第四十八帖 姫様、夏火の頭を下げさせる!
春水と生徒会長である秦さゆみとの騒動も、日和の助けで、さゆみが落ち着きを取り戻したことで収まった。
そして、麗華同様、さゆみも日和に一目置くようになり、日和に対しては、生徒会長としての仮面を脱ぎ捨てて接するようになった。
日和の周りに平穏が戻ったはずの、とある日の放課後。
今日も手芸部では、日和と和歌の二人が作業に集中していた。
大学受験を控えている美和と稲葉姉妹に合格祈願のプレゼントを贈ろうという日和の発案に和歌も賛同してくれて、日和と和歌が協力しながら、刺繍を凝らしたお守り袋を作っていたのだ。
来週には、新しい制服のデザイン画の募集期間が終わり、見本の作製で忙しくなると思われたことから、今週中に仕上げようとしていたが、日和は、三人への応援と感謝の気持ちをいっぱい込めたくて、いつも以上に丁寧に時間を掛けて作業をしていた。
廊下が急に騒がしくなった。
口々に何かを話しながら、バタバタと廊下を走っていく音が響いた。
「何でしょうね?」
「何じゃろうの?」
日和と和歌は、部室の引き戸を少し開けて、頭だけを出して左右の廊下を見渡した。
隣にある科学部の部室から、日和と同じように頭を出していた冬木と目が合った。
「卑弥埜。何だ、この騒ぎは?」
「わらわも分からぬのじゃ」
「向こうに人だかりができているな」
ちょうど軽音楽部の部室がある方の廊下の端に、大勢の生徒達が何かを取り囲むように、背中を見せて立っていた。
「行ってみよう」
冬木が部室から出て、その方向に歩き出した。
「部長、私達も行ってみましょうよ」
「そうじゃの」
「部長」と呼ばれてすぐに返事ができるようになった日和は部室を出て、和歌と一緒に冬木の跡をついて行った。
近づくと、喧嘩腰で言い争いをしているようであった。
その中に夏火の声があったことに気づいた日和は、和歌と一緒にその人だかりをかき分けて、一番前に出た。
野次馬の生徒達に取り囲まれている中で、夏火が三人の普通科の男子と睨み合っていた。
三人は、夏火のバンドメンバーである軽音楽部員だった。
「もう、夏火には、ついていけないんだよ!」
「俺達にいったい何を求めているんだ?」
「俺達はプロになろうとは思ってないんだ! だから、夏火のペースを俺達に押し付けないでくれよ!」
メンバー三人から大きな声で一斉攻撃を受けて、少したじろいだ夏火であったが、すぐに語気を荒げて言い返した。
「お前ら! 俺がどんな想いで音楽をしてるか知ってるはずじゃなかったのか?」
「ああ、もちろん知っているよ! その熱い想いが俺達も熱くしてくれて、バンドのモチベーションを高めていたことは確かだ」
「でもさ、最近の夏火は何かおかしいぞ」
「俺もそう思う。何かすごく焦っているような気がする。十二月のライブまでまだ時間はたっぷりあるじゃないか!」
メンバーの言葉に夏火は苛立ちを隠せないようだった。
「だからだよ! 時間があるのなら、もっともっとライブの内容を充実させることができるじゃないか! 上手くなって気持ち良くロックしたいって思わないのかよ?」
「思うさ! そのために毎日練習してるじゃないか!」
「家で自主練習だってしてるよ! なのに、これ以上、俺達にどうしろって言うんだよ?」
「俺が言っているのは、技術がどうのこうのって言うんじゃねえよ! 気持ちだよ! ハートだよ!」
「俺達だって、音楽に対する気持ちは夏火に負けないつもりだぜ!」
「じゃあ、お前ら、演奏中に何か他のことを考えてねえか? 集中して演奏しているとは思えねえぞ!」
「どうして、そんなことが言い切れるんだよ?」
「演奏に集中してるかしてないかぐらいは分かるってんだよ!」
夏火が三人を睨みつけると、三人は呆れたような顔を見せた。
「そうやって、いつも自分で何でも決めつけるのな、夏火は」
「な、何だと!」
「ちっとは頭冷やせよ! 今日はもう帰るからな!」
「そうだな。こんなんじゃあ、練習しても無駄だろうからな!」
バンドメンバーの三人は、しばらくの間、夏火を睨みつけてから、新校舎の玄関に向けて去って行った。
後に一人残った夏火は、周りを取り囲んでいる生徒達を睨んだ。
「何だよ、お前ら! 見世物じゃねえぞ!」
怒鳴られた生徒達は首をすくめながら去って行ったが、日和と冬木、そして和歌の三人だけが残った。
「何があったんだ?」
冬木が表情を変えることなく、夏火に訊いた。
「……関係ねえだろ」
「目の前であんな大きな声を出されて、関係ないと言われても納得できんな」
夏火も冬木相手に誤魔化しなどできないと分かったようで、大きくため息を吐いた。
「はあ~、……バンドへの取り組み方と言うか、何で俺について来てくれないんだって腹が立ってさ」
「夏火は、いつも熱すぎるのだ! まあ、今に始まったことではないが」
「そう言う冬木はクールすぎるんだよ! ……でも……まあ、ありがとうな」
その夏火の言葉を聞いて安心したのか、冬木も苦笑を浮かべながら去って行った。それを見て、和歌も部室に帰ろうとしたが、当然、一緒に来ると思った日和が動かなかったことから足を止めた。
「部長、どうしたのですか?」
「えっと……、和歌ちゃん、先に部室に戻っておいてたもれ」
「何か用事でもあるんですか?」
「夏火さんにちょっと」
日和の意図が分かったのか、和歌はそれ以上何も言わずに部室に戻った。
あとには、日和と夏火の二人だけが残った。
「夏火さん」
日和の怒った顔に、夏火は気まずい顔を返した。
「な、何だよ?」
「どうして、ちゃんと話をしないのじゃ?」
「部室の中でちゃんとしたさ! でも、あいつら、俺の言ってることが分からないんだってよ!」
「わらわも分からなかったのじゃ! 夏火さんはバンドをどうしたいのじゃ?」
「どうしたいって?」
「あの人達と一緒には、もうしたくないのか?」
「……本音では続けたいさ。でも一緒にしているとイライラしちまって、俺も演奏に集中できなくなってしまうんだ」
「さっき、冬木さんが、夏火さんは熱すぎると言っておったが、わらわもそう思う」
「それについては否定できねえな」
「夏火さんは、それだけバンドに思い入れが強いんじゃろうの」
「ああ、そうだな」
「でも、バンドは一人ではできないのではないのか?」
「そんなことぁ分かってるよ!」
「……耳が痛いのじゃ」
「わ、悪い」
日和が自分の耳を塞ぐようにしたのを見て、夏火もすぐに謝った。
「以前、わらわが部長就任の挨拶に行った時、あのメンバーの人達は夏火さんのことをすごく誉めていたではないか? 上級生を追い出すほど熱心じゃったと」
「そうだっけ?」
「そうじゃった! だから、みんな、夏火さんが熱いことは知っているはずではないか。それをどうして今頃?」
夏火は言い出しづらそうに顔をしかめた。
「ど、どうして、日和は、一人残ってまで、そんなことを訊くんだよ?」
「夏火さんのことが心配じゃからに決まっておる!」
「えっ?」
照れてしまった夏火の顔を見て、日和は自分の発言が誤解されたことに気がついた。
「あっ! そ、その、四人がいつも笑顔でいてくれたら、わらわも安心できるからじゃ! それ以上でもそれ以下でもないのじゃ!」
「そうなのか? ……でも、日和がそう思っていてくれるだけでもありがたいよ」
「じゃあ、話してたもれ」
「部室に入るか?」
夏火は、自分の話を他の人に聞かれたくなかったのかもしれなかったが、二人きりになると、今度は日和が緊張してしまって、言いたいことが言えなくなるかもしれないと思った。
「ここで話してたもれ。内緒の話ではあるまい?」
「……分かったよ」
夏火は部室と反対側にある廊下の窓際に行き、窓にもたれ掛かって日和を見た。
「十二月にライブハウスでライブをやろうって決めて、みんな、それに向かって張り切っていたんだ。実は、みんなには話していないけど、そのライブにはプロのスカウトも来るという噂を聞いて、俺は絶対成功させてやるって思ったんだ」
夏火がプロミュージシャンを目指していることは、夏火自らが語っていた。自分のライブをプロのスカウトが見る可能性があると思えば、夏火が熱くならない訳がない。
日和は無言でうなづいて、夏火に話を続けさせた。
「だから、俺はそのステージを完璧なものにしたかったんだ。でも、あいつらの演奏ときたら……」
本当に悔しそうに夏火が唇を噛みしめた。
「そんなに腹が立つのなら、別のバンドでやったら良いではないか?」
「今からじゃ間に合わねえよ。それに、あいつらとは一年の時からずっと一緒にやってて、気心も知れているし、何と言っても、あいつらとはノリが合うんだ」
「やっぱり、あの人達と一緒にやりたいんじゃろ?」
夏火は小さくうなづいた。
「練習をしていて、ちょっとだけ熱くなったんじゃろう? だったら、ちゃんと謝れば良いではないか」
「今更か?」
「時間を置けば置くだけ難しくなるのではないかの?」
「それはそうかもしれないが……」
「どうしたのじゃ! いつもの夏火さんらしくないではないか!」
いつもの夏火らしくない、煮え切らない態度に日和は腹が立った。
「やっぱり俺が悪いのか?」
「自分が悪くないと思っているのなら、頭を下げる必要はないのう。夏火さんはどう思っておるのじゃ?」
「……少し言い過ぎたかもしれねえ」
「自分が悪いと思っておるのなら、なぜ頭を下げぬ?」
「お、俺は頭を下げることが嫌いなんだ」
「何、子供みたいなことを言うておるんじゃ。いつも、わらわを子供扱いしておきながら」
と言いつつも、日和には夏火を責めているようではなかった。
「で、でもよ……」
いつまでも腕白坊主のような夏火は振り上げた拳の下ろし方が分からないようだった。
日和はじれったくなって、夏火をキッと睨んだ。
「蘇我夏火!」
突然の呼び捨てに、夏火も驚いて日和を見た。
「卑弥埜の姫の御前じゃぞ! 下がれ!」
生まれながらに身についていたとしか思えないその威厳ある言葉に、夏火は思わず数歩後ずさった。
「ひざまづけ! 頭を垂れろ!」
まるで催眠術に掛かっているかのように、夏火はひざまづき、臣下の礼を取った。
日和はゆっくりと夏火に近づき、その頭をポンポンと軽く叩いた。
「やればできるではないか」
「えっ?」
ひざまづいたたまま、頭を上げた夏火の顔の先には、日和の笑顔があった。
「ここまでやる必要はないが、頭を下げることは簡単じゃろう?」
「ひ、日和」
「明日、ちゃんと夏火さんの方から謝るのじゃ。みんな、きっと分かってくれると思うのじゃ」
優しい日和の言葉に、夏火も思わず笑顔になった。
その日の部活の時間が終わり、日和は、真夜と一緒に夕方の買い物客で賑わう商店街を縮地術のある公園まで歩いて帰っていた。
「そうですか。夏火殿が」
「そうなのじゃ。春水さんとか秋土さんとかに比べると、本当に子供なんじゃから」
真夜がプッと吹き出した。
「真夜が何を言いたいのか分かっておるぞ。わらわだって子供じゃが、すまぬと思ったらちゃんと頭を下げるのじゃ」
「そうですな。いつも反省をしていますものな」
「そこは突っ込まなくても良いのじゃ!」
頬をぷうと膨らませて真夜を睨んだ日和は、商店街の中にあるゲームセンターの中に、見覚えのある顔を真夜越しに見つけて、足を止めた。
「どうされました、おひい様?」
「真夜、あの人達に話がある。少し待っていてたもれ」
ゲームセンターの中に入った日和が向かっている先にいるのが、夏火のバンドメンバーであることが分かった真夜は、ゲームセンターの入口付近で立ち止まり、そこでそのまま待つことにした。
太鼓を叩くゲームの周りにいたメンバーの後ろから日和が呼び掛けた。
「あ、あの」
ゲームセンターの中に響く騒音で、日和の小さな声は聞こえなかったようで、メンバーは誰も振り向かなかった。
「すみませーん!」
やっと気づいたメンバーが振り向き、日和を見た。
「あれっ、夏火の同級生の……」
「は、はい」
「何か用?」
「夏火に言われて来たの?」
みんな、髪を染めたり、校則違反の制服を着ていたが、その言葉は優しかった。
「そ、そう言う訳ではなくて、たまたま、あなた方を見掛けたから、いても立ってもいられずに呼び掛けてしまったのじゃ」
「とりあえず外に出ようか?」
日和の声が聞きづらかったのか、メンバー達は騒がしい店内から日和を連れて外に出た。入口付近に普通科でも人気の真夜がいたことで、メンバーも少し顔を緩めた。
日和は改めてメンバー達に話し掛けようとしたが、顔は知っているが、まともに話したことがない相手に、日和の人見知りが発動されていた。
「あ、あの、あ、あなた方は、もう、夏火さんとバンドをするつもりはないのじゃろうか?」
三人のメンバーは答えに迷ってしまったようで、お互いの顔を見渡した。
「今日はそんな気分じゃないな」
メンバーの一人が答えると、あとの二人もうなづいた。
永遠に無いとは言われなかったその答えを聞いて、日和は少し安心した。
「バンドが嫌いになった訳ではないんじゃな?」
「バンドは好きさ。でも今日は練習をしてて、全然、面白くなかった」
「では、どうすれば、夏火さんと一緒にバンドをやってくれるのじゃろう?」
「えっ?」
部員達も日和と夏火が同級生だということくらいの認識しか持っていなかったから、日和が夏火の心配をここまですることが意外であったようだ。
「た、例えば、夏火さんが頭を下げれば、許してくれるのじゃろうか?」
「あいつのことだから、頭なんて下げないよ、きっと」
一年生からずっと夏火とつき合っているというバンドメンバーは、夏火の性格を知り尽くしているようだ。
「だから、その夏火さんが頭を下げたら、バンドを一緒にやってもらえるのじゃろうか?」
「だから、あいつは頭なんて」
「夏火さんは、あなた方に頭を下げると、わらわと約束をしてくれたのじゃ!」
「ま、まあ、夏火から頭を下げてくれたなら」
日和の一生懸命な態度に、メンバー達も日和の言葉を信じようと思ってくれたようだ。
「でもさ、夏火ももう少し俺達の話を聞いてほしいんだよ。そうじゃなきゃ、結局、同じことの繰り返しのような気がする」
「それは、わらわからも注意をしておく! ちゃんとさせる! だからお願いじゃ! 夏火さんと一緒にバンドを続けてたもれ!」
多くの買い物客が行き交う商店街のど真ん中で女の子に頭を下げられて、メンバー達も戸惑ってしまったようで、「分かった! 分かったから!」と日和に頭を上げさせた。
「ありがとうなのじゃ!」
日和は、自分の願いを受け入れてくれたメンバー達に対して、素直に感謝の気持ちを伝えた。
日和の笑顔に照れていたメンバー達は、すぐに不思議そうな顔に変わった。
「でもさ、どうして、そんなに夏火のことを気に掛けてるの? ひょっとして、夏火の彼女なの?」
「えっ! ち、違うのじゃ! 友達なのじゃ!」
思い切り否定した日和だったが、メンバー達のにやついている顔からは、彼女認定をされてしまった気がした。
次の日の朝。
日和と真夜が旧校舎の玄関を入ると、夏火が待っていた。
「真夜、悪い。日和にちょっと話があるんだ」
少しバツが悪そうな夏火の話の内容が想像できた真夜は、「分かりました」と会釈をすると、先に二階に上がって行った。
夏火は日和を誘って、靴箱から廊下の隅に移動した。
次々に登校してくる神術学科の生徒達から注目をされながら、夏火は日和と向き合って立った。
「日和」
「何じゃろ?」
「ありがとうな」
夏火が日和に軽く頭を下げた。
「えっ?」
「お前があいつらにいろいろと言ってくれたんだろ?」
「……夏火さん、ちゃんと頭を下げたのか?」
「ああ、日和と約束したからな」
「なら、バンドをまた一緒にやってくれることになったのじゃな?」
「今日から早速な」
「それは良かったのじゃが、あの人達とこれからもちゃんと話をするようにしないと、結局、また喧嘩をしてしまうぞ」
「分かったよ。それは、日和があいつらと約束したんだろ?」
「そうじゃ。守れるか?」
「死んでも守るさ! だって、俺に代わって頭を下げてくれた、俺の姫様の顔に泥を塗る訳にいかねえだろ!」
夏火は、照れながらも嬉しそうであった。
そして、夏火が「俺達の姫様」ではなく「俺の姫様」と言ったことに気づかなかった日和であった。




