廃園
頬をなでる心地よい風に、大和は目を覚ました。穴蔵の中にしては随分と空気がおいしい。いつのまにか、彼らは草原にいるらしかった。しっとりとした青草の感触が全身に感じられる。ここに来る前は、火の燃えるようだった空は、真夏の朝顔よりも青く澄み、真っ白な綿雲がぷかぷかとのんきそうに浮かんでいた。
「露子! 露子! 大丈夫か? おい!」
大和が露子を何度か揺さぶると、彼女はのそのそとまぶたを開いた。
「んん……ここは……? どこ!? なにこれ!?」
「ワープしたんだろうよ! このわけわかんねえ原っぱによ!」
「わ、ワープ!? なんで? どうして!」
「んなの知るか!」
大和は怒鳴りながらも露子の手をとって立たせ、大きな手振りであたりを見渡すよう促した。森に囲まれた小さな草原だった。
「見ろ、携帯も圏外、当然ネットも通じねえ。こりゃ、神隠しってやつかもしれねえなぁ」
大和はスマホの画面を印籠みたいにして露子の目の前に突き出した。露子はまだわけがわからず、丸い目をぱちくりさせながら、その画面を見ることしかできなかった。レンチで頭を殴られたみたいに混乱して、何が何やらわからない。なぜ洞窟にいたはずの自分たちが、草原にいるのか。その草原は一体どこなのか。
「見ろよ! 奇麗なとこじゃねえか!」
大きな翡翠の上に立っている気がするほど、その緑は鮮やかだった。その上で黄色、白、桃色、大小様々な花が勝ち誇るようにその美を披露していた。彼らは、風と共に揺れては胸がすくような香りを二人に送ってくれた。
またすぐ脇には、清澄な小川がせせらぎ、葦が寄り添うように生えていた。この草原は放置された庭園のようでもあった。花があまりにも咲き乱れていたから。石仏か道祖神のような石像が、引き倒されて寂しげな横顔を見せている。この小さな平原にぽつぽつと横たわる石像は、みな苔に侵食されて、草にその身を隠し、過ぎ去った時の長さを物語っていた。
「池もあるなぁ。ガキの頃行った新宿御苑みてえだ! 花いっぱい! ここからの出来事は! すべてカメラに収めとけよ! すべてだ! いいな!」
謎の古代遺跡、謎の光、謎の廃園……大和は怪奇実話ファンとして、すっかりこの状況に酩酊したようで、大声を張り上げてまくし立てたのだ。
「しゃ、写真って……こんな時に……」
「今撮んなかったらいつ撮るんだ! 帰ったら! 記事にするんだからよ!」
「あの、敷島君……待って……どうやって帰るの?」
ひかえめな露子も言わずにはいられなかった。異様な光球に吸い込まれ、ここがどこかもわからない。もしかしたら二度と帰れないかもしれないのだ。彼女は眼鏡の奥の愛らしい瞳をうるうるさせて、まっすぐに大和を見つめた。さすがの彼もたじろいで、押し黙ってしまった。
「帰る……? ああ、そうか。まあ……そうだよな。うーん、なんとかなんじゃねえの?」
露子は怒ったように、再び地べたに座り込んで、草原を囲む森をじっと見つめた。それから、カメラの土を払って、黙って草原と森の写真を一枚撮った。