第四十一帖 姫様、想われ人と会う!
日和にとっては激動の夏休みが終わり、耶麻臺学園でも二学期が始まった。
暦は既に九月下旬。
文化祭を来週に控え、手芸部のプレゼント用茶巾袋作りも佳境に入っていて、日和も毎日充実した日々を過ごしていた。
そんなある日の朝。
日和は、並んで登校している真夜が嬉しそうな顔をして、自分を見つめているのに気がついた。
「な、何じゃ? そ、そんなに見つめて? 気持ち悪いの」
「いえ、鼻歌など出ていたものですから……、最近は手芸部が終わって部室から出て来るおひい様の足取りも軽やかですよ」
「う、うん。自分の好きなことを友達と一緒にできるのって、本当に楽しいのじゃ!」
「三輪殿の攻撃も上手くかわせるようになりましたか?」
「いや、それはまだできぬが、……でも、部長も高校生活最後の文化祭じゃから、すごく張り切っていて、わらわもそれに何とか応えたいのじゃ!」
美和からはいつも弄られまくっているが、日和にとっては、親身になっていろいろと世話を焼いてくれるお姉さんのような存在で、日和も美和のことが大好きであった。
「少し、三輪殿に嫉妬してしまいますな」
「な、何を言っておるのじゃ! 真夜は真夜じゃ! わらわのかけがえのない幼馴染みで大切な親友じゃ!」
「おひい様……。嬉しゅうございます」
日和は、真夜の気持ちが嬉しく感じられた一方で、せっかく学校に来ているのに、日和と違い部活もせず、ひたすら日和の護衛や世話を焼いてくれる真夜にも学生生活を楽しんでもらいたいと、いつも感じていた想いが溢れ出てきた。
「真夜」
「何でございますか?」
「真夜は二年弐組で人気者じゃそうじゃの?」
「い、いえ、そんなことがございません」
真夜は謙遜して否定したが、頭脳明晰、運動神経抜群の上、話も面白く、しかも目を引く美人の真夜が人気者にならないはずがなかった。
「でも、一緒に遊びに行く約束を片っ端から断っておるそうではないか?」
「我が梨芽の家が卑弥埜家家臣であることは、神術学科の生徒であれば、みんな知っております。拙者には遊びに行くような暇など無いことも承知の上で誘っているのです」
「社交辞令じゃと言うのか?」
「そうでしょう」
「そんなことはないと思うぞ。確かに駄目元でもとは思っておるかもしれぬが、みんな、真夜ともっと仲良くなりたいと思っているはずじゃ」
「そうでしょうか?」
「きっと、そうじゃ! 夏火さんも秋土さんもそう言っておるぞ」
「……」
「真夜。わらわには四臣家の四人や手芸部のみんなといった仲の良い友達ができた。わらわはもう大丈夫じゃ」
「本当ですか?」
「本当じゃ! ……のはずじゃ! ……たぶん」
四臣家の四人と手芸部員、後は二年参組の橘麗華くらいしか人見知りもせずに話ができる友達はいなかったが、日和にとっては十分であった。
「じゃから、真夜も、もっともっと自分のために時間を使ってほしいのじゃ」
「おひい様のそのお気持ちだけで十分です。拙者が一番楽しいのは、おひい様とこうやって話をしている時ですから」
真夜の頑なな態度に、日和も真夜にこれ以上言っても無駄だと思い、ため息を吐いて、この話を終わらせた。
日和達の通り道の先に背の高い女性が一人立っていた。
座高より股下の方が長いモデル体型で、スリムなジーンズとパンプスがそれを一層強調させて見せていた。
トップには白いブラウスを着ているだけというシンプルなスタイルであるにもかかわらず、青くサラサラのロングヘアを風になびかせて、姿勢良く立っている全身から出ている華やかなオーラが半端なかった。
近くに寄ると、眩しいばかりの美人で、登校している生徒達も男女を問わず、その姿を目で追いながら登校していた。
その女性は、日和と真夜を見ると、近づいて来た。
「卑弥埜日和さん?」
思わず見とれてしまう笑顔で日和に尋ねた。
「そうでございます。どちら様でしょう?」
真夜が日和に代わって訊いた。
「大伴葵と言います」
顔もどことなく似ているような気がしていた日和は、女性が誰なのか、すぐに分かった。
「もしかして、春水さんのお姉様じゃろうか?」
日和が訊くと、女性は嬉しそうに笑った。
「『お姉様』なんて呼ばれ方は似合ってないけど、そうよ」
爽やかなその笑顔からは、嫌味が無く、さっぱりとした性格が隠しようがなく出ていた。
「春水が言っていたとおりね。本当に可愛い」
葵が日和から真夜に目線を移した。
「あなたは梨芽さんね? 本当に綺麗な人」
「ど、どうも」
葵のような美女から面と向かって「綺麗」と言われて、真夜も少し焦ってしまったようだ。
「春水に二人の話をいつも聞かされていて、いつかはお会いしたいと思ってたんだけど、ちょうど今朝、時間が空いたから待ち伏せしてたの」
「は、はあ」
「二人はこれから授業だろうし、私もこれから講義があるから、今日の夕方、あらためて会えないかな? 日和さんの部活が終わる頃に校門前で待ってるから」
「分かりました」
日和が少し頷いたのを確認してから、真夜が葵に答えた。
「良かった。突然、ごめんね。じゃあ、夜にまた会いましょう」
葵は、敬礼のように挨拶をすると、風に髪をなびかせながら颯爽と去って行った。
日和が教室に入ると、秋土と春水が既に席に着いていた。
「春水さん! 校門で葵さんに会ったのじゃ」
日和は席に着くなり、春水に葵のことを話した。
「来てましたか? 私が日和さんの話をよくするものですから、ぜひ会ってみたいと言っていたんですよ」
「本当にモデルのようなスタイルで、びっくりしたのじゃ」
その時、夏火と冬木が笑顔で教室に入って来た。
「おい! さっき葵さんとすれ違ったぞ!」
本当に嬉しそうに夏火が春水に言った。
「今、日和さんから聞いたところです。日和さんに会いに来たようですよ」
「そうなのか?」
夏火が日和の顔を見ながら尋ねた。
「うん。夜にゆっくり話をする約束もしたのじゃ」
「葵さんとか? 羨ましいぜ」
「夏火さんは葵さんのファンじゃったな?」
葵は、夏火が楽器を始める切っ掛けを与えた人物でもあった。
「おうよ! しかし、葵さん、相変わらず綺麗だよなあ。芸能人がいるかと思ったぜ」
「本当だな。夏火を見ていた後では、一層輝いて見えたな」
「そんなボケはいらねえから!」
夏火が冬木に突っ込んだ後、春水に訊いた。
「でも、日和とどんな話があるんだ?」
「これと言った重要な話ではないと思いますよ。私がいつも日和さんの話をしているから興味を持ったのでしょう」
「わらわも、みんなから葵さんの話を聞いていて、一度会ってみたいと思っていたのじゃ」
「俺も久しぶりに葵さんと話がしてえな」
「自分もだ」
「僕も」
春水以外の三人がワクワクしたような顔付きで言った。
「今日は、日和さんに会いに来たのですから邪魔したら駄目ですよ」
春水が一旦断ったが、三人は納得しなかった。
「でも今度いつ会えるか分からないからなあ」
「葵さんの時間があれば、卑弥埜との話が終わった後にでも合流したいのだが」
「そうだね」
結局、三人の願いを受け入れた春水が葵にメールを送ったところ、日和との話が終わってからで良ければと返信があり、四臣家の四人も日和達について行くことになった。
日和は、神術学科の女子のみならず普通科の女子からも四綺羅星などと呼ばれるイケメン達がこんなにも慕っている葵という女性がどんな人物なのかと、あらためて興味が湧いた。
その日の夕方。
夏の残滓の熱を帯びた夕焼けが西の空を綺麗に染めていた。
真夜は、いつもどおり、図書室で時間を潰した後、日和の部活が終わるのを校門で待っていた。
「真夜さん」
呼ばれて振り向くと、葵が立っていた。
「いきなり名前で呼んじゃったけど良かった?」
「問題ございません」
「真夜さんのことも春水から詳しく聞いてるよ。春水は私には何一つ隠すことなく話してくれるから」
「そうですか」
「私ね、春水から話を聞いて、卑弥埜の姫様にも会ってみたいと思ったけど、どちらかと言うと、真夜さんの方に興味が湧いたのよ」
「はい?」
葵が真夜に顔を近づけて小さな声で話した。
「あなたの体のことを聞いて、ぜひ話をしてみたいと思ったの」
「……」
「けっして興味本位なんかじゃないから、気を悪くしないでね」
真夜が無言で葵を睨んだことからか、焦ったように葵が言った。
「い、いえ、そんなことは」
「私が興味があるのは、梨芽真夜という生き方なの」
「どういうことでしょうか?」
「真夜さんは、学校、楽しい?」
「……ええ」
「本当に? 日和さんのお伴として毎日一緒に通学しているけど、あなた自身は学校生活を楽しんでいるのかなあって思ってさ」
まるで今朝の日和と真夜との話を聞いていたかのような葵の台詞であった。
「拙者は、おひい様が楽しいお顔をしていらっしゃれば、それで良いのです。おひい様は学校に行きだして、本当に楽しそうに笑われるようになりました。そんなおひい様を近くで見られることが嬉しいのです」
「日和さんの楽しさは真夜さんの犠牲の上に成り立っているということなのかな?」
「拙者は、これまで辛いと思ったことはございません!」
「それじゃあ、真夜さんは、学校の友達と駄弁ったり、遊びに行ったりして羽を伸ばすことはしないの?」
「拙者は梨芽の家の者。卑弥埜の姫様であるおひい様にお仕えすることが拙者の職務であり、そして存在意義です」
「日和さんにもそうしろと言われているの?」
「それは梨芽の家に生まれた者の宿命です。おひい様が日本の神術使いの頂点に立つことを運命づけられていることと同じように」
「私の質問は、日和さんが真夜さんにその宿命に従えと言っているのかどうかなんだけど?」
「……おひい様は、そんなことは言われません」
「そっか。安心した」
「はい?」
「春水はね、日和さんのことが好きなんだって」
「えっ!」
唐突に春水のことに話題が変わり、真夜も戸惑った。
「春水殿がそう言われたのですか?」
「言ったでしょ。春水は私には何一つ包み隠さず話してくれるって」
「そんなことまで」
「ええ、そうよ。今まで、春水が特定の女の子のことを好きだなんて言ったことなんてなかったから、日和さんがどんな女の子か気になったの。でも、姫様だということを鼻に掛けて、真夜さんをただの下僕としか扱わないような子だったら、春水に『止めとけ』って言うつもりだったんだけどね」
「おひい様はそんな方ではありません!」
「そんなに怒らないで。とりあえず、今日は、小姑として、可愛い弟が好きだと言う日和さんの正体を見てやろうって思ったの」
葵は、真夜に近寄り、その顔を覗き込むようにして見た。
「もう一つの目的は、さっきも言ったとおり、真夜さんのことをもっと知りたいと思ったの」
真夜が何と答えようかと躊躇っていると、校舎から日和が四臣家の四人と一緒に出て来た。
真夜は、すぐ近くにいた葵から少し離れて、日和達に話し掛けた。
「皆様、お疲れ様でした。今日はご一緒なのですね」
「みんな部活が終わる時間がほぼ同時だったんだよ」
秋土が真夜に答えると、そのまま葵の前に進み出て、少し頭を下げた。
「葵さん! お久しぶりです!」
「お久しぶり! 秋土君もますます格好良くなったね」
「い、いえ、そんなことありませんよ」
「葵さん、俺達もいるぜ」
夏火と冬木も葵の前に進み出た。
「二人ともますますのめり込んでいるみたいだね」
夏火は音楽に、冬木は科学にと言うことであろう。
「何だよ、俺達には『格好良い』って言ってくれないのかよ?」
夏火のタメ口にも葵はポーカーフェイスを変えなかった。
「あれぇ、夏火は自分のこと、格好良いって思ってんの?」
「ひでえよ、葵さん」
さすがの夏火も葵の前では手も足も出ないようであった。
その後、全員で駅前のコーヒーショップまで歩いて行った。
葵の対面に日和と真夜が並んで座り、四臣家の四人は少し離れた席に座った。とりあえず、葵と日和との話の邪魔をするつもりはなかったのだ。
葵は、座るなり、立て続けに日和に質問を浴びせてきた。
「日和さんは、好きな男性はいるの?」
「えっ! い、いないのじゃ」
「そうなんだ。日和さんを好きだという男子はいっぱいいるみたいだけどね」
日和の頭に四臣家の四人の顔が浮かんだ。
「本来的に男が嫌いって訳じゃないんでしょ? それとも女の子の方が好きなの?」
「えっと、一応、普通に結婚して子供も欲しいとは思っておるのじゃが」
「そっか」
真夜は、葵がちらっと自分を見たのに気がついた。
「私はね、男がちょっと苦手なんだ」
「えっ?」
尋ねてもいないのに、いきなりのカミングアウトに、日和も真夜も戸惑った。
「もちろん、今まで何人かの男性とおつき合いしたことはあるよ。でも、一緒にいて、心が安まる男性に巡り会わなかった。だから、男はもう良いやって思うようになって」
「……」
「かと言って積極的に女性が好きってことでもないの。う~ん、何て言うのかなあ。近くにいて楽しかったり嬉しかったりする人であれば、その人が男でも女でも関係ないっていう感じ。気持ちが良いことはセックスだけじゃないってこと」
「……」
「あっと、高校生の二人には、まだ早かったかな」
目を点にして金縛りにあっていた日和と真夜の様子を見て、葵が笑った。
「だからって訳じゃないけど、男であろうと女であろうと、割と冷静に観察できるとは思ってるんだ」
「そうなんですか」
「あそこにいる四人は、少なくとも女性を泣かせるようなことは絶対にしない。春水は我が弟ながら良い男だし優しいでしょ? 難点を言えば、優しすぎることかな」
葵は、四人を見つめながら話を続けた。
「夏火は熱いよね。まだ話したこともなかったのに、春水を通じて、いきなり私の所に来て『楽器を教えてくれ』なんて真剣な顔で言うんだよね。でも、熱すぎて周りが見えなくなることがあるのは、もう知ってるよね?」
日和は遠慮気味にうなづいた。
「あははは、やっぱりね。秋土君は、真っ直ぐすぎるほど真っ直ぐに真面目で、少し融通が利かないところが玉に瑕かな。もう少しワイルドな秋土君を見てみたいわね」
葵はラテを一口飲んで話を続けた。
「冬木君は、見るからに科学者の子供って感じで、世間の常識とはズレているところがあるけど、そこが彼らしいと言えば彼らしいところね。冷静沈着な性格なのに意外と人情に厚いところもあるしね」
四臣家の四人と葵が、どれだけ親密につき合っていたのか分からなかったが、葵の観察眼は確かのようであった。
「でも、みんな、良い子だよ。日和さんもそう思うでしょ?」
「それは本当にそう思うのじゃ」
「日和さんは、さっき、好きな男性はいないって言ったけど、どんな男性が好きなのかな? 好きな男性のタイプは?」
「そ、それも、まだ考えたことがないんじゃ」
「そもそも異性との出会いがなかったんだっけ?」
「そ、そうじゃ。でも、理想のカップルはおる」
「誰?」
「わらわのお父様とお母様じゃ」
「ああ、……私も詳しくは知らないけど、周囲の反対を押し切って、西洋の魔法使いと結婚されたんだよね。そうすると、日和さんもそんな燃えるような恋に憧れているのかしら?」
「できたら良いなとは思っておる」
「あの四人の中に燃えるような恋のお相手はいるのかしらね?」
「分からぬ。でも、あの四人とは一人ずつデートもしたけど、一緒にいて楽しかった。あの四人となら、普段のわらわでいることができるのじゃ」
「ずっと一緒にいる仲になるためには、それは重要なことだよね。じゃあ、四人の中から一人を選ぶ基準になるのはどんなことなのかな? お父様にどれだけ似ているかってことかな?」
「お父様が理想の男性かと言われると、そうとは言い切れないような気がする。知らず知らずのうちに求めてるのかもしれぬが」
「そっか。日和さんのお父様ってどんな方だったか憶えてる?」
「そもそもお父様とはずっと一緒に住んでいた訳でないから、細かいところは憶えておらぬが、すごく優しくて、でも逞しくて、家族を守ってくれているって感じておった」
「優しくて、逞しいか。難しいね。でも、身内の応援って訳じゃないけど、春水は優しさなら誰にも負けないと思うなあ。それに見掛けと違って、けっこう逞しいんだよ。脱いだら意外と細マッチョだし」
「あ、あの、プールに行った時に、否応なく見てしまったのじゃ」
「胸板もけっこう厚かったでしょ?」
「そ、それは」
顔を赤くして俯いてしまった日和に、葵の明るい笑い声が届いた。
「あははは、ごめんごめん。大切なのは体よりも心だったね。優しいけど逞しい心。あの四人なら、みんな、日和さんを守ってくれるはずだよ」
日和は無言でうなづいた。
「あっ、それで日和さん」
少しの間を置いてから、葵が日和に話し掛けた。
「真夜さんとじっくり話したいことがあるの。今日じゃなくて、そのうちだけど。その時には、真夜さんをお借りして良いかしら?」
「もちろんじゃ。と言うか、真夜はわらわの持ち物ではないのじゃから、誰と会おうとわらわの許しなど要らぬのじゃ」
「だって、真夜さん! そのうち連絡をさせてもらうから、じっくりと話しましょう」
「わ、分かりました」
真夜も葵のように、ぐいぐいと押してくる人は苦手なのか、少し躊躇いながらも同意した。
葵は、真夜の返事を聞いて笑顔になると、少し離れたテーブルに座っている四臣家の四人に視線を移した。
「じゃあ、久しぶりに、彼らと話をするかな」
葵は四臣家の四人に手を振った。




