第四十二帖 姫様、初めて物を売る!
私立耶麻臺学園高等部の文化祭前日。
神術学科二年壱組では、クラスの出し物として、お化け屋敷をすることになっていたが、文化系クラブ部員は、各クラブの活動を優先させても良いため、四臣家の四人のうちテニス部員である秋土以外の三人は事前準備係として、教室に暗幕を張ったり、いろんな仕掛けを作る作業に精を出していた。
日和は、縫製の腕前を買われて、幽霊の衣装である白装束と「天冠」と呼ばれる頭の三角布を作る担当だったが、素早く作り上げると、手芸部の部室に駆け込んだ。
「遅くなって申し訳ないのじゃ!」
プレゼント用茶巾袋が山のように積まれているテーブルには、既に稲葉姉妹と和歌が座って作業をしていた。
茶巾袋の山の向こう側から美和が顔をのぞかせた。
「日和ちゃん、お疲れ様! ちょっと休憩しなさい」
「大丈夫じゃ! わらわもすぐにやるのじゃ!」
みんなと協力しあって物を作ることの楽しさを知った日和は、自分の席に着くと、すぐに茶巾袋作りを始めた。
「じゃあ、みんな! 作業をしながらで良いから、ちょっと聞いてちょうだい!」
美和が立ち上がり、部員を見渡しながら大きな声で話し出した。
「今日中に茶巾袋三百枚を作り上げます。残りはあと少しだから、六時までには終わりそうね。明日は、そのうち二百十枚を持って、この近所にある老人ホーム七箇所を訪問して三十枚ずつ配ります。和歌ちゃん、老人ホームとの連絡はついているわね?」
「はい。その中の一つが地元の新聞社さんに連絡をしたみたいで、私達のことを記事にしてくれるそうです」
その話をあらかじめ聞いていたのか、美和はドヤ顔でうなづいた。
「新聞の記事になるのか? すごいのじゃ」
「学校だって喜んでくれるはずよ。贈呈の時の写真を撮るそうだから、明日はみんな、寝不足で顔をむくませて来ることのないようにね」
一番心配な和歌の顔を見ていた美和が、また、全員を見渡した。
「老人ホームへの訪問は、明日の午前中に終えて、午後からは残りの茶巾袋を学校で販売します。売上金は全額、福祉施設に寄付をします」
茶巾袋の材料費だけでも部費では足りず、いくらかは部員の持ち出しもあったが、寄附金の代わりだと思えば、何ほどのことも無かった。
独りよがりかもしれないが、人の喜ぶ顔が見られると思うと、日和も嬉しくなって、茶巾袋作りのモチベーションが上がっていた。
「もう一踏ん張りよ! 頑張りましょう!」
美和の発破に全員が力強くうなづいた。
そして文化祭当日。
神術学科二年壱組の教室は既にお化け屋敷と化しており、教室の中に入ることができなかった担任の土師を始め生徒全員が廊下で朝のホームルームをしていると、男子生徒からどよめきが起こった。
隣のクラスの二年弐組はメイド喫茶をすることになっており、ここも廊下でホームルームをしていたが、既にメイド姿になっている女生徒の中でひときわ輝いている真夜がいたからだ。
いつもは凜とした美少女である真夜も可憐な雰囲気を漂わせており、そのギャップに男子生徒もメロメロになっているようであった。
「さすが真夜さんですね」
春水の言葉に、他の三人もうなづいた。
「真夜は本当に綺麗なのじゃ」
真夜の秘密を知っている四臣家の四人であったが、日和の言葉には同意せざるを得なかったようだ。
担任の土師から、文化祭実施中における若干の注意事項があった後、廊下でのホームルームは解散となった。
日和は、すぐに真夜の近くに寄った。
「真夜! すごく可愛いの!」
「おひい様、冗談はお止めください」
真夜は本当に照れていた。
「冗談などではない。本当じゃ」
「おひい様……。それより、おひい様は、そんなにのんびりとしてて良いのですか?」
「そうじゃった! これから老人ホームを訪問するんじゃった!」
日和は、真夜に手を振ると、新校舎に向けて走り出した。
文化系クラブの部室が軒を連ねる新校舎一階も普段と違って華やかな雰囲気で溢れていた。
日和が手芸部の部室に入ると、みんながもう準備を始めていた。
「また遅れてしもうた! みんな、申し訳ないのじゃ!」
「日和ちゃん、まだまだ作業はいっぱいあるわよ! この紙バックに茶巾袋を三十枚ずつ入れてちょうだい!」
「分かったのじゃ!」
茶巾袋を訪問先別に七つの紙バックに詰め込むと、部員五人で手分けして持ち、最初の訪問先に向かった。
訪問した老人ホームでは、入居者の代表に美和が茶巾袋を贈呈するセレモニーが行われた。
その後、すぐに茶巾袋が入居者に配られたが、可愛い刺繍やアップリケがされた茶巾袋を見て喜ぶお年寄りの顔を見ていると、日和は幸福感とともに充実感を感じるのであった。
三つ目に訪問した老人ホームでは、大きなカメラを持った記者らしき人物が待っていた。
美和が記者からいくつか質問を受けた後、美和が老人ホームの職員に茶巾袋を手渡すシーンを写真に収めると、記者は帰って行った。
その後、「見学していきますか?」という職員の勧めに美和が応じて、入居者がリハビリをしている部屋を見せてもらった。
老人ホームを初めて訪れた日和は、家族と一緒に暮らすことができないお年寄りがこんなに大勢いるのかと驚く一方で、テキパキと働く介護職員の大変さに感心をした。車椅子の老人も多く、中には鼻にチューブを差し込んでいる人もいた。
祖母の伊与は、まだまだ元気で、介護される姿は想像できなかったが、絶対にそうならないとは言い切れないのだ。
部員の中で祖父や祖母と同居しているのは、日和の他には美和だけだと聞いていた日和は、美和が真剣な顔付きで一生懸命リハビリをしている老人達を見つめているのに気がついた。
美和が自分と同じ気持ちになっていると思うと、なぜだか日和は嬉しくなるのだった。
手芸部の面々は、午前中に予定していた七つの老人ホームをすべて回り終えて、学校に帰って来た。
「午後からは、校庭の出店で茶巾袋売りよ。今のうちに腹ごしらえをしましょう」
「部長、どこで食べますか?」
和歌がワクワクした顔付きで訊いた。
校内の模擬店でも、焼きそば、たこ焼き、フランクフルト、クレープなどが売られており、日和もウキウキとしてくるのだった。
「特に決めてないけど、みんなは何か食べたいものはある?」
と言いながらも、美和は日和の顔を見た。
「良ければ、真夜のクラスのメイド喫茶に行かないか? 軽食もあると言っておったのじゃ」
「真夜さんがメイド? 良いわ。見てやろうじゃない!」
腹ごしらえとは目的が違っているような気がしたが、とりあえず他の部員も賛成をして、美和達も普段はなかなか足を踏み入れない旧校舎に入った。
煉瓦造りで普段は重厚な雰囲気の旧校舎も、今日は華やかにデコレーションされていた。
二年弐組の教室に行くと、その出入り口から廊下に行列ができていた。
並んで待っているのはほとんど普通科の男子生徒であったが、そのお目当ては入口に立っている真夜であることは疑いようがなかった。
真夜は、並んでいる生徒達からあらかじめオーダーを取る係のようで、普段は話すことも許されないようなオーラを放っていて、なかなか近づけない真夜と面と向かって話ができるとあって、男子生徒達も嬉しそうであった。
「いらっしゃいませ」
真夜が、列の最後尾に並んでいた手芸部の面々の所までやって来ると、丁寧にお辞儀をした。
「真夜! 盛況じゃの!」
「はい。さっきからひっきりなしにお客様が来て」
「きっと、みんな、真夜が目当てなんじゃな」
「そ、そんなことはございません」
日和の笑顔に照れる真夜に美和が突っ込んだ。
「真夜さん、まだ表情が固いわね」
「慣れていないものですから。三輪殿、できれば見本を見せていただけますか?」
「嫌よ。列には、むさ苦しい男しかいないじゃない」
常にぶれない美和であった。
生徒達のお目当ての真夜がずっと廊下でオーダーを取っているからか、教室に入った後の回転率は意外に早く、手芸部の面々もそれほど待つことなく教室の中に案内された。
あらかじめ、真夜に「萌え萌え呪文入り特製焼きそば」をオーダーしていた手芸部のテーブルに、真夜とは別の女生徒メイド二人が焼きそばを持って来た。
「これから私達の『萌え萌え呪文』をこの焼きそばに込めさせていただきます」
「ちょっと待って!」
美和が二人のメイドの手を止めた。
「私達、真夜さんの友達なので、真夜さんに『萌え萌え呪文』を込めてほしいんだけど?」
「えっ?」
「駄目かしら? ねっ、特別に」
ウィンクをして手を合わせた美和が、制服の襟に付いているクラス章で上級生だと分かった二人のメイドは、廊下にいた真夜の所に行った。
「部長、何を企んでいるんですか?」
和歌がジト目で美和を見た。
「真夜さんの萌え萌え呪文を聞いてみたいじゃない? 日和ちゃんだってそうでしょ?」
「それは、そうじゃの」
美和が真夜を困らせてやろうと考えていることはバレバレであったが、正直、日和も萌え萌え呪文を口にする真夜を見てみたかった。
覚悟を決めたように厳しい顔付きで真夜が日和達のテーブルまでやって来た。
「では、拙者が萌え萌え呪文を込めさせていただきます」
そう言って一礼した真夜が顔を上げると、少し上目遣いで照れたような顔付きに変わっていた。そして、胸の前で両手でハートマークを作った。
「真夜からご主人様に心を込めてお贈りします! 美味しくなーれ! 萌え萌えきゅん!」
両手のハートを焼きそばに突き出した真夜は、声の調子まで変わっていて、日和でさえも萌えてしまった。
「ぐはっ! や、やるわね! 真夜さん、恐るべし!」
さすがの美和でさえも真夜の萌え萌え攻撃に撃沈してしまったようだ。
「すいませーん! こっちもお願いします!」
「こっちも! こっちでもやってください!」
他のテーブルから一斉にリクエストがされたが、真夜は自分の雰囲気を元に戻すと、他のテーブルに向かって頭を下げた。
「申し訳ございません。こちらの方は私がいつもお世話になっている方で、しかも言われたことを聞かないと暴れ回って手が着けられないものですから、皆様方の身の安全のため、特別にさせていただきました。拙者は受付がございますので、これにて失礼いたします」
何事も無かったかのように教室を出て行った真夜から視線を移した男子生徒から、危険人物を見るような目で見られた美和であった。
危険人物とその一味と思われてしまった手芸部一行は、急いで焼きそばを食べると、二年弐組の教室から出て行った。
「三輪殿、手芸部の皆さん、ご来店ありがとうございました」
廊下にいた真夜が仰々しく美和に頭を下げた。
「味は大したことなかったけど、お陰様で一気に食べることができましたわ」
「これで三輪殿には、ますます男子が近づいて来ないでしょう」
「……お気遣いありがとう」
手芸部一行は旧校舎から出ると、新校舎一階の部室に戻り、残った茶巾袋を提げて校庭に出た。
校庭には、文化系クラブや志願者による様々な出店が出されていて、手芸部もその一角を与えられていた。
と言っても、長テーブル一脚にパイプ椅子二脚だけであった。
テーブルの上に茶巾袋を綺麗に並べて、厚紙で作った「一つ百円(売上金は福祉施設に全額寄付します!)」との小さな看板を立てた。
「二人しか座れないから、三十分ごとに交替して売りましょう。まずは、私と日和ちゃん、次にシロちゃんとウサギちゃん、その次に私と和歌ちゃん、その次は私と日和ちゃんに戻るという順番で行きましょう」
「部長が一回多く担当することになるが?」
「自分で言い出したんだから、責任を持って担当するわ。みんな、良い?」
反対意見も出ずに、まずは美和と日和が売り場に座り、後の三人は、またそれぞれ文化祭を楽しみに行った。
「日和ちゃん、頑張って売りましょう!」
「分かったのじゃ」
そう言うと、美和は立ち上がり大きな声を上げた。
「こちら、手芸部でーす! 私達が心を込めて作った茶巾袋を一つ百円の大特価で売っていまーす! 売上金は全額、福祉施設に寄付をしまーす! 募金だと思って、ぜひ、ご協力をお願いしまーす!」
よく通る美和の声で何人かの生徒が振り向いた。
「ほらっ! 日和ちゃんも!」
「わ、わらわも?」
「そうよ! まずは、みんなに注目してもらわないとね」
「わ、わらわは大きな声を出すのが苦手なのじゃ」
「そんなんじゃ駄目よ! 頑張って腹から声を出すのよ!」
情け容赦ない美和であったが、無茶を言っている訳ではなかった。
「日和ちゃん、何事も練習よ」
日和も、学校に行きだして、さまざまな経験をして、さまざまなことができるようになった。
大きな声を出すことも、いつかは必要な時が来るかもしれない。その時のために、大きな声を出す練習をしておくことも必要だろう。
「分かったのじゃ」
日和は大きく息を吸い込んだ。
「こちら、手芸部なのじゃぁー! 茶巾袋一つ百円なのじゃぁー! 売り上げは全額寄付するから、ご協力をお願いするのじゃぁー!」
両手をメガホンのようにして思い切り日和は叫んだ。自分でもびっくりするくらいの大きな声が出た。
「ほら、やればできるじゃない」
「う、うん」
大きな声が出せたことと、美和に誉められたことで、日和は素直に嬉しかった。
手芸部の出店の右隣では漫画研究会が同人誌を、左隣では文芸部がやはり自作の詩集を売っていて、それぞれ大きな声で宣伝をしていた。
「日和ちゃん、私達も負けていられないわよ!」
「分かったのじゃ!」
美和と日和は、両隣の声に負けないように大きな声を張り上げた。
何人かの男子生徒が寄って来たと思ったら、隣の漫研のテーブルに行き、同人誌をパラパラとめくりだした。
「茶巾袋、いかがですか? 一つ百円ですよ」
美和がニコニコとしながらその男子に話し掛けたが、男子生徒は茶巾袋には興味はないようであった。
「エロ漫画にしか興味がないのか? この童貞野郎!」
独り言のような美和の小さな呟きであったが、日和には、男子に対する嫌悪感とともにしっかりと聞こえた。
「ぶ、部長! 女子にターゲットを絞った方が良いのかも」
「そうね。もっと呼び掛けましょう!」
美和と日和は、隣の出店にいる男子達を無視して、再び大声で呼び掛けた。
三人の普通科一年生女子が近づいて来たと思ったら、文芸部の詩集を手に取り、パラパラとめくりだした。文芸部の女生徒が一生懸命、出品している詩集の魅力を説明していたが、結局、一年生女子の興味を引くことはできなかったようで、テーブルに詩集を戻すと、手芸部のテーブルの前に来てくれた。
「全部手作りでデザインも違うの。ゆっくり見てって」
美和は、下級生に対して優しく声を掛けた。
茶巾袋を選んでいた女生徒は、「これ可愛い!」とか「そっちも良いね」とか言いながら、それぞれ一つずつ茶巾袋を手に取った。
「これをお願いします」
「はい! ありがとうございます!」
下級生に対しても、きちんと頭を下げた美和の横で、日和は何をしたら良いのか分からず、ボーッと突っ立っていた。
「日和ちゃん、お会計!」
美和に言われて、女生徒がそれぞれ百円玉を差し出していることに気づいた日和が、一人一人から百円玉を受け取った。
「ありがとうございます!」
美和が再度、頭を下げると、日和も一緒に頭を下げた。
「気に入ったら、お友達にも伝えてね」
ちゃっかりと宣伝もする美和の横で、初めて人に物を売り、その代金を受け取った日和は、何だかすごいことを成し遂げた気がしてきた。
「わらわ達が作った茶巾袋が百円玉になった……」
自分の手のひらの中の百円玉三枚を見つめながら、日和がぽつりと呟いた。
「百円払っても買いたいって思ってくれたってことだよ。嬉しいよね」
美和の言葉を聞いて、日和の目から涙が溢れてきた。
「どうしたの、日和ちゃん?」
まさか、こんなことで日和が泣くとは思ってなかった美和も驚いていた。
「何か嬉しいのじゃ。なぜだか分からぬが……」
美和が日和の肩を抱いて優しく揺さぶった。
「自分達が一生懸命やったことを認めてもらえたからよ。けっして自己満足じゃなかったってこと」
「そうじゃの。そうじゃの」
泣きじゃくりながら、日和は何度もうなづいた。
「日和ちゃん、まだ、三つ売れただけだよ。残りの八十七枚をできるだけ売って、寄附金を増やすわよ!」
そう言うと、美和はまた大きな声を出し始めた。
日和も負けじと大きな声を上げた。




