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常世の国の揚羽蝶  作者: カメコロ
第三章 敷島家の秘密
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世界は不思議

「そういえば、庭に橘の木があるって、言ってましたよね」

 この和室は庭に面していたから、障子と縁側の向こうには、その木があるかもしれない。露子はセーラー服を着たままのAを誘って、その戸を開け放った。庭は広くて、ツツジやユキヤナギが咲き誇っていた。しかし、同時にかなりの雑草が茂っている。そして、つややかな橘の木も目の前にある。実は残っていない。すでに収穫してマーマレードにしていたのだ。

「あそことおんなじ木!」

 

 Aは器用に庭石を飛び跳ねて、橘の木の下に行った。露子は縁側にたって、月光と廂が作る陰影の中で、その様子を眺めていた。

「ねえ、ツユコ! これ、これ!」

 手のひらで作ったお皿に、何かを入れてやってきた。ネズミをくわえてやってくる猫みたいだと思った。そんな光景を実際に見たわけではないけれど。

「あ、アゲハチョウの幼虫。敷島君が見たら目を回しちゃう」

 丸々と肥えた五齢幼虫は緑色の体をくねくねと動かしていた。Aの手を逃れようとするので、彼女の方も逃すまいとしている。

「ヤマトのコワいの。ツユコもいや?」

「ううん……私は、好きでも嫌いでもない……かな。蝶々は好き、ですけど」

 

 縁側から身を乗り出して、軽く幼虫の体を押してみた。ぷにぷにして弾力がある。きっともうすぐ蛹になって、一週間くらいしたら、奇麗な成虫になって、空に舞い踊るのだろう。

「敷島君って、蝶々は平気なのかな?」

「ちょーちょ?」

 Aは蝶を知らないみたいだった。そういえばあの世界では、あの黒い塊以外の虫にお目にかからなかった。あんなに花が咲き乱れていたのに、虫がいないなんて奇妙に思えてきた。

「えっと、ちょっと待ってくださいね」

 部屋に戻って、携帯でアゲハチョウの姿を検索した。ちょうどよく蛹、成虫の画像があった。こういう場合、モノを見てもらうのが一番早い。


「この幼虫が、蛹っていって、大人になるための準備をするんです。ほら、こんな感じで。それから、次はこうなるんです」

画面をスライドして、優美な模様を誇るアゲハチョウの写真を見せた。今、手のひらでうごめいている芋虫とは、まるっきり違う。体はこんなに太くないし、足だって細長い。何より違うのは、この葉っぱのような何かだ。

「うそ、ちがうものだよ。ちっともにてないもん」

 

 みんな蝶やカブトムシなどの完全変態について、常識として知っている。でも、Aの言うことももっともに思えてきた。あの蛹の中で、体がドロドロに溶けていて、鋳造されるみたいに奇麗な成虫ができあがるなんて、ものすごく不思議なことに思えた。

「不思議ですよね。でも同じ生き物なんです。こんな風に変わってみたいな……」

「フシギ……こっちって、フシギだね……いろんなもの……いっぱいで……初めてばっかりで……アゲハチョウ……みんな、なまえあるんだね。あのまんまるや、赤いのや、すっぱいのも……」


「スイカに苺、ミカンですね。このお庭の草も……これはハナニラ、こっちのはオオバコ、カラスムギに……って草取りとかしてないのかな」

「みんな、なまえあるのに、あたしだけないんだね」

 Aは寂しそうにアゲハチョウの幼虫や雑草の茂る庭を見つめた。


「……きっといい名前が見つかりますよ。ゆっくり考えましょう?」

 Aはにこりとうなずいた。露子はその虫を橘の木に戻すように言った。何もしなければ、きっと大和に見つかって殺されてしまうだろう。


 明日、殺さないように大和に頼んでみるつもりだった。もうすぐ成虫になれるのに、ここで殺してしまうのは、なんだか可哀想に思えた。こうしてこの芋虫と知り合いになったのも、何かの縁だ。Aと一緒に庭に降りて、虫が再び木に戻るのを確かめた。

「私が地獄に落ちたら、助けてね」

 

 Aに聞こえないように、口の中だけでこの虫に呼びかけた。ただアゲハチョウの出す糸で、地獄から這い出せるか疑問だった。やはり蜘蛛の方が長くて丈夫そうだ。それでも、呼びかけずにはいられなかった。しかし、Aには聞こえてしまったようだ。

「ジゴクって?」

「悪いことした人は、死んだ後、地獄に行くんですって」

「死ぬって、消えるってことなのに?」

 

 Aは興味津々といった風だ。大和はAにそんなことを言っていた。この世界から消えてしまうと。

「消えた後、どこに行くのか。誰も見た人はいないけど、きっとどこか行く場所はありますよ……」

「ツユコ、ワルモノなの? ツユコは優しいのに!」

 真っ黒な瞳で、露子を見つめた。なんだか心を直接なでられているような気分になる。ほんの少しだけ、気持ちが軽くなった。

「ありがとうございます……そう言ってくれて……もう、寝ましょう」

 

 Aはまだまだ話を聞きたそうにしていたが、打ち切って眠ることにした。セーラー服は脱がせてたたんで、布団の脇に置いた。明日、Aが着るものとして使うつもりだ。そのAは不承不承布団に包まったが、すぐに安らかに寝息を立てた。露子はあの桜の森の恐怖体験を思い返していたが、疲れがどっと出て、しばらくしたら眠ってしまった。


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