第四十七帖 姫様、春水の優しさを叱る!
時は少し流れて、十月に入り、神術学科の制服も長袖に戻った。
少し肌寒い朝のこの日、日和と真夜もダークグレーのカーデガンを羽織って登校をしていた。
神術学科女子の制服変更の要望は大多数の女生徒の賛同を得て、生徒会を通じて学校側にも伝えられた。もともと出来レースなので、学校もすぐにその要望を入れ、来年度から制服を変更することが正式に決定された。
今は、生徒達から新しい制服のデザインを募集しているところであった。
日和も自分の好きなデザインを考えて応募しようと考えていた。
「真夜はどんなデザインが良いと思う?」
「その辺りのセンスは拙者にはございませんから、おひい様の好きなデザインであれば、喜んで袖を通します」
「真夜も絶対可愛くしたいのじゃ!」
「……ありがとうございます」
真夜は、自分を同性として扱ってくれる日和の心遣いが嬉しかった。
「和歌ちゃんも張り切っておるのじゃ。手芸部が学校から頼りにされているみたいで嬉しいと言っておった」
「そうですか。しかし、お二人だけでは大変なのでは?」
「確かにそうじゃが、それだけやりがいもあるのじゃ。それに、新しい制服の見本が評判になれば、入部希望者が増えるかもしれぬからの」
「ここは部長としての腕の見せ所ですな」
「そ、そう言われると、少しプレッシャーなのじゃ」
教室に入ると、今日も春水は生徒会室に呼び出されているとのこと。
最近は、ほぼ毎朝、呼び出されていたが、生徒会室から戻って来てからも、春水は何も言わなかった。
話したくなったら話すという春水との約束のこともあり、日和の方から積極的に問い質すことはしなかったが、春水の少し疲れた表情を見て心配になるのだった。
そして、お昼休み。
日和は二年参組の教室をのぞいて、麗華を呼び出した。
参組の前の廊下で二人は向き合った。
「卑弥埜様、何でございますか?」
「最近、生徒会長の秦さんが春水さんをよく生徒会室に呼び出しておるのじゃ。それも最近はほぼ毎日じゃ。でも春水さんは何も話してくれぬ」
「そ、そうですか」
麗華も何か思い当たることがあるようであった。
「春水さんと秦さんと麗華さんの関係は、秋土さんから聞いておる。じゃから、麗華さんに何か心当たりはないかと思うての」
「……昔のこともあって、今、ワタクシは秦さんとは、それほど親しくおつき合いをさせていただいておりません。でも、二学期が始まってすぐの頃、秦さんから卑弥埜様のことを訊かれました」
「わらわのこと?」
「はい。卑弥埜の姫様が転校されてきたことは当然、知っていたけれど、それほど興味はなかったそうです。でも、その……」
「何じゃ?」
日和は優しい笑顔を見せて、少し言いづらそうな麗華に言葉を続けさせた。
「夏休みに、卑弥埜様が春水様とデートをしたと聞いて、卑弥埜様のことが気になりだしたそうなのです」
「は、春水さんとだけしたのではないぞ!」
日和の反論になっていない反論に麗華も苦笑した。
「卑弥埜様と四臣家の四人が順番にデートをしたことは、神術学科の生徒では知らない者はおりません」
「そ、そんなに?」
別に隠し立てしていた訳ではないから噂にはなるだろうとは思っていたが、そこまで広範囲に噂が広がっているとは、日和は思ってもいなかった。
「それはそうですわ。菅原さんのこと、欧州魔法協会に殴り込んだことも全部」
「そ、そうなんじゃ」
卑弥埜の姫である日和の動向は、神術使いの家の将来の在り方をも変えるかもしれない重要なことなのだ。そうだということをちゃんと認識して行動をしなければと、今更ながらに反省をした日和であった。
「わらわのことを訊いた時、秦さんは何か言っておったか?」
「ワタクシには何も言っておりませんでした。でも」
「でも?」
「その後、秦さんは何となく落ち着きがなくなってきているように思えました。同級生も言っていましたから、ワタクシ一人の思い込みではないと思います」
「ひょっとして、秦さんは、わらわが春水さんとつき合っておると誤解をしているのではないのじゃろうか?」
「ワタクシもそれ以降は、彼女と話しておりませんから分かりませんが、その可能性はあると思います。でも、春水様が生徒会室に呼び出されているのであれば、ちゃんと誤解だと説明しているはずですわ」
「それはそうじゃの」
「秦さんは生徒会室の鍵をお持ちです。そして朝、生徒会室を訪れる役員はいないと思いますから、きっと二人きりで話をされているのでしょう」
「二人きりで?」
「心配ですか?」
「い、いや、春水さんは女性と二人きりになったとしても、乱暴なことをするような人ではない!」
「ワタクシもそう思います」
「そうじゃの。……すまなかったの。突然呼び出して」
「いえ。卑弥埜様」
「何じゃろ?」
「ワタクシもまだ春水様のことを諦めた訳ではございませんよ」
「そうじゃったな」
恋敵宣言のような台詞とは裏腹に、笑顔を交わした日和と麗華であった。
その日の放課後。
手芸部の部室では、日和と和歌が新しい制服の話で盛り上がっていた。
「昨日の夜、新しい制服のデザインをずっと考えていての。気がついたら、もう今日になっておった」
「気合いが入ってますねえ。それで、できたんですか?」
「だいたいの。セーラー服タイプなのじゃが、リボンを大きめの蝶結びにして、スカートはプリーツでチェック柄にしようかと思っておるのじゃ」
「へえ~。今度、デザイン画を見せてください」
「もちろんじゃ! 和歌ちゃんの意見も訊かせてほしいのじゃ」
「任せてください!」
その時、部室のドアがノックされた。
和歌が席を立ってドアを開けると、そこには見覚えのある普通科の女生徒が立っていた。
「あっ! こ、こんにちは! 美術部の斉藤と言います」
「何かご用ですか?」
「卑弥埜部長さん、いらっしゃいますか?」
和歌に呼ばれるまでもなく、日和は席を立って、その女生徒の前に行った。女生徒はすごく焦っている様子で、それほど暑くはないのに汗をかいていた。
「わらわが卑弥埜じゃが?」
「急にすみません」
「何の用じゃ?」
「うちの部長が見当たらないのですけど、ご存じないですか?」
「春水さんのことか?」
「はい。部室にいらっしゃらないのです。携帯でも連絡がつかなくて」
春水は、ホームルームが終わると、いつもと同じように日和に挨拶をして、先に教室を出て行った。何も変わったところはなかった。
「同級生の卑弥埜部長さんなら、何かご存じかもしれないと思って」
「……ひょっとしてじゃが、生徒会室におるのではないじゃろうか?」
「生徒会室ですか?」
「うん。最近、よく呼び出されておるからの」
「でも、私のクラスに生徒会役員をやっている同級生がいるのですが、今日は生徒会長の個人的な用事があって、生徒会活動はお休みだって言ってました」
それで、春水が生徒会室にいると確信した日和であった。
日和は、和歌を部室に残して、一人、旧校舎四階の生徒会室に向かった。
人気のない廊下を通り、生徒会室の扉の前に立つと、日和はノックをしたが、返事はなかった。
もう一度ノックをしようとした時、部屋の中で物音がした。内容までは聞き取れなかったが、何か言い争いをしているようにも聞こえた。
日和は扉を開けようとしたが、鍵が掛かっていた。
仕方無く、日和は扉の鍵を魔法で壊した。ボンッと音がして鍵の部分だけが吹き飛ぶようにして壊れると、日和は急いでスライド式の扉を開けて、中に飛び込んだ。
しかし、そこにあった衝撃的な光景に固まってしまった。
目を閉じたさゆみが下着姿でソファに横たわっていて、春水がその前にひざまづいていた。
まるで眠らせたさゆみの服を脱がせて、これから悪戯をしようとしているようであった。
「ひ、日和さん!」
振り向いた春水は、日和の顔を見て、驚くとともに決まりの悪い顔をした。
日和もその信じられない光景にしばらく思考が停止していたが、すぐにソファに駆け寄り、自分のカーデガンを脱いで、さゆみの体にかけた。
そして、ひざまづいている春水を睨んだ。
「春水さん! 何をしておるのじゃ?」
「秦さんが手首を切ったので、とりあえず血を止めようとしたのです」
「えっ!」
さゆみが下着姿だったことに驚いて見えてなかったが、床に血痕がいくつか着いていた。
そして、体に掛けたカーデガンを少しだけずらして、左右の手首を見てみると、左の手首に切り傷があった。その手首から肘にかけての中間の所がハンカチで縛られていた。おそらく手首に血が行かないように春水が縛ったのであろう。
手首の傷は浅いようで、すでに血は止まっているようであった。
ふと、目を開けたさゆみと目が合った。
「秦さん」
「……卑弥埜様。お笑いください、愚かな私を」
さゆみの言葉は、弱々しく消え入りそうであった。
「何を言っておるのじゃ! と、とにかく手首を見せるのじゃ!」
そう言うと、日和は、さゆみの左手首を握って自分に近づけると、そこに自分の左手のひらを向けた。
日和の左手のひらから淡く光る白い光が放たれると、さゆみの手首の傷は見る見ると塞がれていった。
「そ、それは?」
目線を下げて、日和を見ていたさゆみが訊いた。
「太陽の神術じゃ」
「それが……」
さゆみの手首の傷が消えると、日和は手首を元の位置に戻して、カーデガンを掛け直した。
「秦さん、事情を話してもらえるかの?」
「はい」
さゆみは、日和が掛けてくれたカーデガンを自分の口元まで持ち上げて、赤い顔を隠そうとしたが、少し上に上げすぎて下着が見えてしまったことから、カーデガンの裾をつまんで下に下げた。
「一旦、外に出るから、秦さんは服を着てたもれ」
少し冷静になった日和は、さゆみを下着姿のままにしておくことはできないと思った。
「いえ、大伴君の誤解を早く解いてあげないといけないですから」
さゆみはカーデガンで前を隠しながら上半身を起こし、ソファに座った。
「大伴君は何もしていません。服は私が自分で脱ぎました」
「なぜじゃ?」
「大伴君の気持ちを確かめたかったのです」
「……やっぱり、秦さんは春水さんのことをまだ?」
「……はい」
うつむいたさゆみは、数回、肩を上下させて深呼吸をしてから頭を上げた。
「私は、小さな頃からずっと大伴君が好きでした。でも橘さんと婚約したと聞いて、その想いは胸の奥深くに仕舞うことにしました。生徒会活動に打ち込むことで忘れることもできました」
「……」
「大伴君と橘さんとの婚約が白紙に戻ったことを聞いた時、不謹慎だと思いましたけど、本当に嬉しかったのです」
「……」
「でも、私は、橘さんのように、自分の方から大伴君の近くに寄ることはできませんでした。いつも遠くから大伴君を見つめていました。大伴君は特定の女性とおつき合いすることはありませんでしたから、それでも十分幸せでした」
「……」
「でも、卑弥埜様が大伴君とデートをしたという話を聞いて、私はいても立ってもいられなくなりました。このまま私が何もしないと、大伴君は卑弥埜様とおつき合いを始めるのではないかという思いで頭の中がいっぱいになりました」
麗華との婚約が白紙に戻り、憧れの人が、また自分の手が届くところに降りて来てくれたと思ったら、今度は、別の女性が憧れの人を奪い去ろうとしていることに、心がかき乱されたのであろう。
「デートと言うか、四臣家の四人と順番に遊びには行ったが、その中の誰ともつき合うような仲になっておる訳ではない」
「でも、お互いに好意は持っていた訳ですよね?」
「好意は……持っておる」
さゆみが言う「好意」と日和が言う「好意」は同じレベルではない気がしたが、少なくとも、さゆみが言うとおり、四人とのデートには、ちゃんとお洒落をして出掛けて、デート中もすごく楽しかった記憶しなかい日和は、四人への好意は確かに持っていた。
「その好意が愛情に変わることはないのですか?」
「それは、まだ分からぬ」
「……卑弥埜様は、やはり姫様だからでしょうか? 何となく悠然とされていますね?」
「のんびりしすぎじゃと、いつも真夜には叱られるがの」
さゆみの顔が少しだけ緩んだ。そして、立ち尽くしている春水の顔を見た。
「私は、今すぐにでも大伴君の気持ちを知りたかったんです。だから、私は、ずっと胸の奥に仕舞っていた自分の気持ちを大伴君にぶつけました。でも、大伴君の答えは、『卑弥埜様のことが好きだ』と言うことでした」
日和は春水を見たが、春水は少し照れているように、目を伏せていた。
「その気持ちは卑弥埜様にも伝えているともおっしゃいました。でも、卑弥埜様からの返事はもらっていないし、求めてもいないとも」
「……」
「たぶん、私は正常な判断能力を失っていたのだと思います。大伴君と話がしたいという欲望を満たすためという目的もあったと思います。大伴君をよくここに呼び出して、私の気持ちに対する答えを言ってほしいと迫りました」
「……」
「でも、大伴君は、私のことは何も答えてくれませんでした」
「……」
「ひょっとしたら、私は、大伴君に『嫌いだ』と言ってほしかったのかもしれません」
春水が目を見開いて顔を上げた。
「しつこいほどに呼び出して、毎日毎日、同じ事を尋ねて、同じ答えに納得できなくて、挙げ句の果てに服を脱いで迫って、拒否されると自分で手首を切って……、どうして、大伴君はこんな私のことを『嫌いだ』と言ってくれなかったの?」
さゆみが涙を浮かべながら、春水を睨んだ。
春水は、そんなさゆみの本心を読むことができなかったことが悔やまれるのか、さゆみの視線から自分の視線をはずして、また、伏せ目がちになり、声を絞り出すように言った。
「秦さんは、生徒会長に推薦されるほど人望があって、頭も良くて、お淑やかな、素敵な女性です。私が嫌う理由がありません」
「……それは春水さんの本心なのか?」
いつもあまり見せない日和の険しい顔を見て、春水も驚いていて日和を見た。
「そうです」
日和の心の中に複雑な怒りがわき上がった。
「きっと、今回のことも、春水さんが悪いのじゃ!」
「えっ?」
当の春水はもちろん、さゆみも呆気に取られた顔をした。
「それはどういうことでしょうか?」
春水は穏やかな口調のままであったが、動揺していることは明らかだった。
「麗華さんの時もそうじゃ! 今回も! 悪いのは、春水さんが女の子に自分の気持ちをちゃんと言わないからではないのか?」
「……」
「麗華さんにも、婚約を破棄したことを伝えて、麗華さんは納得したと春水さん自身は思ったのかもしれぬが、一方的に言われた方は、おいそれと納得できるものではないと思う。麗華さんも納得できなかったけど、泣く泣く自分に言い聞かせてきてたのじゃろう?」
「……」
「今回だって、秦さんがこうでもして春水さんの気持ちを確かめたかったのは、やっぱり春水さんの本当の気持ちが分からなかったからじゃ」
「私は、麗華さんも秦さんも嫌いではありません。それなのに、相手を諦めさせるために『嫌いだ』と言わなくてはいけないのでしょうか? それに、私は日和さんのことを好きだとはっきり伝えています。私なりに自分の気持ちは伝えたつもりです」
「わらわのことは良いのじゃ! 秦さんが言ってほしかったのは、秦さんに対する春水さんの気持ちじゃ! 他の女の子のことが好きだと言われて、『じゃあ私は?』って思うじゃろう?」
「……そうなのですか?」
「わらわは、そう思ったのじゃが?」
日和がさゆみを見ると、さゆみは小さくうなづいた。
日和自身は恋愛初心者であるが、人のことを自分に置き換えて考えるくせがあり、自分なら「こう言われたい」とか「こうされたい」といつも考えていた。
叶わぬ恋であれば、情け容赦なく未練を断ち切ってくれることで、人は新しい恋に踏み切れることもある。
そんな自分の考えがさゆみの考えと同じだったことが嬉しく思えた。
「春水さんは、きっと優しすぎるのじゃ。女の子を傷付けたらいけないと思って、きつい言い方はできぬのじゃろうが、突き放してくれた方が良いこともあると思うのじゃ」
春水が顔を上げて、日和を見つめた。
その視線にまっすぐ顔を向けて、日和は話を続けた。
「優しいのが春水さんの良いところではあるが、優しさも時には残酷なような気がするのじゃ」
そう言うと、日和はさゆみの隣に座った。
「秦さん。いや、さゆみさんと呼ばせてもらっても良いかの?」
「は、はい」
「さゆみさんは意外に胸が大きいのう」
「な、何をおっしゃているのですか? 卑弥埜様!」
自分で脱いでおきながら、さゆみはカーデガンを体に引き付けた。
「醒めてみると、すごく恥ずかしいし痛いことじゃのう? でも、きっと想いが昂ぶっている時には、そんなことを考えることすらしないと思うのじゃ。さゆみさんもそうだったのじゃろう」
日和は、さゆみの肩を抱くようにして、春水を見た。
「春水さん、女の子は恋に命懸けになれるのじゃ! わらわだってきっとそうじゃ!」
日和の母親は、まさしく命懸けの恋を貫いた人だ。
「じゃから、その場しのぎの言葉は女の子を苦しめると思うのじゃ」
「私は、けっしてそのようないい加減な気持ちでいる訳ではありません!」
日和からそんな批判をされるとは思ってなかったはずの春水は、必死で否定した。
「分かっておる」
日和はニコッと笑った。その笑顔に春水も少し表情を和らげた。
「でも、春水さんは、いつも女の子に囲まれておるにもかかわらず、女心を分からぬ唐変木の素養も高いようじゃの」
さゆみがくすりと笑った。
「きっと昔から女の子にモテモテじゃったから、その辺の感覚が麻痺しているのかもしれぬな」
「そ、そうなんでしょうか?」
「分からぬ」
日和は、少しずっこけた春水に笑顔を見せた。
「でも、それを全部含めて、春水さんなのじゃろうの」




