第三十三帖 姫様、デートをする!(with秋土)
梅雨が明け、耶麻臺学園も夏休みに突入した。
夏休みになってからも、月曜から水曜日までは真夜に言われて、嫌々ながらも補習に参加し、木曜日と金曜日の午後からは、手芸部としてプレゼント用の茶巾袋を作ることになっていた。
そして、これから毎週日曜日は、四臣家の四人と順番にデートをすることになっていた。
夏休み最初の日曜日は、朝から夏の太陽が照りつける晴天であった。
日和が縮地術の扉があるトイレから出ると、もう、秋土が待っていた。
「秋土さん、すまぬのじゃ。待たせてしもうたかの?」
方向音痴の日和を迷子にさせないように、この公園まで秋土が迎えに来ることになっていたのだ。
「ううん、大丈夫! 僕が嬉しくて、三十分も早く来ちゃったんだよ」
その言葉どおり、秋土は本当に嬉しそうだった。
秋土は、黒のポロシャツを着て、ベージュのチノパンと、足元にはツートンのデッキシューズを履いていた。
「でも」
秋土は、日和に見とれているようだった。
「日和ちゃんの私服って初めて見たけど、めちゃくちゃ可愛いね!」
「あ、ありがとうなのじゃ」
今日の日和は、革製のリュックを背負い、ライトイエローの半袖ブラウスにモスグリーンのハーフパンツ丈のキュロットを着て、生足にアーガイル柄のソックス、足元はスウェード地のローファーを履いていた。
「色んな乗り物に乗ると思うから、スカートじゃない方が良いと真夜に言われたのじゃ」
「ああ、そうだね。日和ちゃんは、ネズミーランドは初めて?」
「うん。秋土さんは?」
「家族とか友達と一緒には何回か行ったことはあるよ。……あっ、お、女の子と二人きりで行くのは初めてだから!」
日和が何も訊いていないのに、秋土は焦って言い訳をした。
学校の最寄り駅から都心のターミナル駅に行き、そこで遊園地に行く電車に乗り換えた。
遊園地に行く唯一の公共交通機関である電車には既に大勢の乗客が乗っていて、座席に座ることはできなかった。
日和が吊革に掴まるとぶら下がる状態になってしまうことから、秋土は、日和をドアの近くに立たせた。
途中の駅でどんどんと人が乗ってきた。家族連れやカップルが多く、同じ遊園地に向かっていると思われた。
日和と秋土の周りにも乗客が押し寄せてきた。
秋土は、日和をドア横の壁と座席の隅との間のスペースに立たせると、日和と向き合うように立ち、両手をそれぞれ壁と座席の取っ手に着いて、自分の体と日和との間にスペースを確保して、後ろから押し寄せてくる乗客から日和を守るようにした。
秋土の背中に、かなりの圧力が掛かってきているのが分かった。
「秋土さん。そんなに無理をしなくても、わらわは大丈夫じゃ」
「でも、満員電車は初めてって言ってたでしょ?」
秋土が腕と足で踏ん張って、日和が潰れないようにしてくれていたが、遊園地の三つ手前で他の路線との乗り継ぎができる駅に電車が停車すると、とどめとばかりに大勢の乗客が乗り込んできた。
さすがの秋土も耐えきれずに、後ろから押されて、日和と抱き合う格好になってしまった。
「あっ!」
日和もびっくりして、思わず小さな声を上げた。
「ひ、日和ちゃん、ごめん! 大丈夫?」
この状態でも、肘で踏ん張って、日和が苦しい思いをしないように、できるだけスペースを空けるように頑張っている秋土であった。
日和は、秋土の胸に顔を着けたまま頷いた。
十分ほどで、電車はネズミーランド遊園地の最寄り駅に着いた。
終着駅ではなかったが、乗客のほとんどが降りた。日和と秋土もその流れに押し出されるように電車から降りた。
「日和ちゃん、ちょっと待っていよう」
多くの人の群れがホームから降りる階段に殺到していたため、秋土はその集団が通り過ぎるのを待とうと、日和の手を引いて、ホームの端に寄った。
人がまばらになってから秋土が歩き出したが、手を握っていたことに気がついて、慌てて手を離した。
「ご、ごめん!」
「秋土さん」
うつむき加減であった日和が顔を上げて秋土を見た。
勝手に日和の手を握って、日和が怒っていると思っていたのか、秋土は、日和の笑顔を見て、気が抜けたように息を吐いた。
「ありがとうなのじゃ。秋土さんは、いつもわらわを守ってくれるんじゃな」
「う、うん。それが真夜さんとの約束だから」
日和達は、改札からそのまま繋がっている遊園地に入って行った。
西洋の街並みのようなお洒落な通りにキラキラのデコレーションが飾られ、人気のキャラクターが愛嬌を振りまいている非日常の世界が広がっていた。
遠い昔。父親と母親の三人で遊園地に行った記憶が蘇ってきた。ここよりもずっと小さな遊園地であったが、日和には、大好きな両親とともにずっと一緒に夢の国にいることができた楽しい想い出として、消えずに残っていた。
今、一緒にいるのは秋土であったが、楽しそうな秋土の笑顔を見るだけで自分も楽しくなってくるのだった。
「日和ちゃん、どこに行く? 何か乗りたいアトラクションはある?」
「ここのことはよく知らないから、秋土さんに任せるのじゃ。秋土さんが楽しければ、わらわも楽しいのじゃ」
「じゃあ、ここに来たなら乗るしかないってアトラクションがあるから、そこに行ってみよう! ちょっと並ぶけど良い?」
「うん」
二人は、ビックスノウマウンテンというアトラクションの入口にやって来た。
当然のごとく行列ができていて、二人は、アトラクションの入口からクネクネと四回折り返しになっていた列の最後尾に並んだ。
「こ、こんなに並んでおるのか?」
「今日は、まだ、少ない方だと思うよ。一番酷い時には三時間待ちなんてこともあるからね」
「あの看板には、このアトラクションに乗っている時間は三分とあるのじゃが、その三分のために三時間も待つのか?」
「そうだね。でも、自分の好きな人とこうやって並んで待っているのもアトラクションじゃない?」
「い、今、『好き』って?」
「あっ、いや、『好き』なんだけど、その『好き』じゃなくて、今、言った『好き』は、その、友達として、と言うか、友達よりも一歩進んで『好き』なんだけど……」
慌てふためいて弁解する秋土が何だか可愛く思えて、日和は、くすりと笑った。
「わらわも秋土さんが好きじゃ」
「えっ!」
「真夜と同じくらい好きじゃ!」
「あっ、そう言うことね」
「あれっ、何か失礼なこと言うたじゃろうか?」
気が抜けたような秋土を見て、また失敗したのかと日和は心配になった。
「ううん、違うよ。でも、嬉しいな」
「えっ?」
「だって、僕と日和ちゃんは今年の四月に会ったばかりだけど、ずっと昔から一緒の真夜さんと同じって言われてさ」
日和は、「好きと言う感情の深さは、出会ってからの日数に比例するとは限らない」という季風の言葉を思い出した。
行列は、少しずつアトラクションの入口に向かって進んだ。
その一方で、日和達の後ろにもどんどんと行列ができていた。
最後の折り返しを曲がって、アトラクションの入口が間近に見えてきた時、秋土の前に並んでいたカップルの友達だと思われるカップルが、日和達の前に、笑いながら割り込んできた。
「ちょっと! みんな、並んで待っているんだから割り込みなんかしないでよ!」
間違ったことが大嫌いで正義感の塊である秋土は、他人であっても悪いことをしていたら注意しないでおれなかった。
「何だよ、てめえ!」
割り込んで来たカップルの男が秋土に凄んだ。
キャップを被った男は、同じ高校生と思われたが、ズボンをだらしなく下げて履き、ネックレスやらブレスレットやらのアクセサリーをジャラジャラと鳴らしながら、秋土に迫って来た。
「ちょっとトイレに行ってる間、友達に順番を取っててもらってたんだよ!」
「前にいる人は、僕達と同じ頃に列に並んだけど、君達はずっといなかったでしょ? 僕達の後ろにも大勢の人が待っているんだから、みんなに失礼だよ!」
「何だと!」
前から並んでいた男性も一緒に秋土を睨んだ。
しかし、その顔はすぐに困惑した表情になった。
「この人の言うとおりだ!」
「お前ら、ずるするなよな!」
「ちゃんと並べよ!」
秋土の後ろに並んでいた男性達が、口々に秋土に加勢してきたのだ。
勝ち目がないと思ったのか、割り込んで来たカップルだけでなく、元々並んでいたカップルも一緒に、ブツブツと文句を言いながら、列から離れて行った。
「兄ちゃん、グッジョブ!」
秋土のすぐ後ろに並んでいた年上カップルの男性が、秋土に向けて親指を立てた。
秋土もにこやかに会釈して前を向いた。
そして、申し訳ないという顔で、隣の日和を見た。
「ごめんね、日和ちゃん」
「う、ううん。わらわは大丈夫なのじゃ。でも、秋土さんはすごいのじゃな。わらわはとても言えぬ」
「僕だけなら仕方が無いかって我慢したかもしれないけど、僕らの後ろにも大勢の人がちゃんと並んで待っていたじゃない。僕が何も言わないのは、その人達に対しても申し訳ない気がしちゃったんだよ」
「秋土さんは、本当に正義の味方じゃな」
「そ、そんなことはないよ! 僕だってズルをすることもあるし、人に迷惑を掛けることだってあるよ」
「正義の味方で正直者じゃ」
「そ、そんなに言わないでよ。照れちゃうからさ」
秋土は、本当に照れているようで顔を真っ赤にしていた。
いよいよ、日和達がビックスノウマウンテンに乗る順番になった。
幸か不幸か、先頭車両の一番前の座席に座った。
「日和ちゃんは、高い所は大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃと思う」
ブザーが鳴ってスタートすると、真っ暗なトンネルの中、ゆっくりと上り坂を登り、外に出ると、遊園地が一望できる高さまで昇っていて、一瞬、停止したかと思うと、いきなり急降下をした。その後、上昇と急降下を繰り返しながら、トンネルに入ったり出たりして、最後は、池に滑り落ちて、大きな水しぶきを上げながら減速をすると、ゆっくりとスタート地点まで戻った。
ビックスノウマウンテンが停止すると、体を固定していたバーが解除され、次の人が待っているホームと反対側のホームに秋土が飛び降りた。
続いて降りようとした日和の目の前に、秋土の手が差し伸べられた。
「大丈夫、日和ちゃん?」
笑顔の秋土に日和も笑顔を返して、秋土の手を握った。
「うん! 面白かったのじゃ!」
秋土に手を引かれて、ビックスノウマウンテンを降りた日和に、少し顔が赤い秋土が言った。
「日和ちゃん」
「何じゃろ?」
「このまま、しばらく手を繋いでいて良い?」
「えっ?」
「迷惑?」
「め、迷惑ではないが、少し恥ずかしいのじゃ」
「人も多いし、日和ちゃんが迷子になっちゃったら困るでしょ」
「迷子にならないと反論できないのじゃ」
「はははは」
秋土が少しだけ日和の手をぎゅっと握った。
「次はどこに行く?」
「秋土さんに任せるのじゃ」
メリーゴーランドやコーヒーカップなどに乗ると、ちょうどお昼の時間になった。
「日和ちゃん、お腹は空いてない?」
「ちょっと空いたかも」
「何か食べようか?」
「うん」
「何か食べたいものある?」
「秋土さんに任せるのじゃ」
「さっきから、日和ちゃんは自分の希望を言わないけど、遠慮なんかしないでね」
「遠慮などはしておらぬ。本当に、ここは初めてなので、よく分からないのじゃ。だから今日は、秋土さんの良いと思うものを信じて試してみるのじゃ」
「分かった。じゃあ、ここのレストランに行こうか?」
秋土が園内マップを広げて、ある場所を指差した。
「うん。美味しいものがあるかの?」
「結構、美味しいって評判みたいだし、ここのキャラクターをかたどったランチが人気みたいだよ」
人気のレストランだけあって、行ってみると既に行列ができていたが、十五分ほど待つと、二人用の小さなテーブルに案内された。
秋土の勧めるキャラクターランチを注文して、ウェイトレスが去って行くと、真正面に秋土の顔があって、ここでも緊張してしまった日和だった。
「日和ちゃん?」
秋土が少し困ったような顔をしていた。
「僕の顔、怖い?」
「えっ、どうして?」
「いや、何か目をそらされちゃったみたいだから」
「ち、違うのじゃ! は、恥ずかしくて、真っ直ぐ前を見られないのじゃ」
「まあ、確かに教室にいる時とは何か勝手が違うよね。僕も少し恥ずかしいけど、嬉しさとか楽しさの方が大きすぎて、あまり気にならないかも」
しばらくすると、料理が運ばれてきた。
ワンプレートの上に御飯と色んなおかずが盛り込まれていたが、御飯がキャラクターの顔の形になっており、錦糸卵や海苔で表情が描かれていた。
「可愛いのじゃ!」
日和は想わず顔を近づけて見てしまった。
「こんなに可愛くては可哀想で食べられないのじゃ」
「本当だね。でも、美味しそうだよ」
「残酷なのじゃ」
「はははは」
食事が終わると、ちょうどパレードの時間になった。
日和と秋土は、ちょうど腰を掛ける高さにある花壇の煉瓦に並んで座って、パレードを見物した。
まだ、昼の部のパレードで、煌びやかなイルミネーションこそ無かったが、ダイナミックなダンスと可愛らしいキャラクターの登場が次から次に繰り広げられ、日和も夢中になってパレードを眺めた。
パレードが終わっても、日和の意識は、しばらく夢の中を彷徨っていた。
「日和ちゃん」
秋土に呼ばれて、現実の世界に戻った。
「大丈夫?」
「う、うん。本当に夢の中にいたみたいなのじゃ」
「そうだね。僕も夢みたいだよ。それに、すごく面白かった。男同士で来た時よりも断然、面白かった」
「でも、ダンサーの人も暑いのに大変じゃの」
「えっ? ……ぷっ、はははは」
秋土が笑い転げた。
「な、何か変なこと言うたか?」
「だって、さっきまで夢のようだって言っておきながら、ダンサーさんの心配をしてあげてるんだからさ」
「でも、汗をいっぱい掻いておったぞ」
「でも、みんな、苦しそうじゃなかったよね?」
「うん。みんな、笑顔じゃったな」
「きっと、ダンサーさんは、みんなを笑顔にしたくて頑張ってて、それが好きだから、暑くても自然に笑顔になってるんだろうね」
「えらいのじゃ」
「そうだね。でも、日和ちゃんも周りの人を笑顔にさせることでは負けてないと思うけど」
「えっ? わらわは踊れぬが?」
「日和ちゃんは、踊らなくても、そこにいるだけで、みんなを笑顔にさせてしまうんだよ」
「そ、そうじゃろうか?」
「そうだよ」
秋土から、また見つめられて、顔を赤らめる日和であった。
「僕も日和ちゃんの側にいると笑顔になってしまうよ。だから、日和ちゃんの側にいたいなって思うんだ」
「……」
「あっ、そんな重い意味に取らないで! 今の僕の正直な気持ちを僕が一方的に口に出しただけって思ってくれたら良いから」
日和は無言で頷いた。
「それはそうと、日和ちゃん、疲れてない?」
「大丈夫なのじゃ」
「じゃあ、次に行こうか?」
「う、うん」
秋土は歩き出すと、すぐに立ち止まって、日和に左手を差し出してきた。
「あ、あの、良かったら」
日和は、また少し躊躇したが、遊園地独特の雰囲気と、手を繋いだカップルが周りにも大勢いたことで、日和の恥ずかしさのバロメーターも下がっていたようで、秋土の手を握った。
安心をくれる大きな手であった。
その後、いろんなアトラクションを堪能して、夕食も一緒に食べてから、二人は出口に向かって歩き出した。
ここでも、日和の許しを得て、秋土は日和の手を繋いだ。
「日和ちゃん、九時からは花火があるんだけど、約束だから今日はもう帰ろうか?」
初めてのデートと言うことで、真夜も心配して、午後九時までに日和が家に帰り着くようにと、四人とも約束をさせられていたのだ。
「ちょっと花火も見てみたいけど、約束だからの」
「今度、一緒に来る時は、花火も見ようね」
「こ、今度?」
「もう一緒に来ることはないの?」
「えっと、……分からぬ。でも、みんなと一緒でも良いではないか?」
「僕は二人きりが良いんだけどな。でも、みんなと一緒に来ても楽しそうだね」
「そうじゃ! 今度は、真夜も連れてきてあげたいのじゃ」
「そうだね。じゃあ、今度は、みんなで来ようか?」
「うん!」




