天国と地獄と浄玻璃の鏡
「なんにせよ、ここにいたんじゃどうしようもねえだろ」
「敷島君は……不安じゃないの? あの変な光……私たちどうなったのか、わからないんだよ。ここはどこなのか、なんなのか、まったくわからないんだよ!」
さっきから大和は、ちっとも怖がったり混乱したりしているように見えない。露子は恐ろしい出来事に肝をつぶしているというのに。大和はそんな露子に対して、彼なりに優しげに声をかけた。
「少なくとも地獄には見えねえよ。だったら死んじゃいないだろ。生きてるならなんとかなるさ」
「自分のこと、地獄行きだって思うの?」
露子はくすっと吹き出して大和をからかった。大和はいかにもきまりが悪いという風に、近くで鮮やかでふかふかの黄色を揺らすヤエヤマブキのこんもりとしたヤブに目をそらした。
「まあ……いろいろ迷惑かけてきたしな。お前だって……」
「私ね、敷島君は天国に行けると思うよ」
「俺が……? お前、いつから閻魔様になったんだ?」
大和が似合いもしない自嘲を浮かべると、露子は手にしたカメラで彼の顔をパシャリとやった。露子に尋ねる彼の眉は歪んで、ちょっぴりおかしかった。
「浄玻璃の鏡……」
すべったギャグの解説をするかのように、恥ずかしそうに頬を赤らめ、大和を上目づかいに見上げた。
「鏡じゃなくってカメラだろ! それに無駄なもん撮ってんじゃねえよ! もっと他にあるだろ?」
露子は苦笑いを浮かべながら、言い訳みたいに輝く花々を撮った。心地よい風と美しい花畑。確かにここは天国みたいなところと錯覚しそうになる。
「うーん、ホントにあの世だったら困るなぁ。記事作れねえし……」
大和も少しばかり不安になってしまった。しかし、露子には自分と大和は死んではないという確信があった。
「大丈夫だよ。だって、私はきっと天国にいけないから。地獄行き。だから、天国の敷島君とは、会えないの」
「何言ってんだよ。大体天国ってなんだ? お前、キリスト教徒か?」
目の前には、緑色の壮大な海が、蒼穹の下で輝いていた。大和は手を広げ、この世界に差し伸ばす。彼は興奮にたぎる脳細胞をぐるぐる動かして、この広大な庭園について思考をめぐらせた。
「この世界を見ろよ! ここがマジに死の国なら、もっと大量の死人がいるはずだぜ。ゾンビ映画みたいによ。だって、今まで死んだ人間の数を考えろよ。何千億じゃきかねえぞ」
その思考の結果導き出された鮮やかな考察を露子に聞かせてやった。それから、くるくると体を回して、あたりを見渡して、さらに続ける。
「そんなことより、あの光、異界の接点だったのかもしれねえ。ほら、あんだろ? 違う次元とかさ」
「パラレルワールドとかそういうこと? 確かにあの遺跡、変な光の玉……ないとはいえないけど……」
「異世界の調査だよ! こんなこと他の新聞部でやってるか? そのカメラでバッチリ証拠収めてよぉ! 世に問うんだよ! この不思議をなぁ!」
「まだ異世界って決まったわけじゃ……」
「それもそうだがな。とにかく! これは超常現象だろうよ。なんだって俺らはこんなとこにいるんだ? 説明がつかねえだろ! とにかく調べなきゃな!」
「うん、そうだね」
露子は半ば呆れたように、それでいて嬉しそうに大和に言葉を返した。隣で喚いている男の元気が少し乗り移ったみたいだ。
「よぉし! そう来なくっちゃさ、新聞部じゃねえもんな! 異界の捜索開始だよ! 何が出てきやがるか! 盛り上がってきたぜ!」
何が新聞部ではないのか、よくわからなかったが、露子は大和に従うことにしていた。露子もこの美しい庭に、ときめきを覚えないでもなかった。しかし、真実先輩だったらもっと混乱して、涙を流して慌てふためき、大変だったろうなと頭の隅っこで思った。
そんな露子の考えはつゆ知らず、大和は手を差し出して、再び露子を起こした。野菊の白く可憐な花を踏まないように、慎重に歩きながら、川の上流を目指してみることにした。とにかく森を抜ければ、何かあるかもしれない。森はさほど深くはなく、光をよく通し、森林浴でもしているみたいな気になるほどだ。足元には、ノイバラやハコベの白が緑色の絨毯にくっきりとした模様を描き出している。紫色のスミレ、黄色のハハコグサ、白いアセビ、山百合の複雑な色合い……花のタペストリーが世界に織り込まれているのだ。