第四十六帖 姫様、生徒会長の涙に困惑する!
唐突に出た春水の名前に日和も驚いた。
「か、関係とは?」
「橘さんと同じように婚約をされているのでしょうか?」
「わらわと春水さんはそのような仲ではない! 春水さんは仲の良い友達じゃ!」
「友達なのですか? まだ、恋人でもないと?」
「そ、そうじゃ!」
「……分かりました」
さゆみは、伏せ目がちに前を向くと、また歩き出した。
その後ろ姿は、春水との関係について自ら話すことを拒絶しているようで、日和と真夜は、 さゆみに声を掛けることもできずに、その跡をついて行った。
同じ階にある生徒会室に着くと、さゆみが引き戸を開いて、日和と真夜を部屋の中に案内した。
「おかえりなさい」
部屋の中で作業をしていた生徒会役員達の挨拶に笑顔で答えたさゆみは、日和と真夜を、生徒会室の真ん中に置かれている質素な応接セットのソファに並んで座らせ、自分はその対面に座った。
「卑弥埜様。生徒会から手芸部部長としての卑弥埜様にお願いがございます」
さゆみは、春水のことを尋ねた時の少し不安げな顔から、生徒会長としての事務的な顔に変わっていた。
「手芸部として?」
「はい」
さゆみは表情を変えることなく話を続けた。
「実は、生徒会に神術学科の女子の制服を変えてほしいとの要望が上がってきています」
「本当に?」
入学当初には、日和もこの古めかしい神術学科の制服が好きではなかったが、着慣れてくると少し愛着も湧いてきていた。
しかし、制服変更の話が現実の話として出てくると、やはり嬉しく感じるとともに、夢ではないかと疑ってしまった。
「はい。卑弥埜様が我が校に入学していただいたお陰で、神術学科への問い合わせが最近多くなっているのですが、女子の制服が古めかしいと不評なのです」
「そ、そうなのかのう?」
と言いつつ、日和も思いきり、うなづいた。
「それと先ほど父が申しましたように、これから留学生も我が校に来ることになりますが、日本の『カワイイ』制服が着られることを期待しているとも聞いています。そう言った事態を受けて、学園も重い腰をやっと上げてくれそうなのです。来週には、生徒に対して、正式にアンケートを実施したいと思っていますが、事前に神術学科の女生徒の何人かから話を訊くと、ほぼ間違いなく変更が支持されるはずです」
日和はまた大きくうなづいた。
「それで、手芸部へのお願いとは何じゃろ?」
「アンケートでは、好みのデザインも募集することにしています。各自が好みの制服のデザイン画を描いて応募してくれるはずですが、やはり絵だけだと、みんな、イメージがしづらいと思うのです。そこで応募されたデザインのうちから、予備投票で上位三位までに入ったものについて、実際に見本を作っていただき、生徒達にその実物を見てもらった上で最終投票をしたいと思っているのです」
「ふんふん」
「そこで、その見本を手芸部に作っていただければと思っているのです。お二人しかいなくなっているのに三着も作るのは大変だと思うのですが」
「やるのじゃ! いや、やらせてもらうのじゃ!」
文化祭の時の巾着袋のように、手芸部で作る物が自己満足ではなく誰かの役に立つということに、日和は喜びとやりがいを感じていた。
確かに、制服の見本を三着も、放課後に二人だけで作製することは大変だろうが、耶麻臺学園の歴史を変えることにもなるこの大仕事を絶対に成し遂げたいと思った。
普通科の和歌には、あまり関係のないことだから、自分だけでも仕上げる覚悟もあった。
「ありがとうございます、卑弥埜様」
深々と頭を下げたさゆみは、安心したように周りの役員達を見て微笑んだ。
日和は学校に通い出していろいろと変わったが、学校の方も日和が入ったことで変わってきていたのだ。
生徒会室を出て、手芸部の部室に戻り、新しい制服見本作製の話を和歌にすると、和歌も大喜びで、絶対成功させようと言ってくれた。
そして、生徒会の許可を得た部員募集のチラシを旧校舎と新校舎の掲示板にもれなく貼っていると下校時間になった。
日和と和歌は、部室の戸締まりをして、鍵を職員室に返すと、並んで新校舎から出た。
既に辺りはほの暗く、近くに寄らないと人の顔が見えないほどであった。
ふと前を見ると、背が高く髪を伸ばした男子生徒と神術学科の制服を着た女子生徒が並んで歩いていた。
「あれって、大伴先輩ですよね」
その髪型で、日和も春水の後ろ姿だとすぐに分かったが、一緒に歩いている女生徒が誰かは分からなかった。
スプリングウォーターズのメンバーや美術部の女子部員は普通科の女生徒だけで、春水の隣を歩くことができる神術学科の女生徒と言えば麗華くらいしか思いつかなかったが、その後ろ姿が麗華ではないことは髪型で分かった。
春水とその女生徒の二人が校門に差し掛かると、いつもどおり日和を待っていた真夜に気づいたようで、春水が真夜に会釈をしたのが見えた。
そして、春水と女生徒は、真夜の前をそのまま通り過ぎて校門を出て行った。
真夜は、春水の後ろ姿を目で追っていたが、日和と和歌が側までやって来ると、丁寧にお辞儀をした。
「おひい様、和気殿、お疲れ様でした」
「梨芽先輩もお疲れ様です!」
和歌は真夜の近くにすり寄り、笑顔を見せた。
「梨芽先輩! また、写真を撮らせてくださいね!」
「変なポーズを取らなくて良いのであれば、いつでもどうぞ」
見た目は絶世の美女で頭の回転も速く運動神経も抜群の真夜は、普通科の女子に宝塚のトップスター並みの人気を誇っており、和歌が撮った真夜の生写真はプレミアムもので、日和を通じてであるが、真夜とも友人関係にあると言える和歌は、普通科の女子から羨ましがられていた。
そして、和歌からその話を聞くたび、日和も嬉しくなるのであった。
「それより先ほど、春水殿が秦殿と一緒に帰っておりましたな」
「えっ! 秦さんって、さっき会った?」
「はい。分かりませんでしたか?」
「暗くて、よく見えなかったのじゃ。でも、二人は知り合いじゃったのじゃな」
「そんな雰囲気でした」
さゆみから春水との関係について尋ねられたことを思い出して、二人の間には、やはり何かがあったのだろうかと勘ぐってしまう日和であった。
「でも、何かあったのでしょうか?」
「何かって?」
「いえ、秦殿が泣いておられたので」
「……秦さんが泣いていた?」
「はい。拙者の前を通る時、目をそらせるようにうつむいてしまったので、はっきりと見ることはできませんでしたが、目が潤んでいたのは間違いありません」
「そうなのか。……でも、わらわ達が詮索をすることではあるまい」
「いえ、麗華殿のこともございます。春水殿は女性がらみのトラブルが多いのではないでしょうか?」
「トラブルがあるのかどうかも今は分からぬ! と、とにかく、この話はもう止めじゃ!」
「おひい様がそう言われるのでしたら……」
ひょっとしたら、将来、日和の伴侶になるかもしれない春水の行状は、真夜も気になるところであったが、当の日和から止めるように言われると、それ以上話はできなかった。
「和歌ちゃんも無責任に言いふらしたら駄目じゃぞ! これは部長命令じゃ!」
「は、はい」
日和から上級生らしい言葉を初めて聞いた和歌であった。
次の日の朝。
神術学科二年壱組の教室。
日和が教室に入ると、春水を除く四臣家の三名が既に席に着いていた。
「春水さんは、いつも早いのに、今日はまだ来てないのじゃな?」
日和は右隣の秋土に訊いた。
「春水なら生徒会室に行ってるよ」
「生徒会室に?」
昨日、泣いていたと言うさゆみのことが思い出された。
「うん。生徒会長の秦さんがやって来て、生徒会室まで来るようにって言われて、一緒に出て行ったんだよ」
「春水が秦に呼ばれた?」
秋土の話を聞いた夏火が怪訝そうな顔をして、秋土を見た。
「うん。秦さんが来たのは、夏火と冬木が来る前だったからね」
「そう言うことじゃなくてさ」
「何か思い当たることがあるのか?」
「い、いや、……まあ、あると言やぁ、あるんだけどな」
日和の問いに答えた夏火は珍しく歯切れが悪かった。
「夏火。お前の言い方は何かが起こることを期待してないか?」
「何かが起こる可能性もあるのか?」
夏火同様、何かを知っていそうな冬木に日和が尋ねた。
「まあ、橘さんのこともあったから、日和ちゃんには話して良いかな」
秋土が仕方が無いという顔をして、日和を見つめた。
日和はその話を聞き逃すまいと、椅子に横向きに座り、秋土に体を向けた。
「秦さんは春水のことが好きなんだよ」
「えっ、そうなのか?」
「そんなに驚くことでもないと思うけど」
「いや、わらわは初耳なのじゃ!」
もっとも、生徒会長のさゆみのことを最近まで知らなかったのであるから、さゆみが春水のことを好きだと言うことに気づかなかったとしても仕方が無いことであろう。
「そもそも、この高校の女生徒で、春水のことを好きでない女子などいないだろう」
「好きの度合いには差があると思うけど、嫌いだという女子は絶対いないはずだよね」
冬木の推測に秋土も同意した。
四臣家の四人の中でも断トツの美形であり、一方で、夏火のようにいつも熱いということはなく、秋土のように真面目すぎて融通が利かないということもなく、冬木のように興味の無いものへの無関心さもない。女子に対して、いつも優しく微笑みながら、ちゃんと話をしてくれる春水のことを嫌うような女子はいないと言う意見に、日和も賛成せざるを得なかった。
「秦さんが春水さんのことを好きだと言うことは、秦さんが自分で言ったのか?」
日和は、さゆみが春水のことを好きだということを、秋土達がどうして知っていたのかが気になった。
「秦さんは、僕らや橘さんと同じく、春水の幼馴染みで、小さな頃は、みんなでよく一緒に遊んでたんだ」
「そうなんじゃ」
「小学生低学年の頃は、春水を巡って、橘と秦がよく喧嘩をしてたからなあ。春水と一緒にその喧嘩を止めさせるのが俺達の役目だったな。今から考えると、ほんと、ガキだったよな」
「夏火は、今でもガキだろう?」
「うるさいよ! 自分で言ってて、絶対突っ込まれるって思ったよ!」
お約束の冬木の突っ込みに、いつもどおり、夏火が怒った後、話を続けた。
「でも、いつの間にか、秦は春水に近づかなくなったんだ。きっと、橘が春水と婚約したことを聞いたからだろうな」
「身を引いたということか?」
「そうなんじゃないか。中学になって、橘と春水の婚約が解消されたことは秦も知っていたはずだけど、秦が春水に言い寄って来ることはなかったからな」
「秦さんは、中学時代から生徒会活動を始めて、『超』が付くくらい真面目な人になっちゃって、男子とつき合うというイメージからはほど遠くなったって感じだね」
日和の頭に化粧気の無いさゆみの顔が浮かんできた。
日和も化粧などしたことはなかったが、父親から受け継いだ金髪と色白な肌に映える紅い唇が目鼻立ちをはっきりと見せていて、ある意味、姫様らしき派手さがあったが、黒色のショートヘアに縁無し眼鏡を掛けたさゆみの顔は平均的な日本人のものであって、地味な印象しか与えなかった。
そして、日和は、昨日のさゆみのことを思い出した。
「秦さんは、もう春水さんのことを何とも思っていないのじゃろうか?」
「どうだろう? 僕らも最近は、秦さんに面と向かって話をしたことがないからね」
秋土の答えに、夏火と冬木も付け加えることはなかったようであった。
ホームルームが始まる直前に、春水は教室に帰って来たが、何となく表情が固い気がした。
一時間目の授業が終わった後、秋土が自分の席に座ったまま、日和越しに春水に訊いた。
「春水! 朝、生徒会に呼ばれた用事はもう終わったの?」
「えっ? ああ、終わりましたよ」
四臣家の四人はみんな、嘘が吐けない性格だと思っている日和は、春水の顔に少しだけ影が差したことに気がついた。きっと他の三人も気づいているはずだ。
「そっか。何か面倒なことを言われているんであれば相談に乗るよ」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ」
穏やかな笑顔を残して、春水は席を立ち、教室を出て行った。
夏火と冬木がすぐに秋土の近くに寄って来た。
「おい! ありゃあ、何かあるな!」
「春水が隠し事をするなんて珍しいな」
「本当だね。どうしようか?」
日和は、昨日のさゆみの涙の話をこの三人にしようかと一瞬考えたが、さゆみとはまだそれほど仲が良い訳ではなく、そのことを勝手にしゃべるのははばかられた。
「春水が話してくれるのを待つしかないだろ?」
秋土の考えに、日和も賛成せざるを得なかった。
誰だって話したくないことがある。心配だからとその話を強制的に聞き出そうとするのは、結局、親切の押し売りでしかない。
友達として困っていることがあれば何とか助けたいと思っても、それが裏目に出る可能性も十分あるのだ。
その日の放課後。
新校舎にある手芸部の部室に向かっていた日和が旧校舎から出て中庭を通っていると、前から、さゆみが歩いて来ていた。
日和の顔を見て会釈をしたさゆみは、日和の横をそのまま通り過ぎようとしたが、日和は思わず振り返って、さゆみを呼んだ。
「何でしょうか?」
日和に呼び止められるとは思ってもなかったようで、さゆみも目を丸くして日和を見ていた。
「あ、あの、制服のことじゃが」
声を掛けてみたものの、どう話を切り出せば良いのか分からず、日和は話題をすり替えた。
「制服の件は、来週には生徒達にアンケートを実施すると、確か、昨日、ご説明したはずですが?」
「ああ、そうじゃったな。すまぬ。わらわも忘れっぽくて」
日和の言い訳に愛想笑いもせずに「そうですか」と言い、さゆみは、前を向いて歩き出そうとしたが、すぐに立ち止まり、日和の方に振り向いた。
「卑弥埜様」
「な、何じゃろ?」
「大伴君から、何か話は聞かれましたか?」
「い、いいや。何も聞いておらぬ」
「そうですか。……分かりました。お呼び止めして申し訳ありませんでした」
さゆみは、また前を向いて歩き出したが、今度は日和が呼び止めた。
「秦さん、わららに何か話があるのではないのか?」
「……いいえ」
日和の方に振り向くことなく答えると、さゆみは旧校舎に入って行った。
日和は、何となく納得できない感覚を静めることができなくて、手芸部の部室にバッグを置くと、呆気に取られている和歌を残して、美術部の部室に行った。
ノックをして扉を開けると、すぐに春水が出て来た。
「何事ですか?」
日和の顔がいつもと違っていたのが分かったのか、春水も困惑気味な顔をした。
「ちょっと話があるのじゃ」
「では、そちらに」
春水は日和を伴って部室から廊下に出ると、体育系のクラブが練習をしている校庭を見つめるように、窓の前に並んで立った。
日和は、春水の顔を見上げながら、直球で尋ねた。
「春水さん、生徒会長の秦さんとの間に、何か個人的な問題が起こっておるのか?」
「……どうして、そう思われるのですか?」
春水は明らかに動揺していた。
「昨日の夜、秦さんと一緒に下校しておったじゃろう?」
「え、ええ」
「真夜と校門の所ですれ違ったと思うのじゃが、その時、真夜は、秦さんが泣いていたのを見ておる」
「……」
「無理に話せとは言わぬ」
「……今は遠慮させてください」
「分かったのじゃ」
「秦さんには何か訊かれたのですか?」
「いや、何も訊いてないし、何も話してくれぬ」
「そうですか」
悲しげな顔をして目線を下げた春水を、日和は放っておくことはできなかった。
「わらわが春水さんの話を聞いたところで何の役に立たぬかもしれぬが、相談するだけでも気が楽になることもある。いつでも良いので気が向いたら話をしてたもれ」
「日和さんのお気持ち、すごく嬉しいです。でも、人に話をすることは彼女が望んでいませんし、そのような話でもありません。彼女が許してくれたら、ご相談をさせていただくことになるかもしれません」
「うん。春水さんが話せるようになってからで良いのじゃ」
「はい。ありがとうございます」
春水は笑顔を見せたが、いつもの人を惹きつける輝きはなかった。




