常世の国へ
しばらく煙が収まるのを待って、暗い洞窟と向き合った。奇麗な直線で縁取られた闇は、確かに人工物に見える。あたりに散らばる虫の死骸に、大和は少したじろいでいた。
「……こんなの映画であったよな」
「部室で一緒に見たよね。あれ……インディ・ジョーンズ?」
「きっとアークか聖杯が見つかるぜ。ちゃんちゃらっちゃーんちゃんちゃちゃーん♪」
「それって2にはでてこない……」
露子の言葉は無視して、鼓舞するように鼻歌を口ずさむ。中に生き残りがいるかもしれないので、大きなビニール袋にスプレー缶を入れて持っていった。大和たちはライトを付けて、狭苦しい洞窟へ切り込んでいった。岩盤を繰り抜いたと思しき内部は狭かった。しかし、大和は男性としては小柄で、露子も百五十センチに満たないので、比較的楽に移動できる。足を踏み出すたびに、虫の死骸を踏まねばならないのは苦痛だったが、死んでいるなら多少は我慢がきく。意に介してはいられない。
「文様だな……こういうのって古墳にあるんだろ? 九州とか、奈良とか……」
壁面に光を当てると、曲線が幾何学的に入り組んで、神秘的な文様を作り出していた。大和は壁に手を当てて、その奇妙にねじ曲がった線をなぞった。
「この模様、どっかで見たことあんだよなぁ。どこだ……? にしても結構長いな。どこに続いてんだこの道」
「装飾古墳……? 九州の竹原古墳とか、奈良の高松塚古墳とか、写真で見たことはあるけど……この先に玄室、死者を埋葬する空間があるのかな……」
「古墳ってことは、この山って盛り土でできてんのか?」
「ここは……多分もともとあった山に手を加えたんだと思う。山の形に人工的な匂いがしないから……」
「時代はいつくらいだってにらんでる?」
「そうだね……先生に見せてもらった欠片、赤茶けていて、本で見た縄文
土器に似ていたし……古墳時代のものと一概に言えないかな。このあたりには、二万年前、旧石器時代から人が住み始めて、古い貝塚もあるよね。私も縄文、弥生、古墳の土器の詳しい識別は知らないし、帰ったらもっと研究しないと……」
大和は耳だけ後ろに合わせて、露子の言葉を聞いていた。こういう知識系は露子に任せておいた方がいいと知っていた。クラスで見るより、今の彼女は生き生きしている。数少ない友達とすべての趣味が合うとは限らない。いつもはこういう話を思い切りしゃべったりできないのだろう。童話や恋愛の話だったら、よくしているのであるが。でも大和が新聞作りに役立つからといって、再三求めてきたから、彼と真実には遠慮なく話せるようになっていた。
「玄室の前に閉塞石っていって……とにかく塞がれているかもしれないから、気をつけて進んで」
「おう! 慎重にな、お前も転ぶなよ!」
大和は威勢よく返事をして、注意深く頭の電灯を前の床や闇に差し向けながら、少しずつ進んでいった。そして、数十分もの時間が過ぎていった。闇はひたすらに続き、際限なく洞窟の奥底から湧き上がるようだった。
「ここは昔の豪族とかの墓なのか?」
「それを知るためには、まず奥まで行かないと。お墓なら、石室に石棺があるかも。でも埋葬のためじゃなくって、他の目的のために掘られた穴かもしれない。それにあの文様……詳しいことはなんとも言えないけど、少なくとも旧海軍の弾薬庫みたいな、新しいものじゃないよね」
「旧日本軍じゃあちょっと、古代ロマンがねえなぁ。隠し財宝でもありゃ別だけどよ。M資金みてえな……」
「お墓じゃないとしたら、なんだろう……モニュメントならもっとわかりやすくするだろし、何かを封じ込めるため……とか?」
曖昧な言い方だが、好奇心を刺激される。大和は面白そうにうなずいていた。
「『封じ込める』ってのは穏やかじゃねえな。バケモノでもいるのかな? そしたらとっ捕まえて、飼育小屋でも作って見せもんにするか」
「ば、バケモノって……敷島君は、もう……」
体つきと同じく小さくて可愛らしい口をすぼめて、呆れたように言うのだった。
「古代のバケモン捕獲したらよ、一気に俺らも有名になっちゃうぜ。手記とか出して儲けてさ、別荘とかいろいろ買っちゃおうぜ。世界一周旅行とかな! そうそう、ゴリラとかってわりかし最近見つかったんだろ? UMAでも妖怪でも……そういう奴らがいると思うんだよ。モスマンとかネッシーとかもそうだろ? ただまあ、UMAでいえばモンゴリアンデスワームみてえなキモいのは……」
別荘だの、世界一周だの、金の使い道に関する発想が貧困なことである。大和はいかにも楽しそうに夢みたいなことをペラペラとしゃべっている。露子はそんな大和に苦笑いを浮かべなからも、少し楽しくて、とてとてと彼の後をついていった。有名になってみんなからちやほやされたりするのは、恥ずかしくってそんなこと考えるのだって嫌だけれど、ちょっぴり期待してしまう露子もいた。
そんな時間が、しばらく過ぎた。いつまでたっても玄室に着く気配はない。ただ入り口を遠く離れ、闇が濃さを増すばかりである。
「いくらなんでも長過ぎねえか……」
大和がしびれを切らしたように、つぶやいた。露子は怯えるように彼の袖をつかんでいた。二人して首を振りあたりを見ると、光の筋がきらきらと闇にひらめいた。
「なんだ? 何も見えねえ! 文様もだ……! いつの間に……」
いつしかすべてが暗黒に押し潰されていた。電灯が照らす互いの顔以外に見えるものはない。
「なに……これ……」
露子は呆然とかすれた声を出した。異様な状況にそうするのが精一杯だった。そして大和の袖を握った指に力を込めた。それが彼にも伝わる。大和は露子の手を取り、こう言った。
「何かわからねえが、突っ立っててもしょうがねえよなぁ」
「で、でも……」
「俺の顔を見ろ!」
握り合った手を顔のところにかざした。光が二人の視線と重なる。大和の顔がくまなく見えた。青白く、整った瓜実顔、凛々しい双眸が暗闇に浮かんだ。露子の恐怖の中に、小さな喜びが灯る。
「手を離すなよ! 俺も離さねえから!」
二人の頭上のライトが折り重なり、まっすぐに暗闇を切り裂いた。彼らはしっかりと手を繋いだまま、ゆっくりと進んでいった。汗ばんだ手の感触だけが確かだった。目を凝らして、先を見ると、うっすらとした光が目に飛び込んできた。大和は「光だ!」と叫んで、歩を早めた。山を貫いて向こう側に出られるのだろうか。二人はそのちっぽけな白いきらめきだけをよすがにして、この黒い絵の具をぶちまけたような世界を進んでいった。
そして光に辿り着いた。それは出口でも玄室でもなく、ただの光だった。人間の顔くらいの大きさの光の玉が、ゆらゆらと揺れ動いて、誘っているような妖しさがある。
「露子……写真撮れ! 春の特別号の目玉だ! マジモンの怪奇現象じゃねえか! これ面白えわ!」
得体の知れない、異様な「何か」に怯むことなく快哉を叫んだ。露子は彼ほどには恐れ知らずではなく、ひかえめな撮影の音が闇に吸い込まれていった。大和はそれを聞いて、意を決してその光球に手を差し出した。瞬間、膨れ上がった風船のように、光が弾けた。目を開けていられないほどの、白い輝き。二人の体はかき消えるように見えなくなった。