黒い塊
何を喚こうが、虫の知ったことではない。果樹園に殺虫剤を置いてくるのではなかったと、本気で後悔した。まるであのムカデ共の弔い合戦だとでもいうように、奇怪で不気味な芋虫は一直線に大和を目指し、壁際に追い込んでいく。首筋に脂汗が流れる。明確な「敵意」を感じる。大和は露子のことを、露子から託されたカメラのことを思い出した。この異世界の生物をカメラに収めなくては、露子に対して申し訳ないような気がして、一回だけシャッターを押した。
「よし! 逃げれる!」
そして、自分に言い聞かせるように叫んで、駆けだした。ともかく露子たちのところに戻らなくては、あの虫は何かやばい。芋虫状のものが大嫌いというだけではない。とにかく直感のようなものがそう言っているのだ。
「露子! 露子! やべえ! やべえぞ!」
露子は森の中から大和の声を聞いた。足の速い大和のこと、二人の元へはすぐに辿り着いた。露子は面食らって目を白黒させる。Aも首をかしげて息を切らせている大和を見つめた。大和は後ろを振り返り、バケモノ虫がついてきていないことを確認すると、露子の目の前で立ち止まった。
「ど、どうしたの?」
怯えた小動物みたいに、草原に座ったまま大和を見上げた。
「と、とに……とにかく! この写真を、見てくれ!」
デジカメを露子に突き出して、大和は大地に身を投げだした。走るのは得意だが、慌てふためきながら全力疾走は身に堪えた。
「これは黒ずんでてよくわからないけど……虫……?」
「んあ? 撮りそこねたか?」
大和は寝そべりながら、上体を起こして、露子と一緒に画面を覗きこんだ。露子は急に大和の顔が近づいたので、どきりとして体を少しそらした。
「こりゃなんだ……? ハッキリ写ってねえ。俺のミスか?」
液晶の中の虫は、薄靄がかかったようにハッキリとしないものだった。黒ずんだ影が、ぼやっと点在している。
「でも、石とか地面にはピント合ってるし、もともとこういう『何か』だったんじゃ……」
「いや! そんなはずはねえよ! もっとハッキリしてて、キモかったぜ!」
大和が不満そうに反論した。露子もこれが何か確かなことは何も言えないので、黙るしかなかなかった。脳みそを回転させても、この黒いモヤの正体は杳として知れない。
「こんな黒い塊、おかしいよね……」
「なあ、おい、お前、これ、知らねえか?」
やはり現地人に聞いてみるしかあるまい。大和は露子からカメラを取って、画面を少女Aに見せた。少女はひどく驚いたように、カメラをひったくって、食い入るようにそのモヤの大群を見つめた。極寒の地にいるみたいに、ガタガタと震えている。
「うねうね……うねうねだ! うねうねだ! うねうねだ!」
「何ぃ? うねうねぇ? なんかクネクネみてえだなぁ!」
クネクネというのは最近ネットで有名になっている都市伝説だ。田んぼなどで、クネクネと動く白い「何か」……。その正体を知った者は発狂するとされる。そして、少女は狂ったように「うねうね」という奇妙な言葉を繰り返している。
「な、なんだ……? マジに都市伝説のクネクネなのか!?」
「し、敷島君、これまずいよ。ねえ、Aさん、大丈夫ですか? ねえ……ねえ……」
露子はひどく心細そうに、彼女の肩を揺さぶった。もはや震えるというよりも、ヘッドバンギングするみたいになっているA。露子は恐ろしくて仕方がなかった。変な世界にきて、そして、今度は都市伝説が現実になったかのような事態だ。混乱して、言葉を繰り返すしかできなかった。
「ここでコイツに発狂されちゃッ! 困るんだよッ! うらぁ!」
なんと大和は少女Aの頬を思いっきり引っ叩いた。少女の繊細なガラスのような体がふっとばされて、地べたに倒れこんでしまった。露子も唖然として、そのままぺたんとへたり込んだ。
「きつけだよ! 食え!」
そこら辺に落ちていた、食べさしの桃の実を拾って、Aの口に突っ込んだ。桃の実には魔を払う力があるとかいう伝説を、以前に露子から聞いたことがあったからだ。
「うねい……うまい!」
「お、やったぜ! 大丈夫か?」
「あ、あ……!」
安心したのはつかのま、Aは草原に投げ出されたカメラを再びつかんで、破壊しようというように、ゆさゆさやっている。
「う、う、うねってるのは、ワルモノ、ワルモノだからだから。逃げて、逃げてヤマト、ツユコ! うねうねがくる、くるまえに!」
「逃げるったって!」
そのうねうね虫がどこにいるのか、どこが安全なのか、さっぱりわからないのだ。
「Aさん、お家があるっていってましたよね? 案内してくれませんか?」
「家だぁ? よ、よし、とにかくそこ行こう! おい立て!」
少女を無理に引き起こして、カメラをひったくり露子に返した。大和は草の上にばらまかれた木の実を残しておくのが惜しくて、ビニール袋に詰め込めるだけ詰め込んだ。そして、再び少女Aを先頭にして果樹園を小走りに抜けていった。




