第五帖 姫様、クラブに勧誘される!
転校初日も無事終えて、日和は、居間の大きな座卓に祖母伊与とともに座り、夕食をとっていた。
部屋の下座には、割烹着姿に姉さん被りの真夜が控えていた。
「真夜の料理の腕もますます上達したの」
魚の煮付けを美味しそうに頬張りながら、伊与が言った。
「ありがとうございます。しかし、今、お食べになっている煮付けは、おひい様がお作りになったものでございます」
「何? 日和は、また厨房に入ったのか?」
伊与から睨まれて、日和は、小さな体をもっと小さくして、俯いてしまった。
「日和は、確かに良い奥さんになるじゃろうの。しかし、日和は、この家の主人になる身じゃぞ!」
「伊与様! おひい様は、あくまで趣味として料理を嗜まれているだけでございます」
「当たり前じゃ! 料理人になるとか言い出しかねないから心配しておるのじゃ!」
自分が料理をすれば、伊与が怒ることは想定の範囲内だった日和は、伊与の小言を右から左に聞き流しながら、黙々と食事を続けた。
「ところで、日和。学校の方はどうじゃった?」
一通り小言を言い終えた伊与が、興味津々という顔をして、日和に訊いた。
「どうじゃったと申されますと?」
「単刀直入に言うと、良い男はおったのか?」
「単刀直入すぎまする!」
「回りくどい話は嫌いゆえのう。で、どうなのじゃ?」
「殿方のお友達ならできました」
「本当か? 何という男じゃ?」
「葛城秋土さんです」
伊与は、詳しい話を聞こうと、真夜の顔を見た。
「四臣家の葛城か?」
「はい。葛城家の次男だそうです」
「次男坊か! 我が卑弥埜家の婿に入るのには好都合ではないか! 許嫁はおるのか?」
「本人は、彼女もいないとおっしゃっておりました」
「そうか! で、イケメンか?」
「はい。非常に爽やかな好青年という印象を持ちました」
「よし! 早速、葛城家に使いを出せ!」
「伊与様! いくら何でも早すぎます!」
「何を言う。そんな好青年であれば、女子達の人気も高いのではないのか?」
「確かに、拙者のクラスの女生徒から噂を聞き集めますと、どうやら二年生の男子では、普通科も含めて、かなりの人気を誇っているようでございます」
「であれば、なおさら、他の女どもに取られないように、今のうちに婚約してしまった方が良いではないか!」
「じっくりと、しっかりと交際を続けて、本当に、おひい様に相応しい方かどうかを見極めてからでも遅くはないと思います。それに、四臣家の他の息子達もおりますし」
「おお! そうじゃったな。他の息子どもはどうじゃ?」
「蘇我の息子は駄目でございます」
「駄目?」
「はい。言葉使いは乱暴で、女子に手を出すのも早そうです」
「それは、日和にはハードルが高そうじゃの。他には?」
「大伴の息子は、まれに見る美形でございました」
「何と! 写真を撮っておらぬのか?」
「そんなことができる訳がございません! しかし、先ほどの葛城の息子を凌ぎ、学園一の人気を誇っているようで、登下校をする際には、女生徒のファンがぞろぞろとついて来ているくらいです」
「それはすごいの! ぜひ見てみたいものじゃ!」
「……伊与様。何か個人的な希望を述べておられるような気がいたしますが?」
「ご、誤解じゃ! 孫の婿となるかもしれない男は、事前に見ておきたいではないか!」
「……まあ、そうですね」
「では、物部の息子は、いかがじゃ?」
「物部の息子には、拙者はお会いしておりません。おひい様、いかがでしたか? お話はなさいましたか?」
「うん。教室でちょっとだけ。……難しそうな本を読んでおった」
「イケメンなのか?」
イケメンか否かを気にする伊与に、真夜のジト目が向けられた。
「い、いや、だから、ひ孫ができるとすれば、イケメンの血を引いている方が良いではないか! いかがじゃ、日和?」
「……ハンサムじゃとは思いました」
他の三人から言うと地味な感じであるが、日和が言うとおり、冬木もイケメンであることは間違いなかった。
「そうか、そうか。蘇我以外は有望か? これは楽しみじゃ!」
「伊与様! だから、何を期待されているのでしょうか?」
「ご、ごほん! しかし、初日から四人の男子と話ができるなど、日和にしては上出来じゃ! 真夜! 明日からもよろしく頼むぞ! できれば、葛城の息子を我が家に連れて参れ! 儂直々にご接待しようぞ!」
「嬉しそうでございますね、伊与様?」
「……き、気のせいじゃ」
転校二日目の朝。
おずおずと壱組の教室に入った日和に、同級生の女生徒の何人かが「おはよう」の挨拶をしてくれた。
日和も安心するとともに、嬉しくなって、小さな声ではあったが、「おはようなのじゃ」と挨拶を返した。
右隣の秋土と左隣の春水は、既に席に着いていた。
日和が、自分の席に座ると、まずは、右隣の秋土が挨拶をしてくれた。
「おはよう! 日和ちゃん」
「お、おはようなのじゃ、秋土さん」
「昨日、真夜さんから友達になってくれってお願いされたから、名前で呼ぶことにしたけど、良かった?」
日和は、自然と笑顔になり、頷いた。
男の子から、初めて「ちゃん付け」で名前を呼ばれて、何となく嬉しかった。
また、ちゃんと挨拶を返すことができたことで、まだ親指の爪の先ほどであるが、余裕めいたものも感じてきた。
「おはようございます。日和さん」
今度は、左隣の春水が優しく微笑みながら挨拶をしてくれた。
「お、おはようなのじゃ、春水さん」
「私も秋土の話を聞いて、お名前でお呼びすることにしました」
日和は、春水にも笑顔で頷いた。
日和は本当に嬉しかった。もう、それだけで春水や秋土と友達になれた気がした。
「日和ちゃん! これ!」
秋土が日和に一枚の用紙を差し出した。
「クラブへの入部申請書だよ」
「入部申請書?」
「うん。とりあえず、転校生には全員に配っているんだ。特に入りたいクラブが無ければ提出する必要は無いけど、どこか入りたいクラブができたら、これに必要事項を書いて、僕に提出してもらえれば良いから」
「わ、分かったのじゃ」
「テニス部も、今、女子部員を絶賛大募集中だから、考えてみてよ」
「秋土! 早くも職権乱用ですか?」
穏やかな表情のまま秋土に異議を申し述べた春水が、優しい視線を日和に送った。
「日和さん。私が所属している美術部でも部員募集中ですよ。絵や彫刻に興味があるのなら、ぜひ美術部へ」
「う、うん」
運動音痴な日和が、テニス部よりは美術部の方が性に合ってるかもと考えていると、教室の後ろの入口から、夏火が大股で教室に入って来て、日和の後ろの席に座った。
「おっす!」
「おはよう」
「おはようございます」
秋土と春水が夏火に挨拶を返した。
日和も後ろを振り向き、挨拶をしようとしたが、夏火の顔を見ると、怯んでしまった。
「日和! おっす!」
ふざけているように、夏火がニヤニヤしながら、日和に言った。
「お、おはようなのじゃ」
「えっ、聞こえねえよ!」
「お、おはようなのじゃ!」
日和は自分が出せる一番の大声で叫んだ。
「それでちょうどじゃねえかよ。もっと腹から声出せよ」
「お腹から?」
「ああ、腹から声が出るようになったら、うちのバンドのコーラスにでも入れてやるよ」
「バンド?」
そう言えば、今日も夏火はギターケースを持って来ていた。
「おお! 何だ、お前、クラブに入るつもりなのか?」
夏火は、日和が手にしたままだった入部申請書を見ていた。
「こ、これは、さっき、秋土さんからもらったのじゃ」
「何だよ、秋土! 早速、テニス部に勧誘してるのかよ? テニス部なんて、もう部員がいっぱいいるだろ? 弱小クラブの軽音楽部に、ちったあ回してくれても良いだろうが!」
日和は、夏火が本気で怒っているようにしか見えなかったが、秋土は、慣れているのか、表情を変えることはなかった。
「それは、日和ちゃんが決めることだよ」
「それはそうだが」
「それより、夏火は、日和ちゃんのことを、早くも呼び捨てか?」
夏火から呼び捨てにされたことに、やっと気づいた日和だった。
「俺は、誰も差別することなく、女は、全員、呼び捨てにしてるだろ?」
「夏火。昨日は、日和さんのことを、『お子ちゃま』とか呼んでいたのに、今日は、女性として認めているのですね?」
「お、お子ちゃまでも、女は女だからな」
春水の冷静な突っ込みに、夏火も少し動揺しているようだった。
間もなく、冬木が本を読みながら、教室に入って来た。
「おはよう」
視線は手元の本から動かさず、冬木は、席に座りながら、誰にともなく挨拶を言った。
しかし、春水、夏火、秋土とも、それぞれの口振りで挨拶を返した。冬木のこの態度もいつものことのようだ。
日和も負けずに挨拶を返そうとしたが、その前に、冬木は前を向いて座ってしまった。
「冬木!」
秋土が冬木の背中に呼び掛けると、冬木は面倒臭そうに振り向いて、秋土を見た。
「何だ?」
「僕達は、今、日和ちゃんにクラブの勧誘をしているのだけど、科学部は募集していないのか?」
「していない」
秋土の問いに即答すると、冬木は、すぐに前を向いた。
「相変わらず、愛想が無い奴だな。日和ちゃん、気にしないでね」
冬木の無愛想な態度に日和が気分を害したと秋土は考えたようだが、全然、そんな気にはならなかった日和は、逆に冬木に申し訳無く思ってしまった。
「わらわは、頭が悪いゆえ、理科や科学は苦手なのじゃ。もし、科学部に入っても、冬木さんに迷惑を掛けてしまうのじゃ」
日和の言葉が聞こえたようで、冬木はゆっくりと振り返り、日和の顔を見た。
「では、何が得意なのだ?」
冬木から真顔で訊かれて、尋問されているような気がした日和であった。
「あ、あの、国語と古文であれば……」
「そうか。さすがは、卑弥埜の姫だな」
卑弥埜家は、確かに日本古来から続く名家であるが、その家の者であるからと言って、国語と古文が得意な理由にはならないはずだ。
「いや、国語と古文以外の成績が、恐ろしく酷いだけなのじゃ」
「そんなことまで正直に話す必要はない」
日和の答えが面白かったのか、冬木は、くすりと笑った。
いつも難しげな本を読んでいて、冷静沈着でクールな雰囲気の冬木も笑うことがあるのだと、日和は思った。
「まあ、科学部に入れば、卑弥埜が理科を好きになるまで、自分が教え込んでやろう」
黒板を前に難解な数式を淀みなく唱えている冬木の姿が頭に浮かんだ日和は困ってしまった。
「わ、わらわが理科が好きになる頃には、冬木さんは、きっとお爺さんになっておるのじゃ」
日和の周りで笑いが起きた。
「わ、わらわは、何か変なことを言うたか?」
日和は、別にみんなを笑わそうと思っていた訳ではなく、理科が好きになることは、きっと死ぬまで来ないと本当に思ったから言っただけであった。
「日和ちゃんは、姫様ならではの天然というか、素直というか、話してると、何か面白いね」
秋土と同じ感想を、他の三人も持ったようだった。
その日の授業がすべて終了して、最後のホームルームも終えると、号令に従って、生徒が一斉に立ち上がり、解散となった。
「日和ちゃん」
日和は秋土の顔を見つめた。
「転校生がクラブ見学に来るかもしれないってことは、全部のクラブに周知しているから、これから、各クラブを見学に回ってみなよ」
「わ、分かったのじゃ」
「もちろん、テニス部でも待ってるよ。それじゃ!」
「う、うん」
秋土は、爽やかな笑顔を残して教室を出て行った。
「日和!」
秋土が出て行ったのを見計らったように、今度は、夏火が日和を呼んだ。
日和が振り向くと、既に立ち上がって、ギターを背負っている夏火がにやにやと笑っていた。
「日和は、何か楽器はできるのか?」
「ピアノくらいなら」
「ピアノ? クラシックか?」
日和は、こくりと頷いた。
「和音のこととか分からねえか?」
日和は、首をブルブルと横に振った。
「まあ、ピアノをやってたということは、基礎はできているはずだから、いつでもキーボードでバンドに入れてやるぜ」
「たぶん、無理じゃ」
「最初から諦めてどうするんだよ?」
日和が無理だと思ったのは、バンドでキーボードができるかどうかより、ずっと夏火と同じ部屋にいることだった。
「軽音楽部の部室は、新校舎の一階の端っこにあるから、とりあえず見に来いよ」
行かないとは言えず、とりあえず、こくりと頷く日和であった。
夏火が去って行くと、今度は、春水が席を立った。
「日和さん」
日和は、春水の顔を見上げた。
「美術部は、新校舎の一階で、軽音楽部と反対側にある美術室で活動をしていますから、お暇があれば、ぜひお立ち寄りください」
日和が頷くのを確認すると、思わず見とれてしまうような微笑みを残して、春水も教室から出て行った。
「卑弥埜」
今度は、前の席の冬木が立ち上がって、日和を見ていた。
「朝は、ああ言っていたが、科学は面白いぞ。自分は、神術の仕組みを科学で解明できないかと密かに研究をしているのだ」
「そ、そんなことができるのじゃろうか?」
「できるかどうかは分からない。しかし、普通科の部員には神術の何たるかは明らかにできないから、クラブの時間を利用して、自分が一人で密かに研究しているのだ。卑弥埜も関心があれば、新校舎一階にある理科実験室に来てみてくれ」
日和が、こくりと頷くと、冬木も教室を出て行った。
周りの四人が去って行くと、日和は、やっと帰る準備に取り掛かった。
手先は器用なのに、段取りが悪い日和が、モタモタと鞄に教科書を詰め込み終えると、教室を出て、廊下で待っていた真夜と合流した。
「おひい様、今日もお疲れ様でした。それでは、帰りましょうか?」
「真夜! 真夜は、クラブに入らないのか?」
「クラブですか? 特に入るつもりはありませんが、おひい様は、どこかのクラブに入りたいのですか?」
「入りたいクラブは今のところ無いが、四臣家の皆さんから、クラブ見学に来るように誘われたのじゃ」
「なるほど。クラブに入って、広く、人とのつき合いをすることは、おひい様にとって、良きことかもしれませんね。とりあえず、見学に行ってみますか?」
「そうじゃの。せっかく、誘ってくれたのに行かぬのは申し訳ないからの」
男の子から絡まれることは、まだ慣れてないくせに、仁義は欠かさない日和であった。