第六十帖 姫様、聖なる夜に恋を見つける!
「痛たた!」
「もう痛くはありますまい?」
病院から帰って来た伊与は、ジト目の真夜の肩を借りて、右足を引きずりながら、自分の部屋まで戻った。
「やれやれ、やっぱり我が家が良いのう」
「一週間の入院で帰って来られて良かったのじゃ」
日和の言葉どおり、一週間前、右足を骨折した伊与は病院でギブスを埋め込まれて、今日、退院をして来たのだ。
そして、時は流れて十二月二十四日。
聖なる夜。
パーティ会場である卑弥埜家では粉雪が舞っていた。
山奥にあるので雪が降ることは珍しいことではなかったが、ホワイトクリスマスを演出するタイミングの良さに、縁側のように中庭に面して屋敷を取り囲むようにして続いている廊下から外を見ていた日和も嬉しくなった。
日和は、廊下から庭に降りて、広大な庭の一角にある、大きなもみの木の所まで歩いて行った。
そのもみの木には電飾が巻き付けられており、スイッチを入れると巨大なクリスマスツリーになる予定だ。
また、集会用テントの下にセットされているテーブルには、パーティが始まると、三段重ねのクリスマスケーキがでーんと置かれる予定になっていた。
テーブルの近くに置かれたバーベキューコンロの上には、まるまる一羽のチキンがこんがりと良い焼き目を付けていた。
真夜がお抱えの料理人の差配をして、準備は万端滞りなく行われていた。
「真夜! 良い匂いじゃの!」
日和と真夜は、お揃いのミニスカサンタのコスチュームを着ていた。
日和は赤色、真夜は緑色の生地に、短いケープの裾、袖口、スカートの裾に白いボアが付いていて、足元も白いボアが付いた同じ色のブーツを履いていた。
クリスマスパーティなどしたことのない日和と真夜が、「ミニスカサンタのコスプレが定番」だと言った和歌の意見を素直に受け入れた結果であった。
「プライベートなパーティは拙者も初めてですから、こうやって準備をしているだけでも楽しゅうございます」
「葵さんも来るしの」
日和の突っ込みに、真夜も顔を赤くしながらも笑顔を崩さなかった。
「おひい様こそ、四臣家の方々が来られるではありませんか?」
「うん。わらわも楽しみじゃ」
日和も真夜に負けない笑顔を見せた。
朝、四人と順番に登校することは続いていたが、日曜日ごとのデートは、十二月に入ってからは中止をしていた。
その理由を四人には「じっくりと考えてみたいから」としか言っていなかったが、本当は、四人のうち一人、日和に気になる人ができたからであった。
朝の登校時、気になる人とそれ以外の人を意識して観察してみたが、それ以外の人が嫌いになった訳でもなく、気になる人との違いがよく分からなかった。
日和は、学校でも家でも、気になる人が本当に好きなのか、そして、日本中の神術使いに対して「この人と婚約する」と宣言できるのかどうかを確認しようとしたが、明確な答えは、まだ出ていなかった。
遠くからヘリコプターの音が聞こえてきた。
その方向の空を見ると、曇った空に小さな光点が見え隠れしていた。
「来たようでございますな。おひい様、お迎えをお願いします」
「分かったのじゃ」
神術の一種である縮地術は、卑弥埜家と梨芽家のみに伝わる秘伝であり、両家以外の者は使うことができなかった。
そこで、東京都の山奥という辺鄙な所にある卑弥埜家に来るのに一番効率的なのはヘリコプターであった。実際に、日和の次期当主襲名披露パーティの際には、多くの神術使いの家の当主達が、ヘリコプターを利用して来ていた。
とりあえず広い土地だけはある卑弥埜家の敷地には、ヘリポートとして利用できる平坦な土地も十分にあった。
そこに向かって降下してきたヘリコプターが轟音を響かせながら着陸をした。
まだ回転している羽から吹き付ける風に長い金髪をなびかせながら、日和はゆっくりとヘリコプターに近づいて行った。
ヘリコプターのドアが開くと、まず、タキシード姿の春水が降り立ち、その春水のエスコートでシックな黒いドレスの葵が降り立った。その後、同じくタキシード姿の夏火、秋土、冬木が順番に降り立つと、五人は笑顔で日和に近づいて来た。
「日和さん、クリスマスパーティにお招きいただき、ありがとうございます」
年長者の葵が代表して礼を述べると、四人が揃って軽く頭を下げた。
「遠い所によく来てくれたのじゃ! 今夜は思い切り楽しもうぞ!」
デートが中止になっていたから、学校以外の場所で日和に会うのは久しぶりの四人も嬉しさを隠しきれないようであった。
「まずは、お婆様が挨拶を述べたいと言っておるのじゃ」
屋敷まで歩きながら日和が言うと、五人は少しだけ緊張した面持ちになった。
何と言っても、伊与は、日本の神術使いの頂点に立つ卑弥埜家の現当主なのだ。
日和は、五人を伊与の部屋に案内した。
「お婆様、今日、ご招待したお客様をご案内してまいりました」
日和が障子の外に正座して申し述べると、中から「入りなさい」と返事があった。
日和が立ち上がり障子を開けて、部屋の奥に置いた椅子に座っている伊与の正面に進み出ると、自らは伊与に横顔を見せる位置に正座をし、五人は伊与の正面に横一列に並んで正座した。
伊与は、骨折以来、正座をすることができなくなっていたのだ。
「卑弥埜伊与じゃ! 本日は遠路はるばるお疲れであった!」
伊与が威厳を込めて挨拶をすると、五人は作法どおりに座礼をした。
そして、顔を上げた五人のうち、ここでも葵が、まず、口上を述べた。
「初めてお目に掛かります。大伴家当主大伴房信が三女大伴葵でございます」
さすがの葵も、普段のあけっぴろげな行動を控えて、作法どおりに三つ指を着き、座礼をした。
「大伴家の三姉妹と言えば、美人姉妹の噂も聞こえているところ。まことに噂どおりの美しさじゃ」
「恐れ入ります」
また座礼をした葵が顔を上げると、続いて隣に座っている春水が挨拶をした。
「大伴家当主大伴房信が長男大伴春水でございます」
伊与の顔が緩んだことを日和は見逃さなかった。
「ほうほうほう。タキシードを着ておらぬと、葵殿の姉妹と誤解されかねないほど美しい顔立ちをしておる。日和から聞いていたとおりじゃ」
次に、夏火が挨拶をした。
「蘇我家当主蘇我実満が長男蘇我夏火でございます」
言い慣れていないのか、少したどたどしかったが、普段の夏火からは想像できない真面目な顔をしていた。
「これも日和から聞いておるが、普段はなかなかに腕白のようじゃの?」
「い、いえ」
何と返したら分からず、夏火はしどろもどろになっていたが、その焦った姿が可愛く思えたのは、日和だけでなく、伊与もそうだったようだ。
「ふぉふぉふぉ、男の子は腕白なくらいがちょうど良いのじゃ」
伊与が隣の秋土に視線を移した。
「葛城家当主葛城清輔が二男葛城秋土でございます!」
いつもどおり元気よく秋土が挨拶をした。
「うむ。葛城家は兄弟とも文武両道の傑物と聞いておる。良い面構えじゃ」
伊与の視線が右端に座っている冬木に移った。
「物部家当主物部道守が長男物部冬木でございます」
いつもどおりの冷静な態度で挨拶をした。
「耶麻臺学園創設以来の秀才らしいではないか。ご当主殿も今はアメリカだったかの?」
「はい。ちなみに母親はイギリスの大学で研究をしております」
「そうかそうか」
伊与は、もう一度、みんなを見渡した。
「儂は、残念ながら足を怪我してしまって、『パーチー』には参加できないが、若い者同士、遠慮なく楽しんでたもれ」
一同が座礼をして頭を上げると、伊与は言葉を続けた。
「四臣家のご子息が揃われているから、この場を借りて、あらかじめお伝えしておく」
何事かと緊張した面持ちになった五人に、伊与なりに優しい顔を見せた。
「儂は、今年いっぱいをもって、卑弥埜家当主を引退して、日和に当主の座を譲るつもりじゃ」
驚いた五人が斜め前に正座している日和に目を移すと、あらかじめ話を聞いて承諾をしていた日和が五人の方に首を回した。
「お婆様も怪我をされて、少し気弱になられてしまったようなのじゃ」
いつかは自分が継がなければならないと覚悟はできていたが、思ったより早くその時が来て、話を受けた日和も一旦は固辞したが、高齢の伊与にいつまでも当主を任せておくこともできなかった。
伊与への挨拶も終わり、日和達は、ぞろぞろと会場まで歩いて行った。
会場では既に護摩壇で煌々と火が焚かれ、明るさとともに暖かさを提供してくれていた。
「真夜ちゃん!」
真夜の姿を認めた葵が小走りに真夜に駆け寄った。
「葵殿、いらっしゃいませ」
「日和ちゃんとペアルックなんだ。可愛い~」
人目も気にせずに葵は真夜の腕を絡めた。
「あ、葵殿! 拙者、今夜は接待役としての役目がございます。後でゆっくりと」
「今日は、真夜ちゃんの部屋に泊まっちゃおうかなあ」
「葵姉さん、そんなことをしたら父上に叱られますよ」
「ちえ~、そうだった」
不満たらたらの顔をした葵を見た真夜が吹き出した。
「さすがの葵殿もお父上には敵いませんか?」
「当たり前じゃない! まだ学生の身分で食べさせてもらっているんだから。だから卒業したら、すぐに家を出ていってやるんだ」
そう宣言した葵は、日和と四臣家の四人とを見渡した。
「私の指定席は真夜ちゃんの隣で確定だけど、あなた方の指定席はどこなの?」
まだ誰一人として日和から恋人指名をされていない今の状況から、ぬけぬけと日和の隣に立つことに、四人とも躊躇しているようであった。
「教室にいる時と同じように、わらわの側にいてくれると嬉しいのじゃ。今日は、誰も特別扱いはしないし、のけ者にもしない。いつもと同じように、みんなで楽しく話そうぞ」
そんな雰囲気を見かねた日和の一言で、四人は日和の周りに集まって来た。
「おひい様、では、始めましょうか?」
「分かったのじゃ」
待機していた召使い達に真夜が合図を送ると、シャンパングラスに注がれたノンアルコールシードルが全員に配られた。
立食でのパーティが始まった。
四人はすぐに日和を取り囲んだ。真夜も日和のすぐ近くにいて、その隣に葵が寄って来た。
「葵殿」
「何、真夜ちゃん?」
「もし、もしですが、おひい様が春水殿を選ばれた時、大伴家は跡取りをどうされるおつもりなのでしょうか?」
日和は卑弥埜家の跡取り娘で他家に嫁入りすることはできず、必ず婿養子を取ることになる。
春水は姉が三人いたが、一人息子であった。
もっとも、卑弥埜家の跡取りが日和であるように、神術使いの家では男子でなければ当主になれないという決まりがある訳ではないから、一人息子であっても他に姉妹がいれば婿養子として卑弥埜家に入ることも可能だ。
「その時は、私が後継者になるみたい」
「葵殿がですか?」
「姉貴二人は既に嫁入りしちゃってるから、独身の私しかいないんだよね」
「そうなのですか?」
真夜が少し寂しげな顔をしたのを見逃さなかった葵が、真夜の腕に自分の腕を絡めた。
「私が婿を取って子供を生まなきゃ大伴家が断絶してしまうって思ったんでしょ?」
「そ、それは」
「心配いらないよ。一番上の姉貴には息子が三人いるから、その中の誰かを養子にもらう約束もできているんだ。だから、私はそれまでの繋ぎよ」
「そうなのですか。しかし、もうそこまで話ができているとは」
「真夜ちゃんが何を言っているのよ。相手は卑弥埜の姫様よ。そして大伴家は、これまで何度も卑弥埜家との縁談を繰り返している家だから、言うなれば、そう言うことに慣れてるのよ」
「なるほど。他のご三方にはまだ確認しておりませんが、どの家もちゃんと検討をされているのでしょうな?」
「もちろん、そうだよ。そうじゃなきゃ、日和さんの彼氏候補を辞退しなくちゃいけないはずだけど、そんな話は聞かないしね。秋土君は次男坊だからまったく問題がないし、夏火のところも妹さんがいたからね」
「しかし、冬木殿は一人っ子だったはずですが?」
「冬木君の両親は科学者で、神術には、もうほとんど興味はないみたいね。もし日和さんが冬木君を選んだ時には、物部宗家を今の当主の弟に譲るようなことを言ってたよ」
「葵殿、いつの間にそんな情報収集をされたのですか?」
「真夜ちゃんが必要かなと思って、ここに来るヘリの中で一人一人聞いたのよ」
真夜と二人でいると、まるで子供のようにいちゃついてくる葵だったが、真夜と同じように「できる女」であった。
「それでは、ただいまからプレゼント交換を行いたいと思います」
真夜が一歩前に出て、全員の前で宣言した。
「事前に皆様からお受け取りしたプレゼントは、あちらに置かせていただいております」
真夜が伸ばした手の先にはテーブルがあって、各自が持って来た箱の違いが分からないように、全部がリボンで口を縛られた白と赤の四つずつの袋に入れられており、色ごとにまとめて置かれていた。
「白い袋に入れられているのが、男性から送られたプレゼントでございます。一方、赤い袋に入れられているのが女性から送ったプレゼントでございます。伊与様もプレゼントを出していただいております」
男性側には四臣家の四人が、女性側には、日和、真夜、葵、そして伊与がプレゼントを出しているということだ。
真夜が話を続けた。
「やり方は簡単です。男性女性それぞれがくじを引いて、プレゼントを選ぶ順番を決めます。決まった順番で好きなプレゼントを選んでいきます」
四臣家の四人は、どれが日和からのプレゼントなのかを解読しようとしているのか、赤い袋をじっと凝視していた。
「誰が誰のプレゼントを当てたのかを知る楽しみもありますが、今夜は袋を開けずに家に帰ってからお開けください」
みんながどうしてという顔で真夜に注目した。
「今の、おひい様と四臣家の四人の方との関係を考えれば、誰が、おひい様のプレゼントを当てたのかを明らかにしない方が良いと思うのです。それは飽くまで偶然の産物であって、それで心理的にでもアドヴァンテージを与えることは避けるべきです。自分が引き当てたプレゼントがおひい様からのプレゼントだと想像しながら、家でにやける方がよろしいかと思います」
真夜の提案に全員が同意した。
無事、パーティも終わり、葵と四臣家の四人が帰った後、日和と真夜は日和の部屋にいた。
炬燵に向かい合って入っている日和と真夜の前には、プレゼントの箱が置かれていた。
「それじゃ、開けてみようかの」
「はい」
二人は、リボンを解いてラッピングを丁寧に剥いでいった。
「ちなみに、おひい様。伊与様がもらったプレゼントには可愛いリボンセットが入っていたそうで、葵殿がもらったプレゼントには編み物セットが入っていたそうでございます」
どちらも日和が好きそうなものをチョイスしていることが明らかであった。
「お婆様は、そのリボンをどうされるのじゃろう?」
「自分の髪に付けると、すごく喜んでおられました」
「そ、そうか」
伊与がそのリボンを付けて外出しないことを祈るばかりの日和であった。そして、真夜の前の箱を見た。
「真夜から見せてたもれ」
「はい」
真夜が箱の蓋を取ると、中からタータンチェックのスカーフをしている小さな熊のぬいぐるみが出て来た。
「可愛いの!」
「はい。いったい誰のプレゼントでしょうか?」
「誰じゃろうな?」
日和は四人の顔を順番に思い出していったが、自分が気になる人ではない気がした。もっとも、その人のプレゼントは、自分の目の前にある物だと信じたい気持ちになっているだけかもしれなかった。
「では、おひい様のプレゼントも見せてください」
「分かったのじゃ」
日和が目の前の箱の蓋を開けた。
中から出て来たのは、小さなアルバムであった。
アルバムをめくると、最初のページに一枚だけ写真が入っていた。
日和の次期当主襲名披露パーティの時、日和と四人全員で撮った写真だった。
みんな、良い笑顔をしていた。
そして、アルバムの裏表紙には、マジックで、「これから笑顔の写真が増えたら嬉しい」と言うことが書かれていた。
その筆跡は見覚えがあった。
それは、日和が気になっている人の字に間違いなかった。
誰に当たるか分からないプレゼントだから、誰の「笑顔の写真」だとは特定されてなかったが、その写真を見れば、日和に宛てたメッセージであることは明らかであった。
日和の目から涙が溢れ出した。
「おひい様、どうされました?」
真夜が、突然、泣き出した日和を心配そうな顔で見つめていた。
「真夜」
「はい」
「分かった」
「はい?」
「わらわは、やっぱり、この人が好きじゃ」
「……誰からのプレゼントか、分かるのですか?」
「分かる。そして、この人の考え方、気持ち、全部が好きじゃ!」