第三十五帖 姫様、デートをする!(with春水)
夏火と夏フェスデートをした翌週の日曜日。
今日は、春水と、美術館と動物園を巡るデートの約束をしている日だった。
夏火らと同じように、縮地術の扉がある公園まで迎えに来てくれていた春水は、スタンドカラーの白いワイシャツに淡い空色のサマージャケットを羽織り、スリムなホワイトジーンズ、足元にはブラウンのスウェードシューズを履いていた。
一方、今日の日和は、膝丈の白い半袖ワンピースを着て、素足にヒールの付いたストラップサンダルを履き、頭には鍔の狭い麦わら帽子をかぶり、肩にはサマーストールを羽織っていた。
「おはようございます、日和さん」
「おはようなのじゃ、春水さん」
「日和さんのお召し物はすごく素敵ですね」
「あ、ありがとうなのじゃ」
「帽子もすごくお似合いです」
「動物園では日差しを遮る所がないかもと真夜に言われたから」
「熱中症にならないように、私も気をつけます。では、参りましょうか?」
「うん」
春水と学校最寄りの駅まで歩き、そこから電車に乗り、都心の公園の中にある美術館に向かった。
日和は、その間、ずっと春水に向けられている視線を感じていた。
女性からの憧れの眼差し、男性からの嫉妬が混じった羨望の視線であった。
隣にいる日和でさえ、あからさまに見られていると感じるほどであったが、当の春水は、それほど気にしていないようであった。
駅から降りると、すぐに公園があり、美術館もすぐ近くにあった。
今日は、ヨーロッパ印象派絵画の特別展示をしているようで、春水の目当てもそれであった。
四臣家の四人の中では一番口数が少ない春水も、朝に落ち合ってから、日和を退屈させないように、いろんな話をしてくれたが、展示室に入ると無口になり、真剣な表情で絵画と向かい合っていた。
日和も、そんな春水の邪魔をしてはいけないと、春水の隣で静かに絵を見つめた。
日和には作者のことはよく分からなかったが、美術好きにはたまらない巨匠が勢揃いしているようで、そう言った前提知識の無い日和であっても、展示された絵画からは、絵のサイズをはみ出して迫り来る迫力であったり、 逆に、絵に吸い込まれてしまいそうな感覚であったり、いろんなエネルギーが感じられた。
結局、一時間ほど掛けて、じっくりと絵を見て回った春水と日和は、美術館の中にある喫茶店に入った。
「日和さん、どうもすみませんでした」
「な、何じゃろ?」
席に着くなり、謝ってきた春水に、きょとんとした顔で日和が尋ねた。
「せっかく一緒に来ていただいているのに、日和さんを置き去りにしてしまって」
「ああ、全然、気にしてはおらぬ。むしろ、春水さんは本当に絵が好きなんじゃなと感心したのじゃ」
「前評判が良かったから来てみたかったのですが、私としても大満足です」
「わらわは、絵のことはよく分からぬが、どの絵も見入ってしまった。春水さんが心配するほど退屈はしなかったのじゃ」
「それは良かったです。あっ、日和さん、何にしますか?」
春水がメニューを日和に差し出した。
「えっと……」
まだ、喫茶店には数えるほどしか入ったことのない日和は、メニューを見ながら、どれにしようか迷った。
「慎重に選んでますね」
「せっかくじゃから、まだ食べたことのないものを食べたいと思っての」
「どんなものが良いですか?」
「甘いおやつが食べたいのじゃ」
「ふふふふ」
「あっ! ひょっとして子供みたいだと思うておるんじゃろうか?」
「そんなことは少しありますけど、ふふふふ……可愛いなと思っているのですよ。じゃあ、私も甘い物を食べましょう」
「春水さんも?」
「ええ、私も本当は甘党なんです」
「そうなんじゃ。それじゃあ、春水さんが選んでたもれ。わらわはメニューを見てもよく分からぬ」
「よろしいんですか? では、洋風と和風のどちらの甘味が良いですか?」
「家では和風が多いから洋風を食べてみたいの」
「分かりました」
春水がチョコレートパフェとフルーツパフェを一つずつ頼み、間もなく、二つが日和達のテーブルに運ばれて来た。
「おおおおおおお! こ、これがパフェと言うものか」
まん丸く見開かれた日和の目は、二つのパフェに釘付けになっていた。
「日和さんはどっちにしますか?」
「両方とも食べたいのじゃ!」
「ふふふふ、分かりました。それでは、それぞれ半分ずつ食べましょうか?」
「春水さんは良いのか?」
「ええ。日和さんと分け合って食べると、もっと美味しくなりそうです。では、まず、私はチョコから食べますね」
「分かったのじゃ。では、いただきます!」
日和は手を合わせてから、目の前に置かれたフルーツパフェを一口食べた。
自然に笑顔になるのが分かった。
「美味しいのじゃあ~」
落ちそうなほっぺたを両手で押さえた日和の顔は緩みっぱなしだった。
「美味しいですね」
「うんうん! 幸せなのじゃあ~」
「ふふふふ。日和さんの嬉しそうな顔を見てると、こっちまで嬉しくなってしまいます」
「そ、そうか? でも、そうじゃな。誰かが幸せなオーラを放っていると、周りも幸せな気分になるのじゃ」
「そうですね」
「でも、春水さんが甘い物が好きだったのは少し意外だったのじゃ」
「しばらく、食べるのを控えていましたから」
「えっ、どうしてなのじゃ?」
「喫茶店に行って男子がパフェとか食べるのって、やはり抵抗があるのですよね。今みたいに女性と一緒だとオーダーしやすいですけど」
「そんなもんなのか?」
「ええ、それに少しトラウマもあるのです」
「トラウマ?」
春水は、少し躊躇したかのように、一瞬、目を伏せたが、穏やかな表情のまま話し始めた。
「実は、私は、小学生の頃、オカマ呼ばわりされて、虐められたことがあったのです」
「えっ!」
「私の母親は、私を産んだ後、すぐに死んでしまって、姉三人が私の母親代わりになって育ててくれたのです。そのお陰で、いつも姉と一緒にいて、洋服も男の子が着てもおかしくないような姉のお下がりでしたし、遊びもずっと姉と一緒にしていましたから、女の子の遊びしか知りませんでした。この髪型も姉がしてくれて、可愛いとずっと言われ続けたことから、今も続けているのです」
今の春水の顔から考えても、幼き頃の春水も女の子にしか見えなかっただろう。もちろん、今も女性の服を着るとスタイルの良い女性モデルとして通用しそうであった。
もっとも、季風と違って、春水自身はナヨナヨとしたところはないし、丁寧ではあるが、お姉言葉でもなく、オカマという雰囲気は無かった。
しかし、小学生くらいの年代では、「男なのに」という気持ちで、安易にオカマ呼ばわりしてしまうのも仕方がないことであろう。
「私が絵を描き始めたのは、その頃なんです。同級生から虐められて落ち込んでいた時に、家に閉じ籠もっててもできたのが絵だったのです。母親が絵を描いていたこともあり、道具も残っていたので、すぐに始めることができました。そして、私は、次第に絵にのめり込んでいきました」
「お母様からの遺伝かもしれぬの」
「そうですね。でも、ただ現実逃避のためだけに絵を描いていたら、結局は自己満足に終わって、今みたいに美術部に入って活動するということはなかったでしょう」
「……」
「そんな私を助けてくれたのが、夏火、秋土、そして冬木だったのです」
「あの三人が?」
「ええ、彼らは幼稚部からずっと一緒でしたが、クラスは別れる時があって、虐められ始めた時には、ちょうど、その三人ともクラスが別だった時でした」
「……」
「夏火や秋土は、私を虐めた男子に注意をしてくれたし、冬木は良い話相手になってくれました」
「昔から四人は良い仲間だったんじゃな」
「ええ、私にとってはかけがいのない親友です。でも」
「でも?」
「日和さんのことだけは、いくら三人が相手でも負けたくありません」
「負けるって?」
「日和さんが転校してきて、初めてお目に掛かった時、私は、今まで感じたことのない感覚を覚えたのです。胸の奥が少し苦しくなるような」
「……」
「今、思うと、それが一目惚れということだったのでしょう」
「えっ、……ええ~!」
「今日、日和さんと二人きりでいて、確信を持てました。私は日和さんのことが好きです」
日和は焦って、周りを見渡してみたが、春水の言葉に注目している客はいなかった。
春水の方に向き直った日和を、春水が真剣な表情で見つめていた。
「かと言って、私が日和さんを独り占めできるだけの男だという自信は、まだ、ありません。日和さんも、まだ迷われているようなことを言われていましたし、何よりも、日和さんの気持ちを尊重したいのです」
「……」
「だから、日和さんの彼氏として立候補することは、もう少し先にしたいと思います。これからも、友達として仲良くさせてください。私の気持ちを知っておいていただいた上で、今までと同じようにおつき合いしていただければ嬉しいです」
「……」
「すみません。一方的に私の気持ちをしゃべってしまいました」
「う、うん。突然だったので、少しびっくりしたのじゃ。わららも春水さんが好きと言い切れるほどには気持ちは整理できておらぬ。だから、春水さんが言ったとおり、友達としておつき合いさせてほしいのじゃ」
「はい。よろしくお願いします」
美術館から出た春水は、ワンショルダーリュックから折り畳みの傘を取り出した。
広げると黒の日傘であった。
「姉に借りてきたのです。けっこう日差しがきついですから、日和さんを日焼けさせると申し訳ないですから」
「あ、ありがとうなのじゃ、春水さん。わらわも外に出ることはあまりなかったから、すぐに肌が赤くなるのじゃ」
「それは良かったです。では、どうぞ」
「えっ?」
日和は日傘をそのまま渡してくれるのかと思っていたが、春水は広げた日傘を持って、日和にかざした。
「私がお持ちします。姫様自らに持たせることなどできませんから」
「そ、そんな気は使わなくてもよいのじゃ!」
「今のは、私の照れ隠しです。本音は日和さんと相合い傘をしたいだけです」
春水は本当に少し照れていた。
「駄目ですか?」
「わ、分かったのじゃ」
日和が春水の隣に立つと、春水は日傘を日和の方に差し出してきて、自分の体の半分は傘の影からはみ出していた。
「わらわだけ影に入っているのは申し訳ないのじゃ」
「私は男ですから大丈夫ですよ」
優しく日和(日和)をエスコートする春水の行動には、男として恥ずかしくないように振る舞いたいという気持ちが現れているような気がした。
日和は、日傘の影をできるだけ春水にも掛かるように、心持ち、春水に近づいた。
二人は、相合い傘をしながら、同じ公園内にある動物園に向かった。
広い通路の両側には大きな木が生い茂っており、夏の日差しを遮ってくれているその影をつたって歩くように通路の端を歩いて、動物園に入った。
「日和さんは動物園に来たことはあるのですか?」
「小さな頃に、お母様と一緒に来たような記憶があるが、ぼんやりとしか憶えておらぬ」
「私も小学生の頃に家族と行った時以来ですね」
「動物園って、小さな子供が行く所というイメージだったのじゃが、意外と若い人もいるのじゃな」
日和の言葉のとおり、小さな子供を連れた家族連れが多かったが、カップルの姿もちらほらと見えた。
二人は、順路に従って見て回り、猿山までやって来た。
「お猿さんがいっぱいおる!」
檻に閉じ込められた動物を見ていると悲しい気持ちになった日和だったが、開放的な猿山を見て、そんな気持ちが少し晴れた。
猿山では大人から子供までの猿が思い思いの行動を取っており、特に子猿の愛らしい仕草を眺めていると、思わず目尻が下がってしまう日和であった。
「可愛いの」
「そうですね。日和さんは、家でペットは飼われているのですか?」
「広い屋敷に棲み着いておる野良猫はおるようじゃが、ペットとしては飼ってはおらぬ」
「ペットは可愛いですよ。私の家には、猫と犬が二匹ずついますよ」
「そんなにおるのじゃ」
「さっきも言ったように母親が早く死んでしまったもので、父親も寂しかったのかもしれません」
春水と麗華を婚約させたのも、母親がいない春水の将来を父親が心配したからかもしれなかった。
「そう言えば、夏火さんが葵さんから影響を受けて音楽を始めたという話をしておったのじゃ。わらわも葵さんに会ってみたいのじゃ」
「葵姉さんは、上二人の姉さんと違って、ちょっと変わってますからね」
「変わってるって、どういう風に?」
「会えるように手配しますから、会ってからのお楽しみにしておいてください」
「本当か? それは楽しみなのじゃ」
「それより日和さん、向こうには象がいますよ」
「本当じゃ! 大きいの!」
「ふふふふ」
「何かおかしかったか?」
「いえ、日和さんは本当に無邪気だなって思ったのです。それだけ心が穢れていない証拠ですね」
「そ、そんなことはないのじゃ! わらわだって酷いことを考えることもあるのじゃ」
「みんな、そうですよ。でも、日和さんはそういうことが圧倒的に少ないと思います」
「持ち上げすぎじゃ!」
「ふふふふふ、では、私の中だけで持ち上げておきますね」
午後五時の閉園時間間際までいろんな動物を見てから、二人は動物園を出た。
夏の太陽も、この時間になると傾いて、二人の影を長く地面に映し出していた。
「春水さん、もう日傘はなくて大丈夫じゃ。ずっと持ってもらって、すまなかったのじゃ」
「いえ、私としては、もっと相合い傘をしたかったのですが残念です」
と言いながらも、春水の表情に未練がましいところはなく、爽やかな笑顔のままであった。
「では、どこかで晩ご飯を食べてから帰りましょうか?」
「そうじゃの」
二人が並んで駅に向かって歩き出すと、突然、後ろから声が掛けられた。
「君!」
振り返ると、黒のシャツに白いネクタイを締め、白いスーツを着て、日焼けした顔にサングラスを掛けた男性が立っていた。
「業界人」というレッテルが隠しようもなく貼られていた。
「私ですか?」
春水が自分を指差しながら尋ねた。
「そうです」
男性は、つかつかと春水に近づいて来ると、内ポケットから名刺を出し、「こう言う者です」と言いながら、春水に渡した。
日和が横からその名刺を覗き見ると、「キング企画スカウト部長」との肩書きが書かれていた。
「我が社は、所属するファッションモデルのマネジメントをしている会社です。あなたは、どこかでモデルをされているのですか?」
「いえ、していません」
「もったいない! その身長にその容姿! あなたが最新のファッションを纏ってステージを歩くと、誰もがうっとりとするはずです!」
「い、いや、そんなことはありません」
「既に五人の男性モデルを発掘し育てた私が言うのですから間違いありません!」
「その方々と私とは違います。それにモデルには興味はありませんから」
「いや、モデルは、あなたにとって天職だと思いますよ」
「今まで何人かの方からお声を掛けていただきましたが、いつもお断りをさせていただいております。では、失礼します」
春水は、強引に話を打ち切り、スカウト部長に丁寧にお辞儀をすると、日和を誘って、駅に向かって歩き出した。
「春水さん、慣れておるのじゃな」
「実は、外を出歩くたびに同じように声を掛けられるものですから、もう慣れました」
「そ、そうなんじゃ」
それだけ、春水が、イケメン揃いの四臣家の四人の中でも、ずば抜けて美形だということなのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
先ほどのスカウト部長が二人を追い掛けてきた。
「何でしょう? 先ほど、ちゃんとお断りしたはずですが」
春水も少し不機嫌になりながらも、きっぱりと言った。
「い、いえ、違います! あなたの方です!」
男性の視線は日和に向いていた。
「わ、わらわか?」
「わらわ?」
「彼女に何かご用ですか?」
日和の言葉遣いに戸惑ったスカウト部長であったが、春水がすぐに話を引き取った。
「え、ええ! あなた、モデルをしてみませんか?」
「……へっ?」
突然の申出に日和は呆然としてしまったが、春水は何だか嬉しそうだった。
「彼女、可愛いですよね?」
「いや、本当に! 絶対に人気が出ますよ!」
「だそうですよ」
春水が日和に念を押すように言った。
「そ、そんなはずはないのじゃ!」
「いえいえ、私の目が間違ってなかったということで、私としても、何だか嬉しいですね」
春水がニコニコとしながら、日和を見た。
「日和さん、どうされますか?」
「わらわもモデルなどせぬ!」
「だそうですよ」
「どうしてもですか?」
「そうですね」
日和が無言で頷いたのを見て、春水が間に立って、日和の返事をスカウト部長に返した。
「そうですか。今、うちの事務所では、チャイルドモデルの育成に力を入れているのですがねえ」
「チャイルド……、春水さん! 早く御飯を食べに行こうぞ! お腹が空いたのじゃ!」
日和は、少し頬を膨らませて、スカウト部長に背中を向けた。




