第三十九帖 姫様、その罪を知る!
「わらわを殺しに?」
「そうですよ」
「なぜじゃ?」
「話せば長くなりますけど、訊きたいですか?」
「訊きたいの」
日和は時間稼ぎをしたかった。
真夜が影ながらに警戒をしているはずで、この店から日和がなかなか出てこなければ、怪しいと思って、乗り込んで来てくれるはずだ。
この店の空間にはバリア的な働きをする防御結界が張られているかもしれないが、真夜であれば、多少の時間が掛かっても、この店のドアもろとも破って来られるだろう。
「じゃあ、お話しましょうか? 少し時間をもらって良いですか?」
季風は、日和の頭越しに誰かに同意を求めた。
日和は、首も固定されていて振り向くことができなかったが、日和の視界の中に、季風がマスターと呼んだ男とウェイトレスの二人が入って来た。
「今、ドアを開けようとしている奴がいる。おそらく、この姫様の護衛だろう。事は急いだ方が良い」
季風の横に立った男が急かした。
「そうなの? でも、物理的な鍵を掛けている上に防御結界を張っているんでしょ? おいそれとは入って来られないはずですよね?」
やはり、防御結界が張られているようだ。真夜が助けに来るとしても、少し時間が掛かるであろう。
「用心には用心を重ねるべきだ。この姫様には今までどれだけの犠牲を払ったと思っているんだ?」
「でも、こんな小娘に今まで好き勝手されてたの?」
女が、信じられないという顔をして男に訊いた。
「神術や魔法の才能は、年齢や容姿とは関係無いさ」
男はそう言うと、どこからか出した剣を右手で握って、日和の視界から見えた。
どうやら、日和の背中に回ったようだ。
「そんな物騒な姫様なら早く始末をつけましょう」
女も男の跡を追うように、日和の視界から消えた。
季風も、やれやれと言うように肩をすくめて、日和の前の席から立ち上がると、日和の後ろに回って、その視界から消えた。
「最強の神術使いと最強の魔法使い双方の遺伝子を受け継ぎし者が、単に刃物で刺されて死ぬことになるとは皮肉なことよ」
男が剣を構えたことが音で分かった。その剣先は日和の背中に向けられているのであろう。
「さようなら、姫様」
日和は、思わず目を閉じて、襲って来るであろう苦痛に備えた。
ぶすっと人の体に刃物が突き刺さる鈍い音がした。
しかし、日和には苦痛はやって来なかった。
ドサッと音がして、日和の視界の端に男が倒れるのが見えた。
その横たわった体からフローリングの床に赤い血だまりが広がっていった。
「あんた! 何をしてるんだよ?」
女の叫び声が聞こえたが、すぐに、ぶすっと同じ音がして、女も男の近くに倒れた。
二人とも既に息をしていないようであった。
日和の視線の中に、季風が入って来た。その手には血が付いたナイフが握られていた。
「季風さん?」
「ヒヨちゃんは季風のものだよ。こいつらの勝手にさせないからね」
一瞬、助けてくれたのだと思ったが、季風は、日和の体を自由にさせてはくれなかった。
「季風はね、せっかく、今日、ヒヨちゃんとデートができたんですから、もっと、お話をしたいのです」
「わらわもじゃ。さっきの続きを聞きたいのじゃ」
「良いですよ」
季風はテーブルの上に置かれていたナプキンで手に持ったナイフの血を拭き取ると、ナイフを手にしたまま、日和の前の椅子に座った。
「これから,ゆっくりお話ができますね」
床に二つの死体が転がっているのに、季風にはそれが見えていないようであった。
「季風さん」
「なんでしょう?」
「どうして、映画館で眠っている時に、わらわを殺さなかったのじゃ?」
「人の目が多すぎます。でも、本当の理由は、意識が無いうちに殺すのなんて面白くないからですよ。ヒヨちゃんには、意識を持ったまま息絶えてほしかったから、こんな回りくどいやり方をしたんです。今のヒヨちゃんはお人形さんと同じですよ。可愛い可愛い季風だけのお人形」
季風の瞳に病的な光が見えた。
「わらわをどうするつもりなのじゃ?」
「そうですね。まず、自分の罪をはっきりと認識してもらいましょうか」
「わらわの罪?」
「ええ」
季風は少し遠くを見るような目をしたが、すぐに日和を見据えた。
「季風の履歴は嘘だったと言いましたけど、菅原季風という名前は本名なんです。菅原って名字に記憶は無いですか?」
「……無いのじゃ」
「まあ、そうでしょうね。神術使いの家の中では、ほとんど無名ですからね」
季風は自嘲気味な笑顔を見せ、ナイフの刃を指でなぞりながら話を続けた。
「菅原家は、卑弥埜家とは対極にある最下層の家格で、他の名のある家の使用人みたいなことをずっとしてきていたんです。そんな家の者にとって、雇い主の命令は絶対なんです。死ねと言われたら死ぬしかないんです」
「そ、そんなことが」
「卑弥埜の姫様には分からないでしょうけど、それが現実なんですよ」
日和の脳裏に、何回か自分を襲って来た刺客達の姿が浮かんだ。
彼らも誰かからの依頼を受けて、日和を襲いに来ていたはずだが、自らの命を掛けてまで、その依頼を受けなければならないということは、実質的には,断ることのできない命令であったのであろう。
「季風の母親は、季風が小さな時に病気で死にました。それから、ずっと父親と二人で暮らしていました。贅沢はできなかったですけど、父親は一生懸命働いてくれて、何とか学校にも行くことはできました」
季風は、また、日和を見ないで、遠い思い出を眺めているようであった。
「でも、季風の父親も五年前に死にました。太陽の神術で」
「……!」
五年前、目の前で父母を殺された日和は、初めて、人に向かって太陽の神術を発動した。力の加減が分からず、気がついたら目の前が溶岩の海になっていた。
その時、日本の守旧派の命令を受けていたと思われる刺客と欧州の魔法使いを合わせた約百人全員を一瞬で消滅させてしまった。
その中に、季風の父親がいたのだろう。
自分を殺しに来た刺客を返り討ちにすることは、「攻撃は最大の防御なり!」の言葉どおり、自らの命を守るためには許されるべき行為だと考えていた。そして、季風が言ったような理由で、やむなく刺客となって来ている者が少なからずいるということは考えもしなかった。
――わらわに季風さんのお父さんを殺す権利があったのだろうか?
突然、日和は罪の意識に苛まれた。
日和の悲しげな顔を見た季風は、にっこりと笑った。
「ヒヨちゃんには責任の無いことです。こちらだって、ヒヨちゃんのお父さんとお母さんの命を奪ってしまったのですから、あいこですよね」
「でも……」
「気にしないでください、ヒヨちゃん。これは季風の仇討ちじゃなくて、お仕事なんです」
「お仕事……。さっき、恩人のためじゃと言っておったが?」
「季風の恩人とは、イギリス人の神父様です。独りぼっちになった季風に手を差し伸べてくれて、イギリスに連れて行ってくれました。学校にも行かせてくれました」
「外国にいたのは本当なんじゃ?」
「ええ、そうですよ。このまま、イギリスの学校を卒業するのかなって思っていたら、神父様から、今回のお仕事の命令があったのです」
「……」
「結局、神父様は、季風を実の子として育ててくれたのではなくて、単なる駒として太らせていただけなんですよ。心のどこかで本当の親子にしてくれたんだと期待はしていましたけど、やっぱり、現実はそんなに甘くないですね」
季風は自嘲気味に口角を上げた。
「……季風さんの恩人とやらは、なぜ、わらわを殺そうとするのじゃ?」
「その神父様は、欧州魔法協会に所属している魔法使いでもあるのです」
「欧州魔法協会の? では、このことは協会が仕組んだことなのか?」
「そうです」
前回、日和が欧州の魔法使いを太陽の神術で全滅させてから既に三か月ほど経過しており、もう襲撃は諦めたものと思って油断をしていたことは否めなかった。
「欧州は、そんなにわらわの命が欲しいのか?」
「そうなんでしょうね。季風は命ぜられたことをするだけですから、よく分かりません」
季風はそう言うと、席を立ち、テーブルを回って、日和の隣の椅子に座った。
季風は椅子を近づけて、日和のすぐ近くに座った。
「でも、季風はヒヨちゃんとお別れすることは嫌です。ヒヨちゃんとはもっと仲良くなりたいです」
「……」
「ヒヨちゃんは、季風のこと、好き?」
「……」
「答えてよ、ヒヨちゃん?」
「……嫌いじゃないのじゃ」
「嫌いじゃない? ヒヨちゃんを騙して、命を奪おうとしている季風のことが嫌いじゃない?」
「そうじゃ」
「ふふふふ、必死の命乞いなのでしょうか? 今更、季風の機嫌を取っても無駄ですよ」
「わらわを誰じゃと思っておるのじゃ!」
自分でもびっくりするくらい低くしっかりとした声が出た。
季風も今まで聞いたことのない日和の声に驚いたようだが、すぐに気を取り直したようにナイフを握り直し、日和の頬をナイフでビタビタと軽く叩いた。
「卑弥埜の姫様だって死ぬのは怖いですよね」
「怖い。すごく怖いのじゃ。わらわは、まだ、やりたいことがいっぱいあって、それをやらずに死ぬのはすごく嫌で怖いのじゃ」
「だったら、そんな死をプレゼントしようとする季風は嫌いに決まってるじゃないですか!」
「季風さんが理不尽なことをするのであれば、わらわは季風さんを嫌いじゃと思っただろうの」
「今、季風がしていることは理不尽とは思わないんですか?」
「季風さんのお父さんのことを聞いてしまったら、そうは思えなくなったのじゃ」
「……」
「死ぬのは怖い。じゃが、たぶん、一瞬じゃ。そして、わらわがいなくなれば、こんな憎しみの連鎖は無くなるのではないかと思う。ならば、わらわは喜んで、この首を差し出そうぞ」
「……ど、どうして、そんなことを言うのです?」
「どうして? ……そうじゃのう」
日和は、目だけを動かして、季風の顔を見つめた。
「殺し合いはもう嫌じゃ。負ければ自分が死ぬだけじゃが、勝っても誰かが死ぬ。そんなのは、もう嫌じゃ」
「……」
「季風さんは、自分の恨みを晴らせば良いのじゃ」
「……どうして、そのように季風のことばかり気に掛けるのです?」
「わらわと季風さんとどっちがいなくなれば、より多くの人が幸せになるのかと考えれば、わらわに決まっておる。わらわがいなくなれば、争いごとで命を落とす者はいなくなるのじゃからな」
「……どうして、そんなことを言うのです! 泣き叫んでください! 命乞いをしてください! 死ぬのは怖いと言ったじゃないですか!」
「……」
「そうしないと、季風は、……ヒヨちゃんを殺せません」
季風は、ナイフを握りしめたまま俯いてしまった。
突然、風景が変わり、日和と季風は椅子に座ったまま荒野のど真ん中にいた。
そして、目の前に二十人ほどの男達が立っていた。
金髪碧眼の背の高い男が二人の方に歩み寄ってきた。
「季風! 何をぐずぐずしておる? この期に及んで未練が出たか?」
「アスモダイ。この件は、この季風に任せられているはずですが?」
季風は椅子から立って、アスモダイと呼んだ男に歩み寄った。
「協会も貴様を百パーセント信頼してなどおらぬ! 元々は神術使いの下っ端である貴様が裏切らぬとは限らないからな」
「だから、こうやって忠実に任務を遂行しているでしょう?」
「どうだかな。クロケルとセーレはどうした?」
クロケルとセーレとは、季風が殺した店のマスターとウェイトレスの二人のことであろう。死体となった二人はこの結界の中に入って来ておらず、アスモダイが不審に思うのは当然であろう。
「さあね。どっかでサボってるんじゃないの」
「お前もどうしてさっさと、この姫様を片付けない? 私情を挟んで躊躇しているように見えたが?」
「躊躇もしますよ。何と言っても、相手は日本の神術使いの最高の家格を誇る卑弥埜家の姫様なんですよ。季風にとっては雲の上の方です。その姫様の運命をこの手で握っているのですからね」
「感慨に浸ることは分からんでもないが、護衛らしき者らが迫って来ている。さっさと始末をつけろ!」
「もう~、せっかちですねえ」
季風は、アスモダイに肩をすくめてみせると、回れ右をして、手にナイフを持ったまま、日和に近づいて来た。
「と言うことなんです。ヒヨちゃん」
季風はナイフを日和に突き付けた。まだ体を動かすことができない日和は行儀良く椅子に座ったまま何もできなかった。
「ヒヨちゃん」
今までと声の調子が違った季風の呼び掛けに、日和は目だけを動かして、すぐ前に立っている季風を見つめた。
「季風に優しくしてくれたのは、ヒヨちゃんが初めてです」
「……」
「今まで最下層の神術使いとして、ずっと馬鹿にされてきたのに、そんな季風とちゃんと向き合ってくれたのが、卑弥埜の姫様だということは皮肉のような気がします」
「……季風さん」
「最後に一度だけ、ヒヨちゃんを抱きしめても良いですか?」
「好きにするが良い」
「ありがとうございます」
季風は、椅子に座っている日和の後ろに回り、膝を折るようにして体を低くすると、両腕を日和の肩に回して、後ろから優しく抱きしめた。
そして、後ろ髪を横に流すと、うなじに優しくキスをした。
「さようなら、ヒヨちゃん」
その言葉には、これから日和の命を奪おうとする意思が感じられなかった。
その意味を日和が訊こうとする前に、季風はすくっと立ち上がり、日和を守るように、アスモダイの前に立ち塞がった。
「アスモダイ。あなたには季風の神術を、まだご覧に入れてなかったですね?」
「何?」
アスモダイも季風の言葉の意味が分からずに、少し首を傾げた。
「見せてあげますよ」
季風が腕を広げて両手を上向けに開くと、その上に小さな竜巻が現れた。
「菅原家の神術は風属性です。こんなことができるのですよ!」
季風が両手の上の竜巻を前向けて投げつけるようにすると、季風の前で二つの竜巻が合わさり、大きな一つの竜巻となった。
巨大な竜巻は轟音を響かせて、アスモダイ達に襲い掛かった。
何人かの男がその竜巻により吹き飛ばされてしまったが、アスモダイを始め大部分の男達は踏ん張って飛ばされることはなかった。
「季風! 貴様、どういうつもりだ?」
アスモダイが顔を真っ赤にして怒ったが、季風は何も気にしていないように、いつもどおりに話した。
「季風は、卑弥埜の姫様を守ります。いえ、正確に言うと、ヒヨちゃんを守ります!」
「やはり裏切りおったか? ええい、洒落臭い!」
今度は、アスモダイが何かを呟くと、両端が刃になっている不思議な形の七本の剣が空に浮かんだ。
「アランの娘もろとも串刺しにしてくれるわ!」
アスモダイが季風を指差すと、七本の剣が一斉に季風と日和に向けて飛んで行った。
しかし、季風が風の神術で吹かせた爆風で日和に向かっていた剣が吸い寄せられるように季風の方に軌道修正させられると、七本の剣がすべて季風の胸から下に突き刺さった。
「季風さん!」
体がまだ動かなかった日和は悲痛な叫びを上げることしかできなかった。
季風は、ゆっくりと振り向いた。
口から血が出ていたが、笑顔であった。
「ヒヨちゃん、ありがとう」
「季風さん!」
「季風が死んだら、ヒヨちゃんの魔法は解けるから」
季風はそう言うと、そのまま倒れてしまった。
その言葉のとおり、日和は体が動くことが分かった。
すぐに椅子から立ち上がり、すぐ目の前に倒れている季風の元に駆け寄ったが、季風はもう目を開けることはなかった。
「季風さん」
日和の目から大粒の涙がぽろぽろと出て来たが、そんな悲しみに打ちひしがれている暇はなかった。
同じ剣が日和に向かって飛んで来ていた。
しかし、日和がその剣を睨むだけで、剣は空中で止まってしまい、そのまま下に落ちてしまった。
日和は、すくっと立ち上がり、アスモダイを睨んだ。
日和の頭の上に小さな光が灯ったと思うと、その光はどんどんと大きくなり、直径五メートルほどの大きさの太陽が日和の頭上で輝きだした。
「そなたら、許さんぞ!」
日和の頭上でどんどんと大きくなる太陽に恐れおののきながらも、アスモダイとその周りにいる男達は、日和に向かって、剣や槍のみならず、稲妻や炎までも、ありとあらゆる攻撃を繰り出したが、そのすべてが日和には届かず、その手前で地面に落ちた。
日和が一歩、アスモダイの方に踏み出した時、日和のすぐ前の空間にひびが入ったと思うと、ガラスが割れるようにして結界の穴が開いた。
そして、その穴から真夜と四臣家の四人が飛び込んで来た。
「間に合った!」
日和を見て、みんな、安堵の表情を浮かべたが、血だるまで倒れている季風を見ると、怒りの表情に変わり、アスモダイを睨んだ。
「季風!」
「何てことを!」
「貴様ら!」
一方、真夜は、すぐに日和に駆け寄り、後ろから日和を抱きしめた。
「おひい様、遅くなって申し訳ありません。もう大丈夫です。後は拙者らにお任せください」
「わらわはあの者らを許さぬ!」
「拙者らにお任せください!」
怒りが醒めやらぬ日和をなだめるように真夜が日和をぎゅっと強く抱きしめた。
真夜の想いが伝わった日和は、頭上の太陽を消した。
その代わり、日和の目からは止めどなく涙が溢れた。




