常世の人の連れ帰り
「潮の匂い、やっぱりだ! あそこと同じ……!」
潮風に敏感な大和でなくても、この海の香りはわかった。露子を下ろして、その暗い水の向こうを見ようと身を乗り出した。Aはこの匂いは初めてと見えて、鼻をひくつかせて、びっくりしたような顔をしていた。「それ」を少し引き離すことはできたが、あと数分でこちらにたどり着く距離だ。三人は選択を迫られていた。
「どーするよ、これ? 飛び込むか?」
「そうしたら、こっちには戻れないよね」
ごうごうと大量の水が消えていく。この流れに逆らって狭い穴をさかのぼるのは至難の業に思えた。だが、あの「何か」は今度こそどこまでも追ってきそうに思える。Aは怯えきって、大和にしがみついて、ぶるぶる震えていた。
「海は異界との接点! 接してるなら、戻れるかもしれねえ! そういうことだな!?」
大和はなんとも頼りない脱出方法の根拠を再確認した。もう「何か」が迫っていた。もうその姿が、間近に迫る。露子には、あの憎々しげな恨み事が聞こえた。ずっとそいつは呪いの言葉をまき散らしてきたらしい。
「俺にしっかりつかまれ、露子も!」
大和は露子の腕をつかんで引き寄せて、しっかりと腕と腕を絡ませあった。殺虫剤や携帯電話、カメラを袋に入れてしっかりと縛る。Aも反対側で同じ体制になった。大和はやる気だった。事ここに至った以上、考えている暇はなかった。
「防水仕様にしてよかったろ? 袋、落すんじゃねえぞ。行くぞ!」
あの邪悪な意志が三人を捕まえる寸前のところだった。水流の中に入り、身をよじって位置を保とうとした。水はひどく残虐で、みんなをバラバラにして殺してしまおうとしている。穴に差し掛かって水に潜り、ついに壁の外に飛び出した。外は滝のようになっていた。冷たく速く流れ落ちる水の中で、三人はしっかりと抱き合った。一度でも離してしまったら、もう二度と会えないように思われたからだ。着水の衝撃は強烈で、意識は波と飛沫にかき消されるように遠のいていった。
「生きて……る……らしいな……」
大和は自分が海岸に打ち上げられていることに気づいた。あたりは真っ暗で、今は夜らしかった。そして、ここは見覚えがある。家の近くで、たびたび訪れている海だった。岩肌がゴツゴツとして、ねじれた松が枝を伸ばしている。懐かしい景色にほっと息をついた。
「戻ったのか……?」
体が重いのは、痛みや疲労のせいだけではなかった。両脇に二人の少女がしがみついていた。露子とAだ。
「お前ら! 生きてるか? おい!」
露子たちを浜に引っ張りあげて、横っ面を張り手で叩いてみた。
「んん……ヤマト、おはよ~」
Aの方は心配いらないらしい。初めて目にする巨大な塩水の池に目を白黒させている。露子も苦しそうにうめいて、体をくねらせながら目を覚ました。
「しき、しま、くん……あ、し、敷島君だぁ……」
「露子! 生きてたか! カメラは無事か?」
いきなり聞くことがそれとは、なんともひどいことだが、露子は誇らしげに、手にお土産がたっぷり詰まった袋を掲げた。大和は恐る恐る確認してみたが、データは生きているようだった。
「うおおおおおお! よっしゃ! 異世界写真も撮った! 『常世』の人間も連れてきた! すげえぞ! なあおい!」
露子は生きて戻れた喜びに、大和はこれからの新聞部の活動に、Aは初めて尽くしのこの世界に、それぞれ胸を打ち震わせていた。




