ気持ちはわからんでもねえがよ」
『その天皇は……十一代目の垂仁天皇で……それで……伊勢神宮の創建にも関わっているの。この天皇の妹、倭姫はいろいろなところに行って……天照大神を祭るための土地を探したの。彼女がたどり着いたのが、伊勢だったの……そこで天照大神の神託があったから。「この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪帰する国なり。傍国の可怜し国なり」……だから……ここで祀れって』
「しきなみ? うまし? おいしいの?」
Aはもちろん朝日も何が何やらという様子だった。大和は呆れたように、露子に説明をさせた。
『あのっ……えっと……常世からの波が何度も来るってことで……この「うまし」っていうのは、具合がいいなってこと。今でもお伊勢参りってあるよね。常世の国との接点は、しばしば……信仰の対象になっていたの……でもね……私……思うの。昔、神託を受ける力、神意を正しく把握する力は、なにより大切なものだったんだって。でもね、今、もし、神様の意志、わかっちゃう人がいたら……その人は……』
「まあ狂ってるって思われるのがオチかもな。俺も心配だぜ。記事を出しても、ちゃんとみんなが受け取ってくれるかってな。まあそのための動かぬ証拠が、Aなんだがよ」
大和は鷹揚にAの肩を抱いて、朝日にピースサインしてみせた。朝日は苦笑いするだけだった。
『うん……そうだね……それで……一番、気になったのは……垂仁天皇からずっと下って、三十五代、皇極天皇の時代。日本書紀に書いてある……皇極三年の秋……大生部多という人が……常世の神を崇める宗教を広めたの。彼は結局、秦造河勝という豪族に討ち滅ぼされたんだけど……』
「常世の神……聞き捨てならねえ名前だな」
大和たちは布団に寝そべって、円を描くようにスマホを囲んで露子の話を聞いていた。
『大生部多は……信者に財産を捨てさせたの……いわゆるカルト教団っていうのかな。反社会的な宗教団体……その教団が崇めていた、常世の神……それは緑や黒の斑の蚕に似た虫……だって。橘や山椒につく虫……注釈には、アゲハチョウの幼虫じゃないかって書いてるけど……』
あの世界で見たおぞましい虫けらの大群、奴らが放つ全身の毛が逆立つような悪意。飼育小屋で惨たらしく殺されていたウサギ。大和や朝日には、その古の邪教の神が、ただのアゲハチョウの幼虫であるとは、到底思えなかった。
「そんな昔から……六十年前なんてレベルじゃねーな!」
「昔……お兄ちゃん、皇極天皇っていつの人?」
『……皇極三年は、六四四年。これって……もしかして……』
「へぇ~もう一三〇〇年以上前なんだ……そんな昔から、あの虫がいるんだね」
朝日はのんきに感心しているが、大和はその数字にちょっとした聞き覚えがあった。
「朝日、六四五年、何があった?」
大和は真剣さ半分、からかい半分で朝日に尋ねてみた。朝日はむっとしたように口をとがらせた。
「ええ~? なにそれ? もう受験終わったのに! なんだっけ?」
「お前よく高校受かったな。大化の改新に決まってんだろ。中大兄皇子と中臣鎌足のクーデターから始まった」
「へぇ~。だってさ、Aちゃん知ってた?」
「たいやきなら知ってる。お風呂で朝日が教えてくれたよ」
「公地公民制、班田収授法、国郡制度、租・調・庸の税制……!」
大和は意地悪そうに笑って、妹の耳元で呪文を囁いた。朝日は「もういいじゃん!」と怒ったように叫ぶのだった。




