お姫様?
「あの壁を見て、思うんだけどよ。ここは、Aを閉じ込めておくためのもんなんじゃねえのか」
「確かに、たった一人でここにいて、他に人間もいないっていうし」
「ほら、昔のドイツだかであったろ、なんとかかんとかって……」
「なんとか……? もしかして、カスパー・ハウザーのことが言いたいの?」
「そう、それ! 地下牢でずっと監禁されて、言葉も何もわからない状態で発見されたんだろ? それじゃねえかと思うんだよ」
「でも牢獄にしては随分広くない?」
「手心ってやつだろ。どんな理由で閉じ込めたのかは知らねえが、まあどうせならいい環境でっていう勝手なこと思ったんじゃねえかな。果樹園がありゃ一応食うには困らねえだろ」
「果物だけって病気になりそう……でも閉じ込めるためっていうのはありそうな話だね」
露子は重い病気になった時を思い出して、困ったような顔をして、A本人は何が何やらわからないといった様子で、二人の前を歩いていた。
「なんとかハウザーはなんで監禁されてたんだ?」
「……正確にはわかっていないけど、元々は大公家の継承者で、何かの事情で隔離されることになったとか、そういう話が当時からあるみたい。王族の監禁といえば、たとえばルイ一六世の子供たちが革命後に監禁されて、弟のルイ・シャルルは酷い扱いを受けて死んでいったって……」
「異世界にもそんな血なまぐさい話があるのかね。おい、少女A! お前、高貴な姫君かもしれねえってよ!」
「お姫さま?」
「ああ~偉い女の子、みたいなことだよ。貴族とか、王様とか、そういうお偉いの娘ってこと」
「えらい? あたし?」
「見た目はすっげえ美人で姫様って感じだけどよ。中身の方はどうかな?」
「ヤマト、バカにしてる、気がする?」
「案外敏感なやつ!」
そう言って大和は楽しそうに笑うのだった。露子はそんな会話を聞きながら、ふとくちびるの痛みに気づいた。彼女の歯が無意識にくちびるに突き立てられていたのだ。なぜこんなことをしているのか、この胸がきゅっとなる感じは何なのか。考えたくなかった。露子は目を伏せ、大和と少女Aの後をとぼとぼとついていった。
川が落日に照り映え、せせらぎの音が心地よく流れていった。そんな川沿いを進んでいくと、その「壁のあるお家」が見えてきた。彼らがたどってきた川は、そのまま屋敷の池に引かれていた。泉は広々として、蓮の花がところ狭しと咲き乱れていた。淡桃と黄色の花が一面に広がる姿は壮麗だ。池には中島が点在して、その間を漆喰が剥げ腐りかけた橋がつないでいる。島に植えられた松は長年の風雪に耐えかねたのか、ひしぎ折られて無残な姿を晒している。誇らしげに咲く蓮と、物悲しい対比を見せていた。
池を迂回して近づいてみれば、この和風のお屋敷は往時には随分と立派だったと見える。ただ一際大きな本殿も、それに付随している建物もみな屋根は剥がれ、壁も壊れていた。
「今度は屋根なしか……まともな家はないのかよ」
大和が呆れ返ったというようにつぶやいた。露子は池や屋敷をいろいろと観察して、Aは蓮を採ろうとして、池の中に分け入っていた。水草の林に足を取られて、バランスを崩しながらも、蓮の花の香りを嗅いだり、花を手折ったりしていた。
「寝殿造りみたい……この大きいのが寝殿で、右は東対、左が釣殿……」
「それって平安時代だろ? なんで異世界にそんなのがあるんだよ」
「その頃にこの世界が生まれたのかも。とにかく入ってみよう」
「そうだな……おい! お前! 蓮なんかどうでもいいから中入るぞ!」
Aは無邪気そうに「はーい」と答えて、大和たちに駆け寄り、一行は屋敷の中に入っていった。廂に入ると開けっ放しの入り口があり、その先の廊下も床板がところどころ抜けており、進むのも一苦労する有り様だった。床板以外にはほとんど何もないと言ってよかった。屏風や几帳などの破片がばらまかれ、ただがらんどうの空間が広がっていた。




