第四十九帖 姫様、ヘタレた秋土を立ち直らせる!
軽音楽部の騒動から数日経った、十月のとある日の朝。
登校した日和が教室に入ると、春水、夏火、冬木はいたが、いつも早く来ている秋土がいなかった。
「今日は、秋土さんはお休みなのか?」
日和が誰にともなく訊いた問いに春水が答えた。
「秋土なら朝練をしていますよ」
「では、試合が近いのじゃろうか?」
「明後日の土曜日に練習試合があるらしいですよ」などと話していると、ちょうど、秋土が教室に入って来た。
「おはよう!」
いつもと同じ爽やかな笑顔で全員に挨拶をする秋土に、日和も笑顔で挨拶を返した。
「おはようなのじゃ、秋土さん! 朝から練習しておったのか?」
「うん、気持ちが良いよ。午後から少し眠くなるけどね」
「でも、わらわは、秋土さんが授業中に眠っているのは見たことないのじゃ」
「卑弥埜がいつも眠っているからではないのか?」
「……冬木さん、どうして知っているのじゃ?」
「気配で分かる」
前の席に座っている冬木は背中に目でも付いているのではないかと思った日和であった。
「で、でも、練習試合のために朝練をするのか?」
運動系クラブの経験のない日和は、練習試合なのに朝練をするなど、そこまで勝利にこだわらなければならない理由が分からなかった。
「その次の週末には東京都の秋季大会があるんだよ。だから今度の練習試合は秋季大会への最終的な調整のためだけど、できれば勝って本番への弾みを付けたいんだ」
前回、秋土の試合の応援に行き、実際にテニスをしている秋土を見たことのある日和は、秋土の実力では楽勝ではないかと考えた。
「必ず勝てる相手なんじゃろ?」
「そう言う訳ではないんだ。今度、練習試合をする学校は隣県で有名な強豪校なんだ。向こうも隣県の秋季大会の前哨戦として、僕らと同じ思いでぶつかってくるはずだから、そんなに簡単に勝てる相手なんかじゃないよ」
「そうなんじゃ。それは、秋土さん、頑張ってたもれ!」
「う、うん。日和ちゃんの応援をもらったら百人力だよ!」
「秋土、それは卑弥埜に応援に来いと言っているのか?」
「ち、違うよ! もちろん、来てもらえたら嬉しいけど、日和ちゃんも忙しいだろうからさ」
冬木の突っ込みに、秋土が少し慌てて弁解した。
「次の土曜日は特に用事もないのじゃ。真夜と相談して時間があれば、応援に行くのじゃ」
「ほ、本当に?」
「うん」
「秋土! まさか、卑弥埜ならきっと応援に来てくれると思って話を振ったのではないだろうな?」
冬木のみならず、春水と夏火からもジト目で見られた秋土であった。
「僕はそんな策略を巡らせるようなことできないから!」
そして次の土曜日。
秋土の応援のため、日和は同じく制服姿の真夜と一緒に学校最寄りの駅から電車に乗った。
試合会場である隣県のスポーツ施設までは、いくつか電車を乗り継いで一時間ほどで到着するはずであった。
座席に並んで座った日和と真夜がのんびりと車窓を眺めていると、電車が急ブレーキを掛けた。
「な、何じゃろ?」
体が揺れて、真夜の体に自分の体をぶつけてしまった日和が真夜の腕を掴みながら訊いた。
「何でしょうな」
いくら真夜でも、電車が止まった理由など分からなかったが、一つ前を走っている電車が人身事故を起こしたとの車内アナウンスがすぐに流れた。
「事故じゃと! 大丈夫なのじゃろうか?」
「そうですな」
電車の人身事故の犠牲者がほとんど命を落とすこともあまり知らない日和に、真夜も曖昧な返事をした。
「それより、おひい様」
「何じゃ?」
「秋土殿の試合に間に合わないかもしれませんな」
「えっ! そうなのか?」
「はい。人身事故だと電車が動き出すまで、長ければ一時間ほど掛かるかもしれません。その後の乗り換えの予定もすっかり狂ってしまいますから、これから最長で、……二時間遅れで着くことになるかもしれませんよ」
「どうしよう? 秋土さんには『絶対行く!』って言ってしもうたのじゃが?」
「秋土さんに連絡してみましょう」
鞄からスマホを取り出した真夜に、日和は真面目な顔をして怒った。
「真夜! 電車の中で電話をしてはいけないのじゃぞ!」
「緊急事態でございますよ。周りもほら」
真夜に言われて電車の中を見渡して見ると、多くの人が携帯電話を取りだして話していた。
「本当じゃ! 電車が止まると言うことはすごいことなんじゃな!」
「そ、そうでございますよ」
つくづく、のんびり屋の日和であった。
一方、真夜は、電話で秋土を呼び出していたが、秋土は出なかったようだ。
「出ませんな。呼び出し音は鳴っていますから、もうテニスコートに出ているのかもしれません」
秋土に遅れることの連絡をすることもできずに、日和と真夜は電車の中で運行再開を待つしかなかった。
耶麻臺学園の体育系クラブでは、三年生は秋季大会が終わると引退するが、テニス部の三年生部長は怪我をしたこともあり、秋季大会出場も辞退して、早めに引退をしたことから、それまで副部長だった二年生の秋土が部長に就任していた。
まだ三年生の部員も残っていたが、実力も人柄も申し分ない秋土の部長就任に異議を唱える者はいなかった。
そして、今日は、秋土がテニス部部長に就任して初めての対外試合であった。
そう言うこともあって、秋土は、いつも以上に気合いが入っていたが、真面目で責任感が強い性格ゆえに、ストレスが掛かっているのか、どこか弱気になっている自分に気がついていた。
だから、日和が応援に行くと言ってくれたことが、すごく嬉しかった秋土であった。
自分の試合が始まる時間になり、秋土は選手の控え室にもなっている更衣室から外に出た。
テニスコートの周りには、いくつかベンチが置かれ、応援の生徒が観戦ができるようになっていた。
秋土がテニスコートに出てみると、耶麻臺学園側のベンチには、試合に出ない一年生部員が座っていたが、日和の姿は見えなかった。
日和が約束を破るとは思えなかったが、どうして来てくれないのかという苛立ちと、日和の身に何かがあったのではないかという心配が、秋土の心に充満してしまった。
準備運動が終わると、早速、練習試合が始まった。
秋土は、試合に全神経を集中できないまま、テニスコートに立った。
日和達が乗っていた電車は三十分ほどで動き出したが、のろのろ運転が続いた上、次の乗り継ぎ電車の発車時刻まで時間が空いてしまって、結局、秋土の練習試合が行われている会場最寄りの駅に約一時間三十分ほど遅れて到着した。
日和と真夜が駅から会場まで走って行くと、まだ試合は続いていた。
しかし、コートサイドまで行くと、試合をしているのは、秋土ではないことが分かった。
「秋土さんの試合はもう終わってしまったのじゃろうか?」
コートの周りのベンチには、双方の学校のテニス部員と思われる、それぞれのユニフォームを着た生徒達と若干の制服姿の生徒がいたが、秋土の姿は見えなかった。
「拙者が訊いてまいります」
真夜は、耶麻臺学園テニス部のユニフォームを着ている女生徒に近寄り、二言三言、言葉を交わすと、すぐに日和の元に戻って来た。
「秋土殿の試合はもう終わっているようです」
「やっぱり間に合わなかったのか。それは、秋土さんに申し訳ないことをしたのう。すぐに謝りたいのじゃ」
「そうですな」
真夜の渋い表情が日和は気になった。
「どうしたのじゃ、真夜?」
「秋土殿は試合に負けてしまったそうです」
「秋土さんが?」
「はい。負けるような相手ではなかったそうですが、今日は調子が悪かったのか、ストレートで負けたそうです」
「そ、そんな……」
「秋土殿も落ち込まれていたそうで、そのまま控え室に引き籠もってしまって、ちょっと声を掛けづらかったそうです」
「そ、そうなんじゃ。でも、秋土さん、どうしたんじゃろう? 本当に体調が悪かったのじゃろうか?」
「あの秋土殿が負けてしまうのですから、きっと、そうなのでしょう」
「そうじゃの。……応援もできなくて、何か心苦しいの」
「……どうされますか? 秋土殿にお声を掛けていきますか?」
「そうじゃな。上手く慰められたら良いのじゃが」
さすがの日和も足取りを少し重くして、真夜とともに、秋土が引き籠もっているという更衣室の前まで来た。
しかし、女子生徒が、男子更衣室に入れる訳がなく、その前でうろうろしていると、中から耶麻臺学園のユニフォームを着た男子が出て来た。
「葛城秋土殿はいらっしゃいませんでしたか?」
「いるけど……」
真夜に声を掛けられた男子生徒も、今、秋土に声を掛けることは躊躇われるようで、言葉を濁した。
「申し訳ございませんが、神術学科二年の卑弥埜と梨芽が会いに来ているとお伝え願えませんでしょうか?」
「分かりました」
男子生徒が更衣室の中に戻って行くと、すぐに、秋土が更衣室から出て来た。
笑顔を見せてはいたが、明らかに無理をして笑っているようにしか思えなかった。
「日和ちゃん」
「秋土さん。……応援に間に合わなくてすまなかったのじゃ。電車が遅れてしもうて」
「あっ、いや、気にしないで」
「あ、あの、……秋土さん」
「うん?」
「試合の結果を訊いたのじゃが……残念じゃったな」
「ああ、……うん。負けちゃったよ」
秋土は、心のへこみを見せないように軽い口調で言ったようであったが、誤魔化し切れていなかった。
「完敗だよ」
「秋土さん、調子が悪かったのか?」
「い、いや、そう言う訳じゃないよ」
「でも負けるような相手じゃなかったって、部員さんが言っておったが?」
「僕だって、そんなに強い訳じゃないから!」
「……試合の話はしない方が良いか?」
初めて見る苛ついた秋土に、日和も少し戸惑いながら訊いた。
「……ごめん。日和ちゃんに嫌な思いをさせたくないから、少しの間、一人にしてくれないかな」
「秋土さんがそう言うのであればそうするが、……いつもの秋土さんらしくないの」
「えっ?」
「自分でもそう思っておるじゃろ?」
「それはそうだよ。自分がテニス部部長になって初めての試合でミソをつけちゃったんだからさ。責任を感じない方がおかしいよ」
「でも、今日は練習試合なんじゃろ?」
「そうだけど、うちの部の勢いがこれで止まっちゃうかもしれないでしょ! 自分から進んで勢いを付けなきゃいけないのに!」
いつもの秋土らしくないウジウジした態度に、日和は次第に腹が立ってきた。
「ならば、何で、今、試合を頑張っている人の応援をしないのじゃ?」
「えっ……」
「自分で勢いを止めてしまったのなら、他の人に頑張ってもらえば良いではないか!」
「それはそうだけど……。でも、部長としての責任を果たせなかった自分が情けなくて」
「部長は、試合に絶対勝たなくてはいけないのか? 試合に負けたら部長失格なのか?」
いつになく秋土に突っ掛かる日和に真夜も目を丸くしていた。
「そ、そう言う訳じゃないよ!」
「自分一人が頑張ることが、部長のやるべきことではないじゃろう?」
「……」
何も反論できずに押し黙ってしまった秋土に、日和は少し語気をやわらげて話を続けた。
「手芸部前部長の三輪先輩は、時々、変なことを言う人じゃったが、わらわは大好きじゃった。そして、部長としての責任もしっかりと果たしておったと思っておる」
「……」
「どうしてかと言うと、部員全員に役割と感動をくれたからじゃ」
「役割と感動?」
「そうじゃ! クラブは、みんなが一丸となって同じ目標に向かって努力をすることで一体感が生まれて、みんなで成し遂げることで達成感を得られるのではないか?」
「……」
「三輪先輩は、文化祭で茶巾袋を作ると決まった後、部員全員にやるべきことを割り振って、割り振られた仕事をみんなが怠けていたらお尻を叩いて、みんなが疲れていたら優しい言葉を掛けてくれた。部員のみんなを見ながら、わらわ達を目標に向かって導いてくれたのじゃ」
「……」
「でも、秋土さんは、自分がその責任を果たせないと思うと、すぐに部長としての仕事を放棄してしもうたんじゃな。自分ができなかったことを他の部員に代わって成し遂げてもらうことだってできるはずじゃ。そのために、秋土さんが他の部員を応援することもできるはずじゃ」
「……」
「秋土さんは、何でもかんでも一人で抱えすぎるのではないか?」
「えっ?」
「人に任せずに自分でやろうとする心構えは立派じゃが、背負い込んでしまうことは、他の人を信頼していないことと同じじゃ」
「……」
自分でも思いも寄らず語ってしまった日和は、黙り込んでしまった秋土を見て、怒らせてしまったと思い後悔した。
「す、すまぬ、秋土さん! 秋土さんを責めるつもりはなかったのじゃ。そ、その、秋土さんがいつもの秋土さんらしくないので、思わず……」
「……ううん。日和ちゃんが言うとおりだよ。少なくとも自分が負けてしまって、女々しく更衣室に引き籠もり、他の部員の応援をしなかったことは部長失格と言われても仕方がないよ」
「う、うん」
「でも、日和ちゃんがこんなに怒る人だとは思わなかったな」
「あ、秋土さんが思っておるより、わらわも気が短いところもあると思うのじゃ」
日和が照れながら真夜を見ると、真夜も微笑みながらうなづいた。
「それが本当の日和ちゃんなの?」
「えっ?」
「人見知りしないで言いたいことを言ってくれる日和ちゃんなの?」
「そ、そうかも知れぬ」
日和がまた真夜を見ると、それに応えるように真夜が秋土に話し掛けた。
「そうでございますよ。おひい様は、ぼけ~としているようで、人の意見に流されることなく、自分の考えをしっかりと持たれている方です」
「ぼ、ぼけ~とは余計じゃ!」
「そして」
日和の突っ込みも軽くスルーして、真夜は言葉を続けた。
「今、三輪殿の話をされましたが、今の部長のおひい様も、きっと三輪殿に負けず劣らない指導力を持って、手芸部を引っ張っていってくれるはずです」
「いきなりプレッシャーを掛けるのう、真夜?」
「大丈夫です。いつものおひい様でいてくれれば良いだけでございますよ」
真夜は、日和から秋土に顔を向けた。
「秋土殿。おひい様が本気で怒ったのは、秋土殿のことが心配だったからでございますよ。どうでも良い相手には本気で怒ることはしないと思います」
「ま、真夜!」
まるで日和が秋土のことを気に掛けているような真夜の発言に、日和も照れてしまったが、それはそのとおりであって、反論をすることはできなかった。
「うん、そうだね。そう考えたら、すごく嬉しいことだね」
顔を上げた秋土には、いつもの笑顔が戻っていた。
「……ありがとう、日和ちゃん!」
「そ、そんな、腹立ち紛れに言ったことに、お礼などいらぬのじゃ!」
ますます照れて顔を赤くする日和であった。
「今からでも遅くはありませんぞ。拙者らと一緒に応援に行きましょう!」
真夜の言葉に、秋土も大きくうなづいた。
「うん! そうだね! 行こう!」
三人で、まだ声援が続いているテニスコートに向けて歩き出した。
「日和ちゃん」
「何じゃろ?」
秋土が隣を歩く日和の顔を見た。
「一週間後の秋季大会には応援に来てくれなくて良いから」
「や、やっぱり、怒っておるのか?」
心配そうな顔をして訊いた日和に秋土が笑顔で答えた。
「違うよ。今日、僕が負けたのは、きっと、日和ちゃんが応援に来てくれなかったからだと思う」
「す、すまぬ」
「違う違う! 日和ちゃんを責めているんじゃなくて、僕が日和ちゃんを怒らせるようなことをしちゃったかなって心配になっちゃったんだ」
「そ、そんなことは絶対にないのじゃ! もし、本当に秋土さんに腹を立てたのなら、今みたいに、ちゃんと言うのじゃ。秋土さんになら言えるのじゃ」
「うん。そのことが分かっただけでも嬉しかったし安心した。だから、もう大丈夫! もう応援に来なくて良い。むしろ、それで勝てるようにならないといけないって思うから」
いつもの前向きな秋土だった。
「……分かったのじゃ。秋土さん、頑張ってたもれ」
「うん! ありがとう! 今の日和ちゃんの言葉で、もう負ける気がしなくなった」
「わらわの言葉に、そんな効果は無いと思うのじゃが」
「ううん。僕にはあるんだよ」
三人はコートサイドに着いた。
部長の秋土が出て来て、しかもその表情も落ち着いていたので、心配していたテニス部員達もほっとしていた。
「みんな、ごめん! 僕も一生懸命応援するから!」




