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ファンタジーもの

オレンジ色に染まった狼さん

作者: 花ゆき

 仕事帰りの電車に揺られ、いつの間にか寝ていたようだ。今も身体が定期的に揺れている。心地よい揺れだった。まだ、自宅のある終点まで着かないのだろうか。力強い腕を背に感じ、頬にふわふわしたものが当たる。何かおかしいと感じたが、眠気には勝てなかった。意識がまた沈んでいく。



 起きたら、見知らぬ部屋にいた。木で作られた、ログハウスのような家だった。私は電車に乗っていたはずだが、一体どうしたのだろう。周囲を見渡せば、亀がのそのそと歩いていた。大きい。亀は私を見て、起きたのかと言った。亀が話すなんて、私は頭がおかしくなったのだろうか。そんな私の動揺を気にもせず、亀はここが様々な獣人が集まる集落だと説明してくれた。


「私の知る日本には、獣人なんていないけど」

「ふむ。にほんは地名かの? 二百年生きておるが、知らん地名だのぉ」

「でも、言葉が通じてるのはどうして」

「お前さんがつがいに引き寄せられて、この世界に迷い込んだのかもしれん。異世界からの迷い子はたまにあるんじゃ」

「えっ? 私は元の場所に帰れるの?」

「前例はないのぅ」


 思わず石化していると、勢いよくドアが開いて、狼のような二足歩行の獣人が入ってきた。ライトブラウンの体毛をしており、目は灰色をしていた。瞳が明るく澄んでいて、視線が引き寄せられる。しかし、狼の獣人はどうやらガサツらしい。彼が乱暴に開けたドアからミシッと軋んだ音がしており、足音はずしずしとうるさかった。


「亀爺! 俺が拾った人間、目覚めたか!?」

「これ、レオナード。静かにしなさい」


 彼は亀爺さんの言葉を気にかけず、私にキラキラとした目で近づいてきた。


「俺、初めて人間見た。ひょろっとしているんだな。なぁ、名前は? 雌か? お前、いい匂いするな!」


 それが、好奇心丸出しで近寄ってくる人懐っこい犬のようで、なんだか笑ってしまった。それを目にした彼に変化が訪れる。ブワッと全身の毛が逆立ち、白色だった胸元の毛が見る見るうちにオレンジ色に染まっていった。綺麗で、美味しそうな色をしている。思わず見とれてしまった。


「なんと、変色の瞬間を見るとは思わなんだのう。しかし、この世界に来たばかりの娘に発情期の獣人の相手は少々荷が重いとしか思えん。気をつけなさい」

「亀爺、話すな! 俺のつがいだ」

「つがいを見つけた獣人は嫉妬深い。わしはこれで退散するとしよう」


 亀爺さんが家を出て行った。つまり、ここは狼の獣人の家ということだろうか。彼は先程から鼻息が荒く、気づいた時には押し倒されていた。服をビリビリと破られて脱がされたことで、貞操の危機が頭によぎる。思わず急所を蹴り上げ、脱出した。彼はきゅいんと鳴いて、股をおさえながらしっぽを足の間にたらして悶絶する。相当痛かったらしい。


「つがいなら、つがうのが当たり前じゃないのか」

「そこにおすわりしなさい!」


 彼に正座をさせ、性交はお互いの気持ちが大事で、無理矢理はよくないのだと説き伏せる。彼は反省したかのように、小さく縮こまった。よかった。私の言葉をちゃんと聞いてくれた。ありがとうと彼の頭を撫でて、微笑む。


「私とつがいになりたいのなら、口説き落としてからかな」

「好きだ! つがいになってくれ!」

「そんな簡単に落ちるわけないじゃない」

「俺はお前の笑顔で落ちた!」


 なんという真っ直ぐな人なのだろうか。思わず照れた。


「えっとね、私達まだ知らないことが多すぎると思うの。私は高崎千夏。人間で女。今まで事務やってたわ」

「たかさきちなつ? 長い名前だな」

「家名が高崎で、名前は千夏よ」

「そうか。チナツ、よろしくな! 俺はレオナード。狼の獣人だ。これからお互いのこと知っていこう」


 にぱっと笑う姿は、大型犬がしっぽをふっているかのようで、つい頭を撫で撫でしてしまう。彼はそれをじっと受け入れて、私を見つめている。熱い目をしていた。思わず手を引っ込めると、手首を掴まれてまた頭にのせられる。


「チナツに撫でられるの好きだ」


 狼の獣人なのに可愛い。思わず頭と頬もわしゃわしゃと撫でると、彼はくすぐったいなと受け身で笑っていた。もっと触れたくなって、彼の膝の上に乗り、脇をこちょこちょくすぐる。脇腹をくすぐられるとさすがにこそばいのか、身をよじって抵抗する。


「やめろっ、くすぐったいから」


 そう言いながらも振り払わず、鋭い爪で傷つけないように手を丸めてくれていることに気づく。そんな彼の思いやりに、思わずきゅんとしてしまう。彼だから、甘えてみたくなった。


 触ってみたいと思っていたしっぽに手を伸ばす。彼はびくっとしたが、触れさせてくれた。少し根本は堅い手触りだが、先の方ほど柔らかい手触りになっている。このふわふわな感触が癒される。そして、気になっていた胸元のオレンジ色の毛に触れる。胸元の毛は柔らかく、微かにいい香りがする。まるでオレンジのような柑橘系の香りがして、顔をうずめて、もふもふした感触を堪能する。なでなでを繰り返していると、上から彼の焦った声がした。


「襲っちゃいたい……。いや駄目だ。チナツを大事にしたい」


 プルプル震えるほど我慢している姿に心動かされて、耳にちゅっとお礼のキスをする。その瞬間、彼の毛がブワッと毛羽立つ。


「お前、今のっ! 意味知ってるのか!?」

「え? 何が?」

「あぁ、もう限界だ!」


 ベッドに飛び込み、彼は毛布で身体を全て覆う。身を縮めてプルプルとしている。息は荒く、顔色もどこか赤い。熱があるみたいだ。


「大丈夫? 熱?」


 彼は小さく頭を振った。チナツが近づくことで、レオナードの身体の神経や細胞がざわついて求める。本能の声が彼に押し倒せ、雌を己のものにしろと囁く。そんな声を理性で抑えているため、頭がふらついて仕方ない。内心、無防備に近づく彼女に毒づくしかない。滝汗が止まらない。彼女を押さえつけて、肢体の感触を知りたい。彼女の味を知りたい。そんな衝動を抑えるために沈黙した彼を、彼女は更に心配する。


「あの、大丈夫?」


 甘い香りが鼻腔を刺激した。身体の体温がかっと上昇する。彼女を組み伏せたい衝動を抑え込むために、壁に頭ぶつけて耐えた。痛みで性欲が散らされる。


「チナツ。その、発情期だからよ……むやみに触られるとヤバいんだ。しばらく一人にしてくれ」

「えっ、あっ、そのっ、ごめん!」


 聡い彼女のことだ。きっと自分の身体がどういう状況か気づいてしまっただろう。火照る身体を冷ましたくて、シーツに身体を埋める。そして、チナツの香りがすることに気づいた。そういえば、森で気を失っていた彼女を拾って、このベッドで寝かせていたんだった。治まるはずの熱が、またカッと熱くなったような気がした。



****



 私は彼に触られることが嫌いじゃない。優しい手つきに愛情を感じて、むしろ好きな方だ。彼がいるから、私は異世界でも寂しくない。異世界での孤独に震える日もある。そんな日は私を膝に乗せて、抱きしめてくれる。彼の腕に包まれることが、いつしか当たり前になっていた。


 最近、レオナードは甘噛みしてくるようになっていた。手や首を甘噛みされるが、彼の好きにさせている。お腹空いてるのかな? 今日は夕飯早くしようかなと考えていた時、耳を甘噛みしたレオナードが突然声を上げた。耳元で大きな声を出されて、思わず顔をしかめる。


「チナツ、つがいがいるのか!?」

「いないわよ。いたらとっくにレオナードを振ってる」

「なら、どうして耳飾りしてるんだ」


 何が不服なのか、レオナードはグルグルと唸る。


「外せ!」

「嫌! ファッションなんだから!」

「俺の色を変えたのにか。ふぁっしょんとは何だ」

「うるさい! これは私の世界ではおしゃれなの!」


 耳飾りを外してみせると、彼はううっと威嚇するように唸る。花モチーフの耳飾りで、私の好きなオレンジ色だ。それが彼の眼前で揺れる。


「気に入らない」

「何、惚れた女のお洒落にまで口出しするの」

「……飾りたいなら俺が贈る。だから選べ」


 急遽、宝石店に連れて行かれる。そして灰色の宝石の耳飾りを勧められた。隣に立つレオナードを見ると、宝石と同じ色の瞳で私を優しく見ている。そんな、彼と同じ色の耳飾りが特別に思えた。


「この耳飾り、なんだか恥ずかしい。レオナードの色と一緒だね」

「当たり前だろう。俺達からすれば、耳飾りはつがいの証。相手の瞳の色を耳に飾り、ずっと一緒だと示すものだからな」


 彼の真剣な眼差しに、嘘じゃないと分かる。むしろ情熱すら感じた。そんな視線を受けて、顔が熱い。慌てて逃げるように店を出た。



 気に入っていた耳飾りだけれど、彼の話を聞いてからは、なんだかつけるのをためらう。私にはつがいなんていないし、それにレオナードが気を悪くするなら、つける必要なんてない。気に入っていた耳飾りをなんとなく眺めていると、耳も甘噛みされたことを思い出す。そしてふと、耳への甘噛みの意味に思い当たった。耳飾りを飾るべき場所への甘噛みは、もしかすると……。身体がかぁっと熱くなった。私はもう、彼の耳への甘噛みに平然としていられない。そんな予感がした。




 案の定、彼の耳への甘噛みに頬が赤くなってしまう。彼は私が耳飾りをしていないことにご機嫌らしく、後ろから抱えるように抱きしめ、何度も甘噛みしてくる。彼の牙が耳に触れる度、身体がどうにかなりそうだった。


「やめて」

「どうした?」

「耳、噛むのやめて。……恥ずかしいのよ。なんだか、プロポーズされているみたいで」


 きっと今、後ろから抱きしめている彼からは、耳まで赤くなっているのが見えているだろう。しかし、彼は分からないと小さく呟いた。きっと、後ろでこてんと頭をかしげているだろう。私が「え?」と先を促すと、彼はおずおずと質問してきた。


「ぷろぽーずとは何だ」

「その、結婚してくれっていう意味」

「そうか。合ってるぞ」

「ええ!?」


 半ばそうではないかと予想していたが、本人から言われるとドキドキしてしまう。彼は私を向かい合わせに抱きかかえ、改めて左耳を甘噛みした。彼の灰の瞳が優しく細められる。


「好きだ。俺のつがいになってくれ」


 降参だった。彼は見事に私を口説き落としたのだ。この一人きりの異世界で、彼がいなければ、私は私らしくあれなかった。こみ上げる愛しさに目が潤む。


「レオナード、好きだよ。お嫁さんにしてくれる?」

「ああ。……なぁ、耳噛んでくれないか?」

「どうして?」

「耳に甘噛み返すことで、受け入れたって意味になるんだ。耳へのキスはそれから転じて、愛を伝える意味になる」


 あの時の、彼の過剰反応の意味がようやく分かった。彼が望むのならと、左耳に甘噛みする。彼は喜びをかみしめるように私を強く抱きしめた。


「これ、チナツの耳につけていいか?」


 先日宝石店で見た、灰色の耳飾りが彼の手にあった。いつの間に買ったのだろうか。


「これを見ていると、チナツにつけたくてどうしょうもなくて。気がついたら買ってた。俺の色、よく似合ってる」


 私の耳元で揺れる灰を、彼は満足そうに見つめた。そして私に焦げ茶色の耳飾りを渡して、私がつけやすいように屈んでくれた。彼の両耳に私の瞳の色が飾られた。ここはいつも暮らしている彼の家で、特別な祭壇でもないのに、神聖な儀式のように感じた。彼の一部分として私の色があることが、なんだか照れくさい。その気持ちに素直に従って、焦げ茶色の耳飾りが飾られた耳にキスをした。彼は喜びにしっぽを揺らして、私の耳にキスを返す。笑い合って、胸に甘い感覚が広がった。



 それから数日後、レオナードのために料理の支度をしていると、大通りから楽しそうな声が聞こえてきた。どうやら片方はレオナードの声だ。友人と話しているらしい。耳を澄ませてみる。


「ようやくお前にも発情期がきたか」

「うるせぇ。お前こそ、オレンジとは可愛い色してるじゃねぇか」

「嫁さんとお揃いの色なんだよ。同じ色だねって、嫁さんがお揃いのミサンガつくってくれたんだ。羨ましいだろ」


 この前、オレンジ色のミサンガを作ってプレゼントしたのだが、お揃いで気に入ったらしい。友人にも自慢しているようだった。


「ハン、俺なんて彼女の故郷の木と同じ色だぞ。懐かしがって、よく撫でてくれるんだ」

「おま……! 羨ましくなんてないからな! 今日帰ったら嫁さんに撫でてもらおうなんて思ってないからな!?」


 レオナードの羨ましそうな声に、家に帰ってきての一声は胸元の毛を撫でてくれだろうなと予想する。思わずクスクスと笑いながら鍋を煮詰めた。彼特有のドシドシとした足音が近づいてくる。ドアが乱暴に開けられた。


「チナツ! 胸元撫でてくれ!」

「はいはい。まずはドア閉めてからね」


 夕飯は遅くなりそうだと考えながら、彼の柔らかな胸元の毛を撫でる。段々彼の鼻息が荒くなって、クウンとねだるような鳴き声がした。彼の灰色の目をのぞき込むと、その瞳は情欲に濡れていた。私の耳をなぞって、私の様子をうかがう。彼が耳をなぞる時はどういう意味か、これまでの生活で分かっている。熱くなった身体を隠すように離れて、「夕飯よ」と声をかけた。そんな私を逃がさないのは彼の手だ。彼の腕に包み込まれ、抵抗する気力を失う。こうなれば私は彼の獲物でしかない。私は彼のオレンジ色をした胸元の毛に顔をうずめた。


――狼の獣人は胸元の白い毛を、つがいを誘惑するため、つがいの好きな色に変える。


 それを知ってから、オレンジ色が愛しい。私は彼に身を任せるように、瞳を閉じた。


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