第五十四帖 姫様、真夜のお出掛けを応援する!
日曜日の朝。
綺麗に晴れて少し肌寒い朝に、パジャマ姿の日和は、身をすくめながら、庭に面した廊下を渡り、屋敷の隅にある真夜の部屋の前に立った。
「真夜! 入るぞ!」
障子の外から声を掛けると「す、少しお待ちください」と焦った真夜の声が返って来た。
仕方無く、自分の腕で自分を抱きしめて、震えながら待っていると、すぐに障子が開いた。
真夜は、フリルが付いた白い襟が映えているベルベット生地の黒いワンピースと黒タイツを華麗に着こなし、薄くメイクもしているその顔は芸能人も真っ青のオーラを放っていた。
「すごい! すごいのじゃ! 真夜!」
日和も呆気に取られて、それしか声に出すことができなかった。
「な、何がすごいのでしょう?」
「い、いや、何か本当にすごいのじゃ!」
「へ、変ですか?」
「変ではない! 綺麗すぎて言葉にならなかったのじゃ!」
「あ、ありがとうございます」
「本当に綺麗じゃ! メイクもいつになく気合いが入っておるの!」
「そ、そう言う訳ではありませぬ」
「葵さんも綺麗じゃが、真夜と一緒じゃと霞んでしまいそうじゃ」
「おひい様! 誉めすぎでございます!」
照れまくっていた真夜は、日和の格好を見て、いつもの表情に戻った。
「拙者のことは置いておいて、おひい様のその格好は何でございますか?」
「い、いや、真夜が、今朝、早く出ると聞いて、声を掛けて行こうと思ったのじゃ。でも、昨日、お風呂から上がって服を選んでいると寝落ちしてしまって、三時くらいに目が覚めたのじゃが、二度寝してしまって、いましがた起きたのじゃ」
「おひい様らしいと言えば、おひい様らしいですが……」
やれやれと言う顔をして首を振った真夜に日和が突っ込んだ。
「そう言う真夜こそ、夕べは眠れなかったのではないか?」
「そ、そんなことはございません! いつもどおり午後十一時には床に就きました」
「でも、わらわが三時に目が覚めた時には、真夜の部屋の電気が点いていたようじゃが?」
真夜の部屋は、中庭をぐるりと回った先、中庭を挟んで日和の部屋の正面にあった。
「ね、寝る前に水を飲み過ぎたのでしょうか? ちょうど、お手洗いに行っておりました」
「……まあ、よいわ」
ジト目で真夜を見た日和は、すぐに笑顔になった。
「真夜も今日は楽しんできてたもれ」
「は、はい」
「もっと遅くまでいても良かったのに」
「やはり、伊与様のご夕食は拙者がお作りさせていただきたいので」
真夜は、午後四時までには帰宅できるように、葵との待ち合わせの時間を早くしていたのだ。
「おひい様、お召し替えは?」
「自分でできる。今日は、わらわのことを忘れて楽しんでくるのじゃ」
「おひい様のことを忘れて……」
目を伏せた真夜は、別のことを考えているようであった。
「うん?」
「い、いえ、何でもございません。もう十分ほどすれば、先に出させていただきます」
「うん。わらわも一時間ほど後には家を出るでな」
真夜が、縮地術の扉がある、いつもの公園まで行くと、葵が待っていた。
青のダンガリーシャツの上にブラウンのセーターを着て、ミニ丈のジーンズスカートの下にはダークブラウンのタイツ姿、足元は黒のショートブーツといういでたち。
「真夜ちゃん、可愛い!」
その第一声とともに、葵は真夜に抱きついた。
「あ、葵殿! 公衆の面前ですぞ!」
真夜は焦って、葵を押し退けた。
「良いじゃない! 仲が良いところを見せつけてやろうよ!」
「い、いや、拙者はそう言う趣味はございません」
「ざんね~ん」
まったく残念そうでない葵が真夜の手を握った。
「じゃあ、行こうか」
真夜の手を引っ張って、葵は公園の前の道路に停めている軽自動車に向かって歩いた。
「あの車は葵殿の?」
「そうだよ。初心者マークがまだ付いてるけど、安全運転するから心配しないで」
「……車体のあちこちが少しへこんでますが?」
「ああ、それ? うちの車庫にぶつけたの。今まで人には当てたことはないから」
「……あ、歩いてまいりませぬか?」
「ええ~、歩くと遠いよ~」
葵は大学三年生の二十一歳であったが、十七歳の真夜の方が姉のようであった。
「さあ、乗った乗った!」
助手席に押し込まれた真夜が欧州の魔法使いの襲撃よりも身がすくむ恐怖に耐えていると、無事に、都心の繁華街に着いた。
乗ってきた軽自動車を、思いの外、上手に縦列駐車させた葵に続いて、真夜はほっとため息を吐きながら車を降りた。
そこは日本でも有数の高級商店街であったが、真夜と葵の二人が並んで立つと、まるで撮影で来ているモデルのようで、周りの買い物客も思わず立ち止まり、二人に見とれていた。
そんな空気を感じた真夜は、今までにない緊張感を覚えた。
「葵殿! まずは、どちらに行かれるのですか?」
今日は、葵が大学でのパーティに着ていくフォーマルな装いを買いに来ており、真夜はそのセンスを買われて、アドバイスをしてほしいと頼まれたのだ。
「まずは、あそこで洋服を見てみましょう」
葵が指差さした先は、超有名な高級海外ブランドの直営店であった。
「あ、あそこですか?」
「うん。真夜ちゃん、入ったことある?」
「あるはずがございません! 卑弥埜家は質素倹約がモットーの家風なれば、服に何十万も掛けるようなことはしたことがございません!」
「そうなの? でも、そのワンピース、すごく素敵でリッチに見えるけどなあ」
「これは百々様の着ていたお洋服を、自分のサイズには合わないと、おひい様が拙者にくださったものです。拙者の宝物の一つでございます」
「百々様って?」
「現当主伊与様の一人娘で、おひい様のお母様でございます」
「ああ、欧州魔法協会の理事長と夫婦揃って襲われた……?」
「はい。悲しい出来事でしたが、おひい様は、自分のご意志で、すべての因縁を断ち切られました」
「ねえ、真夜ちゃん」
「何でございましょう?」
「今は、私とデートをしてるんだから、日和さんのことは、なるべく話さないで」
「い、いや、葵殿が訊かれたからでございます」
「日和さんが欧州魔法協会との因縁を断ち切ったことなんて訊いてないけど?」
「……」
「……ごめん。ちょっと、日和さんに嫉妬しちゃった」
「そ、そんなこと……」
「ふふふ、さあ、行きましょう」
ドアボーイが笑顔で開けてくれたドアを通り、二人は店内に入った。
「葵殿は、このような店にいつも来られているのですか?」
「姉貴のお伴で何回かね。私自身は興味がないから一人では来たことないけど」
女性店員が一人、二人の近くに近寄って来た。
「いらっしゃいませ。当店は初めてでございますか?」
「あっ、これを」
葵がハンドバッグの中から一枚のカードを取り出した。
「大伴様でございますか?」
どうやらこの店のメンバーズカードのようで、名前を見た店員の笑顔が営業用とは思えないほど輝いた。
「ええ、姉のカードですけど、使って良いですか?」
「はい、結構でございます。今日はどのようなものをご希望でございますか?」
「まだ決めてないので、友達とゆっくり見せてください」
「かしこまりました。ごゆっくり、ご覧になってくださいませ」
店員は葵から離れて、もともと立っていた場所に戻った。
葵と真夜は、ディスプレイされている服を順番に眺めた。
「真夜ちゃんが良いと思う服を選んでくれる」
「それはよろしいですが、拙者がいつも買う服と値段の桁が二桁違います。責任重大ですな」
「何か金に糸目を付けずに買っているみたいで嫌なんだけど、けっこう家族がうるさくてね。大伴家の人間なんだから、それなりの格好をしろってさ」
面倒臭そうに話す葵の顔を見て、真夜もプッと吹きだしてしまった。
「葵殿は、本当に着飾らない方なのですね」
「て言うか、堅苦しいことが嫌いなだけ。とりあえず選んで! 真夜ちゃん」
「最初から拙者が選ぶよりは、葵殿が選んだ服に意見を述べさせていただくことでいかがでしょうか?」
「それだと良いことしか言わないでしょ?」
図星であった。
「真夜ちゃんが選んでくれた服なら、私は喜んで袖を通すから」
「分かりました」
二人は華やかな店内をゆっくりと時間を掛けて見て回った。
店員達も店の華やかさに負けていない二人をじっと目で追っていた。
「これなどいかがですか?」
真夜が選んだのは、スカート部分にそのブランドのシンボルマークが白く染め抜かれている単色のワンピースであった。
「うん! 良いね!」
そのシンプルなデザインを、葵も一目見て気に入ったようだ。
その後、同じ店で買い込んだ靴とハンドバッグも併せて、いったん車に載せると、再び、二人は手を繋いで歩き出した。
「葵殿」
「何?」
「今朝から思っていたことですが、せ、拙者も一応、女に見える訳ですから、そ、その女同士で手を繋いで歩いているからか、周りのみんなから注目されているように思えてならないのですが?」
「みんなが私達に注目しているのは、真夜ちゃんが可愛いからだよ」
「そ、そんなことはございません! それなら、葵殿が綺麗だからでしょう!」
「ふふふふ、ありがとうね」
葵から屈託のない笑顔を返されて、真夜は胸にときめくものを感じた。
今まで覚えたことのない感覚であったが、その心地良さに体も心も軽くなる気がした。
「手を繋ぐの、恥ずかしかった?」
と言いつつも、葵は真夜の手を離さなかった。
「少し」
と答えた真夜も手を離そうとは思わなかった。
「女同士で恋人なんて、いっぱいいるよ」
「そ、そうなのですか?」
「ふふふふ」
その後も二人は手を繋いで、お洒落な店のウィンドウをあちこちとのぞいてみた。
葵の飾り気のない言動に、真夜も気を遣うこともなく、ナチュラルに接することができた。
学校に行くまでの日和は、ずっと引き籠もりで、服などのショッピングもカタログ通販でしていたから、真夜が日和と一緒にショッピングに出掛けたことはなかった。
もっとも、伊与のお伴でショッピングに出掛けることはあり、この商店街にも何回か来たことはあるが、伊与は和服店や和装小物店に直行して、今みたいにウィンドウショッピングをすることはなかった。
ふと気づくと、もうお昼になっていて、思っていたより時間が早く経ったことに、真夜自身が驚いた。
葵とのショッピングを楽しんでいる自分に気づいた。
イタリアレストランで昼食も終えて、また、外に出た二人を晩秋の太陽が祝福してくれた。
「思ってたより、暖かくなったね」
葵が太陽に向かって、背伸びをした。
「はい。風が気持ち良いです」
「ちょっと散歩がてら歩いてみる?」
「はい」
また、葵に手を引かれて、真夜は、皇居の近くにある大きな公園まで歩いた。
公園の中に入ると、二人は落ち葉が敷き詰められた通路をサクサクと音を立てながら歩き、空いていた木のベンチに並んで座った。
「ふふふふ」
葵が何かを思い出したかのように笑った。
「何ですか?」
「真夜ちゃんは女の子なんだなあって思って」
葵が言ったことの意味がよく分からなかった真夜は首を傾げて葵の顔を見た。
「さっき、女同士で手の繋ぐのが恥ずかしかったって言ってたでしょ」
「少なくとも、拙者は男であることは捨てています」
「男じゃなかったら、女でしょ?」
「……そうなりたいと思っています」
「将来はどうするの? 手術とか受けるつもり?」
「お金が貯まれば……」
「そっか。体ごと女になっちゃうのかあ」
「今の中途半端なままでは、自分が惨めになるだけのような気がします」
「でもさあ、真夜ちゃん、顔とかには全然メスを入れてないんでしょ?」
「はい」
「すごいよね! うちの春水も我が弟ながらに美形だとは思うけど、女性として見ると、やっぱり無理があるんだよね。でも、真夜ちゃん、どっからどう見ても女性だし。それにすごく可愛いし」
真夜は、度重なる誉め攻撃に顔を赤くしてうつむいてしまった。
「でもさ」
真夜は、少し醒めたトーンに変わった葵の言葉に、顔を上げて葵を見た。
葵は、さっきまでの微笑みを消していた。
「体まで全部女になっちゃったら、真夜ちゃんの気持ちも落ち着くのかな?」
「拙者の気持ち?」
「日和さんを諦めることができるのかってこと」
「な、何をおっしゃっているのですか?」
「日和さんの幸せを願う心のどこかに、いつまでも自分の側にいてほしいという気持ちがあるんじゃない?」
「……」
「日和さんのお世話をずっとしたいとも?」
「……お世話はしたいです」
「それは真夜ちゃんが梨芽の家の者だからというだけじゃなくて、日和さんだから、なんでしょ?」
「……おっしゃっている意味がわかりません」
「じゃあ、単刀直入に訊くね」
葵は、真夜の顔を覗き込むようにして見た。
「真夜ちゃんには好きな人はいないんだよね?」
「……おりません」
「本当に?」
「はい」
真夜の返事を聞いて、満足したかのような顔をした葵は、横に置いていたハンドバッグからリングケースを取り出した。
そして、真夜の目の前に差し出して蓋を開けた。
中には、小さなダイヤらしき宝石が目立たないように埋め込まれたプラチナのリングが二つ入っていた。
「それは?」
「さっき、真夜ちゃんが洋服を選んでくれている時に密かに買ったの」
「そ、そうなのですか? でも二つございますが?」
「一つは真夜ちゃんの分だよ」
「えっ!」
「今日のお礼を兼ねて、私からのプレゼント! ペアで付けたいなって思って」
「そ、そのような高価な物をいただく訳にはまいりません!」
「そんなに高価でもなかったよ。二つで十万円くらい」
「じゅ、十分高価でございます!」
「でも、真夜ちゃんにプレゼントしたいのは、宝石としての価値じゃないから。私の気持ちだから」
「……気持ち?」
「そうよ。春水が日和さんに告白したように、私も真夜ちゃんに告白するから! 私の恋人になってほしいって!」
「なっ……」
言葉を失ってしまった真夜の左手を取った葵は、その薬指にリングをはめた。そして、もう一つを自分の左手薬指にはめて、真夜の目の前に突き出した。
「お揃い!」
「……」
「嫌じゃなかったら、いつも付けていてほしい。私は、ずっと付けているから」
「……」
「やっぱり嫌?」
呆然としたままの真夜の顔を心配そうな葵が覗き込んだ。
「い、嫌ではございませんが……、どうして拙者などに?」
「真夜ちゃんだからだよ。学校でも人気者だと聞いてるよ。真夜ちゃんは見た目も素敵だし、話をしても面白いし、一途なところが可愛いって思うし。誰もが、真夜ちゃんともっと仲良くなりたいって思ってるはずだよ。私もその中の一人ってこと」
「違います! 拙者は、そのように人から好かれるような人間ではありません!」
「人から好かれると迷惑?」
「えっ?」
「ずっと、日和さんを一途に好いているんだから、言い寄られるだけでも迷惑だと思ってるの?」
「だ、だから! おひい様のことは関係ございません!」
以前、春水の受賞記念パーティの席上で言われたことを蒸し返されて、真夜は語気を強めた。
しかし、葵も負けてなかった。
真夜と向き合うように座り直し、真夜の顔を睨むようにして見た。
「ううん! ある! 真夜ちゃんが人を寄せ付けないのは、日和さんのことを、今もずっと想ってるからでしょ?」
「違います!」
「違わない! 真夜ちゃん! いつまで、手が届かない人のことを想ってるつもり?」
「だから! ……」
言葉が続かず、真夜はうつむいてしまった。
日和とずっと一緒にいたい。それは、紛うことなき真夜の願い。
しかし、真夜が、これからもずっと日和と一緒にいることは叶わぬことなのだ。
もちろん理解はしているが、心のどこかで納得できていなかった。
自分の体を傷付けてまで、一途に想い焦がれる相手だが、その想いは、昔も今も将来も一方通行なのだ。
今まで見ないようにしてきた自分の想いを葵にえぐり出されて、真夜は戸惑いを隠せなかった。
気がつくと、真夜は葵の腕の中にいた。
真夜のすぐ近くに座り直した葵が、真夜の体を包み込むようにして、両手で真夜を抱きしめていた。
「葵殿」
真夜が顔を上げると、すぐ近くに葵の顔があった。優しい顔をしていた。
「真夜ちゃん! 今日は、私とデートをしてるんだよ」
「……」
「私とデートしている間は、日和さんのことなんて忘れちゃえ!」
「だから、それは……」
日和とはそんな仲ではないと反論をしようとしたができなかった。
「忘れられないのなら、私が忘れさせてあげる」
「えっ?」
真夜の唇に葵の唇が重なった。
そして、すぐに顔を離した葵が、真夜の顔をキッと睨んだ。
「追い掛けたって、ずっと待ってたって、日和さんは真夜ちゃんの隣には来てくれないよ。でも、私なら、いつも真夜ちゃんの隣にいてあげられる」
「……」
「私も今まで、ずっと迷ってきたけど、自分がずっと好きでいられる人を見つけた気がしてるの」
「……葵殿」
真夜の目から涙がこぼれ落ちそうになった。真夜はそれを葵に悟られないように、また顔を伏せた。
しかし、葵には隠しおおせなかったようだ。
「辛いよね。泣きたいことだってあったよね。真夜ちゃんの瞼には涙がいっぱい溜まっているんでしょ?」
「……」
「誰にも涙を見せられないのなら、私にだけ見せなさい」
「そ、それは……」
「我慢しないの。ほら」
葵は、真夜を抱きしめている腕に少しだけ力を込めた。
「こうやって真夜ちゃんを抱きしめていると私も幸せなの」
「……」
真夜の胸の奥底から、大きな感情の塊が噴き出して来た。
――出るな! 出るな!
今までと同じように、押さえ込もうとした。
しかし、葵の体温が真夜のそんな抵抗を溶かしてしまった。
真夜の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
真夜の中に溜まっていた日和に対する想いとともに――




