第五十帖 姫様、冬木の生活習慣に呆れる!
十月も下旬になると、朝晩は少し肌寒くなってきて、銀杏も黄色く色付き始めていた並木道の通学路を、日和と真夜は今日も並んで登校していた。
「少し寒くなって来たの、真夜」
「そうでございますね。今夜は久しぶりにお鍋にいたしましょうか?」
「お鍋! 良いの! 何にするのじゃ? ちゃんこか? 水炊きか? もつか?」
「どれにいたしましょうか?」
「どれでも良いぞ! どれも大好きじゃ!」
「食べ物の話をしている時のおひい様は本当に嬉しそうでございますな」
「美味しいものを食べていると幸せになれるではないか! それに真夜の料理は美味しいから、本当に幸せなのじゃ」
「おひい様にこれからも喜んでいただけるように、拙者も精進いたします」
「わらわも手伝うぞ」
「伊与様にばれないようにでございますね」
「そうじゃの」
今頃、伊与がくしゃみをしているだろうと含み笑いをした日和と真夜であった。
日和が教室に入り、先に来ていた春水と秋土とおしゃべりをしていると、夏火が教室に入って来た。
「あれっ、今日は冬木と一緒じゃなかったんだ?」
秋土の問いに、夏火が呆れた顔をした。
「何で、俺が冬木と一緒じゃないとそんなに不思議そうな顔をするんだよ?」
「最近、よく一緒に来ていたじゃないですか。てっきり待ち合わせをして来ているのかと思っていたのですけど?」
春水も同じ考えを持っていたようだ。
「冬木とはそんな間柄じゃねえから!」
「でも普段から仲良しのような気がしたのじゃが?」
「日和まで変な誤解をしないでくれよ!」
「誤解なのか?」
「そうだよ。冬木とは、たまにテスト前の勉強を教えてくれるだけの間柄だ」
「最近はテストが無いから、口も利かぬのか?」
「何でそんなに極端なんだよ! 普通に話をしているよ! ちなみに、冬木は今日、風邪でダウンしてるそうだぜ」
「えっ、そうなの? 冬木に聞いたの?」
「ああ、朝、しんどそうな声で電話が掛かってきたんだ」
結局、仲良しじゃないかと、日和と春水、秋土の三人も突っ込みたかったが、それを飲み込んで、春水が夏火に訊いた。
「風邪ですか。最近、朝晩は涼しくなってきましたから、冬木も油断していたのでしょう」
「冬木さんは一人暮らしって言ってなかったか?」
「そうだよ」
「では、食事とかどうしているのじゃろう? お見舞いに行った方が良いのじゃろうか?」
「冬木は自分の部屋に友達を呼ぶのが嫌いなんだって」
冬木のことを心配した日和に、秋土が言った。
「そうなのか?」
「何でも部屋がめちゃくちゃ汚くて、科学部の部員も一度来た後、まったく寄りつかなくなったみたいで、さすがの冬木もちょっとショックを受けたらしいよ」
「何で掃除をしないのじゃろう?」
「冬木はさ、家でも興味のあることしかしないらしいからね。熱中していたら食事も眠るのも忘れるくらいなんだよね」
「そんな人が風邪で一人で寝ているのか? 本当に大丈夫じゃろうか?」
日和は冬木の生活能力の無さに呆れるともに、冬木の体が心配になった。
「わらわがちょっと様子を見て来ようかの?」
「えっ?」
日和の言葉に、三人が一斉に反応した。
「冬木の家に?」
「日和ちゃんが?」
「男が一人で住んでいる家に、ほいほいと行くなんて言うもんじゃねえぞ!」
「えっ、ど、どうしてじゃ?」
三人の反応に、今度は日和が不思議そうな顔をした。
「お前なあ、部屋の中で男と女が一緒にいたら、どう言うことになるか分かるだろうが?」
「へっ? どう言うことって?」
カマトトぶっている訳ではなく、そう言うことに免疫の無い日和は、本当にそう言うことが思いつかなかった。
三人もそれが分かって、「はあ~」とため息を吐くしかなかった。
「日和さんは、もう冬木の家に行くつもりになっているのでしょう?」
「うん」
「我々も冬木を信頼していない訳ではないですが、我々の精神安定のために、真夜さんと一緒に行っていただけませんか?」
「もとよりそのつもりじゃが」
あっけらかんとした日和に、三人も苦笑いをするしかなかった。
その日の夕方。
手芸部を少しだけ早く終えた日和は、真夜と一緒にスーパーマーケットに寄ってから、冬木が一人暮らしをしているというマンションに向かった。
二人が教えられた住所に行くと、そこは比較的新しいオートロック式ワンルームマンションであった。
真夜が玄関で冬木の部屋を呼び出すと、しばらくして、冬木が応答した。
「梨芽ではないか? どうしたのだ?」
モニターには真夜だけしか映ってなかったようだ。
「おひい様もいらっしゃいます」
日和がモニターカメラに映るように、真夜が少し体をずらした。
「卑弥埜も来ているのか?」
「冬木さんは、きっと、まともに食べてないじゃろうと思って、食事を作りに来たのじゃ。開けてたもれ」
「卑弥埜が食事を……。すぐに開ける!」
玄関の扉がスライドして開いた。
日和と真夜がエレベーターで四階に上がり、「405」と書かれた扉のチャイムを鳴らすと、冬木がすぐにドアを開けてくれた。
冬木は、普段のシャキッとした雰囲気とは違って、スウェットのジャージにどてらを着ており、額には熱冷ましシートを貼り付けていて、今まで横になっていたのか、髪のあちこちがピンと跳ねていた。
「よく来てくれた」
嬉しそうな冬木に日和が笑顔を見せた。
「思ったより元気そうで良かったのじゃ」
「卑弥埜が来てくれたのに寝ていられないだろ?」
「冬木殿。とりあえず中に入れていただいてよろしいですか?」
「えっ、中に入るのか?」
「廊下では調理できませんよ」
真夜が真顔で答えた。
「それもそうだな。しかし、部屋がとてつもなく汚いのだが……」
「みんなから聞いておる。だから、ついでに掃除もするのじゃ。のう、真夜」
「そうですね。では、お邪魔いたします」
冬木を押し退けるようにして真夜が玄関を上がると、日和も跡に続いた。
玄関の先には、トイレと浴室と思われるドアがある短い廊下があり、その先にある曇りガラスがはめ込まれたドアを開くと、そこは居間だった……が、物置あるいはゴミ置き場と言った方が正確な状態であった。
「これは……」
日和と真夜も思わず絶句してしまった。
キッチン付きの部屋には、パソコン机と椅子、ベッドしかなかったが、その床には大量のゴミが散乱していた。
コンビニで買った弁当の空き箱やスナック菓子の空き袋がほとんどであったが、中には難しげなタイトルの本も何冊か散らばっていた。
「本当にここで暮らしておるのか?」
「そ、そうだ」
「何か変な匂いもするのじゃ」
「気のせいだ」
「いや、拙者もいたします。このままでは我々も死んでしまいそうです」
「そんなことは科学的にありえない」
理屈で反論する冬木を真夜が睨んだ。
「冬木殿、この状態で平気だということは、あなたもゴミですか?」
辛辣な真夜の言葉に、冬木もたじろいだ。
「真夜! とりあえず掃除をしようぞ」
日和は制服を腕まくりしながら言った。
日和と真夜は、掃除の邪魔にならないように、冬木をベッドに横にさせると、それぞれ大きなゴミ袋を持って、床に散乱しているゴミを拾い始めた。
「冬木さん、どうしてゴミ箱に入れないのじゃ?」
ゴミ拾いをしながら、日和がベッドで布団にくるまっている冬木に文句を言った。
「い、いや、後でまとめて捨てようかと思っていて、すぐに忘れるんだ」
「……このお弁当には『八月三日製造』のラベルが貼ってありますぞ。一夏をこの部屋で過ごした訳ですな」
さすがの真夜も人差し指と中指で汚らしげにコンビニ弁当箱をつまみながら、冬木にジト目で言った。
「そ、そう言うことになるな」
「よく病気にならぬものじゃのう」
「いや、今、なっている」
「分かっておる! だから、病人はちゃんと寝ているのじゃ!」
頬を膨らませて怒る日和は、真夜と違って全然怖くなく、微笑んでしまった冬木であった。
三十分後。
ベランダに五袋分のゴミ袋を持ち出し、綺麗に雑巾拭きまでして、冬木の部屋の掃除は終わった。
「何だか、自分の部屋ではないみたいで、少し落ち着かないな」
ベッドで上半身を起こして部屋を眺めながら、冬木が呟いた。
「冬木さん」
「な、何だ、卑弥埜?」
「せっかく綺麗にしたのじゃから、これからは整理整頓を心掛けて、せめて一週間に一回は掃除をするのじゃぞ」
「わ、分かった」
まるで母親のように注意する日和と、子供のような冬木であった。
「真夜。では、御飯を作ろうかの?」
「そうでございますね。冬木殿、厨房をお借りします」
「何を作るのだ?」
「今日は、栄養満点でありながら胃腸にも優しい『おひい様特製! ネギ鳥雑炊』を作る予定にしています」
「卑弥埜特製だと! ど、どこらへんが特製なんだ?」
「普通に栄養満点であるばかりではなく、おひい様の愛情も込められています」
「ひ、卑弥埜の愛情だと! そ、それは確かに特製だ!」
「何を言っておるのじゃ、二人とも?」
日和が顔を赤くしながら言うと、真夜が微笑みながら日和を見た。
「おひい様が太陽の光のごとく、ご友人にあまねく与えておられる愛情でございますよね?」
「そ、そうじゃ! そう言う意味じゃ!」
「そ、そうか。……いや、今はそれでもありがたい。わざわざ家まで来て作ってくれるのだからな」
「冬木さん、もう少し寝ておるのじゃ。できたら起こすでな」
「いや、卑弥埜が自分の部屋にいることだけで、興奮して眠れそうにない」
「駄目じゃ! 病人は寝ているものじゃ!」
「卑弥埜に怒られると、怖くない上に、何か嬉しくなるのはどうしてだろうか?」
にやけている冬木の目の前に三日月剣が突き付けられた。
「冬木殿。おひい様の言うことが聞こえませんでしたか?」
「き、聞こえている!」
思わず両手を挙げた冬木が真夜に言い訳をすると、三日月剣が降ろされた。
「おひい様がおっしゃっているとおり、横におなりください」
きつい言い方から一転して、優しく冬木を気遣うような真夜であった。
「分かった。では少し横になる」
冬木は、ベッドに横になり、布団を頭まで被った。
それを見届けた日和と真夜は、台所に行き、手分けをして雑炊を作り始めた。
「おひい様、生姜がありませんが?」
具材を切り分けていた真夜が、出汁を取っていた日和に訊いた。
「えっ? 確か、買ったはずじゃが?」
「拙者もそう思っていたのですが……、どうやら、おひい様が買うおやつを迷っているうちに失念してしまったようですな」
「わ、わらわのせいなのか?」
「あの時、おひい様があれもこれもと言わなければ、こんなことには」
「え~!」
「冗談でございます。しかし、風邪には生姜が欠かせませぬ。拙者がすぐに買ってまいりますから、おひい様は料理を続けていていただいてよろしいですか?」
「もちろんじゃ」
あっけらかんと答えた日和だったが、真夜が厳しい顔をしてベッドを見た。
横になっていたが、目をぱっちりと開けていた冬木と目が合った。
「冬木殿。おひい様と二人きりになりますが、おひい様に変なことをしたら、冬木殿を切り刻んで雑炊の具にいたしますぞ」
「見舞いに来ていて、そんな物騒なことを言うな! 風邪を引いているのにできる訳ないだろ!」
「風邪を引いてなければやるのですかな?」
「い、いや、風邪は関係なく、卑弥埜の嫌がることはしないと四人で誓っている」
「そうじゃ。冬木さんはそんなことをする人じゃないのじゃ!」
真夜に責められていた冬木に日和が助け船を出した。
二人きりでお祭りデートを経験した日和は、冬木は女性を襲うような男ではないと信じていた。
「分かりました。冬木殿、失礼しました」
「いや、特に気にしていない。むしろ、卑弥埜にそこまで信頼してもらっていたことが分かって嬉しかったぞ」
冬木の顔がまたにやけていた。
真夜が部屋から出て行くと、日和は一人で台所に立ち、料理を続けた。
「ひ、卑弥埜」
「何じゃ?」
首だけで振り返ると、冬木がベッドに横になったまま、日和に話し掛けていた。
「今、話しても良いか?」
「もちろんじゃ。でも、冬木さんはしんどくないのか?」
「だから、卑弥埜と話していると、それだけで元気をもらえる気がするんだ。卑弥埜が帰った後の反動が怖いくらいだ」
「そ、そうか。……それで話とは何じゃ?」
「自分のように、生活能力に難のある男はどう思う?」
「どうって?」
「そ、その、やはり一緒に生活するのは嫌か?」
「一緒に生活って、どう言う意味なのじゃ?」
「だ、だから、そんなに深い意味はなくてだな。自分のような人間が女性からどう思われているのかを知りたいだけだ」
「そ、そうなのか。……そうじゃのう」
日和は料理の手を止めて、体を冬木の方に向けた。
「わらわは家事がけっこう好きじゃから、そんなに気にはならないが、一緒に住むのであれば、男性も家事を分担してほしいと思う人もおるじゃろうの」
「でも、卑弥埜なら大丈夫なんだな」
「冬木さんと一緒に生活するのが、わらわだとは限らないじゃろう?」
「台所に立つ卑弥埜を見ていると、そうなったら良いなと思っているのだがな」
「そ、それはそれとして、冬木さんは最低限の人間としての暮らしも放棄しているような気がするのじゃ!」
「人間としての暮らしもできていないのか! 何気に梨芽と同じことを言われてしまったな」
「わらわは、冬木さんがゴミじゃとは言っておらぬが……、でも、健康を害しては元も子もないのじゃ」
「そ、それはそうだが……、調べたいことができると、もうそのことしか頭に入らなくなってしまうんだ」
「それだけ集中してしまうのじゃろうな。わらわも人のことは言えないところがあって、いつも真夜から怒られるのじゃ」
「梨芽から?」
「わらわも手芸をしていると時間が過ぎるのを忘れてしまって、気がつくと朝になっていて、宿題をする時間が無くなってしまったということもあるのじゃ」
「それは梨芽に怒られても仕方がないな」
「そう思う。でも、御飯を食べることは好きじゃし、部屋が散らかっていると気になるし、体調が悪い時には手芸をしていても楽しくないからやらないのじゃ」
「……」
「研究一筋なのは、それはそれで素敵じゃと思うが、日々の生活も大切にすれば、研究ももっと充実した、楽しいものになると思うのじゃ」
「日々の生活か……。確かに、卑弥埜とお祭りに行った時は楽しくて、研究のことは、これっぽっちも頭に残っていなかった。卑弥埜と一緒だと研究以外の生活も大切にできそうな気がする」
「そ、それは、どう言う意味じゃろうか?」
ずっと一緒にいてほしいという意味にしか取れない冬木の言葉に日和も焦ってしまった。
日和の焦り具合に、冬木も自分の発言の意味にやっと気がついたようだ。
「い、いや、あくまで仮定の話だ。卑弥埜にそうしてほしいということではない」
「そ、そうなのか」
安心して大きく息を吐いた日和を見て、冬木は少し残念そうな顔をした。
その後、お互いに話すべき言葉が見当たらずに、見つめ合うことも恥ずかしくて、気まずい雰囲気になってしまった。
「えっと、ま、真夜が帰って来るまでに、下準備を終わらせておくのじゃ」
日和は流し台に体を向けて、具材の切り分けと下ごしらえを再開した。
「卑弥埜」
「何じゃ?」
日和の背中に呼び掛けた冬木に日和も背を向けたまま答えた。
「今日はありがとう」
「う、うん。でも、真夜にも言ってほしいのじゃ」
「分かった。卑弥埜と話ができただけで体が良くなった気がする。卑弥埜が太陽の神術の使い手だからということもあるのだろうか?」
「どうなんじゃろ?」
卑弥埜家当主が神術使いの家の頂点に君臨する理由――。
それは強大な太陽の神術の威力だけではなく、太陽の神術に由来する「癒やしの力」もあるのだと、伊与に聞いたことがある。
もしかしたら、日和にも、自分が近くにいるだけで人々の心と体を癒やす特別な力があるのかもしれなかった。




