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第一話

 体育館にボールの弾む音が反響する。いくつものシューズが軽快な音をかき鳴らしていた。そして全てを包み込むかのようにして湧き起こる歓声。


 荒い息が漏れた。


 私が手を伸ばした先で、黄色いユニフォームを着た少女がフェイント混じりのレイアップを決める。ボールはしゅるりとゴールネットを揺らすと、背の高いセンターポジションの少女に拾われた。彼女はもたもたするなと言いたげに、すぐさまゴール下からプレーを再開させた。


 やられた。最悪。


 私は唇を噛んだ。汗の味。濡れた髪がこめかみにかかってひどく鬱陶しい。熱く上気した肌から湯気が出そうだ。


 ちらりと電光掲示板に目をやる。残りの試合時間は40秒と少し。今、2点差で負けている。リスクを背負ってでも攻めないといけない。


 私は素早くフィールドに目をやった。センターポジションのチームメイトが二人、相手のマーカーを引き連れながら敵陣へ向かっている。それとは別に、もとから高い位置にいた俊足のフォワードがライン際を走っていた。相手のガードの子が追いすがろうとするけれど、出足の違いで少し遅れる。


 チャンスだ。けれど2秒もあれば、あの子の走りは無駄になってしまう。その前にパスを!


 ボールを受け取ったガードの小柄な少女が顔を上げる。彼女に身を寄せるようとする相手が一人。まだパスができないほどのプレッシャーは受けていない。それを見て取った彼女は、自分が何をすればいいのか、ちゃんと理解しているはず。けれど、その挙動にわずかな緊張があった。


 まさか、この状況にビビってる?


 やばい。そう思って、パンパンと手を叩きパスを要求する。幸い、自陣の深い位置にいた私にプレッシャーはほとんどない。それでも、近くにいた相手がすぐに反応して距離を詰めてくる。


 彼女はワンバウンドのパスを選択した。受け手に優しい柔らかなパス。私は低く地面滑るかようにジャンプしながら、空中でボールをキャッチした。キュッと音を鳴らして着地した時にはすでに顔を上げ体勢を整えていた。


 私の目は敵陣のゴール、そしてライン際から猛烈な勢いでゴール下へと侵入するフォワードの少女を捉えていた。そこに見えたパスコース。


 ぞくりと、背筋から耳の後ろに痺れが駆け抜ける。ある予感が私の体を支配した。

 

 通る。


 その感覚に身を任せ、ボールをもつ右手を振るった。


 ずしりと、足から腕へ重たい力が突き抜けていく。その感覚が気持ちいい。ボールを放つとき、気合いの叫び声が出た。それも気にならない。全身から汗が飛び散るような感覚。そして脱力感が満ち、私に重力を忘れさせる。


 ボールは相手の手を寄せつけずに敵陣深くまで突き進む。ただ一直線に、スピードを失わず、相手のゴール下に向かって飛び抜けた。キラーパスだ。決して優しくはない弾道を描いた。


 そこに勢い良く飛び込むフォワードの少女がいた。


 彼女は恐れることなく腕を伸ばし、その手にボールを収めると、バシリと力強くドリブルをした。そしてボールを両手にがっしり保持すると、一歩目を踏み込む。ギュムと、シューズが床をこする音。キレのある動きで二歩目。そうしてゴールの真下で鋭くV字の軌道を描くと、彼女は跳んだ。

 

 追いすがる相手の選手を置き去りに、伸び上がる身体。しなやかな腕と柔らかな指先。首をそらしゴールを仰ぎ見る彼女は、背中越しにシュートを放った。

 

 私には最高点に達した瞬間の彼女が空中で止まっているように見えた。野性味のあるシュートフォームは惚れ惚れするほど美しい。


 次の瞬間、ボールはゴールに吸い込まれていた。


 私は興奮のままに叫んで拳を握った。


 そのまま声を張り上げて「切り替え! ディフェンス集中!」と叫び、さらに手を叩きながら味方を鼓舞した。同点だけど間違いなく試合の流れはうちに来ている。


 速攻を決められた相手は、先ほどまで自分自身がマークしていたはずの敵がすぐ隣にいる状況だ。相手の陣内にいるのは、ガードの少女が一人。その子の前で、ゴールを決めた少女が手と体でパスコースを限定していた。


 ベンチからチームメイトが残り時間を叫んで伝える。あと30秒。守備に奔走して電光掲示板を見る余裕はない。もう一度、私たちに攻撃のチャンスがあるはず。そのまま押し込めばいい。同点狙いなんてありえない。再び「ディフェンス集中!」と呼びかけた。


 相手の選手が2人急いで自陣に戻ろうとする。それに応じて私とガードの少女がマークにつく。私は軽くプレッシャーをかける程度に距離をとっていたが、ガードの少女は腰を深く落として密着していた。


 私はあえてリラックスして腕を伸ばし、パスの出し手とマークにつく少女をそれぞれ指差す。マークにつく少女には、指先で追いかけながら意識を向ける程度に留めて、パスの出し手をじっくりと不敵なほど余裕をもって見つめる。一度彼女と視線が交わってすぐ外された。


 さあ、どうする? このチームでのインターセプト成功率は、私が一番だ。それをこの子は知っている。プレッシャーが弱いからと無警戒に近づく味方の姿はとても頼りなく見えるだろう。それに比べて、もう一人の少女はどう? あんたはその子のこと信頼しているんじゃなかった? 試合を通してパス相手に見てて分かるくらい偏りがあるんだよ。


 ガードの少女にマークされた相手が目立つような激しい動きでそれをはがす。


 そこにパスが出た。ワンバウンドの素早いパスで、ボールは腕のワイパーをかいくぐる。パスの貰い手は懐深くにボールを収めるようにして回転。マーカーの少女の体を肩で押さえ上手く前を向き、ドリブルを始めようとした。


 かかった!


 彼女にパスが出ようとした時には既に、私はそこに詰め寄っていた。彼女がちょうど反転した瞬間、ボールを下からすくい上げるようにして手を伸ばす。


 アッという声。それを背中に聞く。


 バシリと、私は力いっぱい音を響かせてボールを床についた。跳ね返ってきたボールを両手にがっしりと掴んで、一歩、二歩と豪快に突き進む。目の前には二人、背後に一人、白く霞んだ光景を置き去りに、視線は一途なまでにゴールに合わせ、強引に道をこじ開ける。


 私は高く飛んだ。


 追いすがって伸ばされる腕。三人の少女が私を邪魔するため、身を投じる。すべてがひどくゆっくりと流れた。その中に、彼女を見つけた。 


 抱えたボールをすれ違う彼女へと後ろ手で渡した。


 敵の驚きに満ちた表情が見える気がした。


 彼女は素早くドリブルで一歩下がるとシュートモーションに入った。慌てた相手が彼女にプレッシャーをかける。彼女はピクリとあごの動きだけでシュートフェイント。それに釣られて飛ぶ相手。迫った体に間合いを消されてシュートコースが閉じる。


 その状況で、しかし彼女は飛んでいた。


 飛んで、後ろに倒れていた。


 背中から落ちるように傾く体。開く間合い。そこにシュートコースがあった。


 まるで水の中を泳ぐかように宙を蹴って、彼女は打った。ゆっくりと山なりの軌道を描いて、ボールはゴールネットを揺らした。


 「ナイスシュート!」と、私は2回続けてゴールを決めた私たちのチームのエースに声をかけた。彼女はニッと気持ちのいい笑みを浮かべると「ナイスパス!」と応えた。


 それだけのやり取りで熱をもった多福感がじわりと私を満たす。疲れなんて一瞬で吹き飛んだ。


 私のブラフに騙されてしまった相手の少女はすっかり心が折れてしまったようだ。その後、疲れ果てて荒い息を吐く彼女が、苦し紛れに放ったショートが虚しく宙を掻くと同時に、試合終了を告げるブザーの甲高い音が鳴った。

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