第四十帖 姫様、憎しみの連鎖を断ち切る!
倫敦郊外の寂れた教会の礼拝室。
その祭壇の前に、黒いローブを着た三人の男が向き合って立っていた。
「今回の計画も失敗です」
「アスモダイは帰って来たと聞いているが?」
「一人だけ命を助けられたそうです」
「なぜ?」
「幼女からの伝言を預かってきたのです」
「幼女からの伝言だと?」
「ええ。協会首脳にこう伝えろと言われたそうです。『囮や工作員を使った汚いやり方には断固たる措置を採る』と」
「どういうことだ? まさか、日本の神術使い達との全面戦争を吹っかけてくるのではないだろうな?」
「向こうも一枚岩ではありません。全面戦争など無理です」
「しかし、今回、向こうの守旧派は連携を断ってきたそうではないか?」
「ええ、申入れの直前に、日本の神術使いの家の当主クラスを集めた宴が開かれ、その場で幼女が強力な西洋魔法を見せつけたようですな。おそらく、それを見てびびったのでしょう」
「今度の作戦は前回のような力任せではなく、刺客に幼女の懐の奥まで近寄ってもらい、その強力な魔法や神術を封印して、幼女を抹殺する計画だった。しかし、肝心の刺客が裏切ったと聞いておるぞ」
「その点は、人選ミスと言わざるを得ません」
「また一から練り直しか」
――ギイー
木扉の開く音が静寂な礼拝室に響いた。
考え込むように腕組みをしていた三人が入口の方を振り向くと、背後の明るい光に照らされて、四人の背の高い男性と二人の身長差がある女性の影が見えた。
背の高い方の女性がつかつかと歩み寄って来た。
長い黒髪が美しい東洋人の少女で、日本人形のような美しい顔立ちをしていた。
「何者だ?」
一番入口に近い位置に立っていた黒ローブの男が訊いた。
脛丈の白い修道服のような服を着ている美少女は立ち止まると、三人の黒ローブの男を順番に睨みつけた。
「日本から参りました卑弥埜家家臣、梨芽真夜でございます! 卑弥埜家次期当主、卑弥呼日和が御挨拶にまかり越しました!」
三人の黒ローブの男が見開いた目で見つめる先に、四人の男性に囲まれながら、背の低い女性が、礼拝用座席の間の通路をゆっくりと近づいて来た。
制服姿の日和が一人、前に進み出ると、真夜は四臣家の四人とともに日和の後ろに並んだ。
「幼女……」
黒ローブの男の一人がぽつりと呟いた。
「どうやってここに?」
「欧州魔法協会本部に乗り込んだら、幹部は全員ここにいるとすんなりと吐いてくれたのだ」
冬木がいつもの冷静さで答えた。
「防御結界を張っていたはずだが?」
「日本の神術使いをなめんなよ! 五人掛かりだと呆気なく破れたぜ」と夏火。
「それに、この周りにたむろしていた魔法使いどもなら、今頃、みんな気絶をしてますよ」と春水。
「我らに何の用だ?」
「これ以上、日和ちゃんを襲って来ないように、本人自ら要請をしに来たんだよ」
秋土が答えた。
日和は、一歩、黒ローブの男達に近づいた。
「卑弥埜日和じゃ」
日和の声はいつもより低く、威厳に満ちていた。
「あなた方も名乗られよ」
「欧州魔法協会理事長アスタロトだ」
「副理事長のタムズだ」
「同じく副理事長のプルフラス」
日和の言葉に、三人は素直に従った。
三人の顔を順番に眺めた日和は、真ん中に立っているアスタロトに視線を戻し睨んだ。
「菅原季風さんに命令をしたのは、あなたなのか?」
「……」
「答えられよ!」
日和の問いに答えが返って来ずに痺れを切らした真夜が迫った。
「その答えを訊いて、どうされるつもりかな?」
「そのような姑息な真似は止めていただきたい! そして我が主である卑弥埜日和に対して、今後一切、手を出さないと約束していただきましょう!」
「……」
真夜の要請に答えることなく、しばらく無言で日和を睨んでいたアスタロトの口角が少し上がったと思うと、辺りは一面の草原となった。
そして黒ローブの男三人は、一瞬、姿を消すと、日和達から距離を取った場所に現れた。
「のこのこと敵地に現れるとは、頭脳もまさしく幼女だな!」
アスタロトの侮辱にも日和は顔色一つ変えなかった。
「アストロト殿。あなたもわらわのお父様と同様、理事長選を戦い抜いて理事長になられているのであろう? ここで結界を張ったということは、その力を見せていただけるのじゃな?」
「あなたが望めばね」
「ぜひ、そうしていただきたいのじゃ」
「自ら死に臨むか?」
日和は、アスタロトに向かって、一歩、足を進めた。
「あなたがそうされるのであれば、わらわは、お母様、お父様、そして季風さんの仇を取らせてもらうのじゃ」
真夜と四臣家の四人がすぐに日和の前に出ようとした。
「みんな! これは卑弥埜日和個人の戦いじゃ! だから手出しをしないでたもれ!」
日和はそう言うと、更に黒ローブの男三人に近づいた。
「アスタロト殿。あなたと一対一の決闘を申し込むのじゃ」
「……」
「わらわを消し去ろうと思っておるのであろう? わらわに勝ったら、アスタロト殿の評判も上がるのではないのか?」
日和の挑発に、アスタロトも反応した。
これまでの日和討伐の度重なる失敗により犠牲者が多く出ていることで、協会所属の魔法使いからの突き上げも激しくなってきており、今回の失敗で、次回の理事長選に出馬することに協会員からブーイングが出る可能性が高くなっていた。
一方で、今まで何人もの刺客を送り込んでも討ち取ることができなかった「幼女」を討ち取ることができれば、一気に人気を回復することができ、長期政権も夢ではなくなるかもしれない。
アスタロトは勝負を掛けてきた。
「よかろう!」
アスタロトが数歩、日和に歩み寄った。
「じゃあ、副理事長の二人には、僕らが付いておくから」
副理事長の二人が手出しできないように、四臣家の四人がその近くに立った。
日和の後ろには真夜が少し心配そうな顔を見せて立っていた。
日和とアスタロトはお互いにゆっくりと近づくと、二メートルほどの間隔を開けて向かい合って立った。
「太陽の神術とやらを見せてもらいましょうか」
「そなたには見せるまでもないかもしれぬな」
「こしゃくな! では、参る!」
姿を消したアスタロトが、二十メートルほど距離を取った位置に現れると、そのアスタロトの体の周りには十二門の大砲が浮かんでいた。
轟音が鳴り響くと、その大砲が一斉に火を吹き、幾つもの砲弾が日和に向けて放たれた。
不規則な弾道を描いて、砲弾は日和が立っている場所に着弾すると次々と爆発をした。それでも、アスタロトは、攻撃の手を緩めることなく、大砲はアスタロトの周りを踊るように動きながら、次々と砲弾を撃ち込んでいった。
ざっと百発以上の砲弾を撃ち込んでから、アスタロトは砲撃を止めた。
日和が立っていた場所には噴煙が立ち込めて何も見えなかったが、日和から何の反撃もされなかったことから、勝利を確信したのか、アスタロトは薄ら笑いを浮かべていた。
しかし、その笑いもすぐに収まった。
噴煙が収まると、そこには、日和が怪我一つなく立っていたのだ。
「な、何? 確かに砲撃が直撃したはずだ!」
アスタロトは明らかに動揺していた。
「砲弾なら、そなたの頭の上じゃ」
アスタロトが頭上を見上げると、そこには日和に撃ち込まれたはずの多くの砲弾が空に浮かんでいた。
「こ、これはいったい?」
「防御魔法と転移魔法を同時に発動しただけじゃ」
「そ、そんなことができるのか?」
「今まで、そちらが送り込んできた刺客はすべて全滅させておったからな! 知らなくともやむを得まい! おひい様はアラン様の娘でござるぞ!」
誇らしげに真夜が言った。
アスタロトの頭上に浮かんでいた砲弾が一つ、突然、落ちて来た。
アスタロトは、転移魔法を使い、落ちて来た砲弾から間一髪で身をかわした。
しかし、アスタロトが現れる場所が分かっていたかのように、別の砲弾が一つ飛んで来て、アスタロトのすぐ近くで爆発をした。
砲弾に当たった訳ではなかったが、アスタロトは爆風で五メートルほど吹き飛ばされてしまった。
地面に体を強く打ちつけたアスタロトがすぐに立ち上がろうとしたが、次々と砲弾がその近くに着弾して、繰り返し襲って来る爆風で、アスタロトは、まるで踊らされているかのようにその体をよろめかせた。
十発ほどの砲弾が爆発した後、砲撃がぴたりと止んだ。
よろよろと立ち上がったアスタロトの目の前に、アスタロトを狙っているように多くの砲弾が浮かんでいた。
「おのれ!」
アスタロトがその両手を砲弾に向けると、手のひらから青い光が放たれ、その光が当たった砲弾はすべてその場で爆発を起こし消滅してしまった。
アスタロトは、そのまま手のひらを日和に向けると、日和に青い光を放った。
しかし、青い光が日和に近づくと、まるで泡立つように細かい光の粒になって消えていってしまった。
「そ、そんな、馬鹿な!」
自ら繰り出す魔法がことごとく防がれてしまう様子を、アスタロトは呆然と見つめることしかできなかったようだ。
立ち尽くすアスタロトに日和がゆっくりと近づいて行った。
「わらわは、自分の身を守る魔法だけをお父様から教えてもらったのじゃ。相手を傷付けることは魔法であっても嫌じゃと言うたらしい。小さな頃だったから憶えておらぬが」
父親との記憶が呼び覚まされた日和は穏やかな顔をしていた。
「わらわの魔力は、そのすべてを防御にのみ使うようになった。そして、神術は、西洋魔法とは別じゃ」
アスタロトの手前十メートルほどの位置で立ち止まった日和の頭上に小さな光の点が灯った。
「これが太陽の神術じゃ!」
光の点はすごい勢いで大きくなり、あっという間に直径十メートルほどの燃え盛る太陽になった。
そして、その太陽から小さな火の玉がいくつか飛び出すと、アスタロトの近くの地面に突き刺さるように当たった。
その地面は一瞬にして蒸発して、跡には直径三十センチほどの溶岩たまりができていた。
アスタロトは、日和の頭上で燃え盛る太陽から目が離せないまま固まっていた。
「アスタロト殿。勝負は着いたと言うことでよろしいか?」
真夜が日和の横に立ち、険しい顔をしてアスタロトに尋ねた。
欧州の魔法使いの頂点に立つ欧州魔法協会の理事長ですら、手も足も出なかった事実を突き付けられて、副理事長の二人も呆然と立ち尽くすことしかできず、アスタロトは腰が抜けたように座り込んでしまった。
「おひい様」
真夜の呼び掛けで、日和は頭上の太陽を消した。
それと同時に、日和の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。
それを見た真夜が日和の肩を後ろから優しく抱きしめた。
「わらわは、お父様やお母様、そして季風さんの仇を取りたい。でも、殺し合いは、もう嫌じゃ」
涙を拭い、大きく息を吸い込んで気持ちを落ち着かせた後、日和は、座り込んでいるアスタロトを慈悲溢れる優しい瞳で見つめた。
「アスタロト殿。わらわは欧州魔法協会の理事長の座など興味はないし、協会に干渉しようなどと考えたことすらない。じゃから、そちらも日本の神術使いのことに口出しをしないでほしい」
日和はアストロトに近づいた。
「立たれよ、アスタロト殿」
アスタロトがよろめきながら立ち上がると、日和が右手を差し出した。
「今の言葉、日本の神術使いを代表して、卑弥埜家次期当主たる卑弥埜日和がしかと約束するのじゃ!」
少し躊躇ったが、アスタロトも右手で日和の手を握った。
「わ、分かった。貴殿がその約束を守られるのであれば、協会は貴殿の提案を受け入れる。今後、一切、貴殿を襲うことはしないし、協会所属の魔法使いが日本で活動することもしない」
日和はにっこりと笑うと、アスタロトの手を強く握り返した。
「将来は、日本の神術使いと西洋の魔法使いが友好的に交流できるようになれば良いの」
「そうですな」
先ほどまで戦っていた相手であることを忘れているかのような日本の姫様の屈託の無い笑顔に、アスタロトも一方的に負けたことを恥じ入る気持ちが消え去ってしまったように笑顔を返した。
「なあ、せっかく来たんだから観光していこうぜ」
大型のロンドンタクシーに乗り、日和と真夜、四臣家の四人は空港に向かっていたが、夏火の提案に、みんなの反応は薄かった。
「夏火殿は、どこか見に行きたい所があるのですか?」
真夜が訊くと、夏火が身を乗り出して答えた。
「ロンドンと言えばポップシーンの中心じゃねえか! ライブハウスに行ってみてえ!」
「海外アーティストのライブなら日本でも見られるではないか」
「本場で見るから価値があるんじゃねえか!」
冬木の突っ込みへの夏火も反論ももっともだが、日本では八月三十一日。明日から二学期が始まることから、のんびりとロンドン観光をする時間はなかった。
「それに飛行機代は真夜さんに出してもらったんだから無理は言えないよ」
「卑弥埜家は王侯貴族ではありません。手持ちの財産を運用して慎ましやかに生活しているのです。今回の飛行機代も伊与様が欲しいと言っていた全自動マッサージ機の購入のために貯めていた貯金を崩して出したものです」
「そ、それでは泊まってきましたとは言えませんね」
春水が申し訳なさげな顔をして言った。
「とりあえず、空港でお婆様にお土産を買うのじゃ」
日和が真夜に言うと、真夜もうなづいた。
「それがよろしいですね」
「何が良いじゃろう?」
「旅の土産と言ったらペナントだろ?」
「いつの時代の人間だ?」
ドヤ顔で言った夏火に突っ込んだのは、やはり冬木であった。
「えっ、そうか? 俺は旅行に行った時のお土産には、いつもペナント買って来たぜ」
「今、そのペナントはどうしてるんだ?」
「妹にあげたからなあ。たぶん、部屋に貼ってるんじゃねえの」
女の子の部屋に観光地のペナントが貼られている光景が頭に浮かんだ者は誰もいなかった。
「おそらく雑巾か鍋敷きとして有効利用されているのだろう」
冬木の予想に全員納得してしまった。
「でも、どうしよう、真夜?」
そもそもロンドン土産にペナントがあるとも思えなかった日和が真夜に訊いた。
「ロンドン土産の定番と言えば、紅茶らしいですよ」
「でも、お婆様は日本茶しか飲まないのじゃ」
「拙者が伊与様にお勧めいたします。好き嫌いせずにお飲みなさいませと」
「それが言えるのは真夜だけじゃの」
真夜に微笑んだ後、日和は過ぎ去っていくロンドンの町並みを眺めた。
その日和の脳裏には、ある言葉が繰り返されていた。それは、日和の目の前で、事切れる直前に、母親がぽつりと呟いた言葉であった。
――ごめんね、日和。
母親が貫いた父親への愛で招いた不幸の連鎖。それが今日、やっと断ち切られたのだ。
「好きな人を好きになって謝る必要なんて、もう、ないのじゃ」
日和は、心の中で母親に呼び掛けていた。




