第四帖 姫様、写真を撮られる!
「卑弥埜さん! それじゃあ行こうか?」
一時間目の授業が終わると、秋土が日和に声を掛けてきた。
こくりと頷いた日和が席を立ち、秋土の跡について、壱組の教室の入り口に向かうと、ちょうど、真夜が顔を覗かせた。
「あっ、あの」
「何?」
「真夜と一緒でもよいか?」
「真夜?」
「彼女じゃ」
日和が真夜を指差した時には、壱組の男子全員が真夜に注目をしていた。
「良いですよ」
秋土は、真夜に見とれるようなこともなく、真夜に近づいて行った。
「こんにちは! 初めまして! 僕は二年壱組のクラス委員をしている葛城秋土と言います。君は弐組に転校してきた子だよね?」
「はい。梨芽真夜と申します」
「よろしく! 弐組のクラス委員には僕の方から言っておくから、卑弥埜さんと一緒に校内を案内しましょうか?」
「一緒に行こうぞ! 真夜!」
「拙者もおひい様と一緒が良いです。葛城殿、よろしくお願いします」
「秋土で良いよ。名字で呼ばれることに慣れてないからさ」
「では、秋土殿」
「うん。じゃあ、行こうか?」
二階にある教室から出て、三階に上がる階段を登りながら、真夜は、数歩先を登っている秋土の背中に話し掛けた。
「秋土殿は、四臣家の葛城家の方ですね?」
「まあ、家はね。でも、僕は暢気な次男坊なので、家のこととかは、よく分からないけどね」
「そうなのですか。卑弥埜家に婿として入ってもらうには最適ではありませんか。それに、この爽やかな雰囲気。うん、こちらの方は期待できそうですね」
「えっ、何?」
「あっ、気にしないでくださいませ。独り言でございます」
「……ねえ、さっきから気になってるんだけど、どうして、梨芽さんは卑弥埜さんのことを『おひい様』って呼んでいるの?」
「拙者は、卑弥埜家に仕える家の者であり、こちらの日和様が拙者のご主人様なのです。子供の時からお仕えしていて、『お姫様』と『日和様』を勝手に合わせて『おひい様』とお呼びしているのです」
「二人はそんな間柄だったんだ。さっきも話していたけど、卑弥埜家のことは、僕も聞いたことがあるよ。日本の神術使いを統べる家柄なんでしょ?」
「そうです」
「それって、僕達も卑弥埜家の家来ってこと?」
「いえ、卑弥埜家の家来は、我ら梨芽家のみです。他の神術使いの家にとって、卑弥埜家は、主人というより、尊敬の対象であり、崇めるべき存在であるのです」
「ふ~ん。よく分からないけど、僕は、卑弥埜さんとは対等の友達でいて良いんだよね?」
「もちろんです。おひい様もよろしいですよね?」
「う、うん」
「なら良かった」
秋土の爽やかな笑顔が輝いた。
三人は、旧校舎の最上階である四階まで上ってきた。
四階には、教室は無く、カーテンが閉められて、中が見えない部屋がいくつかあるだけだった。
「ここは、学園の理事達の部屋がある所だよ。今日は、誰も来ていないみたいだね」
看板を見てみると「理事長室」や「理事会室」とあった。
「理事の方は、よく、いらっしゃっているのですか?」
「どうだろう? まあ、特に用事が無いと、生徒が四階に上がることは滅多に無いから、僕もよく知らないんだ」
「なるほど」
廊下の真ん中くらいの位置に、透明なガラスがはめ込まれているドアがあった。
秋土がそのドアを開くと、そこは外に張り出したテラスだった。
「ここのテラスから校内が見渡せるんだよ」
石材でできた手摺りに体を預けながら、辺りを見渡してみると、真正面には広い校庭があり、おそらく、次の授業が体育だと思われる生徒達がたむろしていた。
「L」の字の下の横棒が旧校舎、縦棒がそれより三倍ほど大きい新校舎、という位置関係で、縦棒と横棒が交わる位置に体育館と講堂が建っていた。
校舎の周りは庭園のように整備され、花壇には色とりどりの花が咲き誇り、木陰を提供してくれる大きな樹木が生い茂っていた。
「普通科の生徒達とは、学園祭とか体育祭とかの全校的な行事の時くらいしか一緒になることはないんだ。でも、クラブは一緒にしてるから、クラブに入ると、普通科の友達もいっぱいできるはずだよ」
「秋土殿も何かクラブをされているのですか?」
「僕は、テニス部に入ってるよ。神術なんかよりは、ずっと面白いけどね」
「そうですか」
「次に行こうか?」
三人は、三階に降りて来た。
「ここには神術学科ならではの教室があるんだ。あそこが瞑想室、その隣の広い部屋が実技演習室。その隣は、神術に関する図書が保管されている第二図書室だよ」
「普通科の生徒には、『神術学』のことは、どのように説明されているのでしょう?」
「日本古来からの伝統的なしきたりや儀式なんかを勉強してるって思ってるみたいだね。まあ、神術使いの家は伝統がある家が多いから、普通科のみんなも何となく納得しているみたいだよ」
「普通科の生徒は、旧校舎には入れないのですか?」
「禁止されている訳じゃないけど、入っては来ないね。そんな古臭いことには興味は無いんだろうね」
日和達は自分達の教室がある二階に降りて来た。
「一階には一年生の教室と神術学科専任教師の職員室が、二階には二年と三年の教室があるだけだよ。他に行ってみたいところはある?」
「おひい様、いかがですか?」
「も、もう、良いかの」
「卑弥埜さん、転校初日から緊張するなって言う方が無理かもしれないけど、ここの生徒はみんな良い奴だから心配しなくて大丈夫だよ」
日和の口数が少なかったのは人見知りだからなのだが、秋土は日和が緊張しているのではと思ったようだ。
「う、うん」
「秋土殿」
「何?」
「秋土殿には、おつき合いされている女性はいらっしゃるのですか?」
女性に対して嫌味なく爽やかに気配りができる秋土に、真夜の鋭いチェックが入った。
「いきなりだね」
ストレートな真夜の質問に、秋土も苦笑するしかなかったようだ。
「申し訳ありません。おひい様を守るべき拙者が同じクラスになれなかったものですから、秋土殿に、おひい様をお守りしていただければありがたいのです。しかし、秋土殿に、誤解をされると困るような女性がいらっしゃるとすれば心苦しいものですから」
「残念ながら、そんな女の子はいないよ」
「そうですか」
「クラスの生徒が学校に溶け込むようにすることもクラス委員の仕事だと思っているから、そう言う意味で卑弥埜さんを守ることならお安いご用だよ」
「さすがは、秋土殿でござる! ありがとうございます。ぜひ、おひい様のお友達になってあげてください」
「ええ、喜んで」
「良かったですね。おひい様」
「う、うん。あ、あの、秋土さん、よ、よろしくお願いするのじゃ」
「うん! よろしくね!」
お昼休み。
春の陽気に誘われて、日和は、真夜と一緒に中庭のベンチに座り、真夜お手製のお弁当を広げた。
「おひい様。学校は、いかがでございますか?」
「初めてのことだらけじゃから、少し疲れたのじゃ」
「疲れただけでございますか?」
「うん」
「でも、それは良かったです。『早く帰りたいぃ~』などと泣きわめくかと思っておりましたので」
「……真夜の中では、わらわはどれだけ子供なのじゃ?」
「ずっと小さな頃のおひい様のままでございます」
どこか懐かしげな顔をしている真夜を頬を膨らませながら日和が睨んでいると、日和達が座っているベンチの前に、神術学科の制服を着た三人の女生徒が立った。
「あなたが卑弥埜様ですの?」
真ん中に立っていた、茶色の髪を縦巻きカールにしている、いかにもお嬢様然としたスタイルの良い女生徒が、座っている真夜を見つめながら話し掛けてきた。
「どちら様でしょう?」
「これは失礼いたしました。ワタクシ、神術学科二年参組の橘麗華と申します。こちらは同じクラスの保積穂乃香、こちらは同じく春日美鈴と申します。よろしくお見知りおきをお願いいたします」
丁寧な自己紹介に、真夜も立ち上がり、深く一礼した。
「拙者は、梨芽真夜と申します。こちらにおわしますのが我が主、卑弥埜日和様でございます」
真夜に紹介されて、日和も立ち上がり、ちょこんと頭を下げた。
「えっ、あなたが卑弥埜様?」
どうやら、麗華は、真夜のことを卑弥埜家の姫と勘違いしていたようで、決まりが悪そうな顔をした。
「ちょっと! ちゃんと調べてよね!」
「申し訳ありません! 麗華様!」
麗華は、小さな声で穂乃香と美鈴を叱ると、何事も無かったように、笑顔に戻り、日和を見つめた。
「卑弥埜様! どうかよろしくお願いします」
慇懃に礼をした麗華に、日和もお辞儀を返した。
「ところで、卑弥埜様?」
日和は、首を傾げて、麗華を見た。
「卑弥埜様の写真を撮らせていただいてよろしいでしょうか?」
今日、初めて会って、それほど話もしていないのに、いきなり、写真を撮って良いかとは、あまりにも馴れ馴れしいだろう。
そう考えた真夜が、その意図を訊いた。
「おひい様の写真をどうするおつもりですか?」
「申し訳ございません。親に頼まれたものですから」
「親に?」
「はい。この学園の理事をやっております私の父親から、卑弥埜様と実際にお会いした時に、ご無礼があってはいけないと言うことで、写真を撮ってきてほしいと頼まれたのです」
「そうですか。おひい様、よろしいですか?」
「うん」
「ありがとうございます。梨芽様もご一緒にどうぞ」
日和と真夜が立ち上がると、穂乃香が二人にスマホのレンズを向け、シャッターを押した。
「どうも、ありがとうございました」
麗華が穂乃香のスマホの画面を確認すると、日和達に礼を言った。
「卑弥埜様。クラスが違いますが、何かお困りのことがございましたら、いつでもワタクシをお頼りくださいませ」
「ご厚意痛み入る」
日和に代わり、真夜が答えた。
「では、本日は、これにて失礼いたします」
麗華達は、脛丈のスカートを両手で少し持ち上げて優雅にお辞儀をすると、旧校舎の方に去って行った。
「真夜! さっきのは、わらわも今朝もらったスマホという物じゃな?」
日和は、話し掛けてくれた麗華達より、スマホで写真が撮れることの方が気になった。
「そうでございますね」
「わらわのスマホでも写真が撮れるのか?」
「ええ、できるはずでございます。何か写真を撮りたい物でもあるのですか?」
「普通科の制服じゃ!」
神術学科は一学年に三つのクラスしかないが、普通科は一学年に九つのクラスがあり、単純に考えても神術学科の三倍の生徒がいることになる。
中庭でたむろしている女生徒達も普通科の制服が圧倒的に多かった。
「普通科の制服の写真を撮って、どうするのでございます?」
「お婆様に制服を替えてほしいとお願いするつもりじゃ」
「いくら伊与様でも、この学園の規則までは変えることはできないでしょう」
「まあ、駄目元で言ってみるだけじゃ。それに、可愛いお洋服は眺めるだけでも楽しいのじゃ」
日和は、とにかく可愛いものが好きだった。
手芸で作る物も綺麗な物より可愛いデザインが好きだったし、自作のぬいぐるみもそうであった。また、外に出掛けることはないのに、通販カタログで可愛い洋服を眺めることも好きで、実際に気に入った服は購入しており、日和のお小遣いは、洋服代と手芸の材料代で消えていた。
「普通科の女子とも友達になれば、いつでも眺められますぞ」
「でも、普通科の生徒とは話をする機会も無いのじゃ」
「先ほど、秋土殿が言っていたように、クラブをすれば、知り合えますぞ」
「でも、スポーツは苦手じゃし……」
ずっと引き籠もって、手芸をしている日和は、大の運動音痴でもあった。
「スポーツ系以外のクラブもあるようですよ」
「勉強も苦手じゃし、わらわができるようなクラブなど、あるのじゃろうか?」
「本当に入りたいと思うクラブがあれば、入られたら良いのです。無理に入ることはありませんぞ」
「そうじゃの!」
初対面の人と話をしなければならないという憂鬱の種を、これ以上、増やしたくはなかった日和は、そもそも、クラブに入るつもりはなかった。