第七帖 姫様、あのクラブに入る!
「おひい様、どうなさいました?」
動こうとしない日和に真夜が訊いた。
「ま、真夜!」
「何でございますか?」
「わらわがどんなクラブに入ろうと、お婆様は許してくれるであろうか?」
「どこか、入りたいクラブでも思いついたのですか?」
「そ、そう言う訳ではなくて、そ、その、例えばの話じゃ」
「そうですね。コスプレ部とか、お笑い研究会とかだと許されないかもしれませんね。さすがに卑弥埜家次期当主の威厳にかかわりますからな」
「そ、そんなクラブには入らぬ! って、そもそも、そんなクラブがあるのか?」
「さあ?」
「わらわを相手にボケてどうするのじゃ?」
「申し訳ございません。しかし、実際の話、このクラブは許していただけないかもしれませんね」
真夜は、日和の視線の先を一瞥した。
「……どうして分かったのじゃ?」
「あの部室を、おひい様がじっと見つめていたことに気づかない拙者と思われましたか?」
「……やっぱり、無理かのう」
「お怒りになる気がいたします」
「真夜も怒られてしまうかの?」
「拙者がついておきながら何をしておると言われるかもしれませんな」
自分の大好きな真夜が叱られてしまうことが辛かった日和は俯いてしまった。
「おひい様」
日和が顔を上げると、真夜は優しく微笑んでいた。
「拙者が叱責されることは何ら苦痛ではありませぬ。おひい様のお好きになさいませ」
「真夜も怒られるなんて嫌じゃ! べ、別に、学校でやらなくても、家でできるのじゃから、入部しなくとも良いのじゃ!」
「おひい様」
「何じゃ?」
「秋土殿もおっしゃっておられましたが、クラブに入れば、普通科の生徒とも仲良くなれます。せっかく学校に通うようになったのですから、おひい様にもいっぱい友達を作っていただきたいのです」
「……」
「見学だけでもされたらいかがですか?」
「……」
「あっ、そうだ!」
突然、大声を上げた真夜に、日和も驚いた。
「おひい様」
「な、何じゃ?」
「教室に忘れ物をしてしまいました。取りに行って参ります」
「何を忘れたのじゃ?」
「恥ずかしくて言えませぬ。探すのに少し時間が掛かるかもしれませんので、校門で待ち合わせいたしましょう」
「……」
「その間、申し訳ございませんが、おひい様はどこぞでお暇を潰していていただけますか?」
「……うん。分かったのじゃ」
十年近くのつき合いがある二人には、阿吽の呼吸が自然にできていた。
真夜が日和に背を向けて去って行くと、日和は、その部室の扉の前に立った。
自分の大好きなことが学校でもできるかもしれないという期待感と、中にどんな人がいるのだろうという不安感とが綱引きを始めていた。
(怖い人とかいたら、どうしよう)
日和の頭の中に、鞭を持って「こんな簡単なこともできないの! 罰として、かがり縫い百往復!」などと威嚇する鬼のような女生徒の姿が浮かんだ。
(ひいぃ~、そんな鬼のような先輩がいたらどうしよう? ……あっ、まさか、男子がいることはないのじゃろうか?)
日和の頭の中に、なぜか、「押忍!」とか言いながら、ビーズを糸に通している学ラン姿のマッチョなお兄さんの姿が浮かんだ。
(一旦、この部屋に入ってしまうと、二度と出てこられないってことはないじゃろうの?)
日和が、「やっぱり入部しません」などと発言すると、その鬼のような女生徒とマッチョなお兄さん方に取り囲まれて、「何ぃ! 帰るだとぉ!」と威圧され続ける自分の姿が頭に浮かんでしまい、日和は、いよいよ扉の前で迷ってしまった。
(落ち着くのじゃ。落ち着いて考えるのじゃ)
扉の前で息を整えていると、次第に期待の方が大きくなってきた日和は、ゆっくりと扉を開けて、中の様子をこっそりとうかがい、中に男子がいれば、そのままダッシュして逃げようと考えた。
日和は、恐る恐る、部室の引き戸を少しだけ開けた。
開いた隙間から中を覗くと、入り口のすぐ近くに座っていた普通科の女の子と目が合ってしまった。
こんなにすぐに見つかってしまうとは思っていなかった日和は、ゆっくりと後ろに下がって、逃走体勢に入ろうとしたが、女の子は、すぐに立ち上がり、日和が逃げる隙も与えずに、入り口の引き戸を大きく開いた。
「こんにちは!」
ニコニコと笑って、元気良く挨拶をしてくれた女の子は、日和よりは背が高かったが、身長順で並ぶと、クラスで前から一番か二番に立つはずの小柄な女の子で、セミロングの髪をツーサイドアップにした、幼女好き垂涎の容姿をしていた。
「こ、こんにちは」
その笑顔に、少しだけ緊張が解けた日和も挨拶を返すことができた。
「何かご用ですか?」
「あ、あの、け、見学をさせてほしいのじゃ」
小さな声であったが、日和は勇気を振り絞って言った。
「入部希望の方ですか?」
「う、うん」
「わあ! ようこそ! 手芸部へ!」
その女の子の大きな声で、部屋の中にいた普通科の制服を着た三人の女の子達も一斉に日和を見た。
ぱっと見渡して、男の子がいなかったことで、日和は、とりあえず、安心をした。
一番、奥に座っていた女の子が立ち上がり、日和に近づいて来た。
長い黒髪を後ろで三つ編みにして一つに束ねて、黒縁眼鏡を掛けて、頭が良さそうな顔つきだったが、胸も大きく、スタイルも良かった。
「こんにちは。部長の普通科三年五組、三輪美和と申します。あなたは?」
「し、神術学科二年壱組の卑弥埜日和じゃ」
「神術学科の生徒が手芸部に来るのは初めてじゃないかしら」
「そ、そうなのか?」
「ええ。入部希望ということで良いのかしら?」
「とりあえず」
「どうぞ。歓迎しますわ」
美和に案内されて、それほど広くはない部室に入り、中を見せてもらった。
部屋の中には、部員の作品と思われる、ビーズのアクセサリー、パッチワーク、刺繍などが展示されていた。どれも可愛い小物だった。
日和は、そんな作品を眺めているだけで嬉しくなった。
「うちの部は、文化祭への出品作品と、敬老の日に老人ホームにプレゼントする作品以外は、各自が自由に好きなものを作って良いことにしてるの。だから、今も、ビーズとか、刺繍とか、パッチワークとか、みんな、バラバラな物を作っているのよ」
美和が座っていたテーブルの上には、作りかけのパッチワークが置かれており、最初に声を掛けてきた女の子は、熊のキャラクターを刺繍で縫い掛けていた。他の二人の女の子は、ビーズでアクセサリーを作っていた。
「あそこに大きなキルトがあるでしょ? あれが去年の文化祭に出すために全員が協力し合って作ったものよ」
奥の壁に掛けられている大きなキルトには、様々な模様の布が縫い付けられていたが、遠目で全体を見ると、西洋のお城のような風景が表現されていた。
部室の奥まで来た日和は、美和が作りかけのパッチワークを見て驚いた。
日和の手芸も、誰かに手取り足取り教えてもらったものではなく、すべて自己流で、しかも、他人の作品を実際にじっくりと見たこともなかったことから、基礎がちゃんとできているかどうかの自信はなかった。
今、目の前にある美和のパッチワークは、縫い目が綺麗に揃っていて、縫製技術の基礎がキチンとできていることがうかがえた。また、布の色合いとか配置も素晴らしく、まるで抽象画を見ているようだった。
日和は、その腕前が羨ましくなる一方で、創作熱が沸々と沸き上がってきているのを感じた。
「素敵じゃの! 三輪さんが作っているパッチワークは、すごく綺麗で可愛いのじゃ!」
「ありがとう。何かね、可愛い物を見ると、幸せになるし、それを一つ一つ作り上げていく作業がすごく楽しいの」
「分かる! わらわもじゃ!」
「わらわ?」
「あっ、……こう言う言葉遣いで育ったものじゃから」
「どこかのお姫様かしら? まあ、神術学科なら、さもありなんね」
「気にしないでくれるとありがたいのじゃ」
「分かったわ」
日和は、初めて、自分と同じ趣味を持っている女の子を前にして、人見知りの垣根が低くなっているような気がした。
「せっかくだから、部員を紹介するわね」
美和が最初に紹介してくれたのは、黒髪おかっぱで、物静かな微笑みを湛えた、うり二つの女の子二人だった。
「普通科三年九組の稲葉シロさんと稲葉ウサギさんよ。見てのとおり双子で、左目の下に泣きぼくろがあるのがシロさんで、無いのがウサギさんよ」
シロとウサギの二人は、一糸乱れぬタイミングで、日和にお辞儀をした。
「この子は、普通科一年四組の和気和歌ちゃんよ」
「よろしくお願いしま~す!」
落ち着いた感じの三年生三人に対して、キャピキャピと弾けていた。
「三輪さん、部員は、これで全部なのか?」
日和は、男子部員がいないことを確認したかった。
「ええ、そうよ。今年は、和歌ちゃんが入ってくれたけど、来年、私達三年生が卒業してしまったら、和歌ちゃんだけになってしまうかもしれないところだったの。もし、卑弥埜さんが入ってくれたら、この手芸部も存続できそうだわ」
和歌が、わくわくしたような目で日和を見つめていた。
男子がおらず、大好きな手芸ができるこのクラブは、自分が入るためだけに存在していてくれたような気がしてきた日和であった。
「三輪さん!」
「はい?」
「こ、この部に入部させてほしいのじゃ!」
日和が校門に行くと、真夜が立って待っていた。
真夜は、下校する男子生徒のみならず、その凜とした立ち姿から、そちら方面の趣味を持っていると思われる女生徒達からも熱い視線を注がれていた。
「真夜! 待たせたの」
「いえ、おひい様を待つことは、幸せでこそあれ、苦痛に感じることなどありません」
「すまぬのじゃ」
「もったいないお言葉でございます」
真夜と日和は、縮地術の出入り口がある公園に向かって歩き出した。
「それで、おひい様、クラブはどうされました?」
「は、入ってきた」
「良いお顔をされておりますな。本当に好きなのですな?」
「真夜には、今更、説明はいるまい?」
「そうですな」
「真夜も一緒にやらぬか?」
「残念ながら、拙者は手先が不器用ゆえ、無理でございます」
「でも……」
「それに、おひい様がご自分で決められたということは、ひょっとして、男子がいなかったのでは?」
「……図星じゃ」
「ふふふふ、まあ、婿殿の候補となる殿方の友達だけではなく、女子のお友達も積極的に作るチャンスでございます。拙者などおらぬ方がつき合いが深まりましょう。そして、それは、殿方とおつき合いするための練習にもなるはずでございます」
「そうかの?」
「ええ、お友達になれそうな方はいらっしゃいましたか?」
「部長の三輪さんという人はすごく綺麗で、作品も素晴らしいのじゃ。一年生の和気さんは、体格的に共感できる可愛い人なのじゃ」
「そうでございますか? 先輩と後輩のお友達が一気にできたのでございますね」
「そ、そういうことになるの。……先輩と後輩か」
今まで、家で独りぼっちだった日和は、先輩や後輩という人間関係も初めてであったが、さっきまで部室で気軽に話ができたことが、すごく嬉しかった。やはり、手芸という共通の趣味を持っていて、話が弾んだからであろう。
「でも、わらわだけクラブをしていると、真夜と一緒に帰れぬのではないか?」
「ご心配なさいますな。おひい様の部活が終わるまで、毎日、真夜はお待ちしております。学校の行き帰りには、不逞な輩が出てこないとも限りません。おひい様の身の安全を守る責任が拙者にはあるのです」
「真夜は、いつも頼りになるの。その頼りになるところを見込んでお願いがあるのじゃが」
「何でございますか?」
「お婆様に、手芸部に入ったことを黙っててくれぬか?」
「帰りの時間が遅くなる理由を何と説明なさるおつもりですか?」
「どこかで真夜と一緒に勉強をしていて遅くなっておると言い張っても無理じゃろうか?」
「そんな、すぐに分かる嘘など吐くだけ無駄ですぞ」
「そ、そうかのう……」
「拙者も一緒に頭を下げますから、正直にお話しなさいませ」
「真夜も?」
「ええ、伊与様のご命令に従って、学校に行くようにしたのですから、それくらいの我が儘は許していただきましょうか?」
「そうじゃの! やっぱり、真夜は頼りになるの! 優しいの!」
「そんなことはございません」
優しい笑顔を日和に返した真夜だったが、急に立ち止まると、厳しい目付きをして、辺りを見渡した。
「どうしたのじゃ?」
「……いえ、何でもございません。参りましょうか?」
「そうじゃの」
学校二日目にして、「友達」と呼べる生徒が何人かできた日和は上機嫌だった。
日和と真夜の後ろ姿を、電柱の影に潜んで見つめる二人の男がいた。
黒いスーツにサングラスという、履歴書の職業欄に本当の職業を書くことができないような格好をした男達の手には、昨日の昼間、学校の中庭で撮られた日和と真夜のツーショット写真が握られていた。
「間違いないな?」
「うむ。今、この場で始末してくれようか?」
「いや、あの梨芽の女は相当な使い手という噂だ。うかつに手を出すと、返り討ちになる可能性が高い」
「あんな小娘が?」
「ああ、それに攻撃目標は、何と言っても卑弥埜の姫だ。それを見た者は生きていることはできないという太陽の神術の使い手だぞ」
「ふんっ! 誰も見たことのない太陽の神術など、ハッタリかもしれないではないか?」
「それだけではない! あの攻撃目標の抹殺をしくじると、開明派と守旧派の全面戦争になりかねない。卑弥埜の跡取りを一気に抹殺することで、開明派は息を止められるのだ」
「失敗は許されないということか?」
「そういうことだ」
「くそっ! たかが幼女と女子高生が相手だというのに!」
男達は、日和と真夜の後ろ姿が見えなくなるまで、刺すような目線で睨み続けた。




