第四十五帖 姫様、挨拶回りをする!
「こんにちはなのじゃ!」
「こんにちは!」
いつもどおりに部室に入ると、返って来たのは、和歌の挨拶だけであった。
「あっ、そうか。部長達はもういないのじゃったな」
いつも日和を弄ってくる美和はもちろん、いてもいなくても変わらない稲葉姉妹でさえもいないことで、寂しく感じられた日和であった。
「もう卑弥埜先輩が部長ですよ」
「じゃあ、和歌ちゃんが副部長じゃな」
「はい! それで前部長からお願いされていることがあるのですが」
「何じゃ?」
「新部長と一緒に生徒会と他のクラブを巡って挨拶回りをするようにって」
「あ、挨拶回り?」
人見知りの日和にとって一番嫌な言葉であった。
「文化系クラブのほとんどは文化祭が終わると部長の交代があるはずなので、相互に部室を訪ねて挨拶をするしきたりらしいですよ」
「そうなんじゃ。和歌ちゃんも一緒に行ってくれるか?」
「もちろんですよ! 『副部長の和気和歌です!』とアピールしまくりますから!」
和歌の性格が今日ほどありがたく感じたことのない日和であった。
とりあえず新校舎一階にずらりと並んでいる文化系クラブの部室を順番に訪問することとした。
まずは、手芸部から一番遠い所にある軽音楽部の部室に行った。
演奏中のようで扉の外にも音が漏れていたが、和歌が少しだけ部室の扉を開くと、すぐに夏火が気づいて演奏を中断した。
「日和と和気じゃねえか? 何か用か?」
「今日は手芸部部長交代の御挨拶に来ました!」
和歌が元気よくそう言うと、自分の後ろにいた日和の背中を押して前に出した。
「手芸部の卑弥埜新部長です!」
和歌の紹介にあわせて、ぺこりと頭を下げた日和が顔を上げると、夏火の嬉しそうな顔があった。
「日和が部長か? 大丈夫なのか?」
「だって、二年生はわらわだけじゃからやるしかないのじゃ」
「それもそうだな。じゃあさ、今度の部長会議では、俺が文化系クラブへの予算増額要求をぶち上げるから、手芸部も賛成をしてくれよな」
「夏火さんは部長だったのじゃ?」
「ああ、ちんたらやってた上級生を俺が追い出したからな」
「本当なのか?」
「追い出したというより、夏火がすごく熱心に活動するものだから、上級生がついてこれなくなったっんだよ」
バンドメンバーでもある普通科の部員が真相を話してくれた。
余計なことを言うなとばかりに、夏火がその部員を睨んだが、夏火の音楽にかける情熱を知っている日和は、その部員が言ったことが本当だろうと思った。
「今まで前部長に任せっきりで、わらわもクラブの運営なんてやったことないから、いろいろと教えてもらいたいのじゃ」
「任せとけ!」
夏火が嬉しそうに自分の胸を叩いた。
日和と和歌は、軽音楽部から順番に部室を回り、手芸部の隣にある科学部の部室に行った。
扉を開くと、いつもどおり、部員全員が机でパソコンに向き合っていた。
「どうしたのだ、卑弥埜?」
一番奥の席から冬木が立ち上がり、日和達の近くに来た。
「手芸部部長交代の御挨拶に来ました!」
ここでも和歌が日和の代弁者として、日和を紹介した。
「そうか。卑弥埜が部長か?」
「そう言えば、冬木さんもすでに部長なんじゃな?」
「そうだ」
「蘇我先輩は上級生を追い出したって言ってましたけど、物部先輩もですか?」
夏火の言葉を真に受けていた和歌が真面目な顔をして冬木に訊いた。
「いや、自分と夏火を一緒にしないでくれ。自分が科学部に入った時、二年生がいなかったのだ。だから、去年の秋、三年生が引退した後、一年生だった自分が部長を引き受けて、そのまま来ているということだ」
「でも、一年生の中でも冬木さんが選ばれたのには、ちゃんと理由があるのじゃろうな?」
「いや、あみだくじで負けただけだ」
「そ、そうなのか?」
「自分も研究に没頭したかったから、クラブの運営なんかには興味はなかったのだが、なってしまった以上は、科学部でより良い研究ができるように環境整備を進めようと思っているのだ」
初対面の時には無愛想な人かと思ったが、話してみると面白い人であったという冬木の印象と同じように、部活動も最初は面倒くさがったが、やり始めると全力を出しているのであろう。
その後も、日和と和歌は、順番に部室を回って、最後に軽音楽部と反対側の廊下の突き当たりにある美術部までやって来た。
部室に入ると、絵の具がいっぱい付いているエプロン姿の春水が対応をしてくれた。
「日和さんが新部長ですか。私も来週には部長を引き継ぐ予定になっているのです」
日和が部室を見渡してみると、イーゼルに掛けたキャンパスに六人の普通科の生徒が向き合っていた。
「もう三年生は引退されたのか?」
「ええ、今いるのは二年生と一年生だけです。それはそうと、文化祭に出展していた日和さんをモデルにした絵を、昨日、全国高校生美術展に出展しました。一か月後には結果が分かります」
「そうなんじゃ。賞が取れると良いの」
「いただけるものはいただきたいのが本音ですが、あの絵に関して言えば、日和さんをモデルに絵が描けたことだけでもう満足していて、入賞してもしなくても、私の中では一番好きな作品です」
「そ、そうなんじゃ」
日和は、春水から「好きだ」と言われたことを思い出した。中途半端な気持ちでつき合いたくはないとして、正式に彼氏候補になることはしなかったが、自分の気持ちは伝えたいと言った。しかし、穏やかな微笑みを浮かべて日和を見ている春水には気負ったところもなく、いつもの春水であった。
「は、春水さん、部長会議というものもあるようじゃから、またよろしくお願いするのじゃ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
部室に戻った日和と和歌は、これからの活動方針を話し合った。
「部長と二人きりでも、それはそれで面白くて良いんですけど、クラブの存亡のことを考えたら、新入生が来るまでに、せめてあと二人くらいは部員が欲しいですよね」
「そうじゃの」
日和は改めて部室を眺めてみた。
作業に使っている長テーブルが四つ、「田」という形にまとめて置かれていて、長辺には二人、短辺には一人がそれぞれ座れるから最大で十二名が座ることができた。つまり、美和が部長だった頃の五人でもかなり余裕があった状態で、今の二人きりという状況では、部屋が相当広く感じられた。
「和歌ちゃんは誰か心当たりの人はいないのか?」
「残念ながら。手芸って何か地味というイメージを持たれていて、あまり人気がないんですよね」
「そうなのか? でも、文化祭の時みたいに熱くなれる活動もしておるのじゃがな」
「ですよね。だから、とりあえず、掲示板に部員募集のチラシを貼っておこうと思っているんですけど?」
「チラシ? 和歌ちゃんが作るのかえ?」
「パソコンを使えばちょちょいのちょいですよ。実は、もう作ってます」
和歌は自分の鞄からクリアファイルを取り出すと、中から一枚、紙を取り出して、日和に手渡した。
それは、プールサイドで撮ったらしき四臣家の四人の写真であったが、履いていたはずの海パンが無くなり、笑顔の和歌の顔写真で四人の股間が隠されていた。
「わ、和歌ちゃん! こ、これは何じゃ!」
「可愛いでしょ?」
「可愛い? ど、どこが?」
「えっ?」
「これは、さすがにまずいのではないか?」
「そうですか?」
日和が写真を和歌に返すと、不審そうな顔がすぐに焦った顔に変わった。
「あっ! それは私の個人的な楽しみのために作ったやつです! こっちでした!」
和歌は慌てて、同じクリアファイルからチラシを取り出して、図柄を確認してから、四臣家の水着写真と引き替えに手渡した。
今度のは、可愛らしい熊や猫のイラストをふんだんにあしらっているデザインで、「手芸部・部員募集中!」の装飾文字が目立つ色合いで真ん中に大きく印刷されていた。
「これは可愛いのじゃ! さすがは和歌ちゃん!」
「ふふ~ん、やっぱり女の子に入ってもらいたいですから可愛いのが良いと思って」
以前に季風が入部を希望した時に、美和の強権発動で女子限定のクラブと言うことになっていたが、正式に女子限定になったと学校に届け出たとは聞いてなかった。
「部長、さっそく掲示板に貼りに行きましょう!」
「勝手に貼って良いのか?」
「生徒会の検認を受ければ良いんです。すぐに受けられるようですから、挨拶を兼ねて行ってみましょう!」
日和と和歌は、旧校舎四階の生徒会室の前に立っていた。
「き、緊張するのじゃ」
初めての所に入ることは、未だに慣れていない日和は、よくぞあの時、手芸部の扉を開けたものだと今更ながらにすごいと思った。もっとも、そのお陰で素敵な思い出がいっぱいできたのだ。
しかし、そんなことをつらつらと思って逡巡している日和にはかまわず、和歌がガラガラと扉を開けた。
「失礼します! 手芸部です!」
開けた扉から部屋の中に向けてお辞儀をした和歌に少し遅れて、日和もそのすぐ後ろで頭を下げた。
「何のご用でしょうか?」
メタルフレームの眼鏡を掛けて、いかにも勉強ができそうな女の子が日和達の前に進んできた。
「このチラシを掲示板に貼りたいので検認をお願いします」
和歌が差し出したチラシをちらりと見た女生徒は、その束を受け取って、部屋の奥に入って行った。
日和と和歌が見ると、部屋の奥には神術学科の制服を着た女生徒が「会長」との机上札が立てられている机に座っていて、そこに先ほどの女生徒がチラシの束を持っていった。
日和はその女生徒を見た記憶がなかった。
先日、生徒会役員の選挙があったことから、今、目の前にいる生徒会長は二年生のはずだ。
一学年九クラスもある普通科と違い、神術学科には三クラスしかない。話をしたことのない生徒はいっぱいいたが、顔は見覚えていたつもりだった。
しかし、目の前にいる生徒会長は、役員選挙の時に見ているはずであるのに、まったく記憶がなかった。
もっとも、選挙自体が実質的に前生徒会役員が指名した後継者の信任投票にすぎなかったから、日和に限らず、候補者名を全員憶えている生徒は今の生徒会役員を除き皆無であろう。
生徒会長は、十枚のチラシに「承認済」の丸印を押すと、その束を持って、自ら日和に近寄って来た。
「あなたは卑弥埜様ですね?」
生徒会長は、黒色のショートカットヘアに縁無し眼鏡を掛けていた。
「そうじゃ。申し訳ないが、そなたのお名前を存じておらぬ」
「神術学科二年参組の秦さゆみと申します」
「秦さんか? 本当にすまぬ」
卑弥埜の姫様である日和は、神術学科では有名人で、相手が日和を知っていることは何ら不思議ではなかった。しかし、生徒会長に選ばれるような人をまったく知らなかったことに、日和は恐縮してしまった。
改めて、さゆみを見てみると、会長らしく凜とした態度であったが、華奢な体付きからか、何となく繊細で、少し強い力で押されると崩れ落ちてしまいそうな雰囲気も感じられた。
「秦先輩は、ひょっとして理事長の娘さんですか?」
和歌が物怖じしない態度でさゆみに訊いた。
「ええ。でも、親が理事長だから、私が生徒会長になった訳ではありませんよ」
「そ、そうですよね」
和歌の決まりの悪るそうな顔を見た日和は、和歌がそう思っていたことを直感した。
「ああ、そうだ! 父から頼まれていたことがありました! 卑弥埜様、ちょっとつき合っていただいてよろしいでしょうか?」
「か、かまわぬが、どこに行くのじゃ?」
「理事長室です」
理事長室には和歌の同行を断られたことから、一人で行くことに不安を感じた日和は、図書室で時間を潰していた真夜にスマホで連絡を取って来てもらった。
そして、さゆみに案内されて、久しぶりに同じ階にある理事長室に入った。
「これはこれは卑弥埜様! わざわざご足労いただきましてありがとうございます」
相変わらず慇懃な態度で日和に接する理事長が応接セットに日和達を案内し、理事長の隣にさゆみが座り、その対面のソファに日和と真夜が座った。
「実は、卑弥埜様にお礼を申し述べたいと思っていたのですが、仕事に追われて、なかなか時間が取れなかったものですから、娘にも、もし卑弥埜様にお会いしたら私が会いたがっていたと伝えるようにと申しつけていたのです」
「わらわは、理事長さんから礼を述べられることなど思い当たらぬが?」
日和は隣の真夜を見たが、その顔も思い当たることがないようであった。
「卑弥埜様が開明派支持を明確にしてくれたお陰で、海外からの留学生を我が校に迎え入れるプロジェクトが着々と進んでいるのです」
神術使いの家には、日本独自の神術を日本だけで守り続けて、海外の関与を拒否する守旧派と、神術も積極的に海外の超常集団と関係を深めて共に発展させていこうとする開明派の対立があり、宗主たる卑弥埜家は従来からその立場を明らかにしてなかったが、日和の母百々が欧州魔法協会の理事長であるアランと結婚したことで、事実上、開明派に舵を切ったと解され、守旧派からは、裏切り者扱いされて暗殺対象とされ、実際に百々とその夫アランは守旧派とそれと連携した欧州魔法協会の刺客により暗殺されてしまった。
しかし、父親の魔法と母親の神術の双方を受け継いだ日和は、その圧倒的な力で守旧派の刺客をことどとく退け、欧州魔法協会にも乗り込んで、そこで最強であるはずの理事長をいとも簡単にねじ伏せてしまった。そして、その上で自分には欧州魔法協会の理事長の座を狙う意図はまったくないことを宣言して、日本と欧州の関係改善を呼び掛けたのだ。
そのことが他の神術使いの家に伝わらない訳がなく、卑弥埜家の次期当主が開明派支持を明らかにしたと、もっぱらの評判になっていた。
「おひい様。理事長殿の言われることに間違いはありませんか?」
もちろん、真夜は日和の考えは聞いていたが、理事長に対して真夜が代弁するよりも、日和が直に語るべきと判断したのだ。
「わらわがどちらかの味方をしたということではない。仲良くできるのであれば、みんな仲良くしてほしいと思っただけじゃ」
子供の理想論であったが、真夜には十分であった。補足をするのは真夜の役目であった。
「欧州が膝を折って友好関係を築こうと申し入れてきたのであれば、それを断る理由はございません。結果として、卑弥埜家が開明派に与したと考えていただいても結構ですが、守旧派の考えを持った方々を排除しようとも考えていません。つまり『みんなが仲良く』が卑弥埜家次期当主の考えでございます」
「は、はあ……、そうですか」
イエスかノーかという二者択一の答えを期待していた者にとっては、日和の言葉は曖昧にしかとらえられないが、日和自身の考えは揺るぐことはなかった。
「それで、理事長殿。留学生のお話は初めてうかがったのですが?」
卑弥埜家の立場について、これ以上話すことはないと考えた真夜が話題を変えて、留学生の話を訊いた。
「あ、ああ、そうでしたな。来年度から、欧州の魔法使いを十名程度、我が校の神術学科に留学生として迎え入れ、その代わりに、うちの神術学科の生徒を同名程度、欧州に留学をさせようとしているのです」
「なるほど。お互いに相手の懐に飛び込んで、深く理解しあうことで、おひい様が芽生えさせた友好の実が結ぶかもしれませんな」
「ええ、将来的には、そのツテで欧州の複数の学校と関係を深めて、神術や魔法とは関係のない普通科の生徒についても留学生を交換できるようにしたいと思っています」
歴史と伝統で耶麻臺学園の普通科も入学希望者が多いが、海外留学も盛んに行っていると評判になれば、更に入学希望者も増えることは確実で、学校運営の責任者である理事長としては嬉しくてたまらないだろう。
「実はですな、その留学生の受け入れに際して、耶麻臺財団を受け入れ保証機関にする予定なのです。日本政府からの補助金も出ますし財団としても非常にありがたいのです。また、私も欧州との交流を開始した時の理事長として後世まで名前が残りますしなあ」
学校の評判が上がること以外にも、留学生交換をビジネスとして金儲けができることと自らの名声が上がることで、理事長もご機嫌のようだ。
自らは何もせずに、棚ぼたの状況に後ろめたいと思っていたのか、日和に礼の一つも言うつもりだったのであろう。
「とにかく、そう言うことで御礼を申し述べたかったのです」
「理事長殿の謝意については承りました。よろしいですね、おひい様?」
「うん」
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
ソファに座ったまま深々と頭を下げた理事長が頭を上げたタイミングをみはかって、さゆみが日和に話し掛けた。
「卑弥埜様。生徒会の方からも卑弥埜様にお願いがございます。ここでは何ですから、申し訳ありませんが、もう一度、生徒会室に戻っていただけますでしょうか?」
「かまわぬのじゃ」
深々とお辞儀をした理事長に見送られながら、日和と真夜、そして、さゆみは理事長室を出た。
「卑弥埜様。一つ、お伺いしてもよろしいですか?」
生徒会室に向かって廊下を歩き出すとすぐに、さゆみが日和に尋ねた。
「何じゃろ?」
日和が並んで歩くさゆみの顔を見ると、さゆみは思い詰めたような表情をしていた。
「卑弥埜様と大伴君とは、どう言うご関係なのでしょう?」




