第四十三帖 姫様、文化祭で燃え尽きる!
売り子を担当した三十分の間に十二枚の茶巾袋を売った日和と美和は、稲葉姉妹と交替すると、そのまま一緒に文化祭の出し物を見物に行くことにした。
「日和ちゃん、どこか見てみたいところはある?」
美和がパンフレットをパラパラとめくりながら、日和に訊いた。
「部長の見たいものはないのか?」
「私は日和ちゃんが見たいものを見たいわね」
「そ、そうなのか?」
「どこに行く?」
「そうじゃのう」と呟きが出たが、それほど悩むまでもなく、美術部と科学部、そして軽音楽部のことが浮かんだ。
パンフレットを見てみると、二十分後にちょうど、軽音楽部のライブが講堂で行われることになっていた。
「えっと、二時から講堂で軽音楽部のライブがあるから、それまでの間に美術部と科学部に行こうかなって思っておるのじゃ」
「四綺羅星のみんなのところね?」
「い、一応、同級生じゃから」
美和から、なぜ、そこに行くのかの理由を訊かれた気がした日和は、もっともらしい言い訳をした。
普通科の生徒が言うところの四綺羅星こと四臣家の四人とは、美和も夏休みにプールで会って顔見知りになっていたからか、日和の意見に反対はしなかった。
日和と美和は、まず、美術部の部室に行った。
開放された扉から中に入ると、パーテーションで区画されたスペースに、絵画や彫塑が展示されており、数人の客が鑑賞していた。
入口に近い所に受付があり、春水が美術部員の女生徒一人と座っていた。
「日和さん、来ていただいたんですね!」
春水が嬉しそうに日和に声を掛けた。
「うん。手芸部も出店をしておるのじゃが、ちょっと休憩なのじゃ」
春水は、「手芸部」と言われて、日和の隣に美和がいることに気がついたようだ。
「三輪先輩、こんにちは! 来ていただいて、ありがとうございます」
知り合いの上級生に対する礼儀として、春水も立ち上がりお辞儀をした。
春水の礼儀正しく落ち着いた物腰と、どちらかというと女性的な容姿は、男嫌いである美和に拒絶反応を起こさせることはなかったようだ。
「日和ちゃんが見たいって言うものだから。じゃあ、見せていただきましょう、日和ちゃん」
「うん」
日和と一緒に、展示絵画を順番に眺めていた美和が一枚の絵の前で足を止めた。
日和も足を止めて、その絵を見てみると、それは神術学科の制服を着た女生徒が椅子に座った構図の油絵であった。抽象的な技法で描かれていて、その顔は強い陰影でデフォルメされていたが、金色の長い髪から日和がモデルであることは間違いようであった。
「これって日和ちゃん?」
「そうですよ」
美和の問いに日和が答える前に、二人の後ろから春水が声を掛けた。
「春水さん」
「日和さんにこの絵を展示すると言ってなかったなって気がついて、慌てて跡を追って来ました」
春水はニコニコと笑いながら、その絵の横に立った。
「この絵は、私としても最高の仕上がりになったと思っていますので、来週が締め切りの『全国高校生美術展』にも出展する予定にしています」
「私も絵のことはよく分からないけど、すごく見入ってしまう絵だわ。モデルが日和ちゃんっていうところも理由だと思うけど、それだけじゃない気がするわね」
「ありがとうございます、三輪先輩! そう言っていただけるとすごく嬉しいです」
男に対してお世辞どころか社交辞令を言うこともないと思われる美和の言葉が相当嬉しかったようで、春水も満面の笑顔であった。
「美術展でも入選すると良いわね」
「はい! そうなれば、モデルをしてくれた日和さんへの恩返しになると思います」
「わらわは、そんな恩など売った憶えはないのじゃ」
「いえ、日和さんは、私にいろんなインスピレーションや刺激を与えてくれました。さらにはモチベーションも上げてくれました。単にモデルをやっていただいた以上のことをしてくれたのです」
「それは春水さんの力じゃ!」
「私一人の力ではありません。日和さんからもらった力です」
「いや、でも」
「日和ちゃん」
春水に反論をしようとした日和の言葉を美和が遮った。
「大伴君の言うとおりだと思うよ。描いたのが大伴君で、モデルが日和ちゃんだったことで、この絵の魅力は何倍にもなっているんだと思うの」
「……そうじゃろうか?」
「ええ! 自分では気がついていないのかもしれないけど、日和ちゃんは人を惹きつける不思議な魅力を持っているのよ。ねえ、大伴君」
日和が春水に視線を移すと、春水が照れているように思えた。
「春水さん?」
「私も三輪先輩の言われるとおりだと思いますよ。もし、この絵が人を惹きつけることができるとすれば、それは、この絵が日和さんの魅力を表現できているのではないかと思います。そうだとすれば、作者としてすごく嬉しいことです」
「きっとそうだよ。だからちょっと、大伴君に嫉妬しちゃうな」
美和も嬉しそうな顔を春水に見せた。
美和と日和は、美術部から出ると、手芸部の隣にある科学部の部室に行った。
科学部も扉が開けっ放しになっており、中では、いくつかのコーナーで実験の実演が行われていた。
日和と美和が中に入ると、小学生くらいの子供達の前で、冬木が理科講座を行っていた。
日和は、美和と並んで部室の壁を背にして立ち、簡単な実験を交えながら話している冬木の講座に目を輝かせながら注目している子供達を微笑ましく見ていた。
五分ほどして講座が終わると、目を上げた冬木と目が合った。
「いつからそこにいたのだ?」
日和の顔を見ながら、冬木が近づいて来た。
「少し前からじゃ。それにしても、冬木さんは教え方が上手いんじゃな。今すぐにでも理科の先生ができるのではないか?」
「いや、無理だな」
「でも、冬木さんの授業は、わらわが聞いていても面白かったぞ」
「人に知識を教えることも大切なことだとは思うが、自分は分からないものを分かるようにするため研究をすることの方が好きだ」
表情を変えずに言った冬木であったが、「先生、質問!」と寄って来た子供達からの質問に律儀に答えていた。
子供に愛想を振りまくイメージが湧かない冬木であったが、意外と子供が好きなのではないかと思ってしまった日和であった。
午後二時になると、日和と美和は講堂に行った。
夏火のバンドの演奏が既に始まっており、何人かの生徒がステージ前に集まり、演奏に併せて飛び跳ねていた。
日和と美和は、講堂の最後列の座席に並んで座った。
商店街でやったライブの時ほど良い音響システムを使っている訳ではなかったが、夏火の声は今日も艶やかに響いていた。
「軽音楽部のライブは初めて見たけど、けっこうしっかりとした演奏をしているのね」
「ひょっとして、部長も何か楽器ができるのか?」
「できないわよ。でも、あの蘇我君だっけ? 彼の歌がすごく上手いってことくらいは分かるよ。そしてバックの演奏もそれに負けてないって感じがするし」
「そうじゃの。うんうん」
日和は自分が誉められたかのように嬉しくなった。
「葛城君もテニス部のエースらしいし、四綺羅星の四人は、顔が良いだけじゃなくて、ちゃんと中身がある男の子みたいね」
美和が日和の顔を見つめながら言った。
「中身がある男の子?」
「才能もあるんでしょうけど、絶え間なく努力もしているはずよ。だからこそ、あんなに活躍ができるのでしょうね」
「わらわもそう思うのじゃ」
「だけどさ、中には、そんな才能も無く、努力もしていないにもかかわらず、男だってことだけで女を下に見たり、自分が偉いって勘違いしている奴がいるじゃない」
「そ、そうかも」
「そうかもじゃなくて、いるのよ!」
美和はステージに視線を向けたが、横から見つめる日和には、ステージよりもっと後ろを見つめているように見えた。
「日和ちゃんは、あの四人から告白されているの?」
「ぶ、部長! 唐突に何を言うのじゃ?」
「この前、プールでたまたま会った時にも、それっぽいことを言っていたじゃない。それに、和歌ちゃん情報によると、四人と順番にデートもしたらしいじゃない?」
和歌には、デートの際のコーディネイトについて相談したことがあり、その話を聞きつけた美和が和歌を自供に追いやったのだろう。
「まだ、告白はされておらぬ!」
「でも、あのプールで会った時、四人ともすごく嬉しそうだったわ。みんな、きっと、日和ちゃんのことが大好きなのね」
「……」
春水からは告白めいたことも言われていたが、後の三人からは、はっきりと日和に対する気持ちを聞いている訳ではなかった。しかし、四臣家の四人が自分に好意を持ってくれていることくらいは、いくら日和でも分かっていた。
「日和ちゃんのお家は跡取りの問題があるんでしょ?」
神術学科の生徒は伝統芸能を継承してきている家の子弟だというのが普通科の生徒の一般的な認識であり、美和も例外ではなかった。
「う、うん」
「だから、お家の方の希望としては、早めに彼氏を作ってほしいってことだよね?」
「そ、それはそのとおりじゃ」
伊与の希望は、まさにそのとおりであった。
「やっぱりそうだよね。そうじゃなかったら、私がずっと日和ちゃんを側に侍らしておくんだけどな」
そんな野望が叶わないことは分かっているはずなのに、今更ながらに、美和は寂しげな顔をした。
「でも、日和ちゃんの人生を、私がめちゃくちゃにする訳にいかないもんね」
「……部長」
美和が何かを吹っ切るように大きくうなづくと、日和に優しい笑顔を見せた。
「四綺羅星の四人なら、日和ちゃんの相手に相応しいって認めてあげるわよ」
「わ、わらわは、まだ、あの四人の中の誰かと恋人になると決まっている訳ではないぞ」
「でも、他にそんな仲になりそうな男の子がいるの?」
「そ、それは……おらぬ」
「それに日和ちゃんも、あの四人と一緒にいることは嫌じゃないんだよね?」
「う、うん」
「私も男と恋仲になった経験は無いから、日和ちゃんに、ちゃんとした恋愛のアドバイスはしてあげられないけど、一つだけ言ってあげられるとしたら」
美和が優しげな顔から真剣な顔付きに変わった。
「その人のうんちの始末もしてあげることができるかどうかってことを考えてみて」
「えっ……」
思いも寄らない美和の言葉に、日和も目を点にしてしまった。
「今日、老人ホームを回ったでしょ。日和ちゃんの場合、交際は結婚の前提になると思うけど、永遠に添い遂げようと思うのなら、その人が寝たきりになった時にだって、最後までお世話ができるかどうかって想像してみるの。本当にその人が好きなら、そんなことは苦にならないと思う」
老人ホームの実態を見た後だと、美和の言葉も重みがあった。
「私は日和ちゃんの下の世話もしてあげられるからね」
「……どうもなのじゃ」
美和の言葉が少し軽くなった。
「でも、日和ちゃんは必ず男性と結婚して子供を産んでという人生になるのね」
「ぶ、部長は、そう言う人生は歩まないのか?」
「男が嫌いだからね」
「……ど、どうしてなのじゃ?」
もうバレバレなことだが、面と向かって美和に理由を訊くのは初めてで、日和も少し躊躇した。
「そうね。……日和ちゃんには教えてあげる」
「う、うん」
「でも、今日じゃなくて、そのうちに」
「そのうち?」
「ええ。すぐに来ると思うけど」
「……分かったのじゃ。部長が話したくなったら、わらわも聞くのじゃ」
「……あっ、そろそろ交替の時間だ。じゃあ、私はまた校庭に戻るね」
美和と和歌が売り子を担当する時間になったが、真夜はメイド喫茶に出ずっぱりで、麗華も所属する華道部の展示受付で忙しそうであり、他に話ができる人もいなかった日和は、美和について行って、結局、手芸部の売り子を手伝うことにした。
「手芸部でーす! 手作り茶巾袋、残り三つになりましたー! 一つ百円でーす! 売り上げは全額福祉施設に寄付しまーす! ご協力をお願いいたしまーす!」
時間は文化祭が終了する午後四時半に少し前。
既に校外からの来客も少なくなっていたが、美和と日和の後ろに和歌と稲葉姉妹も立って、手芸部員全員で大声を上げて呼び込みをしていた。
神術学科の制服を着た女生徒が三人、近づいて来た。
橘麗華と春日美鈴、保積穂乃香の三人組であった。
「卑弥埜様、お疲れ様です」
「麗華さん! 華道部の展示はもう終わったのか?」
「いえ、まだやっていますが、自分達の担当時間が終わったのです」
麗華はテーブルの上の茶巾袋を見つめた。
「ところで卑弥埜様。その茶巾袋をくださいませ」
「えっ?」
「あっ、義理ではありませんから誤解されないでくださいませ。ワタクシのクラスに、この茶巾袋を買った人がいて、すごく可愛いと評判になっていたのです。話を聞いたら手芸部が売っているとのことでしたので、展示の受付当番が終わるのを待って、買いに行こうと思っていたのです」
麗華達は、茶巾袋をそれぞれ一つ手にした。
「ちょうど、三つ残っていて良かったです」
「あ、ありがとうなのじゃ!」
麗華達が去って行くと、手芸部のテーブルの上には何も残っていなかった。
「みんな、お疲れ様! 茶巾袋完売よ!」
美和の宣言に、全員、思わず拍手をした。
日和は、みんなが協力して目標を達成したことに一人で感動してしまって、また涙がこぼれてしまった。
「日和ちゃん、何、泣いているのよ」
そう言って、日和の肩を抱いた美和も涙目になっていた。
「シロちゃん! ウサギちゃん! 日和ちゃん! 和歌ちゃん! みんな、ありがとう! そしてご苦労様でした!」
美和が部員に頭を下げると、日和の涙腺が崩壊したのは当然のことながら、和歌も、普段は表情の変化に乏しい稲葉姉妹も涙目になって抱き合った。
部室に戻った手芸部員達はいつもの席に座って、和歌が淹れたお茶で一息吐いていた。
「何か燃え尽きたって感じね」
湯飲みを持って、美和がぽつりと呟くと、みんなが無言でうなづいた。
「最後の年に、みんなと一緒に手芸部ができて本当に幸せだったわ」
「部長、最後って?」
「私もシロちゃんもウサギちゃんも進学希望なの」
耶麻臺学園は伝統だけではなく、高い大学進学率を誇る進学校としても人気があり、受験を控えた三年生は、運動系クラブであれば秋季大会が、文化系クラブであれば文化祭が終われば、クラブを引退する不文律があった。
日和もそのことを聞いていたが、文化祭の準備に忙殺されていて、今の今まですっかり忘れていた。
と言うより考えないようにしていた。
「部長やシロさん、ウサギさんがいない手芸部なんて……」
この五人で「手芸部」という意識であった日和は、何だか信じられない気持ちになった。
「日和ちゃん」
美和が少し怒っているような声で日和を呼んだ。
「日和ちゃんは次期部長なのよ。ちゃんとこの部を引っ張っていってよ」
「えっ?」
「何、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしてるのよ。来年の三年生は日和ちゃんだけじゃない!」
「わ、わらわが部長?」
「そうよ! 来年は、新入部員をいっぱい入れて、もっともっと手芸部を活発にしてちょうだい!」
「卑弥埜先輩! 来年は今年以上に頑張りましょうね!」
和歌が嬉しそうに言った。
「日和ちゃん、引き受けてくれる?」
美和は、反対は許さないという雰囲気とともに、断られたらどうしようという不安が入り交じった表情をしていた。
人を引っ張っていける自信は、まだ無かった。
しかし、このクラブでもいろんな経験をして、いろんなことができるようになった。
日和は美和の顔を見た。いっぱい弄られてきたけど、それも愛情の証であり、時には姉のように厳しく叱ってくれた。その恩に報いたかった。
「わらわに部長のようなことができるかどうか分からぬが、部長の指名であれば、引く受けるのじゃ!」
日和は、逃げる隙もなく美和に抱きしめられていた。
「ありがとう! 日和ちゃん!」
日和も嬉しくなってきて、思わず自分からも美和を抱きしめてしまったが、美和はなかなか日和を離そうとしなかった。
「……………………部長。そろそろ離してくれても良いのじゃが?」
「良いじゃない、もう少し」
「何か、手が変な動きをしておるのじゃが?」
「気にしないで」
「ぶちょ~、引継ぎの話はどうなったんですか?」
捕獲された小動物のようになっていた日和を見かねたのか、和歌が助け船を出してくれた。
「ああ、そうだったわ。すっかり忘れてたわ」
名残惜しそうに日和を離した美和は、部員に向けて嬉しそうに言い放った。
「じゃあ、今度の週末、文化祭の打ち上げとこのメンバーでの手芸部の解散式、そして日和ちゃんへの部長引継式をやりましょう!」
「わあ! 良いですね! やりましょう!」
お祭り女の和歌は、さっそくに乗り気になっていた。
「どこでやりますか? カラオケで盛り上がりましょうか?」
「それも良いけど、……できれば、私の家でやりたいんだけど良いかな?」
「部長の家で?」
「うん。みんなへの感謝の気持ちを少しでもお返ししたいから」
今まで、自分の家族や家のことをあまり話したがらなかった美和が珍しく自分の家にみんなを招待するということで、やはり、相当、嬉しかったようだ。
しかし、日和は、稲葉姉妹の顔が引きつっているような気がした。
「シロちゃん、ウサギちゃんも来てくれるよね?」
満面の笑みの中に反論は許さないという般若の面影を見せて、美和が稲葉姉妹にすり寄ると、稲葉姉妹は無言で何度もうなづいた。




