第三十六帖 姫様、デートをする!(with冬木)
春水と美術館&動物園デートをした翌週の日曜日。
今日は、冬木と夏祭りデートの約束をしている日であった。
冬木も昼間から日和とデートをしたかったようであるが、科学部の研究成果の整理を今のうちにどうしてもしておかなければならなかったことから、それが終わってからの午後五時に待ち合わせをしていた。
待ち合わせ場所は、みんなと同じ縮地術の扉がある公園であった。
冬木は学校に行っていたことから制服姿であった。
一方、今日の日和は、藍色の生地に小さな金魚の絵があちこちに描かれた浴衣を着て、手には巾着袋を提げていた。
髪を両耳の上でツインテールにした日和を見た冬木は、焦ったように日和に言った。
「ひ、卑弥埜、何を狙っているのだ?」
人差し指で眼鏡を上げた冬木の顔は少し赤かった。
「はあ?」
「その格好は卑怯だぞ!」
「ど、どう言う意味じゃろ?」
「いや、き、気にするな!」
気持ちを落ち着かせるためか、少し時間を開けてから、冬木が日和を誘って歩き出した。
夏火がライブをした商店街の中にある神社の夏祭りがあり、夕焼けが空を覆った今の時間、参道に吊された提灯にも明かりが灯り、人通りも増えてきていた。
カランカランと下駄を鳴らしながら歩く日和を置いて行かないように、冬木も普段より遅く歩いてくれているのが分かった。
「卑弥埜、何か食べたいものはあるか?」
「冬木さん、先にお参りを済ませてからじゃ。神様に叱られてしまうのじゃ」
「卑弥埜は神を信じているのか?」
「もちろんじゃ!」
「卑弥埜のご先祖様も神様と同じくらいのステータスではないか?」
「ご先祖様は家内安全を担当しておって、いろんな願い事は神様じゃないと対応できないのではないか?」
「そんな担当があるなんて初めて聞いたぞ。しかし、最初にお参りを済ませてから夜店巡りをするというのは合理的な考え方だ。最初に食欲が満たされると、それで満足してしまって、お参りもせずに帰ってしまいそうだからな」
「それはそれでどうかと思うのじゃが。まあ、先にお参りを済まそうぞ」
日和と冬木は、多くの参拝客とすれ違いながら本殿までたどり着き、参拝を済ませると参道を引き返した。
日和も、今度は魅力的な夜店を見逃すまいと、参道の左右をキョロキョロと見ながら歩いた。
「卑弥埜も分かりやすいな」
「そ、そうじゃろうか?」
「裏表が無いということだろうがな」
褒められたみたいで照れていた日和であったが、すぐに夜店チェックを再開した。
「あっ! あれは金魚すくいじゃ!」
「卑弥埜は得意なのか?」
「やったことがないのじゃ。どうやってやるのじゃろう?」
日和と冬木は、金魚すくい屋の前に行った。
大きな四角い水槽の前には、小学生低学年らしき男の子と、もっと小さな女の子が並んで陣取っていた。どうやら兄妹のようだ。
男の子の足元には紙が破れたポイが五本ほど捨てられていた。
「くそう! 絶対、取る!」
小さな女の子がワクワクした目で、男の子を見つめていたが、また紙が破れてしまった。
「お兄ちゃん、もう良いよ」
「馬鹿野郎! 絶対取ってやるからな!」
その様子を見ていた冬木は、おもむろに金魚すくいのプールの前にしゃがんだ。
「冬木さんもするのか?」
日和も冬木の隣にしゃがんだ。
「うむ。やったことはないが」
「えっ、冬木さんも初めてなのか?」
「そうだ。こんなお祭りに行ったのは、小学生くらいの時だった気がする。一緒に行ったのは、いつもの三人だ」
「四人は本当に仲が良いんじゃなあ」
「腐れ縁という奴だろう」
そう言うと、冬木が財布を取り出しながら店主に話し掛けた。
「自分にも一つくれ!」
「二百円だよ」
二百円と引き替えにポイとお椀を渡された冬木は、格好だけは一人前に構えた。隣の兄妹も手を止め、冬木に注目していた。
冬木の眼鏡が光ったと思うと、冬木は目にも止まらない速さでポイを持った手を水槽に突っ込んだ。
ザブンと水しぶきが上がるほどであり、当然のごとく、冬木のポイは紙が破れていた。
期待して見ていた男の子もがっかりと項垂れてしまった。
「もう一つくれ!」
冬木が店主に二百円を渡した。
「兄ちゃん! もっと、ゆっくり入れないと金魚もびっくりしちまうぜ」
「分かっている」
店主の忠告にもおざなりな返事を返してから、冬木は再び、ポイを構えた。
「ふ、冬木さん、頑張ってたもれ!」
思わず日和も声援を送ってしまった。それくらい冬木の表情は真剣だった。
冬木は、今度は水面近くにポイを水平に構え、お椀も水に浮かべているようにして持ち、金魚が射程範囲内にやって来るのをじっと待った。
また、冬木の眼鏡が光ると、次の瞬間には左手に持ったお椀に金魚が一匹入っていた。
「すごい! 取れたのじゃ!」
「コツが分かった」
そう言った冬木は次々に金魚をすくい、あっという間に、お椀の中は金魚で一杯になった。
「もう良いだろう」
そう言うと、冬木は、隣で冬木のポイさばきに見とれていた男の子にお椀を差し出した。
「自分は一人暮らしで金魚を飼うことはできない。君達が欲しいのであれば差し上げるが?」
女の子は飛び上がらんばかりの嬉しい顔をしたが、男の子は少し不満げな顔をした。
「自分で取ったものじゃないと嫌だというのであれば、無理強いはしない」
「じゃあ、……一匹だけ」
「良いだろう。すまないが、一匹だけ持って帰る」
全部持って帰られるのかと少々不安げな顔をしていた店主はあからさまに嬉しそうな顔をした。
「そうですかい。それじゃあ、……これをどうぞ」
店主は、冬木のお椀の中から水を張ったビニール袋に金魚を一匹だけ入れると、冬木に渡した。
冬木は、その袋をそのまま女の子に渡した。
「ありがとう! お兄さん!」
「君のお兄ちゃんももっと良い金魚を捕ってくれるだろう」
冬木は、にこりともしないで言ったが、女の子は怖がりもせず、嬉しそうだった。
冬木が単に無愛想なだけで、心が優しいお兄さんだということが本能的に分かったのだろう。
冬木が立ち上がり歩き出すと、日和もすぐに跡を追った。
「冬木さん、本当は上手だったのじゃな」
「いや、一回目で、やり方のコツが分かっただけだ」
「えっ? 一回だけで?」
「ああ、物理の応用問題と思えば良い。水の抵抗を最低限にまで小さくするための、水への入射角度や水中での移動方法、金魚の移動方向とその傾向などを計算してから、二回目をしたのだ」
「す、すごいのじゃ!」
「そ、それほどでもない」
「それに、冬木さんが金魚すくいをしたのは、あの子供達に金魚を取ってあげたいと思ったからではないのか?」
「あの男の子が思いっきり下手くそだったから、自分が見本となる超絶テクを見せびらかせたのだ」
捕った金魚をどうするか、デート中である日和には訊かずに、女の子にあげた冬木の意図は見え見えであったが、それを変な理屈を付けて、照れ隠しをしているのだと、日和であっても分かった。
「射的があるな」
冬木の視線の先を見ると、段々になった棚の上に大小様々な賞品が置かれており、店の前に置かれた長テーブルから何人かの客がライフル型の銃を撃っていた。
二人はその店の前までやって来た。
「卑弥埜は射的をやったことがあるのか?」
「ないが、的に向けて銃を撃つだけじゃろう?」
「それはそうだが……、何か取りたい景品でもあるのか?」
日和の視線が賞品の中の一箇所から動かないことに冬木も気づいたようだ。
「あの、ぬいぐるみが欲しいのじゃ」
日和が指差す先には、透明なプラスティックな箱に入った、体長二十センチほどの熊のぬいぐるみがあった。
「あれは難しいぞ」
「そうなのか?」
「あれだけ大きいと、一番大きな衝撃を与える角度で弾を当てないと落ちないだろうな」
「そうなんじゃ」
少し落ち込んだ日和の顔を見て、冬木は言った。
「できるどうか分からないが自分が取ってみようか?」
「い、いや、さっき、冬木さんが男の子に言っていたように、自分でやって獲得することに意味があるのかもしれぬ。だから、わらわがやってみるのじゃ」
「そうか。では頑張れ」
「うん」
日和は、店主から銃を受け取ったが、意外と重かった。
「えっと、こうかの?」
銃など持ったことのない日和は、銃身を長テーブルの上に置き、体勢を低くして、両手で銃床を持った。
「卑弥埜。何を狙っているのだ?」
「何をって、さっき言ったじゃろ?」
「いや、そのへっぴり腰では引き金を引いた途端に銃がぶれてしまって、狙いどおりに弾は飛んで行かないぞ」
「そ、そうなのか? どうすれば良いのじゃろ?」
「右手で引き金に指が掛かるように持って、左手を銃の下に添えて」
冬木が一生懸命説明をしたが、日和はまったく要領を得なかった。
「そうじゃなくてだな」
しびれを切らした冬木が日和の後ろに立ち、日和の手を取った。
「右手はここ! 左手はここだ! 左足を少し前に出して、左肘をここに着けて……」
日和は操り人形のように冬木にポーズを決められた。
「これで狙ってみろ」
一応、撃つポーズが決まると、冬木が手を離した。
しかし、銃の重みに日和の腕はプルプルと震えて、当然、銃身も震えて照準が定まらなかった。
「重いのか?」
「すまぬ」
「謝らなくても良い」
冬木は、また、日和の後ろに体を付けて、自分の右手と左手を日和のそれぞれの手の上から握るようにして銃を構えた。
「これでだな」
「ふ、冬木さん! ち、近いのじゃ!」
「えっ? ……どわぁ!」
冬木には、日和に密着しているという意識はまったく無かったようで、振り向いた日和の顔が近くにあって、冬木自身が驚いていた。
「す、すまん、卑弥埜! けっして、その、嫌らしい気持ちで卑弥埜に密着した訳ではなくてだな、卑弥埜が欲しいという、あのぬいぐるみをどうしても取ってあげたいというか」
日和は、いつもの冷静な時の冬木と、無意識に日和と絡んだ後に意識して焦ってしまう冬木のギャップにいつも笑ってしまっていた。
「自分で頑張ってみるのじゃ」
日和は、冬木ににっこりと笑うと、冬木に教わったとおりに銃を構えた。
相変わらず腕が震えたが、日和は、狙いを付けて引き金を引いた。
しかしコルク製の弾は、どの景品にも当たらず、後ろの幕を揺らした。
「駄目じゃ」
「卑弥埜。腕が震えるのなら、振り子を撃つ要領で腕の動きを予測して撃つんだ」
「そ、そんなこと言われても」
「大丈夫だ。自分を信じてみろ」
「……分かったのじゃ。やってやるのじゃ!」
「その意気だ!」
日和は、もう一度、銃を構えた。
小刻みに揺れる照準をじっと見ていたら、冬木が言ったように、何となく規則性を持って揺れているような気がしてきた。
それを意識しながら、「ここだ!」というタイミングで引き金を引いた。
弾はお目当ての景品に当たったが、弾が当たった右側が少し後ろに動いただけであった。
「卑弥埜、いけるぞ! 今のタイミングを忘れるな!」
日和は、さっきのタイミングを思い出しつつ、また、引き金を引いた。
今度も同じ所に当たったようで、景品の向きが少し変わっただけであった。
更にもう一発放ったが、結果は同じであった。
残る弾は一つ。
日和は、じっくりと狙いを定めると、また、今までのタイミングを思いだした。
日和は余分な感覚をシャットダウンするため、照準を絞り込んだら目を閉じた。
そして、自分の勘だけを頼りに引き金を引いた。
すぐに目を開けた日和は、お目当ての景品がくるりと回って、棚から落ちるところが見えた。
「やったのじゃ!」
「やったぞ! 卑弥埜! やったな!」
飛び上がって喜んだ日和に冬木が駆け寄り、二人で抱き合って飛び跳ねて喜びを分かち合った。しかし、すぐに我に返った日和が、顔を赤くしながら冬木から離れた。
「あっ、すまん、卑弥埜。自分まで嬉しくなってしまって」
「う、ううん。でも、冬木さんのお陰じゃ!」
「卑弥埜の嬉しそうな顔が見られて良かった」
「……ありがとうなのじゃ」
その後、お腹が空いた二人は、たこ焼きと焼きそば、フランクフルトを買って、参道に隣接して設置されていた無料休憩所に行った。
多くの人が食べたり飲んだりしていたが、二人が並んで座れる場所が何とか見つかった。日和の膝の上には、さきほどゲットした熊のぬいぐるみが座っていた。
「良い匂いがしているな」
「家で食べるより、何十倍も美味しく感じるのじゃ」
「まあ、そうだな。家で一人で食べるよりは美味い。特に今日は卑弥埜と一緒だから、掛ける百倍だな」
日和は、冬木が一人暮らしで偏った食生活をしていることを思いだした。
「そうじゃったな。今日は、こんなジャンクフードよりも、ちゃんとした食事ができる所に行けば良かったのじゃ」
「ちゃんとした食事とは、どんな食事なんだ?」
「三大栄養素がバランス良く取れる食事じゃ。これではビタミンが足りぬ」
「まあ、ビタミンを取らなくても死ぬことはあるまい?」
「何を言っておるのじゃ! 病気になりやすい体になって死んでしまうかもしれぬのじゃぞ!」
「す、すまん」
真剣に怒っている日和に、冬木も謝ることしかできなかったようだ。
「い、いや、今日、冬木さんを責めても仕方が無かったの。明日から食生活を改善してもらったら良いのじゃ」
「しかし、食生活を改善と言われても、自分は料理などできないしな。それに、卑弥埜だって料理をすると怒られると言っていたから、卑弥埜に作ってもらう訳にもいかないしな」
「わらわは別に作っても良いのじゃが、わらわが冬木さんに料理を作ってあげると、うちでも学校でもいろいろと問題が起きる気がするのじゃ」
「それもそうだな」
「料理が出来なくても、カップラーメンとかではなく、野菜中心のお総菜を食べるようにすれば良いのじゃ」
「野菜も嫌いではないが積極的に食べたいとも思わないな」
「食べないと駄目なのじゃ!」
「卑弥埜の家族でもないのに、どうして、こんなに怒られるのだ?」
「冬木さんの体が心配だからじゃ!」
「……注意されて嬉しいのは初めてだな」
「い、いや、そんな深い意味はないのじゃが……」
日和としては、冬木を特別扱いしているつもりはなかったが、冬木は、そういう風に取ったようだ。
熊のぬいぐるみを抱いた日和は、冬木と一緒に鳥居の所まで戻って来た。
「あ、あの、冬木さん」
日和に呼ばれて、冬木は日和と向かい合った。
「今日はありがとうなのじゃ。すごく楽しかったのじゃ」
「自分も楽しかった。卑弥埜といると、肩肘張らずにいられると言うか、自然な自分でいられるような気がする」
「そ、そうじゃろうか?」
「ああ、自分も夏火達から誘われて、女の子と遊びに行ったこともあるが、自分の話は面白くないらしい」
「そ、そうなのか?」
「うむ。そんな難しい話をされても分からないとか、言い方にトゲがあるとか、いろいろと言われた。しかし、卑弥埜はちゃんと自分の話を聞いてくれるものな」
「いや、わらわも、時々、冬木さんの言っていることが分からない時があるのじゃ」
「分からない時には分からないと言ってくれるではないか」
「だって、分からないのじゃから」
「そこだよ」
「どこじゃ?」
「卑弥埜は裏表が無いということだ。適当に話を合わせて、その場を済ませるということがない。変に分かったような顔をされるより、卑弥埜みたいに分からないと言ってもらった方がずっと気が楽だ」
「そうなのか?」
「うむ。卑弥埜、これからも話をさせてくれ」
「教室にいたら、いつでも話はしておるのじゃ」
「それはもちろんだが、こうやって二人でいる時も頼む」
「あ、あの、わ、分かったのじゃ」
冬木の嬉しそうな笑顔が弾けていた。




