第五十七帖 姫様、デートをする!(二回目 with春水)
十一月も下旬に入り、冬の足音がすぐそこに聞こえるようになってきた。
縮地術の扉がある公園の樹木もほとんどが葉を落としていた。
今日の日和は、春水から、晴れたら暖かい格好で来るようにと言われていたことから、頭にはベレー帽、ネルシャツの上にカーデガン、チェック柄のマキシスカートにウェスタンブーツという格好。
一方の春水は、スタンドカラーの白いシャツの上に、ボタン付きのベストとジャケット、下はスリムなネル生地のズボン、足元はサドルシューズという出で立ちであった。
「おはようなのじゃ、春水さん」
「おはようございます、日和さん。今日のお召し物も素敵ですね」
「春水さんこそ」
はにかんだように微笑んだ春水は、足元に置いていた大きなバックを肩に掛けた。
「大きな荷物じゃな?」
「ええ、今日使う道具を入れて来ました」
「道具?」
「はい。秋土や夏火と同じように、私も、私が好きなことを日和さんに経験してもらいたいと思っているのです」
「と言うことは、絵を描くということじゃな?」
「ええ、そうです。このバッグの中にはその道具が入っているのです」
「ひょっとして、わらわの分も?」
「ええ」
「重いのではないか? 自分の分は自分で持つのじゃ」
「姫様に荷物を持っていただく訳にいきません。それに、今日は私が勝手に持って来ているのですから尚更です」
フェミニストの春水が日和に荷物を持たせるはずもなかった。
春水は日和を優しくエスコートしながら歩き出した。
「絵を描きに行くって、どこに行くのじゃ?」
「いろいろと考えていたのですが、朝、起きて、良い天気だったら、風景画を描こう思って、公園に行くことにしていました」
「公園に?」
「ええ、大きな公園ですよ」
日和と春水は電車に乗って都心にある大きな公園に行った。
周りは超高層ビルが建ち並ぶ都会のど真ん中であるにもかかわらず、広い敷地に芝生の広場や林が広がっていて、空が高く大きく広がっていた。
太陽の光が溢れて、比較的暖かい晩秋で、風も爽やかに園内を吹き抜けていた。
「気持ちが良いですね」
「本当じゃ。やっぱり緑は良いの」
「日和さんのご自宅の周りも緑がいっぱいですものね」
「うん。わらわも小さい頃は野生児で、真夜と一緒によく裏山を飛び回っておった」
「今の日和さんからは想像できませんね」
「……ひょっとしたら真夜のせいかもしれぬ」
「真夜さんの?」
「うん。真夜が『今の真夜』になった時、わらわは、もっと女の子らしくしないといけないと思った気がする。ずいぶん昔じゃからはっきりとは憶えてはおらぬが」
「そうですか。日和さんと真夜さんは本当に深い絆で繋がっているのですね。少し真夜さんが羨ましいです」
「で、でも、四臣家の四人とは、これからもずっと友達でいられると思うのじゃ。知り合ったのは真夜よりもずっと遅いけど、真夜と同じくらい大事な四人なのじゃ」
「そうですね。日和さんが四人のうち誰を選ぼうとも、私達はこれからも友人としてつき合っていけると思います」
「うん」
日和は、本当にそう思った。
四臣家の四人は、日和の彼氏の座を争うライバルとなっている訳だが、他の者を蹴落とそうとする卑怯な手段を使うような者はいなかった。学校では、今までと何ら変わることなく、日和を中心に四人の話が盛り上がっていた。
ふと、このまま今の状態が続けば良いと思ってしまう日和であったが、それは許されないことだった。
「あらかじめ下見をして、絶好のスケッチポイントを見つけているのです。行きましょう!」
春水が差し伸べた手を握って、二人は芝生広場を横切り、広場を囲んでいる林の手前まで歩いた。
振り向くと、そこには、広い芝生広場の向こう側に林があり、更にその奥に超高層ビルが林立している未来的な風景が広がっていた。
「自然と人工物の融合もしくは調和というテーマでいかがでしょう?」
「わらわには難しいことは分からぬが、何か今の世の中の象徴的な風景のような気はするのじゃ」
「十分、難しいことをおっしゃってますよ」
「す、すまぬ。思いついたことをそのまま口にしてしもうた」
「日和さんらしいですけど、それはそれで大切なことだと思います。変に理屈を付けたり、何かで飾り立てようとすることなく、感じたままを言葉にされたのでしょう?」
「そう言ってもらえるとありがたいのじゃ」
「ふふふ。では、ここにしましょうか?」
「うん」
春水は、大きなバッグを、一旦、近くにあったベンチの上に置き、ファスナーを開けた。
中からスケッチ用の小さな折り畳み椅子を二つ取り出して、芝生の上に並べて置き、その前にアルミ製の折り畳み式イーゼルを座って描ける高さに伸ばして、A4サイズのスケッチブックをセットした。
「では、日和さんはこちらに」
日和が椅子の一つに腰掛けると、その隣に春水が腰掛けた。
「今日は、水彩画をしたいと思います。まずは、これで下絵をスケッチしましょう」
春水はバッグの中から鉛筆と水彩画のセットを取り出して、鉛筆を一本、日和に手渡した。
「こんなに荷物が入っておったのか。春水さん、重かったのではないか?」
「大丈夫です。軽い道具を選んできてますし、何より日和さんと一緒に絵が描けると考えたら、もっと本格的な道具を持って来ようかと思ったくらいです」
「そ、そんな良い道具を渡されても、わらわにはきっと豚に真珠じゃ」
「そんなことはありませんよ。ところで日和さんは水彩画を描かれたことはありますか?」
学校に行っていたら誰しも経験していることであろうが、日和は学校に行ってなかった。
「家庭教師の先生が情緒教育も大切だと言って、絵を描く時間もくれたので、やったことはあるが、たぶん、学校に行っておる者よりはずっと少ないと思うのじゃ」
「経験がお有りであれば大丈夫です。自分の心の中に浮かんだ風景を紙に書き写せば良いだけですから」
「そうは言うても、技術は必要じゃろう?」
「もちろん、無いよりはあった方が良いと思いますけど、自分の感性にのみ従って、思うままに描いてみれば、何かを感じる絵が描けるはずですよ」
「そうじゃろうか?」
「ええ! 何はともあれ描いてみましょう」
春水がスケッチブックに向き合ったのを見た日和もスケッチブックに向き合った。しかし、何から描いたら良いのか分からず、鉛筆をスケッチブックに押し付けているポーズのまま固まってしまった。
隣の春水を見ると、スケッチブックに軽やかに鉛筆を滑らしていた。
上半身を伸ばすようにして、春水のスケッチブックをのぞき見てみると、全体の輪郭が既に書き込まれていて、それだけで一つの絵として見ることができた。
「春水さん、すごいのじゃ! わらわは何から描けば良いのかも分からないのじゃ」
春水は手を止めて、優しい顔で日和を見た。
「まずは、大きく構図を決めましょう」
「構図?」
「今、見えている景色の大きな構成要素は、芝生の広場、その奥に林、更にその奥のビル群の三つです。まずは、その境目を線で描くのです」
「境目のう……」
日和は、紙の下の方に横線を入れた。そして、その上に、もじゃもじゃとした積乱雲のような模様を描き、更にその上に棒グラフのような線を入れた。
「何だか、火事場から煙突がにょきにょきと建っているようになってしもうた」
「それで良いのですよ。まずは、絵を描くということを楽しみましょう」
「絵を描くということ?」
「はい。作品として残る絵が上手とか下手とか、今日は考える必要はありません。もし、日和さんが絵画に興味を持って、もっと自由に、もっと思い通りに絵を描いてみたいと思うようになれば、その時には、私もいろいろと教えて差し上げたいと思います。でも、今日は、楽しんで描きましょう」
「分かったのじゃ」
春水が日和の描いた絵を見て笑うような人間ではないことは分かっている。
もしかしたら、絵を描くことがこれから好きになるかもしれない。しかし、まずは、そのことを楽しむことができないと好きになれるはずがない。
日和は、自由に絵を描いてみようと吹っ切れた。
もう一度、目の前の風景をじっくりと眺めてみた。
芝生の広場、林、ビルという大きな構図の中に、いろんなシーンがちりばめられていることに気がついた。
芝生の広場では、林に近い周辺部には、レジャーシートを広げ、お弁当を食べているグループがあちこちにいて、中心部には家族連れやカップルが、バトミントンやフリスビー、サッカーボールなどで遊んでいた。
林には、葉を落としている樹木もあれば、まだその葉を風がそよがせている木々も見えた。
高層ビルもよく見れば、いろんなデザインがあって、単純な長方形で表現しきれないと分かった。
晩秋の空には、白ペンキを筆で伸ばしたような薄い雲が浮かんでいて、渡り鳥だろうか、編隊を組んで飛んで行く鳥の群れも見えた。
これほど目を凝らして景色を見るということも初めてだった日和は、自然と社会の営みが自分の関与しない世界であっても連綿と続いていることに、何となく感動してしまった。
「素敵じゃな」
「はい?」
日和がぽつりと呟いた台詞を春水は聞き取れなかったようだ。
「い、いや、良い天気で気持ちが良いと思ったのじゃ」
「そうですね。あまり寒くなくて良かったです」
「そうじゃの」
「こうやって、ぼんやりと景色を眺めているだけでも、何か心が背伸びをしているみたいで気持ちが良いですよね」
春水が言っていることが、すごく納得できた日和であった。
その後も春水からアドバイスをもらいながら、日和はスケッチを続けた。
春水は日和のどんな質問にも穏やかな表情のまま丁寧に教えてくれたが、けっして自分が日和のスケッチに手を入れることはなかった。
少しでも手を入れると、それは日和の絵ではなくなると考えているのであろう。
「日和さん、そろそろお昼にしましょうか?」
日和よりも早くスケッチを終わらせていた春水が、日和のスケッチが一段落したのを見計らって、声を掛けた。
「そうじゃの。慣れぬことをするとお腹も減るのじゃ」
「はははは、それは良いことですね」
「お昼はどうするのじゃ? どこかに食べに行くのか?」
「せっかくですから、ここで食べましょう」
「ここで?」
「ええ、葵姉さんにお弁当を作ってもらったのです」
「葵さんに?」
「葵姉さんもがさつなように見えて、料理の腕はなかなかなのですよ」
「そうなんじゃ」
「最近は、真夜さんとも料理の情報を交換しあっているようですよ」
「そうなのか? 真夜と葵さんは最近仲良しみたいで、携帯でもよく連絡を取り合っているようじゃ」
「そのようですね」
そう言った後、春水は、何かに迷っているような表情を見せたが、すぐに元の穏やかな表情に戻った。
「以前、私は小学校の頃、オカマだと言われて虐められた過去があったとお話しましたが、葵姉さんも小さな頃に虐められた過去があるのです。もちろん、私は葵姉さん自身から聞いた話ですが」
葵の颯爽とした雰囲気から、虐められていたということが、日和には信じられなかった。
「葵姉さんは、小学三年生の時、同級生の女の子が好きになったらしいのです。葵姉さんは昔から、ずばずばと物を言う性格で、すぐにその女の子に告白をしたそうです。すると、相手の女の子は、友達として好きという意味にとらえたのでしょう、私も好きと言ってくれたそうです」
普通はそう解釈するはずだと日和も思った。
「でも、葵姉さんは、告白を受け入れてくれたと思って、その女の子にベタベタといちゃついていたようで、葵姉さんの本心を知った同級生達は、葵姉さんを気味悪がったそうなんです」
小学生には多様な恋愛観など理解できなかったのだろう。
「でも、葵姉さんは、全然、へこたれなかったそうですよ。すごくポジティブな葵姉さんらしいですよね」
「本当じゃ」
「この話には続きがあって、四年生になってクラス替えがあったそうなんですけど、そしたら今度は同級生の男の子が好きになったらしいのです」
「そういえば、好きになる対象は男だろうと女だろうと関係無いとは、葵さんは言っておった」
「ええ、今の葵姉さんの関心は真夜さんにあるようですが、今までにないくらい本気だと言ってましたよ」
「葵さんが真夜の心を癒やしてくれる人だと良いのじゃ」
「はい……。あっ、話をしていて遅くなりましたね」
春水は、大きなバッグの中から風呂敷に包んだ重箱を取り出した。
「それも入っておったのか。本当に重かったのじゃろう?」
「大丈夫です。日和さんがモリモリと食べていただけると、私の荷物が軽くなるということですよ」
「いっぱい食べるのじゃ!」
「ふふふふ、無理はしないでください」
椅子を向かい合わせて座り直し、その真ん中に重箱を置いた。
そして、バッグの中からウェットティッシュ、割り箸、紙皿まで出て来た。
「四次元ポケットのように次から次に出てくるの」
「おやつも入っていますよ」
「食べろと言われなくても、おやつは食べるのじゃ」
「はははは、じゃあ、いただきましょうか?」
春水が重箱を開けると、上の段には、卵焼き、アスパラのベーコン巻き、コロッケといったお弁当の定番メニューが入っていて、下の段には海苔おむすびが入っていた。
「おいしそうじゃ! では、遠慮なく、いただくのじゃ!」
日和は、おにぎりと卵焼きを紙皿に取り分けて、一口食べた。
「この卵焼きはすごく美味しいのじゃ」
「ええ。それプラス青空の下で食べると、更に美味しいですよね」
「本当なのじゃ。ピクニックみたいじゃ」
「せっかく公園に来ているのですから、食事が終われば、少し園内を散策してみませんか?」
「そうじゃの」
食後、日和と春水は、手を繋いで園内を歩き出した。
ここでもすれ違う人、特に女性が春水に見とれているのが分かった。
広い池まで出てきた。
周りにはぐるりと遊歩道が整備されている池には何隻かの手漕ぎボートが浮かんでいた。
「日和さん、ボートに乗ってみますか?」
「ボートに? わ、わらわは泳げぬのじゃが」
「危険なことはいたしません。もし、日和さんが危険なことになったら、私が命に替えてもお守りいたします」
貸しボート屋で借りたボートに、春水が後ろ向きに座りオールを持ち、その前に日和が前方に向いて座った。
春水がゆっくりとオールを漕ぐと、ボートは水面を滑るように進んでいき、ちょうど池の真ん中付近までやって来た。
すぐ近くで揺らめく水面に太陽の光が反射して、光のダンスを披露してくれた。
ちゃぷちゃぷという水の音と揺りかごのような揺れが、日和の心を癒してくれて、時間が止まっているようなのんびりとした空気に包まれていた。
日和は、春水と一緒にいる時には、こういった癒される感覚をいつも覚えていた。
「きゃー!」
突然、どぼんという何かが水に落ちた音とともに悲鳴が上がった。
見ると、池に落ちたと思われる女の子が手をバタバタとして水しぶきを上げていた。
その近くに浮かんでいたボートから連れの女の子だろうか、必死で手を差し伸べようとしていたが、ボートが大きく揺れて、その女の子も落ちてしまいそうだった。
日和がどうしようかと迷っているうちにも、春水は、上着と靴を脱ぐと、そのまま池に飛び込み、溺れている女の子にクロールで近づいて行った。
日和と春水は貸しボート屋がボートを係留している桟橋の上にいた。
「さっきの女の子は少し水を飲んでいたけど大事ないそうですよ」
貸しボート屋の親父が嬉しそうに春水に告げると、びしょ濡れで桟橋に腰掛けていた春水も微笑んだ。
貸しボート屋の親父は、持ってきたバスタオルを日和に渡した。
日和は、すぐに春水の後ろにひざまづいて、バスタオルを春水の肩に掛けてあげた。
「ああ、日和さん、すみません。せっかくのデートなのに」
春水が後ろを振り向いて、少し頭を下げた。
「何を言っておるのじゃ! あの場面で、わらわこそオロオロしてしまって何もできなかったのじゃ」
「私が引き上げた女の子に密かに太陽の神術を掛けていたではないのですか?」
「それくらいしかできぬからの」
「いえ、それであの女の子は息を吹き返したのですからね」
「それもこれも春水さんが助けたからじゃ。すごいのじゃ」
「勝手に体が動いてしまったのですよ」
「それは、春水さんが優しい人だからじゃ」
「そう言っていただくと嬉しいです」
「……春水さん、ちょっと髪を拭くのじゃ」
そう言うと、日和は春水の肩に掛けていたバスタオルを取り、春水の髪を丁寧に拭いた。
拭き終わると、日和は、タオルを春水の肩に戻し、その両肩に手を置いて、春水の背中に頭を付けた。
「春水さん」
「はい?」
春水は振り返らず答えた。
「すごく格好良かったのじゃ」
「……ありがとうございます」
「でも、すごくハラハラしたのじゃ」
「……申し訳ありません」
「謝る必要はないのじゃ」
いつも貴公子然としている春水も、いざという時には、その命を投げ出す勇気を持っていた。それは、春水の言動からは分かっていたことであったが、現実にその覚悟を見せつけられると、今さらながらに、春水が女子を夢中にさせる魅力が薄っぺらいものではないことが分かるのだった。




